第2章 若殿エバンス
老人とゲンブは村の道を歩いていた。そこも道が広くよく手入れされていた。
「うむ。よく道が整備されておる。伯爵はこの地の開拓にかなり力を注いだようじゃな。」
「はい、そうでございますな。この地の豊かさと言い、なかなかなものと思います。」
2人が話しているところに馬の蹄の音が聞こえてきた。3頭の馬が道を疾走してくるようだ。老人と大男が振り返ると、確かに3頭の馬が走って向かってきていた。その馬には剣士のいでたちをした若者が乗り、
「どけ! どけ!」
と叫んでいた。村人が道にいたが、その騒ぎに驚いて慌てて道の外に逃げた。3頭の馬は道いっぱいに広がり、その前にいる老人とゲンブを蹴とばすかのように接近していた。
「危ない!」
ゲンブは老人を抱えるようにして道のわきに下がった。それでなんとか間一髪避けることができた。だが砂煙がもうもうと立ち、2人は砂まみれになっていた。
「この乱暴者め!」
ゲンブはその馬を追いかけようとしたが、老人が彼の袖を引いた。
「ゲンブ。もうよい。あの者たちはここに戻ってくる。」
すると先頭を走っていた馬が急に立ち止まり、向きを変えて老人たちの方に早足で戻ってきた。その後を残りの2頭の馬もついてきている。多分、若様とお付きの者のようだ。そのお付きの者の一人が前に出て老人たちに声をかけた。
「見慣れぬ顔だな。その方は何者だ?」
その横柄な物言いにゲンブが怒り、
「何を言う! こちらのお方はな・・・」
と言いかけたが、それを老人がさっと制した。
「これは失礼いたしました。私たちは旅の者。方術師のライリーと申します。これは供のゲンブでございます。」
旅の者と聞いて若様が前に出てきて声をかけた。
「ほう。旅の者か? この地になぜ?」
「はい。ここは素晴らしく景色がいいと聞いたものですから。旅の途中に立ち寄ってみたのでございます。確かにここは素晴らしいところでございます。」
老人がにこやかに言うと若様の警戒心は緩んだようだった。
「そうであろう。ここは我が父、ウエンズ伯爵の領地だ。私はその息子のエバンスだ。ゆっくりしていくがよい。」
エバンスはそう言ってから老人に尋ねた。
「方術師と聞いたが、何かできるのか?」
「はい。 占うことができます。」
老人は懐から水晶玉を取り出した。それは磨かれて透き通っていたが、日の光を反射して輝いていた。エバンスはそれに興味をそそられたようだった。
「では私のことを占ってみせよ。」
「はい。かしこまりました。」
老人は水晶玉をしばらくのぞき込み、そしておもむろに言った。
「あなたには水難が降り掛かる。沼でおぼれると出ております。」
それを聞いてエバンスは鼻で笑った。
「ふふん! そんなことがあるわけないぞ! 私は水に浸かるのが嫌いで沼はおろか、川でも泳いだことはないのだ。そんな者がどうして沼でおぼれようか・・・。まあ、よい。一応、心に留めておこう。」
エバンスはそう言って馬を返してまた道を走り出した。老人はそれを見ながらゲンブに密かに命じた。するとゲンブは奥の茂みに走っていった。
エバンスの乗った馬は軽快に道を疾走していった。だがあるところまで来て、馬が何を思ったのか、「ヒヒーン!」と前足を上げて急に立ち止まった。するとそのはずみでエバンスは馬の背から飛ばされ、道の横にある大きな沼に「バシャーン」と落ちてしまった。慌ててそこから這い出ようとするが、もがけばもがくほどエバンスの体は沼に沈んでいった。
「若殿!」
「た、助けてくれ!」
後ろから来た2人のお付きの者があわてて馬を降りてそのまま沼に入っていった。しかしすぐに沼の泥に足を取られて全く動けなくなった。その前でエバンスはさらに沈んでいき、彼らはそれを見ているしかなかった。その周囲に他に人のいる様子はなかったが、
「誰か助けてくれ!」
とエバンスは必死に叫んでいた。
やがて助けが来ないままエバンスは沼にさらに沈み込み、顔が少し出るほどまでなった。もう息も絶え絶えで、このままでは彼の命が危ない。
だがエバンスは急に体が下から持ち上がるような感じを覚えた。すると彼の顔、そして肩が沼の上に出て、体は岸の方に進んでいた。不思議に思って振り返ると、そこには先ほどの老人とともにいた大男がいた。ゲンブがエバンスを沼の中から持ち上げ、そして岸まで運んでいたのだ。
やがてゲンブはエバンスを岸まで運んでそこで下ろし、その後でお付きの者たちも沼から引き出した。
「若殿! だいじょうぶですか?」
「ああ、大丈夫だ。この者に助けられた。」
お付きの者たちの言葉に大きくうなずきながら、ゲンブに言った。
「助かった。礼を言う。」
その言葉にゲンブは黙って頭を下げた。そこにさっきの老人が追い付いてきた。
「いかがかな? やはり沼に落ちましたな?」
「恐れ入った。先ほどの失礼は謝る。素晴らしい力をお持ちのようだ。」
エバンスは頭を下げた。それは素直な態度だった。老人は彼の目をじっと見た。それは輝きを失わずに澄んでおり、彼が聡明で純粋であることを感じさせた。
(決して悪い者ではない。その目を見ればわかる。しかしなぜあんな乱暴なふるまいを・・・)
老人は考えていた。
一方、エバンスはずぶぬれになって体が冷え切ってしまっており、ぶるぶると震えていた。それを見てお付きの者が言った。
「若殿。お体が濡れております。この近くに村長の屋敷があります。そこで厄介になりましょう。」
「そうだな。そうしよう。お前たちも来るがいい。旅の者なら村長に面倒を頼めるはずだ。」
「これは恐れ入ります。」
エバンスと老人たちは近くの村長の屋敷に向かった。そこは村の中心にある、門を構えた大きな建物で、温和で優しそうな村長が迎えてくれた。
「若様。よくいらっしゃいました。」
「沼にはまってしまった。城に戻るから着替えを頼む。濡れた着物を乾かしておいてくれ。それからこの者たちの世話も頼む。旅の者だそうだ。」
「はい。それはもう。」
村長はすべて承知して、一行を奥の部屋に通した。そして着替えたエバンスは帰り際に老人に言った。
「ここでしばらく滞在できよう。」
「ありがとうございます。助かります。」
「また明日にでも来る。お前の占いは当たるようだ。一つ見てもらいたいものがある。」
「ほう。それは何ですかな?」
「その時に話す。ではまた。」
そう言ってエバンスは屋敷を出て行った。老人はその後姿を見送りながら、
「あれがエバンスか・・・。噂とは違うようじゃ。もう少し様子を見てみるか・・・」
とつぶやいた。