フレイムタン 十六
ジンのもとにニックが若き母親を連れて戻って来た。
「ジン様!」
「ニック? どうしたの?」
「リア国の生存者を見つけました!」
「え?」
椅子を勧められ、座った若き母親は緊張しながら語った。
「わ、私はフィーンに暮らしていた者でございます。あの日、炎によって街は壊滅しました。私は建物に隠れていたのですが、赤ん坊が泣き出してしまい、誰かが近付いてきました。何かが起きて私の近くにあった瓦礫が舞い上がってそして……」
シャロンは続きを促した。
「それで?」
「あ、あの。私が見た事は夢でも何でもありません。それを先に言っておこうと思うのですが……」
ジンとシャロンはお互い頷いた。
「いいわ。まずは話してみて」
「あ、ありがとうございます」
母親は唾を飲み込んでから続けた。
「炎で瓦礫が舞い上がり、目が合ったのはカイル様です。以前こちらにいらした時に見た事があるので間違いございません。カイル様は体の半分が黒い炎に包まれていました。街を焼いたのはカイル様の黒い炎でした。カイル様は全てを灰にしてしまいました。私の夫も……」
泣き出した母親の肩をニックが支えた。
「大丈夫かい?」
「え、ええ。ありがとう……」
「カイルおじさんが魔法使いになったんだ」
ジンがポツリと呟いた。
「カイル様は正気を失っているようでした。そして私達も殺そうとしました」
「どうやって生き延びたの?」
「そこにもう一人、カイル様に近付こうとしている方が現れました。ロキ……とカイル様は呼んでいました。私は見た事は無いのですがロキ様かもしれません」
ジンは嫌な予感がした。
「父さんがその場に?」
「ええ。二人は戦い始めたのです。それで……」
母親は目線を反らした。
「それで、私達に近付いて来て……何というのでしょうか。私達は急に小さくなったのです。そしてロキ様は私達を掴んで街の外に放り投げてくれました」
シャロンがその時の現象を解説した。
「あなた達をぬいぐるみにして助けたのね」
「ぬいぐるみ?」
「ロキは魔法使いよ。触れた人をぬいぐるみに変える事ができるの」
母親とニックは目を見開いた。
「ま、魔法使い?」
「ええ。ロキとジンは魔法使いなの」
「そ……そうなのですか!?」
「し、信じられない……!」
ジンは浮かない顔をしている。
「ねえ、それで? 父さんとカイルおじさんはどうなったの?」
「それで……」
母親は表情を曇らせた。
「空を飛んでいる時に見えたのですが……ロキ様はカイル様の炎の怪物に捕まって……」
ジンとシャロンは沈黙した。
「カイルおじさんに……やられたの……?」
「そう見えました」
ジンは親指以外を折り曲げた手を口元に持っていき、人差し指で何度か口をこすった。
「分かった……報告ありがとう。部屋を用意させるから少し王宮で休んで行ってください」
「ありがとうございます」
ニック達は出て行った。ジン達はしばらく無言だった。シャロンはジンを気遣った。
「大丈夫?」
「うん」
ロキはカイルを止められなかった。
「父さんは」
「うん」
「父さんは最後にあの人を助けたんだ」
「そうね」
「父さんとはあまり一緒にいられなかったけど。僕は父さんを誇りに思う」
「私もよ」
王宮の会議室にジンと他の街の貴族が揃った。
「今日はリア国の事について、という事でよろしいのかな?」
「ええ」
「その前に一つよろしいかジン?」
ジャミルが手を上げた。
「ええどうぞ」
「リア国に献上する事になっていた金だが、ランドールが輸送隊を襲って横取りしていた事が分かった」
一同がざわついた。
「何と! ランドールが!?」
「奴はどこだ? 姿が無いようだが」
「ランドールさんなら父さんが既に罰しました」
ジンの言葉に一同がジンを見た。
「リア国の大臣バルムンクと共謀して、金を横取りしようとしたそうです。彼等はもう人間に戻る事は無いでしょう。金はランドールの屋敷にあり、今兵士が回収しています。いずれ皆様にお返しできる事でしょう」
ジンの言葉に不気味さを感じた貴族は質問した。
「人間に戻る事は、とはどういう意味ですかな?」
「父の魔法により彼等はぬいぐるみに変えられました。父は先日カイルと戦闘になり戦死したので彼等にかかった魔法はもう解除される事は無いのです」
「魔法?」
ジンは魔法の事に、カイルの状態、リア国はカイルによって滅ぼされた事、次はフェルトが標的だろうという事について説明した。
「何という事だ……なかなかそんな話をされても受け入れる事ができん」
「僕も魔法を授かりました。私は口に入れた者を美味しくする事ができます」
「美味しく……?」
「試しにここに出された食べ物達を食べてみてください」
そう言われても貴族達は長年の習性で、他人から勧められた食べ物に手を付ける事はできない。
「持参した物でも結構ですよ」
「で、では」
一番老いた貴族が自分の部下から手渡された水を一口飲んだ。ジンが指を差すとたちまち貴族は幸せの絶頂をこれ以上無い笑顔で表した。
「はうわあああああ!! い、一体!! 一体この味は何と表現したら良いのだああ!!」
一同はざわざわと動揺している。
「で、では私も」
「私も!」
貴族達が次々に水を口に含み、ジンが指差して全員がそれぞれ経験した事のない幸福を味わった。老いた貴族達がよだれを垂らし、全員バラバラなタイミングで笑顔で頭を振る光景は何とも異様だった。
やがて貴族達が正気に戻ると口々にジンを褒め讃えた。
「す、素晴らしい!! ジン様! あなたこそが奇跡の体現者だ!!」
「あなたに出会えた事を神に感謝する!」
「良かった」
ジンはにっこりした。
「問題は、カイル・ファルブルが邪悪な魔法使いになったという点です」
「邪悪な?」
「黒い炎を操り、リア国を焼き尽くしました。そしていずれ戻って来ます」
貴族達は背筋を伸ばした。
「僕達は彼と戦わなければいけない。絶対に負ける訳にはいかない。あなた達の兵士も全てお借りし、全軍をビルギッタの東に展開してカイルを待ち受けたいのです」
「なるほど」
貴族達は顔を引き締めた。
「もちろん、カイルを倒せばあなたと楽しい会食が待っているのでしょうな?」
「もちろんです。兵をお貸しして頂ければ、僕はこれから先、無制限にあなた方の食事を美味しくする事を約束します」
全員が思わず立ち上がった。
「もちろんお貸しします!」
「あなたを失う事は人類最大の損失です!!」
資産を持ち、普段何物にも脅かされる事も無い老いた貴族達には、美味しい食事というのは残された数少ない快楽である。ジンが持つ魔法こそが貴族達に与えられる最大限の報酬だった。
ジンは早朝、出発前に離れの塔の祭壇に座っていた。司祭が静かに壁際に置かれた植物達に水をあげていた。ジンは近くまで来た司祭に声をかけた。
「ねえ」
「何でしょう?」
「この木の実なんだけど、ここに植えてくれないかな。母の物なんだ」
そう言ってジンは司祭に木の実を渡した。
「いいですよ」
「ありがとう」
司祭がステンドグラスの下のプランターに木の実を植えた。司祭が水をやりながらジンに聞いた。
「怖いですか?」
「うん。僕達はもしかしたら何もできずに死ぬかもしれない」
ジンは祭壇から飛び降りるとステンドグラスを見上げた。
「でも逃げる訳にはいかない。僕はこの国の王だから」
「お気を付けてジン様」
「うん。行って来る」




