フレイムタン 十七
ジン達はカイルを待ち受ける為、ビルギッタの東に軍を展開した。いつ来るかは分からないため、あちこちにキャンプを張った。以前の美しかった草原は、前回のリア国軍とカイルの戦いで焼き尽くされ、見渡す限り焼け焦げた土が広がる黒ずんだ平野となっていた。ダンはため息をついた。
「これを一人でやったって言うんですから。カイル様はとんでもない怪物になってしまいましたね」
「でもこれなら草が燃え広がって炎に囲まれてしまう危険性も無い。少しは戦いやすくなったんじゃないかな」
「なるほど」
兵士達の前に車輪をくくりつけた幅が広い鉄板が用意された。シーソーのようなこの板は鍛冶屋などから集められた物で、鉄板を斜めにして炎を上に逃がす為に作られた物だ。さらにあちこちに石煉瓦で水槽を作り、そこに水を溜めて兵士に火が付いたらすぐに飛び込んで消火できるようにした。
「敵は炎使いです。水を用意しておくのはいい考えですね」
出発前は暖かい陽気だったが急に風が吹き出して冷えて来た。空が不気味に暗くなって来た。その時、最前列の方から叫び声が聞こえて来た。
「き、来たぞー! カイル様だ!!」
周囲はざわついて空を見上げた。リア国の方から黒い竜が飛んで来る。やがて兵士達の前まで来ると、低空で竜は姿を変え、カイルは炎をうねらせながらどさりと膝を突いて着地した。周囲の枯れ草が炎で小さく燃えている。
「あ……」
兵士達は、ゆらりと立ち上がったカイルの黒い炎を見て怯んだ。左半身のカイルは無表情で口が開いたままだ。しかし兵士達を左目で捉えると急激に憎悪が湧き上がって来たのか歯を食いしばり出し、魔女と重なった声で叫んだ。
「うぐあああ!! 人間共ォ!!」
「鉄板を構えろ!」
兵士達はすぐさま鉄板を斜めに立て、鉄板の後ろから弓や剣を構えた。
「うるおおお!!」
カイルが剣を振ると黒い炎が兵士達に飛んで行ったが、鉄板がうまく上に炎をいなした。
「良し! これならいける! 矢を放て!」
兵士達は矢を一斉に放った。しかしカイルが左手をかざすと矢は全て空中で燃え尽きて灰になった。
「な……」
カイルは左手を閉じると金色に輝き、周囲から黒い首だけの竜達が噴水のように飛び出して来た。鉄板よりもはるか上から竜が兵士達を覗きこんだ。
「ま、まずい! 隠れ……」
竜達が一斉に炎を吐くと悲鳴と共に兵士達が焼き尽くされ、絶命して倒れる甲冑の音があちこちから聞こえて来た。鉄板に隠れて逃れた兵士も横から覗かれた竜に燃やされてしまった。
「ひいいい!」
火が付いてまだ生きている兵士は水槽に飛び込んで消火した。しかし直接炎を浴びせられた兵士達は即死した。
「くっくそ! 奴に攻撃させるな! 撃て撃て!」
兵士達は間断無く矢を撃ち続け、竜達を防御に回させて何とか生き延びているが、矢が無くなった時にどうなるかは誰の目にも明らかだった。兵士達は死の恐怖に駆られながら攻撃を続けた。
「もっと矢を持って来い! 全軍から集中させるんだ!」
伝令の兵士が急いで散って行った。しかし膠着状態に陥った瞬間カイルは剣を振り、炎の門を作ると門から怪物達が飛び出して来て、カイル自身は周囲の炎で矢を防ぎながら、現れた怪物達が兵士を襲い始めた。
「ぎゃああ!」
「や、やめろ! 来るなぁー!」
次々と兵士達が怪物達に抱き付かれて横で燃え始め、恐怖で兵士達は撃つのを止めて逃げ出し始めた。
「ば、馬鹿! 撃つのを止めたら……!」
カイルの周囲の竜が即座に攻撃に転じ、兵士達を焼き払い始めた。
「だ、駄目だ……! 引け! 引けぇー!!」
燃えて行く兵士達の間をカイルが歩いて行く。
「どこへ行くんだ……ククク……置いて行くなよぉ」
ジン達の武器や防具ではカイルの黒い炎に対して為す術が無かった。ジンは逃げ惑い、燃えて行く兵士達を見ていた。やがてカイルの行く手を阻む兵はいなくなり、ジン達の方へカイルが歩いて来るのが見えた。ジンはカイルを見て呆然としていた。黒い炎を波立たせながら歩いて来るカイルは悪魔そのものだった。
「カイルおじさん……」
もはやジン達に打つ手は無い。この国も滅びるだろう。そう確信させる光景だった。
ぽつぽつと雨が降り出し、カイルがジンの前に来た頃には雨足が強くなった。しかしカイルの炎はこの雨の中でも怯む事無く燃え続けている。
「誰だっけな……こいつは……どうでもいい……」
カイルはジンの事が分からなくなっていた。ジンを怪物が襲った。
「ジン様! 危ない!」
ダンはジンをかばって怪物に抱き付かれた。
「逃げてくださいジン様! 早く!!」
ダンは怪物と共に燃え上がった。
「ぐわあああ!」
「ダン! くっそおお! 止めろ! 止めろぉー!!」
ジンは火傷するのも構わず、雨の中焼かれるダンを掴んで水槽に投げ込んだ。しかし火が消えた時、既にダンは死んでいた。
「ダン……う、うう……」
ジンは水槽の前で膝を突いた。背後でバシャッ、バシャッと足音がして、振り返ると歩いて来るカイルの足が見えた。
「次は……お前だ……」
ジンはカイルを見上げた。カイルの左半身はぐっしょりと濡れている。雨がカイルを打ち、額から水滴がゆっくりと垂れて行き、口の中に入るのが見えた。
ジンは反射的にカイルを指差して叫んだ。
「雨水よ! 美味しくなれ!!」
カイルは突然の口内の快感に驚いて剣を落とした。
「う……うおおおおおお!! 何だこれはぁああ!! アハハハ! 美味い!! 美味すぎる!! アハハハハ!!」
カイルは美味しさのあまり両腕を広げ、空を見上げて口を大きく開けて雨水を受けながらフラフラと歩き出した。
「何だこれは! 戦ってる場合じゃない! 幸せだ! 無限に続く幸せがこんな所にあったのかァー!!」
カイルの炎達の動きが止まり、カイルの人間部分が喜びに打ち震えていた。見た事が無いほどにこやかな笑顔だ。
「う……」
ジンは落ちている剣を拾って立ち上がった。
「うわあぁーッ!」
ジンは叫びながら突進し、カイルの背中に剣を突き刺した。
「ぎゃあああああー!!」
カイルはすさまじい悲鳴を上げ、胸を貫いた刃から黒い炎が空へと立ち昇った。
「痛ぇーッ!! 美味いーッ!! がはっ! 血がいいスパイスになって絶妙に……美味い……美味……」
カイルはその場にドサリと倒れ、ぶつぶつと呟いていたがやがて動かなくなった。体の黒い炎が消え、煙のように消えるとカイルの炭になった右半身も露出した。
「カイルおじさん……」
ジンはその場にヘナヘナと座り込んだ。
「やったよ皆……」
ジンのかすれた声は雨音にかき消され、近くにいた黒いカエルが雨水を受けながらピョンピョンと跳ねて離れて行った。




