第1話 ウエンズ伯爵領
山々に囲まれた自然豊かなイング地方にウエンズ伯爵領がある。周囲を深い森に囲まれ、そこにたどり着くには暗くて狭い山道を行くしかなかった。だがそこにはいくつかの村と小高い丘の上に建つ小さな城しかない。だからその地を訪れる者は少なかった。
今、その伯爵領へ入る道を方術師の老人とその供と思われる大男が歩いていた。彼らはこの地にはめったに来ない旅の者であった。
「のどかなところじゃな。のう。ゲンブ。」
「はい。ここに来るまでの道は険しゅうございましたが、豊かな土地でございますな。」
山間にあるこの地は周りを森に囲まれているが、山からの湧水が川となって流れこんでいた。そしてその恵みで土地が豊かになり、辺り一面に広がる畑はいずれも実りが多かった。
この地はかつては誰も住まぬ土地であったが、今のウエンズ伯爵が人々を連れて若いころから移り住み、ここまでにしたのだ。
「しかしここに来るものは滅多にいないから旅館はなさそうだな。」
「村に着いたらどこかの家に泊めてもらいましょう。」
そう話して村への道を歩いていると、前から村人が歩いてきた。ゲンブが近づいて、
「旅の者ですが、村まではどれくらいでしょうか?」
と尋ねた。するとその村人は眉間にしわを寄せて2人に言った。
「この道を行けばすぐに村だ。だけど悪いことは言わねえ。今は行かない方がええ。」
「それはどうしてですかな?」
老人が尋ねると村人は潜めた声で言った。
「村の道でいつも伯爵家の若様が馬を走らせているんだよ。その乱暴ぶりと言ったら・・・。かかわりにならない方がええ。」
「そんなにですか?」
「ああ、そうだ。若様は元はそうじゃなかったのに・・・それもあの悪徳夫人のせいだ。ああ、いやだ。いやだ。」
その村人は身震いするようにそのまま行ってしまった。その様子を見てゲンブは老人に聞いてみた。
「伯爵家の若様がそんなことをなさるのでしょうか?」
「うむ。そんなうわさが流れておる。本当でなければいいが・・・」
「それにしても悪徳夫人とは誰のことでしょうか? そんな悪名がついた者が若様をおかしくしたようですが・・・。」
「それもわからぬ。まあ、行ってみればはっきりするじゃろう。」
2人はそのまま村に入って行った。
◇
村の道は道幅が広くきちんと整備されていた。この地を開いたウエンズ伯爵が村の交通の便を考えてこうしたのだ。その道へ3頭の馬が向かおうとしていた。それに乗るのは華やかな服に身を包んだ青年とそれに付き従う剣士2人だった。
「城の中は息が詰まりましょう。」
「うむ。だがお前たちが馬駆けを教えてくれたから、気も紛れる。今日も馬を飛ばして気晴らしをしようぞ。」
「はっ。ここならあの悪徳夫人のことも忘れられましょう。」
そう言われて青年の顔が曇った。
「あの者のことは言うな。思い出すだけで不愉快になる。」
「そうございましょう。伯爵様が何も言わないことをいいことにやりたい放題ですからな。」
しばらくして彼らは村の広い道の前まで来た。
「若様。ここなら道が広うございます。いやなことを忘れるように飛ばしなされ。」
「村人も道を開けてくれております。さあ!」
お付きの者に誘われるがままにその青年は、
「行くぞ!」
と馬に鞭を当てた。すると3頭の馬は村の道を走りだし、もうもうと土煙が舞った。その光景を道のはずれで村人がため息をついて見ていた。
「ああ・・・。今日もか・・・」
その青年たちがしたことはそれだけではない。馬を畑に乗り入れてひどく荒したり、放し飼いの家畜を追い回したりした。相手が相手なので村人はじっと耐えるしかなかった。