楽園解放 四
ヨミの手紙がアレクセイのもとに届いた。
アレクセイへ。
こんな形でお伝えすることになってごめんなさい。先にもし私の気持ちを伝えたらおそらくあなたは私を止めたでしょうし、事を成した後に直接言葉で伝える時間も無いだろうと思ったのです。これをあなたが読む頃にはもう私は島にいないでしょう。
父と母が処刑されてしまったあの日、私の世界は大きく変わってしまいました。これまで私は理知的な両親と、活発なドミトリ、そして優しいアレクセイ。みんなで楽しく幸せに暮らしていくのだろうと何の根拠も無く思っていたのです。もちろん海賊達が時々島に来て悪さをしていくのは知っていましたが、彼等はいわゆる一線を超える事は無く、おそらくはこれからもそうだろうと勝手に思っていたのです。海賊の存在自体が父上の配慮の結果だったためです。それにより国にとっては深刻さを増す事は無いだろうと思っていました。
しかし、ドミトリが海賊達を統率してしまった結果、彼等はドミトリの邪悪な意志を実行する兵となってしまったのです。その暴力は簡単に一線を越え、両親を処刑し、父に味方した人達を襲うようになり、今まで暮らしていた本土の人達を脅かすようになりました。あなたの知っている通りです。今まで以上に奪われていく物資、殺害された人達。辱められてしまった女性も一人や二人ではありません。私達の世界は暴力に捻じ曲げられてしまいました。
私はよく夜に一人で湖で月を見ていたものでした。それは虫の声や風に揺れる葉の音に耳を澄ませ、心穏やかな時間を楽しむためでした。しかし海賊の手を逃れて身を隠した今では、ただ悲しみを忘れるために月を見るようになっています。いえ、嘆き悲しむために見ているという方が正しいかもしれません。それほど今の私の暮らしは虚ろで何の意味も無い物だからです。
その日も私は月を眺めていました。するとふと涙があふれて来てしまいました。思わず下を向くと湖面に私の顔が映りました。涙に濡れた、ドミトリによく似た目元。突然、私の中にドミトリに対して強烈な憎悪が沸き上がりました。あまりに黒く、激しい怒りが混ざったその感情は奇妙な事に月の光を受けて実体化し、湖面の私の顔から滑り出ると私の足元を黒く染めながら私の体を這いあがり、喉元まで登って来たのです。私はそのまとわりつく憎悪に目を閉じ、頭を抱えて苦しみました。
しばらくして私は冷や汗をかきながらゆっくりと目を開けました。すると目の前の湖が真っ赤に染まっていたのです。私は驚き、それが月の色を映したものだと気付いて空を見上げると、月の色はまるで血に染まったかのような恐るべき真紅でした。
私は息を飲み、そして瞬きした次の瞬間、湖面に黒いローブを着た青白い女性が現れたのです。オルスが言っていた魔女の一人なのだと直感的に分かりました。
魔女がにっこりと笑うと私の黒い憎悪は体の中にいばらのような紋様として刻まれ、こすっても入れ墨のように消えなくなってしまいました。私は立て続けに起こったあまりの事態にうろたえてしまい、ついには気を失ってしまいました。
気が付くと月の色も戻っていたのですが、私の胸や背中、腕には憎悪の紋様が刻まれたままで、消す事ができません。あれは幻ではなかったのです。
そして私は自分が動いた時に出る音が紋様に喰われている事に気が付きました。憎悪に囚われた私は魔女に隙を見せてしまい、その時に私の生きている音を喰う呪いが刻まれてしまったのです。
最初、私は自分を恥じました。しかし、やがて私はこれを、この呪いを、怨みを晴らすための力として利用する事を思い付きました。海賊達はそもそもドミトリがいなければもともと大した害は無いのです。ドミトリさえいなければ。
私はナイフを手に取りました。そしてあの日、私は王宮に忍び込み、ドミトリとバルフレアの命を奪ったのです。誰も私に気付かなかった。あんなに思い切り走ったのに。あんなに力強く何度もナイフを突き立てたのに。紋様が彼等の断末魔の叫びも喰ってしまうのです。音が無いだけで人間はここまで強くなれるのかと驚きました。
音を喰う力を理解した私はその夜、ドミトリの勢力を完全に潰すため、王宮内にいたドミトリの直近の部下である海賊達、二十六人すべてを殺害してしまいました。
私は父の知り合いの漁師さんの船に乗せてもらい、島を出る事にしました。海の東の果て、極東と呼ばれる場所に別の国があると言っていました。私はそこに行くつもりです。
海賊達が私を見付ける事は無いでしょう。もう私は以前の私ではありません。物事を解決する選択肢として真っ先に暴力が浮かんでしまい、いとも簡単に人の命を奪えるようになってしまった今の私は、もはや自分が憎んだドミトリ以下の存在です。魔女の呪いを得た人間など、その島にはいない方がいいのです。
後はあなたに託します。聡明で優しいアレクセイ。あなたならきっと残った海賊達とも上手く立ち回り、きっと以前のように平和な日常を取り戻す事ができるでしょう。世界の葉っぱが揺れるまで、私が愛した国をあるべき姿で保つよう頼みます。
さようなら。




