01:「怒っているように見えます?」
「ジェシカが好きだ。だから私と結婚してほしい」
プライドの高い彼がジェシカに跪いてそう言った。
その顔は少し赤く、照れ隠しなのか拗ねたような表情を浮かべて──でも、しっかりと目線は逸らさなかった。
すごく、すごく、嬉しかった。
なぜならジェシカも彼が好きだったから。言葉を失うくらい、ジェシカの中は喜びでいっぱいになった。
そんなジェシカの答えはただひとつ、イエス、だ。
ジェシカの回答に、彼は目元と頬を赤くして、「ありがとう、こんな私を選んでくれて」と笑顔を浮かべた。
ジェシカはこのときの彼の笑顔を、絶対に忘れない。それくらい、素敵な笑顔だった。
週に一度、ジェシカは彼と会う。
幼い頃から病弱で体の弱い彼は今でもなにかと体調を崩しやすい。そのため、ジェシカはせっせと彼の元へ通っている。
プロポーズを受けて晴れて両思い──ドキドキとワクワク、そしてほんの少しの緊張しながら、彼に向き合った。
なのに、彼──アデルバートはいつもとなんら変わらなかった。
ジェシカは浮き立つような心地で会いに来たのに、アデルバートはいつも通りに眉間に皺を寄せて、偉そうに座っていた。
そしていつも通りに彼の異母弟であるライリーの話をするのだ。
「……どうやら軍事学校の座学で一番の成績だったらしい。まあ、当たり前だろうな。アレは昔から飲み込みが早かった。当然の結果だ」
フン、と鼻を鳴らすアデルバートを見ながら、ジェシカはお茶を一口に含み、目の前に並べられているお菓子に手を伸ばす。
なお、アデルバートがアレと言っているのは弟のライリーのことである。アデルバートの目的を果たすため、そして最愛の弟に幸せになってほしいという二重の願掛けであえて弟を名前で呼ばないでいるのだとか。
それをアデルバート聞いたとき、あまりにも真剣な顔で言うものだから、ジェシカは少しだけ「この人、大丈夫なのかしら?」と思った。それ以上に「すごく面倒くさくて可愛い」とも思ったけれど。
(あら、このトルテ美味しいわ)
近くにあったキルシェトルテはチョコの甘さとさくらんぼの酸味がほどよく、上品な味わいだ。
アデルバートが「そういえば、実技でも優秀な成績だったらしい。まあ、王族として当然だな」とひ弱な自分のことは棚に上げて話すのを聞き流しながら、トルテを食べ終える。
お茶を再び飲むと、チョコの甘さがすっと溶け、紅茶の風味と相まってより美味しい。
これはなんていう茶葉なのだろうか、とジェシカはじっとお茶を眺める。
そんなジェシカの様子に感じるものがあったのか、アデルバートの眉がぴくりと上がった。
「……ジェシカ、聞いているのか?」
「ええ、もちろん聞いておりますわ。ライリーが軍事学校でも活躍して嬉しくて堪らないのですよね?」
「……そんなことは言っていない」
「あら、そうでしたか? わたくしにはそのように聞こえたものですから」
ごめんあそばせ、とジェシカが答えると、アデルバートはじっとジェシカを見つめた。
「ジェシカ……怒っているのか?」
「怒っているように見えます?」
「……」
ジェシカの質問返しにアデルバートはぎゅっと眉間の皺を寄せた。
「なぜ君が怒っているのか、私にはわからない」
「あら。わたくし、別に怒っておりませんわ」
ただ、アデルバートがあまりにもいつも通りなのが気に入らなかっただけだ。
もう少し狼狽えると思っていたのだ。なにせプライドが高くて照れ屋なアデルバートが跪いてプロポーズをしたのだから、きっと照れてまともにジェシカの顔を見えないだろうと思っていた。
ところがまったく動揺していないアデルバートに、逆にジェシカが動揺してしまった。それだけのことだ。
「……」
黙り込んだアデルバートに、いじめ過ぎたかとジェシカは反省する。
「ごめんなさい、アデルバート様。わたくし、本当に怒っておりませんの。態度が悪かったことは反省しておりますわ。申し訳ありません」
「いや……私の気のせいなら、いいんだ」
少しほっとしたように言うアデルバートに、ジェシカは微笑む。
「このトルテがとても美味しくて……うっかり夢中になってしまいました」
「そうなのか」
興味を覚えたのか、アデルバートも一つ手に取り、口に含む。
そして頷いた。
「なるほど……甘いな」
「そうですか? わたくしはちょうど良い甘さだと思いましたけれど」
「私はもう少し甘さが控えめなものの方がいい。だが、仕事をしていて疲れたときは甘い物が食べたくなる」
そう言いながら、アデルバートは口直しのためなのかお茶を飲む。
こうしている間も、アデルバートの眉間の皺は取れない。
「……わたくし、前から思っていたのですけれど……アデルバート様の眉間の皺はどうにかならないのですか?」
「どうにかと言われても……」
アデルバートの眉間の皺がさらに寄る。
いつかこの皺が取れなくなってしまうのではないだろうか。
「せっかくの綺麗なお顔ですのに……もったいないわ」
「……仕方ないだろう。これが私なのだから。それに、想像してみろ。いつもニコニコしている私なんて気味が悪いだけだろう」
確かに、と危うく頷きそうになる。
なんとかそれを回避したジェシカは、ふと気づく。
「でも、アデルバート様……わたくし以外の方の前では笑顔でいられることが多いような気がするのですけれど」
「……この顔を利用しない手は無いからな」
こればかりは母に感謝する、とアデルバートは真面目に答えた。
アデルバートの母であるローザはとても美しい人だった。アデルバートを産んでから体調を崩し、儚くなってしまった。美人薄命を体現したような人だった、とローザを知る者は言う。
アデルバートはそんなローザによく似ているのだ。
ローザの写真と絵姿を見せてもらったが、確かに美しい人だった。そして、アデルバートとよく似ていた。
「ニコニコと笑顔を浮かべるだけで、私への対応が甘くなる者が多い。ならば、たとえ顔の筋肉が引き吊ろうとも笑顔を作っていた方がいろいろとやりやすくなる。ただそれだけだ。……君には取り繕う必要は無いからな」
そう言ったアデルバートに、ジェシカはため息を堪えた。
君には取り繕う必要はない──それはつまり、アデルバートにとってジェシカは気を遣う必要のない存在ということだ。
アデルバートにとってジェシカはありのままの姿を見せられる存在なのだと言っていると、理解はできる。できるけれど、もう少し他の言い方をしてくれればいいのに、とジェシカは思う。
信頼してくれているのは素直に嬉しい。受け取り方によっては真逆の意味に捉えられそうな言い方をしたのも、悪気があってのことではないのだろう。むしろ、ジェシカに対して心を許しているからこそ、素直に思ったことを口にしただけなのだと思う。
でも、仮にもプロポーズした相手なのだ。もう少し甘い言葉を囁いてくれても──と、ジェシカが考えたところで、それをアデルバートに求めるのは酷だと思い直す。そして再びため息を押し殺した。
(わたくしのことを好きだと言ったときも、前置きで『二度目は期待するな』とおっしゃっていたし……)
彼が甘い言葉をつらつらと言う姿を想像しようとしたが、まったく想像がつかない。甘い言葉を言ったとしても、真顔で棒読みになりそうだ。
棒読みで恋愛小説に出てくるような甘い台詞を吐くアデルバートを想像すると、とても面白くて可愛らしい。
「ふふっ……」
思わず声に出して笑ってしまい、アデルバートに不審そうな顔をされる。
「……なぜ笑う?」
「ふふっ、いえ、ごめんなさい……ちょっと、思い出し笑いを……ふふっ」
謝りながら笑い続けるジェシカに、アデルバートは憮然とした表情を浮かべた。
しかし怒ることはなく、ジェシカが笑い止むのをじっと待ってくれる。そういうところも好きだな、とジェシカは改めて思う。
「失礼いたしました」
「別に構わない。それよりも……一月後の夜会で私たちの婚約を発表することになったことはもう聞いたか?」
「はい、父から伺っております。ああ……そうですわ。その夜会のことについてご相談なのですけれど、アデルバート様はどんな色の衣装をお召しになるつもりでしょうか? 色を合わせた方がいいかと思うのですが……」
ただでさえアデルバートは美しいのだ。
彼の隣に立つにはそれなりの物を用意し、少しでも見映えするように心して支度をしなければならない。
アデルバートは薄い色合いの真っ直ぐな金髪に珍しい緑の瞳。この国で最も美しいとされる金髪碧眼の持ち主であるのに対し、ジェシカはきつい印象を与える赤毛と、平凡な榛色の瞳。猫のような目の形をしているせいか、気性の激しい人だと勘違いされやすいのがちょっとした悩みだ。
髪色や瞳の色はどうにもならないが、衣装は別だ。どんな色、形、素材を使うかによって大きく印象が変わる。化粧やアクセサリーも衣装によって選ぶ色や物が変わってくる。
ジェシカの父は公爵だから、第一王子である彼と身分の釣り合いは取れているが、どうせなら容姿でも彼に相応しいと言われたい。
「……そんなことは気にしなくていい。服のことよりも……婚約が発表されるまでの間、君は少々面倒事に巻き込まれるかもしれない」
服がどうでもいいとは、とジェシカは反論しようとしたが、後半の不穏な言葉にそれを飲み込んだ。
「面倒事ですか?」
「ああ……身の危険が迫るようなことはないと思うが、一応用心はしておいてくれ」
「かしこまりました」
ジェシカは頷きながらも、内心では首を捻っていた。
だが、アデルバートがそう言うのなら、なにかあるのだろう。彼の言う面倒事がどういうものかはまったく検討がつかないが、用心だけはしておこうと思った。




