02:「それに関しては否定しない」
アデルバートが言っていた『面倒事』というものがなんなのかわかったのは、数日後のことだった。
お世話になっている伯爵夫人のお茶会に出席し、少し席を外したときにそれは起きた。
お茶会の開かれている部屋に戻ろうとしたとき、部屋から少し離れた場所で呼び止められた。
「ジェシカ様」
振り返ると、そこにいたのはダークブロンドをしっかりと巻いた気の強そうな少女と、ストロベリーブロンドの可憐な少女だった。
「あなたは……メリッサ様だったかしら? わたくしになにかご用?」
「用があるのはわたしではありませんが……彼女が言いにくいと言うので、わたしが代わりに言わせていただきます。──アデルバート様との婚約を解消していただけませんか?」
ストロベリーブロンドの少女が慌てたように「メ、メリッサ……」とメリッサの腕を引く。
しかしメリッサは「大丈夫だから」とニコリと彼女に笑いかけ、ジェシカには好戦的な目を向ける。
ジェシカは彼女たちにどう対応したものか、と考える。
(アデルバート様との婚約はまだ公式には発表されていないのだから、なんのことかと惚けてもいい。けれど……火に油を注ぎそう)
面倒だな、とジェシカは思いながら、にこりと微笑む。
「あらあら……穏やかではないお話ですわね。ここでは人目がありますし、場所を移しませんか?」
わかりました、とメリッサは頷く。
ジェシカら伯爵邸の中庭の隅を借りて、話を聞くことにした。
「それで……アデルバート殿下との婚約を解消してほしいとのことですけれど、その理由を伺っても?」
メリッサはジェシカを睨んだまま、答えた。
「アデルバート様と彼女──エイダは思い合っているのですわ! なにをどうやったのかは存じませんけれど、愛する二人を引き裂くなんて、いくらあなたが公爵令嬢とはいえ、許されるものではありません」
「……思い合っている?」
首を傾げるジェシカに、ストロベリーブロンドの彼女、エイダはようやく発言した。
「ほ、本当です。わたし、アデルバート様にたくさん優しくしていただきました……だから、ジェシカ様と婚約されたと聞いて、ショックで……アデルバート様にお手紙を出しても返事がなくて、わたし、どうすればいいかわからなくて……」
顔を手で覆って泣き出したエイダを、メリッサが慰めるように抱き寄せる。
そんな二人を見ながら、ジェシカは考えた。
(……これがアデルバート様のおっしゃっていた『面倒事』というものかしら。なるほど……確かに面倒だわ。なんだか彼女たちの中でわたくしは悪者になってしまっているみたいだし……)
困ったわ、とジェシカは持っていた扇を広げて表情を隠す。
アデルバートと思い合っていたと主張するエイダ・フォードは伯爵令嬢である。確か、父親は軍部関係の仕事をしていたはず。
そしてメリッサ・ハサウェイは侯爵令嬢だ。こちらも同じく父親が軍部にいたはずだ。
(お二人とも軍部関係のお家の方。これは偶然かしら。まあ……これぐらいの『面倒事』、対処できなくてはあの方の隣に立てないわ)
ジェシカはお腹に力を入れて、口を開いた。
「……お二人の話はわかりました。ですけれど、それをわたくしに言ったところでなんの解決にもなりませんわ。だって……アデルバート様とわたくしが婚約したなんて発表はしておりませんもの」
「でも! お二人は最近よく一緒に夜会に参加されて……」
「わたくしとアデルバート様の弟君であるライリー様は従兄弟です。その関係でお誘いいただいただけのこと」
話は終わりだと、ジェシカは扇を閉じる。
「エイダ様のことはアデルバート様にお伝えいたしますわ。それでは、ごきげんよう」
そう言ってジェシカはお茶会へ戻り、そのまま暇を告げる。
このことはアデルバートに直接問い詰め……ではなく、話を聞かなければならない。
ちょうど明日は彼とお茶の約束の日だ。
家へ向かう車に乗りながら、なんだか疲れたわ、とジェシカはひとつため息をついた。
★
「そうか……公爵令嬢である君に直接食ってかかる者がいるとはな」
昨日の出来事を話したアデルバートの感想がこれだった。
ジェシカはギロリとアデルバートを睨む。
「……わたくし、事情もよくわからず絡まれたのですけれど……ご説明いただける?」
「そうだな……エイダ嬢と親しくしていたのは本当だ。少し気になることがあってな。だが、誓って彼女と思い合っていたなどという事実はない」
「そういう事実はなくても、彼女が勘違いする可能性があるような言動はとったのでは?」
「……それに関しては否定しない」
あっさりと認めたアデルバートに、ジェシカはため息を漏らす。
「彼女、涙ながらにわたくしに訴えてきたのよ。乙女心を弄ぶなんて……悪い人ね」
「そんなつもりはなかった。それに……私には彼女がそんな繊細な心を持っているようには思えなかったがな。あれはどちらかと言えば狡猾な女だ」
アデルバートの酷評にジェシカは目を瞬かせる。
「狡猾?」
「ああ。私以外にも、彼女が親しくしている者は多いぞ。それも父親が要職についている者が、な。そういえば……君の弟のケイレブにも接触を測っていたはずだ。上手くはいかなかったようだが」
「まあ……」
その話を聞き、そういえばそんな令嬢がいる話を聞いたことがある、と思い出す。あれはエイダのことだったのか。そして弟にも手を出そうとしていたとは。
……まあ、ライリーだけを信奉しているあのケイレブが相手にするわけがないのだけど。
「メリッサ嬢に関しては……わからないな。彼女は正義感の強いご令嬢だと聞く。その正義感をエイダ嬢に利用されたのかもしれないな……どちらにせよ、しばらくは二人に用心してくれ」
そう締めくくろうとしたアデルバートに、ジェシカは「わかりました」と頷く。そして、ニコリと笑いかける。
「……ねえ、アデルバート様?」
「なんだ?」
「エイダ様とどんなふうに会われたの?」
「どんなふうに、とは?」
「だって、エイダ様はあなたと思い合っていると勘違いされておりますのよ? どのようにお二人で過ごされたのでしょう? わたくし、興味がありますわ」
「……」
アデルバートは眉間に皺を寄せた。
ジェシカは笑顔を保ったまま、アデルバートの回答を待った。
「……エイダ嬢が好む恋愛小説を調べて読み、相手役の言動を真似た」
「具体的には?」
「……ジェシカ、怒っているのか?」
「興味があるだけですわ。わたくしにエイダ嬢にしたようにしてみせてくださいな」
「……」
アデルバートはムッツリと黙り込んだ。
ジェシカがもういいと言うのを待っているのだろうが、ジェシカも引かない。
単純に興味があるのも本当だし、正直に言えば少しだけ腹立たしくも思っていたのだ。
エイダにできてジェシカにはできないとはどういうことなのか。普通は逆ではないだろうか。
「……勘弁してくれ……」
弱ったようにそう口にしたアデルバートに、ジェシカは少しだけムッとする。
「あら。エイダ様にはできてわたくしにはできないとおっしゃるの?」
「……君だからこそ、できないんだ」
「わたくしだからこそ?」
首を傾げたジェシカに、アデルバートは目を閉じて深く息を吐いた。
そしてジェシカから目を逸らしながら言う。
「エイダ嬢にはなんの情もないからできた。でも……君にはだめだ」
アデルバートの言葉に、ジェシカは目を瞬かせる。
それはつまり──。
「……ふふっ。そう……そうですのね。それなら、仕方ありませんわね。うふふ」
「……」
ニコニコとするジェシカとは対称的に、アデルバートはムッツリとする。
ジェシカは特別だから、できない。
そうアデルバートは言っているのだ。
それならば仕方ない。考えてみれば、アデルバートが恋愛小説の登場人物のような言動をできるわけがない。やろうとしても、照れてしまってできないだろう。彼はそういう人だった。
(なんて可愛い人なのかしら。ふふっ)
すっかりご機嫌になったジェシカは明るい口調で言う。
「では、代打案です。その恋愛小説の題名を教えてくださる? あなたが演じた人物がどういう人なのか知りたいわ」
「わかった。その本を貸そう。どうせもう読まないからな」
「まあ、ありがとうございます。ふふ、楽しみですわ」
「……読んで笑うなよ」
「それは……お約束できないですわねえ」
ふふ、と笑うジェシカにアデルバートはさらに渋面になる。
そして再び息を深く吐いたあと、真面目な口調で話し出した。
「ジェシカ」
「はい」
「しばらく私は忙しくなる。恐らく次に君と会えるのは夜会のときだ」
「……なにか問題でも?」
「君が気にする必要はない。別に危険なことをするわけではないから、心配もいらない。ただ少し公務が忙しくなるだけだ。だが……なにかあったらすぐに連絡してほしい」
真摯な声音で言うアデルバートに、ジェシカは頷く。
「わかりました」
「エイダ嬢とメリッサ嬢には気をつけろ。絡まれないように、できるだけ一人で行動するのは避けてくれ」
「はい」
夜会までは家で大人しくしているのが良さそうだ。
必要最低限のお茶会以外は断ろうとジェシカは決めた。