ぬいぐるみの鬼 九
三人はサソリにもらった地図の場所へとやって来た。中心街の民家。自分では一生買えないような値段だろう。サソリの気遣いに感動して気付かなかったが今ここに来て気付いた事があった。
「まさか隣とはな」
隣の屋敷の庭にある白いテーブルを拭いている家政婦のおはざんが家の前に立っている三人に気付いた。
「あら!? あなた達! 久しぶりねえ!」
「こんにちは」
「ちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ! 奥様! 奥様ぁー!!」
問答無用で客間に連れて来られた三人は家政婦の強引さに圧倒されていた。夫人が客間に現れた。少し髪が伸びて片側に寄せている前髪が肩にかかっている。
「あらカイル、ロキ、ラナ。お久しぶりねぇ」
「お久しぶりです奥様」
「隣の家の前にいたって聞いたわ。お隣の方と知り合いなのかしら? それともお仕事?」
ロキとカイルは見合わせて笑った。
「あ、違います! ロキとラナが引っ越して来たんです! 二人が住むんです!」
夫人は目を輝かせた。
「まあ! 駆け落ちしてついに愛の巣まで手に入れたのね! 凄いじゃない!」
微妙な勘違いはあるが概ね合っているのでロキは頷いた。
「私、妊娠したんです。それでこちらに」
「ええ!? おめでとうラナ! ずいぶん早いわねえ」
「私達は元々遊牧民で大人と認められる年齢が街の人達より低いんです。街では大人の権利はまだもらえないけど」
「この家はボスに借りたんです。以前の猫の仕事を紹介してくれた人です」
「へえーそうなの。凄い人なのねえ」
ラナと夫人が出産や育児について話し込み始めた。ロキはカイルに囁いた。
「おいおい、引っ越すのはカイルもだろ」
カイルは驚いた。
「えっ俺も? いやでも二人の家だろ? 悪いよそれは」
「何言ってんだ。お前だけねぐらなんてそんなの俺が許さねえよ。ラナだってお前がいてくれた方が心強いしよ。頼むよ一緒に住んでくれ」
カイルは照れて頭を掻いた。
「分かったよ」
その時話し声を聞きつけて金髪の小さな女の子が部屋に入って来た。
「お母様、その人達だぁれ?」
「あらシャロン。お勉強は終わったの?」
「うん」
シャロンは夫人の隣に座った。
「娘のシャロンですわ。シャロン、ご挨拶して」
「シャロンです、九歳になりました」
「カイルです。初めまして。こっちはロキとラナ」
「初めましてシャロン、ラナよ」
「ロキだ。この前も来たんだけどご挨拶がまだだったな。よろしくな」
シャロンは一目見て三人を気に入ったようだった。
「シヴァを見つけてくれてありがとう。シヴァも元気よ」
「良かった。シヴァは今どこにいるんだ?」
「私のお部屋で寝てる。さっきまで一緒に薬理学のお勉強をしてたの」
「や、薬理学って何だ?」
「お薬がどうやって体に効いているのかそのメカニズムを知る学問」
三人はポカンとした。
「ずいぶん難しい事やってるんだな」
「ううん。基礎的な事を理解したら後は覚えるだけよ。この国の薬理学は全然進んでないもの。本も大した事書いてないわ」
夫人はため息をついた。
「シャロンはとても頭が良いの。それは嬉しい事なんだけど、あまりにもお勉強ばかりしているから体を全然動かさなくて。だから一緒に遊ばせるためにシヴァを飼っているの」
シャロンは家政婦から紅茶をもらって一口飲んだ。
「でもシヴァは日向ぼっこばかりしてるからあんまり動かないけどね。この前は急にいなくなったからびっくりしちゃった」
ラナはクスッと笑った。
「一緒に捜したらいい運動になったわよ。街中走り回ったんだから」
「俺はもうごめんだけどな」
「俺達はお隣に引っ越して来たんだよ。良かったらうちにも遊びにおいで」
カイルの言葉にシャロンが喜んだ。
「ほんと!? 嬉しい! じゃあ今度極東の国で使われているSGLT2阻害薬がなぜ画期的なお薬なのか教えてあげるね!」
「う、うん。楽しみにしてるよ」
「今日はずいぶん賑やかだね。お客様かい?」
声がした方を見ると客間の入口に黒髪の紳士が立っていた。
「あ、パパお帰りなさい!」
「ただいま」
上品なクリーム色のジャケットを羽織り、縦縞が入ったスラックスを履いた三十代後半くらいの紳士は走って来たシャロンの頭をポンポンと撫でた。
「あなたお帰りなさい。今日はもうお仕事終わったの?」
「ああ。エレナ、こちらの三人はどなたかな?」
「お隣に引っ越して来たのよ」
「へえ。お隣さんか。ご両親は今日はどちらに?」
「その……」
カイルは言葉に詰まった。しかしラナはもう乗り越えていた。こほんと咳払いすると落ち着いて答えた。
「私達の両親は最近亡くなりました。それで行く宛が無くてこの街にロキと一緒に来たんです。街に来てすぐにカイルと知り合って、今は私達三人で暮らしています。家はありません。今回は私の妊娠を機にお世話になっている人から善意であの家をお借りしたんです」
紳士とエレナは動揺した。エレナと入り口にいる家政婦は少なからずショックを受けているようだ。
「そうか……すまなかったね」
「どうして今まで言ってくれなかったの?」
「お仕事で一度お会いしただけの方にご迷惑をお掛けする訳にはいきませんから」
夫婦はお互いを見合った。やがて紳士は優しそうな瞳で三人に語りかけた。
「これも何かの縁だ。大人がいないと困る事も多いだろう。これからは何かあったら私達に相談するといい。遠慮はいらないよ」
三人は頼れる大人の出現に顔をほころばせた。
「ありがとうございます。そうします」
「私はアルフリード。アルフリード・ファルブルだ」
「私はシャロン・ファルブルよ!」
シャロンが腰に手を当てた。ロキは笑ってからアルフリードにどんな仕事をしているのか尋ねた。
「うーん。警備の責任者だよ。プランナーって言うのかな。イベントがある時なんかにここからここまで警備員は何人くらい、とか考えるのが仕事だ」
「警備のプランナーですか。凄いですね。考える事が山程ありそうだ」
アルフリードは頭を掻いた。
「うんまあ、そうだね。昔の馴染みでよくレオナルドから依頼が来るんだけどこれが大変で」
ロキは首を傾げた。
「レオナルドって?」
「あ、最近来たばかりだから知らないかな。この街でいちばん偉い人なんだ。街の皆からは将軍って呼ばれてる」




