ぬいぐるみの鬼 十七
曇天の午後二時十五分、ビルギッタの街の北にある平原に三万の軍勢が佇んでいた。いくつかの隊に配置された騎士が馬に乗って旗を掲げている。旗にはファルブル家の象徴である鷲が水晶を鉤爪で掴んでいる図柄が描かれている。
(ようやくこの日が来たわ)
ラナは左翼に展開した、サソリの組織にいた者達を中心として組織された兵の後方にいた。ラナはその軍の中央の騎士が持つ旗が風にはためくのを眺めた。
(夢で魔女は勝てないと言ってたけど……ここで終わらせる。運命は私が変えてみせる)
カイルもジャミルと共に中央の軍にいて街側の軍を眺めている。
「レオナルドは随分軍が少ないようだが、何故だ?」
「余程自信があるのか、それとも孤立を深めた結果なのでしょうか? どちらにせよこちらが有利なのは喜ばしい事です」
将軍側は、ラナに向き合うように右に将軍の軍、左にカイルと向き合うように傭兵から雇用された私兵達が配置されている。その隊長はあの日、木を覗いた男だった。将軍側の軍は一万程しかいなかった。
将軍の横に魔女が黒い霧を伴いながら現れた。
「ジャミルの横にいる反乱軍のリーダーは何者だ? 街の悪ガキから貴族になったとかいう変わり者らしいが……」
「さあ。どちらにせよあなたの敵ではないわ」
「フン」
将軍は左腕を横に広げた。
「行け! ゲイル!」
ゲイルと呼ばれた左翼の男は叫んだ。
「突撃!」
左側の軍が一斉に突撃して行った。
「来たぞ! 迎え撃て!」
ジャミルが叫び、正面の兵達が長槍を構えながら少しずつ前進して行く。傭兵軍は長槍の前に死者を生み出しながらやがて激突した。傭兵軍と中央軍の戦いは五分五分だったが、カイル達の右側にさらに一塊の軍勢があり、他の街の貴族が組織したその軍勢が横から傭兵軍を攻撃すると、あっという間に傭兵達は数を減らして行く。元々有利な状況からの不意討ちや一方的な略奪しかして来なかったゲイル達は大規模戦闘には慣れておらず、組織的な戦いは素人だった。傭兵軍は残り百人程になり、ゲイルも街へ逃げて行った。将軍はため息をついた。
「本当に使えないゴロツキ共だ」
そう言うと将軍は腰の左右の剣を抜き、双剣を構えながら一人歩いて軍から抜け出してきた。将軍がたった一人で平原を歩いて来る。カイルはラナ側に向かって歩いている将軍に気付いて目を丸くした。
「ジャ、ジャミル様! 将軍が!」
「な、なに!?」
将軍は犬歯を剥き出しながら笑みを浮かべた。
「貴様等を潰せば私に刃向かう者はいなくなるのであろう? 思い知るがいい」
将軍は邪悪な笑みを浮かべたまま兜の面を下ろすと、目が赤く輝き出し、両肩から真紅の炎が翼のように噴き出した。兜の下で顔の表面が炎でゆらゆらと波打っている。
「な、何だあれは?」
将軍が歩きながら双剣を振り出すと、その軌道をなぞるように弧を描いた炎が猛烈な速度でラナの軍に向かって飛んで来た。
「うわあああ!」
兵士達が飛んで来た高速の炎で吹き飛びながら燃えて行く。
「ひ、ひいい!」
「逃げろ! 逃げろおお!」
ラナ側にいた軍は燃え尽きながら後ろに、横に散り散りになって行く。カイルはその光景を目の当たりにして驚愕した。
「そんな……! 将軍も魔法使いだったなんて……!!」
将軍の後方に魔女が笑みを浮かべながら立っているのが見えた。
「ラ、ラナ……逃げろ……! 逃げろラナァ!!」
ラナは歩き出した。周りの兵士は炎の嵐の中、散り散りになって逃げて行く。死体が転がっている。悲鳴が聞こえる。あの時、燃えるキャンプを見て、ラナはロキに手を引かれただ逃げた。しかし今、ラナは火傷した足を押さえながら将軍に向かって歩いて行く。
何千人もいた軍は後ろに後退し、炎の嵐の中から一人、ラナが何かに押されるようにして前のめりに抜け出して来た。戦場にいる全員が煤だらけのラナを見ている。ラナはよろよろと将軍に向かって歩いて行く。将軍は双剣を下ろし、自分に丸腰で近付いて来る女の子を不思議そうに見ていた。ラナは将軍の目の前まで辿り着いた。
「まさかお前が大いなる災いなどと言う事はあるまいな?」
「ようやく会えたわ」
「貴様など知らぬ」
ラナは鞄からロキのぬいぐるみを取り出した。
「何だそれは?」
「私は西のキャンプの一族の生き残りよ」
「西の……」
そう言われてロキのぬいぐるみを見ながら思い出した。
「ああ……思い出したぞ、そのぬいぐるみ。あの木の下の穴にあった物だな。貴様があの時の逃げたガキという事か」
ラナは将軍を睨んでいる。
「ではこれで西の者は全滅という訳だな」
そう言うと将軍はラナの腹に剣を突き刺した。
「ラナァ!」
カイルは馬で飛び出して行った。
「ぐっ……!」
「さらばだ」
ラナは震えた腕でぬいぐるみを将軍に突き出した。
「い……今よロキ……!」
ラナがロキを突き出して将軍の肩にロキの顔を押し付けた。歪んだ顔のロキがボソリと呟いた。
「勝負あったな」
「な!?」
将軍がぬいぐるみとなり、ロキと共にポトリと地面に落ちた。
「こ……これは!? 貴様、魔法使いか!」
ラナは膝を突いた。その衝撃で刺された腹が痛む。カイルがラナの側まで来て馬から急いで降りた。ラナの口から血が溢れて来た。
「がはっ……!」
「ラ、ラナ!」
ラナは歯を食いしばってカイルを腕で制した。
「ぐ……ま、まだ……よ……!」
ラナは腹に刺さっていた剣の柄を握り、思い切り引き抜いた。
「うあああぁぁ!!」
ラナは血まみれで剣を持ったまま地面に倒れ、気を失わないように左拳を握り締めると、将軍に向かって這って行った。
「ぐ……うう……!」
涙と血で顔をグシャグシャにしながら、ラナは将軍を左手でしっかりと掴むと剣の刃を将軍の首に当てた。
「や……止めろ……!」
「くた……ばれぇ……!」
ラナが渾身の力で剣を押し込み、将軍の首がザクリと切れて落ちたのを見届けるとラナはうつ伏せに倒れた。目の前にロキの顔がある。ラナは血が付いた手でロキの頬を撫でた。
「やったわ……やったわ私達……」
「ああ、見てたよ。最高だったぜ」
ラナは目を閉じた。
「私、少し疲れたわ……ちょっと……眠るわね」
ロキはラナの苦しみを取り除こうとラナをぬいぐるみに変えた。
「ああ。ゆっくりおやすみ……愛してるよラナ」
「私も……愛してるわ」
ラナは息を吐き、そのまま静かになった。雨が降り始め、ロキの目の部分に一滴水滴が落ちると、下にゆっくりと流れて行った。




