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短編コメディ

そして私は嫁を売った

作者: NOMAR


「まさか、嫁を売ることになるとは……」


 思わず口を突いて出た言葉に、私は慌てて自分の手で口を抑える。頭の中で考えていたことが独り言としてポロリと出てしまった。

 それだけ今の私の精神が追い詰められている、ということか。情けない。


 目の前の男、この店の店員は一度チラリと私を見る。すぐに聞こえなかったフリをして再び視線を落とす。そして書類に書き込む作業を続ける。

 つい出てしまった言葉を無かったことにもできず、私は羞恥心で顔を上げられない。テーブルの上、店員がペンを走らせる小さな音が妙に大きくカリカリと聞こえる。

 店員が書き込む書類には、査定された嫁の値が書かれている。


 どうして私が嫁を売らねばならないのか。長年と連れ添った我が半身とも言える嫁を。

 家に帰れば私を待っていてくれた嫁。仕事の疲れをいつも癒してくれた愛しい嫁。健やかなときも、病めるときも、ずっと変わらず私の側にいてくれた。

 側にいるのが当然となり、その慣れから嫁を蔑ろにすることもあった。今は反省している。もっと大切にするべきだった。

 日常の幸福とは失われるときにこそ、強く自覚してしまうものかもしれない。


 嫁を売れば、二度と会うこともできなくなる。今がその別れのとき。

 あぁ、私はこれから何を支えに生きて行けば良いのか。

 落ち込む私に店員は書類に目を落としたまま、独り言のように呟く。


「……次のお客様も、きっと大切にしてくださるでしょう」


 私への慰めだろうか? こんな店に来る客が嫁を大事にしてくれるとは信じられない。私の嫁を買った男が嫁をどう扱うか、想像するだけで気分は暗く沈む。

 だが店員は私のような客のあしらい方を知っているように言葉を紡ぐ。

 

「これでもこの店の店員として長く勤めております。人を見る目はあるつもりです」

「……」

「おかしな人に大切な商品を売ることはありません。そこは信用していただきたく思います」


 店員の言葉は私には誠実に聞こえた。このような店だからこそ信用というものが大事なのかもしれない。この店員に任せれば私の嫁は、もしかしたら私の側にいるより大切に扱ってもらえるのかもしれない。そんな客に買ってもらえるのかもしれない。

 今の私はそこに期待するぐらいしかできない。

 頭を下げ、よろしくお願いします、と口にしようとしたとき。


「ふん! てめえの嫁を売り飛ばすなんざ、情けねえ男だ」


 聞こえたのは私を糾弾するような言葉。顔を上げて見ればスキンヘッドのいかつい男が私を見下ろしている。


「店長……」


 そこにいるのはスキンヘッドの剣闘士のようないかつい男。店員はこの男を店長と呼ぶ。この男が店長か。なるほど、このような店を取り仕切るだけあって、佇むだけで迫力とカリスマを感じる。まるで歴戦の傭兵も斯くやというような。

 店員がそのスキンヘッドの店長に小声で注意する。


「店長、相手はお客様ですよ」

「ふん! 客だろうがなんだろうが嫁を守れず売り払うような情けないヤツに変わりは無い」


 確かにその通りだ。言われても仕方無い。むしろ下手な慰めよりいっそ清々しい。

 私の力が足りなかった。ささやかな幸せを守る力が、私には無かったのだ。ただ、それだけのこと。

 そんな私がひとときでも安らぎを得られたことが、奇跡だったのかもしれない。力無き私に嫁いでしまった嫁が不運だったのかもしれない。

 私が深く落ち込んでいると、店長の渋い声がする。


「……すこし色つけて買ってやる。金ができたら嫁を買い戻しに来い」


 嫁を、買い戻す? 

 慌てて顔を上げたときには店長のたくましい後ろ姿が見える。既に振り向いて店の奥へとスタスタと歩いていく。奥の扉を通りそのスキンヘッドが見えなくなるまで、店長の背中を目で追ってしまう。

 店長はなんと言った? 嫁を、買い戻しに来い?


「まったく、店長は……」


 店員が呆れた声で言う。口許は相反するように薄く微笑みながら。

 店員の持つ書類、私の嫁を査定した金額は乱暴に二重線が書かれて訂正されている。少しだけその値は高くなっている。


 嫁を買い戻す。あぁ、そんなことも私には思いつかなかったのか。絶望に飲まれこんな簡単なことにすら気づかなかったのか。

 この先、何を支えに生きていけばいいのか、と暗く落ち込んでいた。だがなんとかして金を稼げば、その金で嫁を買い戻すことができるかもしれない。

 再び嫁と暮らす日々を取り戻せるかもしれない。


 嫁を連れこの店に来たときには、私は絶望の虜囚だった。うつむき罰を待つ囚人のように。

 だが、店を出る今、私の胸には希望が灯る。嫁を買い戻す、その小さな希望の灯が。

 諦めるのはまだ早い。まだ私は生きている。まだ私にできることはある。

 働いて金を稼ぎ、いつか嫁を買い戻す。

 新たな希望が私に顔を上げ前に向かう力をくれる。そうだ、全てを諦めるにはまだ早い。

 まだ私には足掻く力が残っている――




 そして私はブックオフを後にした。

 私の売ったエロマンガ、『とらぶる♡EVOCATION』と『楽園天国LOVE×100』は、

 合わせて180円で売れた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 人身売買じゃなくてよかったです(笑) あのお店にしては結構高額だな、と思いました。
[一言] 嫁って、2人も嫁を売ったのか(笑) えぇ、売った先から考えると、買い戻すには最低でも倍値が必要ですね。 私は、奴隷商人かも。 毎年50から100人を売り捌いてますから(笑) しかも泣く泣く…
[良い点] フィギュアかなと思った 二次元嫁(データ)かなと思った まさか古本だったとは思わなかった
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