03:『別に君のためじゃない』
ジェシカはアデルバートの言いつけを守り、外へ出かけるときは常に誰かと一緒にいるようにした。
お茶会でも友人と常に行動を共にするようにし、一人になる時間を作らなかった。
遠くの方で歯痒そうなメリッサとエイダの姿を見かける。
恐らく、アデルバートとのことについて文句が言いたいのだろう。あのときからなにも進展がしていないのだから。
(いえ……違うわね。恐らくアデルバート様から直接手紙か伝言がエイダ様のもとへいったはず。手は打つとおっしゃっていたもの。……まあ、その結果、またわたくしに絡んでくるだろうともおっしゃっていたけれど)
だから一人になるなとアデルバートは言ったのだ。
さすがに人目のある場所で滅多なことはしないだろうから、と。
しかし、アデルバートのその認識は甘かった。
お茶会で友人と談笑している最中にメリッサが突撃してきたのだ。
「ジェシカ様、お話がございます」
毅然とした態度でそう言ったメリッサに、周りにいた友人たちは眉を顰める。
そして困惑した目をしてジェシカを見つめた。
(あらあらあら……困ったわねえ……これは逃げられないわ)
ジェシカは公爵令嬢で、アデルバートの婚約者となることが決まっている。公表はしていないが、大方の人たちはそのことを知っている。だから、ジェシカの機嫌を損ねるようなことは普通は避ける。
だが、彼女の堪忍袋の緒が切れたのだろう。たとえジェシカの不興を買おうとも、友人のために行動できるその勇気は素晴らしいと思う。
貴族令嬢としてはあまり褒められた行動ではないけれど。
「そのお話というのは、ここでもできる内容かしら? そうでないのなら、ごめんなさい。わたくし、ここから動けませんの」
メリッサの誘いに乗ってもいいが、ジェシカはアデルバートとの婚約発表を控えている身だ。なにかあってはアデルバートに迷惑がかかる。それは避けなければならない。
メリッサは一瞬怯んだような顔をしたが、すぐに好戦的な目に戻った。
「……この前の件です。先日、エイダのもとにアデルバート様からお手紙が届いたそうです。その手紙をもらって以来、エイダは部屋に引き篭って泣いています。食事も喉を通らないようで、すっかり弱ってしまって……ジェシカ様、アデルバート様になにをおっしゃったのですか」
「なにを、と言われても……わたくしはあなた方から聞いたことをそのままお伝えしただけよ」
アデルバートがエイダにどんな内容を伝えたのか、ジェシカは知らない。
なんとなく想像はつくが、その程度だ。
「エイダが可哀想だと思わないのですか! 思い合う人たちが引き裂かれて、あなたは心が痛まないのですか!?」
声を荒らげたメリッサに、周りが注目しだしている。悪目立ちをしていることにジェシカはため息を堪えた。
「……ねえ、メリッサ様。アデルバート様とエイダ様が思い合っているというお話は、どなたからお聞きになったの?」
「それはもちろんエイダからです」
「それ以外の方からは?」
「聞いていませんが……それがなにか?」
「アデルバート様とエイダ様が思い合っている──そのお話がエイダ様の勘違いであるという可能性はお考えにならなかった?」
「え……?」
目を見開くメリッサにジェシカは落ち着かせるように話す。
「誰だって勘違いや思い込みはありますわ。エイダ様はそう思っておられても、アデルバート様は違ったのかもしれない。そもそも思い合うという状態は、二人の気持ちが通じてこそ。エイダ様からアデルバート様に好きだとか愛していると言われたとお聞きになったことはある?」
「それは……」
「それに、このことはアデルバート様とエイダ様の問題です。わたくしやあなたが介入すると、余計にややこしくなるだけなのではなくて?」
ジェシカの問いにメリッサは黙り込む。
「メリッサ様……あなたはよく喧嘩などの仲裁をされるそうね」
「え? ええ、まあ……」
「そのとき、きちんと双方の意見をお聞きになっている? 諍いが起きるときは、大方は双方に非があるもの。どんなに怒りっぽい人だとしても、怒るのにはなんらかの理由があるものですわ。一方の話しか聞かないのは客観性に欠けます。仲裁をするのならば、中立でいなければなりません。なにが正しいのか双方の話を聞き、自分の意思で判断することが必要だと、わたくしは思うのです。そして自分で判断したことには責任を持たなければなりません」
「……」
言葉を失うメリッサにジェシカは笑いかける。
「メリッサ様、わたくしが言ったこと、どうかよくお考えになって。わたくしは友人のために行動できるあなたは素晴らしい方だと思います。だからこそ、真実を見誤らないでほしいのです」
今日はもうお帰りになった方がいいわ、とジェシカが勧めると、メリッサはぎこちなく頷き、一礼をして去っていった。
「さすがですわ、ジェシカ様。でも……その、エイダ様がアデルバート様を……?」
周りの友人たちが遠慮がちに聞いてくる。
ジェシカはそれにニコリと微笑む。
「巻き込んでしまってごめんなさい。どうか今聞いたことはお忘れになって」
ジェシカがそう言えば友人たちも頷く。
こっそりジェシカはため息を漏らす。
(彼女たちには口止めをしたけれど……まあ、このことが広まるのは時間の問題ね。メリッサ様とエイダ様は噂の中心になる……もちろん、わたくしも)
これは本格的に引き篭ったほうが良さそうだ、とジェシカは思った。
夜会まではあと十日ほど。その間は家から出るのはやめよう。
居心地悪い視線を感じながら、ジェシカはこの日を乗り切ったのだった。
★
ジェシカはあのお茶会のことを早速アデルバートに報告し、その後はすべてのお茶会の誘いを断った。
ジェシカたちの噂が広まっているだろうが、夜会でアデルバートとの仲睦まじい姿を見せればすぐに収まるだろう。
家にいる間、ジェシカはアデルバートから借りた恋愛小説を読むことにした。なんと全七冊もある。これは読み応えがありそうだわ、とジェシカは暇な時間をこの読破に費やすことに決めた。
「……あれ、姉上がいる。珍しい」
ヒロインとヒーローとの出会いを読んでいる最中に声がかけられ、ジェシカは顔をあげる。
少し癖のある燃えるような赤毛と、ジェシカよりも少し朱色がかった榛色の少年が目を見開いていた。
「あら、ケイレブ。いたの?」
素っ気ないジェシカの言葉に、弟のケイレブはムッとした顔をした。
「僕はいつも家にいるよ、姉上。今は軍事学校に入るための準備とか勉強で忙しいし」
「そうだったわね。夕餉のときくらいしか会わなかったから……」
「姉上が外に出過ぎなんだよ」
前は一緒にライリー様の良さを語ってくれたのに、と文句を言うケイレブにジェシカは苦笑する。
そして本に栞を挟み、弟の相手をしてあげることにした。
「そういえば、この間アデルバート様からライリーのことを聞いたわ。軍事学校の座学で一番の成績だったそうよ」
「さすがライリー様! 軍事学校でもその優秀さは隠し切れないか……まあ当然だよね。ライリー様はすべてが完璧だし。うん、僕はとても誇らしい」
ライリーの話をした途端、顔を輝かして話をする弟にジェシカは笑う。
ケイレブは本当にライリーのことが大好きなのだ。若干、それが重た過ぎるのが玉に瑕なのだが。
「早く僕も軍事学校に入りたい……! そしてライリー様のお側でお役に立ちたい!」
「ライリーとあなたは一年しか被らないじゃない」
「一年でもライリー様のお役に立てるならそれでいいんだよ! それに……一年でも色々できるからね」
フフッと笑うケイレブに、この子はいったいなにをするつもりなのだろうかと、ジェシカは一抹の不安を覚える。
(……いえ、深く考えたら負けね。この子についてアレコレ考えるだけ無駄だわ)
ジェシカがそう結論づけたところで、母がやっていた。
「ああ、ここにいたのね、ジェシカ。……あら、ケイレブも一緒だったのね」
「お母様、わたくしになにかご用ですか?」
「ええ、そうなの。応接室に来てちょうだい。ドレスの試着をしてほしいのよ」
「ドレス?」
ドレスなんて頼んだだろうかと首を傾げるジェシカに、早く早くといつになく興奮した様子で母が手を引く。
それに戸惑いながらジェシカは続く。ケイレブも「僕も見たい」となぜか付いてきた。
応接室に入ると、見覚えのない女性がお針子たちにテキパキ指示を出していた。
彼女はジェシカに気づくと、にっこりと笑った。
「あなたがジェシカお嬢様ですわね? まあまあ! 聞いていた以上にお美しい方ですこと。これは腕がなりますわ」
「ええっと……あなたは……?」
「ああ……申し遅れました。あたくし、リリアンと申します。皆様からはマダム・リリィと呼ばれること多いですわね」
「マダム・リリィ……!?」
「誰?」
驚くジェシカとは対称的に、ケイレブは不思議そうに首を傾げている。
「マダム・リリィはドレスの仕立て屋を営んでいらっしゃる方よ。凄腕の仕立て屋で、ドレスの予約は一年先も埋まっているとお聞きしましたけれど……そんな方がどうしてここに……?」
「それはもちろん、ご依頼をいただいたからですよ。さあさあ、細かい話はあとにして、お嬢様はこちらへ。奥様とお坊ちゃまはこちらでお待ちくださいね」
マダム・リリィは思った以上に強い力でジェシカを隣の部屋に押し込む。
そしてそこで目にしたのは──。
「まあ……! なんて素敵なドレス……!」
鮮やかな緑色のマーメイドドレスだった。ワンショルダーになっており、肩を覆っている方にはリボンが付けられていた。しかし、可愛らしい雰囲気ではなく、黒のレースで装飾されているせいか大人っぽい。
「さあ、これを試着しますわよ。そこで最終調整をいたします」
そう言うなり、ジェシカは着ていたワンピースを剥ぎ取られ、ドレスに着替えさせられた。
「裾はもう少し長くした方が形が綺麗ですわね。ああ、お嬢様、こちらを履いてみてくださいな」
そう言ってマダム・リリィが差し出したのはドレスと同じ色合いのヒールだった。
「これは……?」
「こちらもお嬢様の靴ですよ。ドレスと同じデザインの特注品ですわ。さあ、早くお履きになってくださいまし」
急かされてジェシカは恐る恐る靴を履く。
サイズはぴったりだった。
「やっぱり靴を履いた方が綺麗に見えますわねぇ。まあ、そういうデザインなのですけれど。肩の位置はもう少し下げて、ウエストはもう少し締めましょうね。お嬢様、今から針を使いますからね、動かないでくださいましね」
ジェシカは指示に従う。
マダム・リリィの指示でお針子たちがドレスに針を刺す。それが終わり、マダム・リリィが最終確認をしてうんうんと頷く。
「これで大丈夫そうですわね。まあまあ、本当に素敵ですこと! お嬢様になんてお似合いなのでしょう。さあ、奥様とお坊ちゃまにも見ていただきましょう」
そう言うと、マダム・リリィは母と弟を呼びに部屋を出た。そしてすぐに二人を連れて戻ってくる。
「あらあらあら! とっても素敵よ、ジェシカ」
「本当によく似合っているよ、姉上」
身内からの賛辞にジェシカははにかむ。
こんな素敵なドレスを着られるなんて、とても嬉しい。
「本当にお嬢様によくお似合いで。愛ですわねえ……何度も手直しをした甲斐がありました」
ニコニコと言うマダム・リリィにジェシカは首を傾げる。
「あの……マダム・リリィ。このドレスはいったい……」
「あら、お聞きになっておりませんでしたか? こちらのドレスはアデルバート様からのご依頼で用意させていただいたものですわ。アデルバート様はデザインにもすごく拘っておられて、あたくし何度もダメだしをいただいてしまいましたわ」
カラカラと笑うマダム・リリィから出たまさかの人物の名前にジェシカは固まった。
(アデルバート様が……? で、でも、服なんてどうでもいいとおっしゃっておられたのに……どうして?)
困惑して母を見ると、母はニコニコとして言った。
「実は三ヶ月くらい前から、アデルバート様にあなたのドレスを作りたいとご相談を受けていたの。ドレスの他にも、アクセサリーもご用意されているそうよ。そちらは明日あたりには届くのではないかしら? あなたを驚かせたいから、直前まで黙っていてほしいと頼まれていたのよ。本当に素敵な方ねぇ」
(そんなに前から……わたくしのために動いてくれていたなんて……)
そんな態度はおくびにも出さなかった。
……いや、アデルバートはいつもそうだ。なんでもない顔をして、その裏で相手に喜んでもらうために全力を尽くす。ライリーのことだってそう。彼はそういう人だ。
「ふうん……さすがライリー様の兄君。センスがいいな」
感心したようなことを言いながら、ケイレブは不満そうだ。弟はアデルバートが嫌いだ。だけど、ライリーが尊敬しているアデルバートを尊敬しているという、なんとも複雑怪奇な感情をアデルバートに抱いているらしい。
「ジェシカ、きちんとアデルバート様にお礼を言うのよ」
「……はい……」
あまりの嬉しさに、声が掠れた。
今にも涙が零れそうなのを、必死に堪えている。
本当にこういうところが彼のずるいところだ。もっと好きになってしまう。
(……アデルバート様にお礼を言っても『別に君のためじゃない』と言われそうだわ)
少し顔を赤くして、視線を逸らしてそう言うアデルバートが目に浮かび、ジェシカは笑った。