05:「君には感謝してもしきれない」
「ジェ、ジェシカ様……」
「あら、メリッサ様。ごきげんよう。なんだか顔色が悪いようですけれど……どうされました? 人をお呼びしましょうか?」
「わ、わたしのことはいいんです。それよりもジェシカ様、ごめんなさい。わたしが間違っていました……どうか逃げ──ヒッ」
いつも気丈に振る舞うメリッサが怯えている。それも特定の方向を見て。
ジェシカはメリッサの見つめる方を見ると、エイダがいた。
にっこりと可憐な笑顔を浮かべて、でもその目は凍えるように冷たい。気弱そうな雰囲気はもうどこにもない。
彼女はゆっくりとジェシカたちの方へ近づく。
「こんなところにいたのね、メリッサ。だめじゃない、まだ話の途中でしょう? でも……すごくちょうどいいわ。ジェシカ様と一緒だなんて」
異様に明るい口調のエイダにただならぬものを感じ、ジェシカはメリッサを庇うように前に出る。
「ごきげんよう、エイダ様。わたくしになにかご用がございまして?」
「ええ! 三人でお話したいですわ。中庭に行きませんか?」
「申し訳ありませんけれど、わたくしはここから離れるわけにはいきませんの」
アデルバートからきつくここにいるように言われているのだ。それを破るわけにはいかない。
「……中庭に行きましょうよ。ねえ、ジェシカ様。一緒に来てくださらないと……メリッサがたいへんなことになってしまいますわ」
「……大変なこと……?」
聞き返してもエイダはニコニコと笑うだけで、なにも答えない。メリッサはすっかり怯えて「ごめんなさいごめんなさい許して……」と繰り返す。
(……どうやらメリッサ様は酷い目に遭わされたようね。大変なことになるというのも、きっと碌なことではない……わたくしがいかなかったら、メリッサ様はもっと恐ろしい目に遭うかもしれない)
だが、アデルバートの言いつけを破るのも気が引ける。ジェシカは逡巡したのち、頷いた。
「……わかりました。中庭へ行きましょう」
「だ、だめ……だめです、ジェシカ様……!」
小声でジェシカを止めるメリッサに、ジェシカは安心させるように微笑みかける。
「大丈夫ですわ。心配なさらないで」
ジェシカはニコリと笑い、エイダと向き合う。
「メリッサ様は体調が優れないご様子。休憩室で休んだ方がいいかと思うのですけれど、中庭へ行くのはわたくしだけでもよろしいでしょうか?」
「ジェシカ様に来ていただければ十分です。では、行きましょう」
エイダの言葉にジェシカは頷き、二人した中庭へ向かう。ちらりと振り返ると、メリッサが心配そうにジェシカを見ていた。
中庭の人気の少ない場所まで行くと、エイダはぐるりと振り返り、ジェシカを見てにんまりと笑った。
「馬鹿な人。罠だとは思いませんでしたの?」
「もちろん考えましたわ。けれど……大丈夫だという確信があったので」
「……まあ。随分余裕ですのね」
エイダは面白くなさそうな顔をしたが、すぐに余裕の笑みを浮かべる。
「ジェシカ様、今からでも遅くはありません。アデルバート様との婚約を解消なさってください。アデルバート様はわたしと一緒になるべきお方です」
メリッサの後ろに隠れていた人物と、同一人物とは思えないくらいのハッキリとした物言いだった。
その瞳は冷え切っており、どこか傲慢な表情を浮かべていた。
恐らく、これが彼女の本性なのだろう。
「それは無理なご相談だわ。そもそも、わたくしに婚約を解消する権限はありませんし」
「……そう。あくまでも、わたしからアデルバート様を取ろうとなさるのね」
「取るもなにも……アデルバート様は誰のものでもありませんわ」
「……仕方ないわ。なら……あなたには消えていただきますね」
「……消える?」
ジェシカが首を傾げると、エイダがすっと手を上げた。すると、どこに隠れていたのか、屈強そうな男性が三人で現れた。
(この人たち……たぶん軍人ね)
城の警備を担当している部隊の制服を着ている。
エイダの父親は軍の関係者。その縁でエイダと彼らは知り合ったのだろうか。
三人は厭らしい笑みを浮かべて、エイダに聞いた。
「お嬢、本当にいいんで?」
「構わないわ。もし捕まったとしても、あとでお父様が釈放してくれるし、軍にも復帰できるように手配をしてくれるわ。だから安心しなさい」
「そりゃあいいなァ」
ヒヒッと笑う彼らにジェシカは眉を顰める。なんて下品なのだろうか。
持っていた扇で表情を隠し、エイダに話しかける。
「……彼らはあなたのお友達かしら?」
「ええ、そうよ。わたしに良くしてくれるお友達。わたしの願いを叶えるために、あなたを穢してくれるのですって」
うふふっとエイダは楽しそうに笑う。
「彼らがあなたを襲っている間に、わたしは泣きながら夜会の会場に飛び込むの。そして……『助けて! ジェシカ様が怖い目に遭われている!』と叫ぶ。そうすれば……ほとんどの人があなたになにかあったと知ることになって、ジェシカ様に不名誉な噂が付きまとうようになるわ。そんな方を王族が迎え入れることはないでしょう。あなたは婚約を解消される──完璧な作戦だわ!」
うっとりした目をしてそう言ったエイダにジェシカは呆れた。
「……あなた、大事なことがわかっていないわ」
「大事なこと?」
「たとえわたくしが婚約を解消されたとしても、アデルバート様があなたを選ぶことはない」
「……どうしてそんなことが言いきれるのよ」
ギロリと睨むエイダに、ジェシカはにっこりと笑う。
「だって……あの方は、あなたが思っているよりずっと難しい方ですもの。──ねえ?」
「あなた、誰に向かって話を──」
「──君にそんなふうに思われていたとはな」
エイダの声に被さるように、アデルバートの声がした。
エイダはハッとして振り返り、そこに広がっている光景に唖然とした。
ゆっくりと近づいてくるアデルバートの後ろには複数の兵士の姿があり、エイダのお友達だという男性たちは兵士によって取り押さえられていた。
「ア、アデルバート様……どうして……」
「君のお友達とやらはこちらで捕らえさせてもらった。……エイダ嬢、君にはずっとお礼を言わなければと思っていた」
「アデルバート様……!」
嬉しそうな顔をするエイダに対し、アデルバートも綺麗な笑顔を浮かべる。
だが、エイダは気づいていない。アデルバートの目が笑っていないことに。
「君のお陰で、君の父上の悪事を暴くことができた。どうもありがとう。そして……軍の腐食まで教えてくれるとは。君には感謝してもしきれない。本当にありがとう」
「……え?」
ぽかんとした顔をするエイダに、アデルバートはスっと笑みを消す。
「だが──私の婚約者に手を出そうとしたことは、絶対に許さない」
そのときのアデルバートの表情は、ジェシカでも思わずぞくりとするほどだった。
彼の美貌がこれほどまでに恐ろしく感じたのは初めてだ。思わず屈したくなるような、そんな鋭利な美しさ。圧倒的なプレッシャーを、このときのアデルバートは放っていた。
「あ……あ……」
ガクガクと震えるエイダを一瞥し、スッと視線を逸らして素っ気なく「連れて行け」と告げる。
エイダは兵士たちに連行されていく。
それを見つめていると、アデルバートはゆっくりと近づいてきた。
「大丈夫か?」
「ええ。……と、言いたいところですけれど……立っているのがもう限界です……」
ホッとしたら腰の力が抜けてしまった。
ヘナヘナと座り込みかけたジェシカをアデルバートが支える。
「……よく頑張ったな」
「あなたがわたくしの護衛を配置してくれていたことは知っていましたから。エイダ様に話しかけられてすぐその中の一人が動かれていたのも確認していましたし、助けに来てくれるだろうとは確信していたのですが……少し、怖かったです……」
エイダの友達だという男たちが現れた時点では、アデルバートたちの姿は確認できなかった。
アデルバートたちが来るまでは一人でなんとかしなければならない──そう思って奮い立たせていたが、大きな男性に厭らしい目で見られるのとても不愉快で、怖かった。
「そうか……来るのが遅くなって悪かった。……それから……」
すまない、限界だ、とアデルバートが倒れ、そのままジェシカも倒れる。
ジェシカは一瞬なにが起こったのかわからずぽかんとし、すぐ近くにあるアデルバートの顔が少し赤くなり、とても難しい顔をしているのを見て、理解した。
──ジェシカを支えきれずに倒れたのだ。
アデルバートは病弱で、一般的な男性よりも力がない。本人はそれをコンプレックスに思っているらしく、今も恥ずかしいのを必死に耐えているようだ。
二人揃って地面に寝転んでいる状況がおかしくて、ジェシカはコロコロと笑う。
アデルバートは格好のつかない人だ。でも、そこがとても可愛い。
「……なぜ笑う」
「なんだかおかしくて……こうして二人で地面に寝転がるのも、なんだか新鮮ですわね」
「……そうかもしれないな」
ブスッとした態度のまま、アデルバートはそう答えた。ジェシカは動かない体をできるだけ伸ばし、アデルバートの耳元でそっと囁く。
「……わたくしを助けに来てくれたアデルバート様はとっても素敵でした。助けに来てくださってありがとうございました」
「……」
アデルバートは眉間に皺を寄せ、フンと鼻を鳴らす。
「当然だ。君は私の婚約者なのだから」
「はい」
ニコニコと笑うジェシカにアデルバートはどことなく落ち着かないようだった。
そしてその状態は、倒れている二人を護衛の兵士が見つけるまで続いたのだった。




