空の王者と味惑の魔人 十五
離れの塔に用意された木の長椅子の一つにシャロン・ファルブルが座っていた。シャロンは自分自身を抱きしめるように両腕で強く肩を押さえていた。喜びからの震えを懸命に抑え込んでいる。
「やった……フフ……やったわ……!」
その時、離れの塔の大きな扉が開き、リン・ファルブルが入って来た。
「シャロン様」
「……リン」
「大丈夫ですか?」
シャロンは何事も無かったかのように澄まして立ち上がるとリンを出迎えた。緑のカエルがシャロンから離れて行った。
「上手くいったみたいね。ご苦労さま」
「ありがとうございます」
「これでフェルトに目ぼしい敵はいなくなったわ」
「そうですね。喜ばしい事です」
「ええ」
シャロンは祭壇の方へ歩き、ステンドグラスと壁際で成長している植物を見上げた。
「ジンは敵を倒すのは苦手だけど、味方を増やすのはとても上手。これからは大きな困難は無いでしょう」
「それでは私はこれで」
「ご苦労様、ゆっくり休んで」
「はっ。失礼いたします」
リンは踵を返して離れの塔を出て行った。しばらくリンを見ていたシャロンの右目が黒く染まり出し、赤い瞳が輝いた。シャロンの口から出た言葉に魔女の声が重なる。
「そう、後はジンとあのガキを排除するだけね。お父様、お母さま、見ていてね。フフ、フフフフ……!!」
リンは離れの塔を出た後、振り返って塔を見上げた。リンは儀式の日を思い出していた。
その日、離れの塔で祭壇に横になると、リンは祈りをささげた。リラックスしていると、いつの間にか小高い丘に立っていた。草原の中にある丘には大きな樹が立っていて、黒髪の女が立っていた。
「リン・ファルブルね」
「はい。あなたが魔女?」
「ええ。あなたのジンを守りたいという強い意志、平和を守るためなら手を汚す事もいとわないその覚悟、無駄にはさせないわ。さあ手を出して」
リンは跪いて右腕をかざすと、魔女の近くの樹から光がリンへと注がれていく。
「あなたに魔法を授けます。あなたを戻す魔法を」
「戻す?」
リンがそう声を発した時には現世に戻されていた。司祭が心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫ですかリン様?」
「ああ……しかし」
リンはどんな魔法を身に付けたのが分からない。色々試してみたが自分の何が戻るのか分からなかった。あれ以来魔女は姿を現してくれなかった。
どこかで鳥が鳴いているピーという声が聞こえて意識を戻された。
(私には結局自分の魔法は使えなかった。でもこれからもジン様を守ってみせる。どんな可能性からも)
リンは踵を返して城へと歩き出した。
王宮に入り、中庭で子供が遊んでいるのを見ながら左手の階段を上がり、三番目にある自室に入った。いつも王宮から外に出ていて普段はめったに帰って来ない自分の部屋。立派な椅子と机が置いてあるがほとんど使う事は無い。それでもきちんと掃除されていてリンは使用人に悪い気がした。
リンはユリアンと一緒に映っている写真を見た。ユリアンが子供の時から大人になるまでの写真が飾られている。写真立てを持ってしばらく眺めたが、棚の上に戻した。元々酒場で出会っただけの男の子供だ。ユリアンが小さい頃は大事に思っていたが、成長するにつれあちこちを飛び回り、悪そうな連中とも平気で付き合うようになったユリアンに愛情よりしんどさの方が上回って来た。
リンは荷物を机の上に置き、椅子に座ると深く背中を預けた。
ドーンは再びフェルトに統合され、他の街の有力者は全てジンの味方だ。何も心配は無い。なのにこの胸に湧き上がってくる不安は何だろう?
(ジン様はもともと遊牧民のロキ様とラナ様の子供。ファルブル家の中では正統な跡継ぎとは言い難い。何か起きるとすれば……それはシャロン様だ。賢い方だ、滅多な事はなさらないとは思うが……)
リンは女兵士を一人呼んだ。
「お呼びですか?」
「金塊の分配について決まったら報告してくれ」
「分かりました」
「それから……それからシャロン様とジン様から目を離すな」
「は?」
「外に敵がいなくなった以上、これからは内部にも目を向ける必要がある。定期的に何か動きが無いか報告を頼む」
「分かりました」
女兵士が部屋を出て行った。
金塊を領土内の街に平等に分配する事が決まった。金塊はそれぞれ荷馬車に括り付け、それぞれの街へと運ばれる。その準備をしている時期に牧場で一件ボヤが起きた。放火の疑いは無いとの知らせが大臣に届き、被害も小さかったため特にこれといった対処は取られなかった。リンの所でも紙一枚で報告は終わっていた。誰も真剣に目を通した者はいなかったが、たまたまリンの机にあったその報告書を読んだユリアンは首を傾げた。
「何だこりゃ?」
報告書には、火元は乳牛のすぐ近くに置いてあるバケツとあった。




