婚約破棄令嬢は、前線に立つ
「おまえとの婚約を、破棄する!」
それは、ある意味ありふれた、けれどあまりに視野の狭い愚か者たちの騒ぎ。
「おまえとの婚約を、破棄する!」
良く通る声を張り上げるのは、見目麗しい青年だった。蜂蜜色の金髪、明るい青の瞳、すらりと長身で身につけたものも衣類だけでなく、靴やその他装飾品に至るまで、上質なのが見てとれる。
「……まあ」
彼に真っ直ぐ指さされた方は、彼と同じ年頃の女性だ。胡桃色の良く手入れされた髪、榛色の瞳。声をあげた青年のような華やかな美貌、とは言い難いが涼やかで知的な印象を与える。
彼女がまとっているドレスもそれなりに上質なものだが、あまり飾り気のないシンプルな品だ。装身具も必要最小限と見える。
「アンリ様、それはどうしたことでしょうか」
「どうもこうもない!」
問いかけに怒鳴り返すアンリに、周囲からは否定的な視線が集まっているのだが、本人は気づく様子もない。
今日は貴族学園の卒業式だ。豪華な広いホールには卒業生とその父兄や学園の教職員に来賓といった大勢の人たちが集まり、それぞれ会話を楽しんでいた、そこへいきなりの怒号である。周囲の注目を悪い意味で集めていることに気づかないのが、ある意味で彼らしいとは言えよう。
アンリはこの王国の一応第三王子なのだが、優秀な努力家である長兄や真面目に剣を鍛える次兄と比べ、能力的にも人格としても見劣りがする。貴族なら必修技能の魔法もお粗末だ。ただ彼の母親である側妃は華やかな容姿が自慢で、息子の彼も容姿端麗とは言える。
口さがない者たちに言わせれば、見た目と地位だけ華やかな、お飾りにはもってこいの人物だ。母親の実家も大したことのない伯爵家で、後ろ盾となるには弱いこともある。
それを補うために婚約者として宛てがわれたのが、今彼と対峙している令嬢だ。
コレット・フォーバン公爵令嬢は、物静かで落ち着いた娘だ。容姿もあまり華やかとは言い難いが、他の貴族令嬢とは仲がよく友人も多い。また貴族子弟の通う学校でも優秀な成績を修め、座学のみならず優れた魔法の使い手としても知られている。
だが或いはだからこそ、アンリはコレットに歩み寄ろうとしない。地味なつまらん女だと蔑み、自分の婚約者だと思い上がるな、と罵ることも度々だ。
当然、一緒に同じ学校に通う令嬢からは冷たい目を向けられている。令息たちも高慢かつ身勝手なアンリを敬遠し、基本的に家の事情で彼の周囲におかれている者以外は近づかない。
だが、一年ほど前にその学校にコレットの妹が入学してから風向きが変わった。姉には似ない華やかな可愛らしい少女で、名をエミリアーナ、今もアンリにぴったりくっついている。
入学してすぐに彼と接触し、何やら破廉恥な振る舞いまでして篭絡したと専らの噂だ。そしてそれに合わせて、フォーバン公爵家がコレットを虐待しているのでは、という話も広まった。
コレットを茶会に招きたがる他の令嬢は多いのだが、本人は申し訳なさそうに断ることが殆どだった。曰く領地でやらねばならないことがある、会わねばならない人との会食が設けられた、等々の理由を挙げる。
しかしその間、彼女の母親たる公爵夫人と妹は仕立て屋や宝石商を自宅に呼んで散財し、本来は領地運営やそのための人材取得等もっとも働くべき公爵本人も、妻や次女を伴ってあちこちの夜会や観劇に遊び回り、全く仕事をしている様子がない、と囁かれていた。そうした場で他の貴族から仕事の話を振られても、誤魔化すばかりでまともな応対ができない。実際に仕事の場に公爵本人が出てくることもなく、未だに先代の頃の担当者が請け負っている。
現に今もエミリアーナはアンリにへばりついており、それを咎めるべき公爵夫妻もそちら側について満足そうな顔をしている始末だ。
「おまえは、少しばかり頭が回ることを鼻にかけ、可哀想な妹のエミリアーナを虐げていたというではないか!そんな女に、私の妻はふさわしくない!!」
「……」
宣言を受けてコレットは僅かに小首を傾げた。榛色の瞳が瞬いて考えるように細められる。
だが彼女が何か言うより早く、妹の後ろから彼女の父親が声を張り上げた。
「そのような、性根の腐った者を公爵家に置いておく訳にはいかない!勘当だ!」
その叫びに、聴衆はざわめく。
公爵が使えない人物だという認識は、あくまで高位貴族の間で密やかに囁かれる程度の噂だったのだが。婚約破棄された娘を、その尻馬に乗って勘当する辺り、少なくともその娘を大事にしていないことは明白だ。一方で虐げられたという妹エミリアーナは令嬢らしからぬ振る舞いで顰蹙を買いまくっており、こちらもとても評判が悪い。
その問題児エミリアーナの肩をもち出来の良い長女を放逐する公爵の、人望だの評判だのは地に墜ちたといっても良かろう、元々大して高くもなかったのだが。
「お姉様、今までのことを謝ってください!そうしたら許してあげます!」
当のエミリアーナが、如何にも勇気を振り絞ったという調子で声をあげるが、コレットは相変わらず感情の窺えない視線を向ける。
「……そもそも、私があなたを虐げた、と言われましても……心当たりがないのですが?」
「酷いわ、お姉様!」
「具体的におっしゃっていただけるかしら、エミリアーナ。いつ、どのようにいじめられた、のか。……ああ、おうちの中のことは別よ、そんな内向きの話をしても仕方がありませんし……そもそも家の中では、お父様もお母様も貴女を一番にしてらっしゃるし」
淡々と告げる口調に周囲は内心に頷く。
家の中のこと、家庭内の話なら主である公爵またはその妻が、きちんと対処して外に出さねば良いだけだ。実際のところ、公爵本人は役に立たず夫人もお飾りで家政も先代からの使用人が担っているらしい、とは知る者は知っている話でもある。
「だっ、えっ、……お、お外でだって!お茶会に招かれた時も、文句ばっかりだし!!」
「それは貴女が、淑女らしからぬ振る舞いをするからでは?」
今もこうして甲高い声を張り上げているエミリアーナが、淑女らしからぬことは衆目の一致するところだろう。
淑女たるもの、その感情表現には幼いうちから気遣わねばならない。とりわけ否定的な感情を示すのには注意を要する、喜び楽しみをある程度はっきり表現するのは認められても、怒りや悲しみをあまり派手に示すのは行儀が悪く子どもじみた振る舞い、というのが一般的な認識だ。
真に身分の高い者は、そもそも負の感情を抱かせないよう周囲が忖度する場合が多い。そして貴人もそれを承知しているからこそ、気に入らないことや不本意なことがあっても包み隠すのが巧いものだ。
その立場にもよるが、あからさまに不機嫌を表に出す者は下からも上からも疎まれる。そしてそれを理解しない者は、それ以前に密やかに処理されるかその保護者側に対応を迫られるのが常だ。
そういう意味でも、フォーバン公爵が無能と言われるわけである。
「こ、この……おまえは、妹を可愛がる優しい気持ちというものがないのか!」
大声を張り上げる当の公爵に、コレットは表情も変えず小首を傾げる。
「お言葉を返すようですが、公爵閣下。エミリアーナが淑女らしい振る舞いを身につけなくていいと仰る方が、よほど優しくないと思いますが」
「なっ……生意気なことを言うな!!」
公爵はますます怒号をあげるが、その分周囲の目は冷ややかなものになっていく。それに気づいているのかどうか、彼はいっそう大声で喚きだした。
「お、おまえなど我が公爵家に相応しくない!縁を切る、とっとと出て行け!!」
「……あら、まあ」
その言葉に、コレットは実に上品な仕草で小首を傾げた。
「そうしますと、私が既に相続済みの、ボンフォールを公爵家から独立させる、ということでよろしいのでしょうか」
「はあ!?」
さらりと爆弾発言をかますコレットに公爵が悲鳴のような叫び声をあげた。
当然、周囲はますます注目するが、それを知ってか知らずかコレットはあくまで淡々と言葉を継ぐ。
「公爵閣下もご存知かとは思いますが、先代公爵……お祖父様は、お亡くなりになる前に私に幾らかの生前贈与をなさっておられました。その中にボンフォールの領主としての権限が含まれておりましたが……ご認識されておりませんでしょうか」
真顔で尋ねるコレットとは対照的に、フォーバン公爵はみるみる顔面を紅潮させ、ぶるぶる震えている。
「ふ、ふざけるな!」
声を張り上げるその様子には、普段の取り澄ました傲岸な態度の欠片もない。
場所は貴族子女の通う学園だから、本来ならば周囲はまだ年若い学生たちばかりだ。だが彼らも、婚約者の才媛コレットに反発する一方でその妹とべたべた不適切な密着ぶりを見せつけるアンリには思うところがそれぞれあるだろう。
まして今日は卒業式、その父兄及び来賓も既にこの場に集っているのだ。公爵、という地位に胡座を掻いてしかもその地位に相応しい義務を理解もしない彼は夫婦揃って疎まれている。
回り中の白い眼に気づきもしない公爵は、ますます大声で喚きたてる。その大声だけでなく、地団駄を踏み腕を振り回す行為も、到底きちんと教育を受けた貴族のそれとは程遠い。
「あんな、無駄金ばかりかかるせせこましい土地など要らん!くれてやるからとっとと公爵家から出ていけ!!」
「……その言葉、間違いはないな」
その発言を待っていた、とばかりのタイミングで重厚な声音が割って入った。決して大声ではないが、他者を従わせることに慣れた……ある意味公爵とは対照的な声だ。
「なっ……、へ、いか!?」
真っ赤な顔で振り返った公爵は、そのまま怒鳴りつけようとした相手か誰かに気づいて不自然に硬直する。
そこに、妻や側近、護衛や文官を従えて佇んでいたのはこの王国の最高位にある国王その人だった。
年代こそ公爵とほぼ同じなのだが、この国を治める賢王として知られている。この公爵については、先代は頼りに協力しあっていたが、当代とはあからさまに距離を置いていた。そもそも子ども時分に、彼を側近にと推薦されもしたのだが、その出来の悪さに拒んだ。それが高位貴族の間で、公爵家の次代は期待できないと認識した発端でもある。
そして公爵側は、国王に劣等感があるらしく、陰でこそこそ文句を言っている、らしいのだが。不敬罪以前に、大概情けなくみみっちい愚痴ばかりなので、お目こぼしされているというのがそれを知る者の共通認識だ。
だが、さすがにこの騒ぎは王宮としても看過し難いものである。
第三王子アンリには、何度も指導や忠告、或いは両親からの叱責があったのだが。彼にとって本来の婚約者は口うるさく小賢しくかつ可憐な妹をいじめる性根の悪い女で、その妹は愛らしく健気な自分が守るべき『真実の愛』と思い込んでいた。
もちろん当のエミリアーナやフォーバン公爵夫妻が吹き込んだのが元だが、アンリ本人も大概思い込みが激しく一度これと信じ込むと他者の意見を全く容れない。そういう意味で王族としては失格である。
「さて、アンリよ。何か言うことはあるか」
じろりと父王に睨まれてさすがに硬直していたアンリは、しかしくっついたままのエミリアーナに脇腹をつつかれ、慌てて咳払いして姿勢を正す。
「ち、父上!」
しかしその口から出たのは、見事なくらいひっくり返った甲高い声で、あちこちから失笑が漏れる始末。
「公の場では、父と呼ばぬように」
ぼそりと言われてまた竦み上がる。顔を引きつらせ、脂汗を浮かべながらそれでもアンリは言い募った。
「っ、へ、陛下……その、こ、婚約破棄を……!」
「婚約とは、おまえとコレット嬢とのものか」
完全に逆上せ上がった状態の彼から一通り話を聞き出した国王は、渋面で溜め息を吐く。
「なるほど、コレット嬢が妹をいじめているから、彼女と婚約破棄してその妹と婚約する、と」
「は、はい!公爵も賛成しています!」
持ち直してはきはき答えるアンリに、国王はちらりと公爵に視線を投げる。
「公爵、まことか?」
「はい、その通りで!我が子ながら性格の悪い娘で、お恥ずかしい限りです!」
しゃかりきになって訴える公爵に、その夫人も夫にぺったりくっついて媚びるようにしきりと瞬きしている。娘のエミリアーナもアンリにくっついて同じようにぱちぱちしている、その様子はそっくりだ。
「なるほど。……いじめ、と聞くがどのようなことだ?」
「それは、何かと冷たいことを言ったりお茶会に招かれぬよう手回ししたり、後はせっかく選んだドレスや宝石の購入を勝手に断ったりとか……」
「……ほう。コレット嬢の妹は、ずいぶん振る舞いが良くないと聞く。一度王妃の茶会に招かれたが、あまりに行儀が悪く態度も良くないため、今後は招かないと王妃が決めたそうだが」
「はへ?」
国王の言葉にアンリは間抜けな声をあげた。
「そのような娘ならば、コレット嬢も度々きつく注意せねばならんのだろう。……ところで公爵家は、財政が厳しいのか?何でも支払いを求めた商人を、心当たりもないと追い返したとか。それではまともな商人ならば、買い物を断るのも当然であろうな」
現状、公爵家の財政が厳しいとまでは言えない。だが公爵夫妻も娘も、欲しいものは幾らでもあるが対価を払わずに済むならそうしたいタイプで、値切りや遅払いはまだいい方、買った覚えはないとしらを切ったりして、ちゃんとした商会は既に手を引き始めている。
「そ、それは……いえ、そのコレットが、公爵家の財産に手をつけて……」
「そもそもコレット嬢は、領地や王都でも別宅で忙しくしているとかで、他の令嬢ともなかなか会えず友人たちが寂しがっているとか。……我々の頼んだ仕事も多かったが、大変だったな」
「ありがたいお言葉でございます」
綺麗な仕草で頭を下げるコレットは、公爵令嬢としてはかなり質素な格好だ。品は悪くないが飾り気はなく、それはすなわち今日まで婚約者であったはずのアンリから装飾品や何かを贈られていないことを示している。
「では、コレット嬢。……アンリとの婚約は如何する」
「お恐れながら、陛下。陛下のお決めいただきましたアンリ殿下とのご縁ではございますが、殿下はお望みになられぬ様子。私も、信をおかれぬ方との縁は難しく感じております」
「さようであるか。……では致し方ない、我が子第三王子アンリと、コレット・フォーバンとの婚約をここに破棄する。また、フォーバン公爵家からこの者の離脱も認めよう」
一つ頷いた国王が宣言するのに、コレットは頭を垂れ、アンリと彼の回りに固まっていた公爵たちはぱっと顔を輝かせた。
「そして、コレット嬢はボンフォールの領地を与える。ボンフォール、なれば伯爵位が適切だな。コレット・ボンフォール女伯爵だ」
「ありがたき幸せ」
そこへさらりとかぶせられて他の者がそれを理解するより早く、コレット本人は恭しく綺麗な礼をとる。
「うむ。では励むが良い。……後は任せよ」
「はい」
一際深く礼をとったコレットに軽く頷き、国王は息子たちに目を向けた。
「さて、アンリ。ならびにフォーバン公爵。この度のこと、お主らは如何にいたす」
その冷ややかかつ厳しい視線に晒されてアンリは目を瞬き、彼にへばりついたエミリアーナとその両親も硬直する。気づけば、周囲の学生もその保護者たちも、そして学園の教職員も揃って冷ややかかつ厳しい視線を彼らに向けている。
今更ながらそれに気づいたのか、アンリはおどおどと辺りを見回すが、返される視線は温度のないものか逆に極めて冷ややかなものばかり。
公爵一家はまるでアンリを盾にするように、エミリアーナは彼の腕に取りすがり、夫妻も二人の後ろに張りついて、そしてきょときょとあちこちへ目を向けるが、こちらも誰も助けを出さない。
アンリにせよフォーバン公爵一家にせよ、自分たちの地位の優位性を盲信して好き勝手な振る舞いを重ねていた。特にフォーバン公爵は父親たる先代の教育を無にする愚か者と悪名高く、まず味方する者はいない。地位は高くとも、他の高位貴族に疎まれ嫌われている彼らでは、他からの助けは望めないのだ。日頃は阿諛追従の徒も多いが、そうした輩がこんな公の場に出てこようはずもない。
「い、如何に、とおっしゃいましても……えと、その、……エミリアーナと。彼女と、婚約いたします!」
おたおたしていたアンリは、再度エミリアーナからつつかれて慌てて声を張る。それに父王はあっさり頷いた。
「さようか」
「っ、は、い……?」
「陛下、いっそのことアンリ殿下とフォーバン公爵令嬢の婚姻を結ばせてはいかがでしょうか」
いっそ素っ気ないほど無関心に言われたアンリが何か言うより早く、国王の傍らに控えていた王妃が言う。
「……ふむ。おまえはそう思うか」
「ええ。良い機会でございましょう」
「まあ、わざわざ我が許しを得て結んだ婚約を破棄してまで、妹と結婚したいというのだからな」
些か呆れたように応じて国王はアンリに視線を戻した。
「では、これら二人の婚姻を認め、アンリは直ちに公爵家に婿入りせよ。公爵も良いな」
「は、はっ。誠に身に余る光栄にございます……」
「そういうのは要らん。今後アンリは王族の籍を抜いてフォーバン公爵家の者とする、他に何か?」
さっさと話をまとめようとする国王に、周囲の貴族たちもその意図を察し、それぞれが自らの子女たちを引き寄せ、小声でこの場では何も言わぬよう、詳細は後程説明すると言い含めた。そして学生たちも何らかの思うところはあるのか、大概おとなしくそれを受け入れて後は粛々と式典は進められた。
その場から、いつの間にか当事者の一人であるはずのコレット嬢が姿を消していることに、言及する者はいなかった。
この王国には、幾つかダンジョンが確認されている。危険な魔物が無限に涌き出るその場所は、しかしその反面有益な産物も多い。
研究の結果としては、魔力の吹き溜まりと考えられている。世界に流れる魔力が吹き溜まる、だからこそその魔力が凝って魔物が生まれ、魔力の結晶した魔石が産み出される。
魔物は、その肉を食うこともできるし皮や牙、爪や羽、骨等余すところなく利用可能だ。更にその体内では、純度の高い魔力の結晶である魔石がとれる。これは、世界的なエネルギー源としていつも高値で取引された。
もちろん、ダンジョンで魔物を倒すには、武器や防具等を整備して、かつそのための人員を揃えなくてはならない。所謂冒険者、といわれる腕に自信のある者たちだ。しかし必要なのは彼らだけではなく、武器・防具を作り修繕する鍛冶屋や職人、それらや魔物素材を売り買いする商人、またそうして集う者の胃袋を満たす料理人、体を休める場所を提供する宿屋諸々。
その全てがバランス良く揃っていて初めて、ダンジョンを有する土地の隆盛が見込めるというものだ。
王宮近くにも、ダンジョンがあるが。これは古くから人が入り、よく調査されていて管理も行き届き、危険性は低い。今は初心者向けとして、新人の冒険者や騎士団の研修に使われることが多い。
つまり、ダンジョン開発はそれを有する町ごとの地域開発でもあるのだ。
「大手を振って、本格的にやれますね」
「ええ。やっと、お祖父様や陛下に正式なご報告が出来るわ」
ここは国内でも有数の規模といわれるボンフォールのダンジョン。その近くに築かれた町の名もボンフォール。
そして女伯爵となったコレットの領地、その中心地でもある。
ボンフォールの町は、フォーバン公爵家の領地のいわば要だった。確かに整備のためや何やらで経費はかかるが、それ以上に実入りも大きいし、何よりダンジョンからの産物は経済を大きく動かす原動力になる。加工・流通が一つの事業になるのだ。
「お嬢様らしいですねぇ」
笑っているのは、フォーバン公爵家の家令の孫でコレットの乳兄弟でもあるレオンだ。コレットの独立と共に公爵家を出て彼女についてきた青年だ。
「コレットねえ様はすごいよねー」
目をきらきらさせている小柄な少年はコレットの又従兄弟で伯爵家の三男、クルトだ。
彼の父親である伯爵は、伯父の先代公爵とは親交が深かったが、従兄弟に当たる現フォーバン公爵とはほぼ付き合いがない。
その世代の人間にとって、彼はただのつなぎであることは、言うまでもない純然たる事実だった。知らないのは本人と高位貴族と付き合いの薄い者たちばかり、そして彼が妻に迎えたのもそれを知らない下位貴族の娘だった。
そしてそのため、舅・姑とも折り合いが悪く、生まれた長女も育てようとしなかった(単純な反発心が原因らしい)。
その娘は祖父母の元で将来の公爵家を担うべく教育を受け、実の両親より遥かに高い教養と広い知識、そして貴族としてもっとも必要不可欠な高貴なる義務を身につけた。その時点で、先代公爵は自らの後継者はコレットと決定したのだ。屋敷の使用人はじめ、領地の代官や法律上の代理人、公爵家の出資する商会責任者など、皆それに納得してそのために動いていた。
もちろん、その父母には最低限の資産とお情け程度の権力を与えただけで。
妹娘の方は、やはり妙な対抗意識のせいか、その両親の元でべたべたに溺愛されて育った。家庭教師をつけてもちょっと注意するだけで親が出てきて辞めさせられるので、すぐに成り手もいなくなる。そもそも母親もきちんとした淑女教育を受けているとは言い難く、貴族子女の通う学校に入学する歳になっても、その振る舞いで周囲から遠巻きにされていた。
素行の悪い男子の中には、そんなエミリアーナを殊更褒めそやしたりちょっかいをかける者もいたが、公爵家とは言え正式な婚約を結ぼうとするのは爵位の低い者だけ。それも家柄だけでなく、見映えもぱっとしない者ばかりで、彼女を苛立たせていたらしい。
第三王子アンリがコレットの婚約者になったのも、エミリアーナとその両親には癇癪の種だった。ただその婚約はコレット自身はもちろん、先代の公爵にもあまり望ましいとは言えないものだった。
爵位を継承するには、その後継者が成人するか結婚している必要がある。先代の年齢を考えると、コレットが成人するまで祖父が健勝とは限らない。もちろんそれも考え、彼女の婚約者を探していたところに王家から横やりが入ったのだ。正確にはアンリ王子の産みの母親が、公爵に持ちかけた話だ。
これで分かる通り、彼女もあまり高位の出ではなく情勢が読めていない。しかし手回し良く国王の許可までもぎ取っていたので、先代としても断れなかった。王家も、アンリの将来には危惧があり、フォーバン公爵家ならば預けられると判断したらしい。
ただ本人は、両親の美貌をあまり継がなかったコレットがお気に召さなかったらしい。容姿は似ていなくもないのだが、彼女の胡桃色の髪も榛色の瞳も、才女で知られた祖母譲りだ。そして性格も、落ち着いた考え深いところが良く似ているとその世代の人には言われたものだ。もっとも負けず嫌いで頑固な、諦めの悪いところは祖父似だそうだ。
父も頑固というか、思い込みは激しいタイプだった。それが悪い方へ作用して、両親を毛嫌いし彼らの望む方へいくまいと強情を張った結果が現状だったらしい。
コレットの母親との婚姻も、祖父母からは賛成されなかったのだが、所謂『既成事実』で押しきったという。
コレットたち姉妹の母は、子爵令嬢だった。本来父には伯爵令嬢の婚約者がいたのだが、『真実の愛』とやらで婚約破棄して彼女と婚姻を結んだ。もちろんたいそうな醜聞で、元々白眼視されていた彼はそれで完全に見限られたといってもいい。ただ当人たちは、回りに唯々諾々と追従するおべっか使いしか置いていないので、そのこともわかっていない。更に致命的に貴族社会の評判に鈍い。
当時の公爵が孫娘を引き取って教育を施すのも、実の親があれでは仕方のないこと、というのが大方の見方だった。しかしそれを知らない、若しくは知っていても敢えて耳に入れないことを選んだ者ばかり側に置いていた。更に続けて生まれた妹の方を、自分たちが立派に育ててみせると意気込んだ挙げ句が、姉の婚約者にすり寄ってたらしこむような、ふしだらな阿婆擦れになったともっぱらの評判だ。
エミリアーナは確かに容姿の華やかな愛らしい少女ではあるのだが、その振る舞いは悪評が高い。何しろちょっと見た目の良い異性には甘い声で媚び、公爵令嬢の立場を振りかざして他の令嬢をいじめたり持ち物を取り上げたり、と悪行の限りを尽くしていた。真っ当な貴族からは忌み嫌われ、近づくのは同じように性根の良くない者たちで、ますます孤立していたのだが、本人はそれもわかっていなかった。
公爵夫妻の育て方が悪いのはもちろんだが、エミリアーナ自身もそうして甘やかす両親にべったりで、苦言を呈する者を嫌っていた。両親もその辺りは全く同じ精神性を有している。
その結果、今やコレットの去った公爵家はどんどん力を落としている。
国王直々の叱責を受け、王子を婿として迎えたものの彼の私有財産もほとんど無く、却って収支はマイナスだともっぱらの噂だ。
「お嬢様、冒険者ギルドから代表の方がいらっしゃいました」
声を掛けてきたメイドも、公爵家からそのままついてきた者だ。というか、公爵家の使用人ほぼ八割ほどはコレットに追随してきた。そもそも使用人を取りまとめる家令からして、先代公爵の懐刀と言われその意を汲んでコレットを支え彼女の教育に加わっていた人物である。
というか、領民の中からも公爵を厭ってこちらに移住するものが多く出た。王家が、『コレット・ボンフォールの元へ行く者は咎めない。同時に他家がそれを咎めることも認めない』と詔を出したのも大きい。
逆に今の公爵家に残った使用人は、その公爵夫妻に雇われた質の低い者ばかり。既に横領や着服、挙げ句に出奔した者も出たとか。そうした噂が出ること自体、使用人の質の悪さの表れでもある。
「あら、あなたがわざわざいらしたの」
「よう、お嬢様」
応接室にいたのは、大柄な青年だ。コレットよりは年上だろうが見たところ二十代、簡素な防具に筋肉質な体躯を包んだ如何にも冒険者、といった風情の男前でもある。
「何しろようやくボンフォールに本格的にもぐるんだろう、それなら是非とも噛ませてもらわなきゃな」
この冒険者はボンフォールに拠点を置き、先代公爵にも可愛がられていた腕利きでヨハンという。ボンフォールのダンジョンには幾度ももぐっている。年齢はまだ若いものの、その実力は折り紙つきだ。
「それは、もちろん。あなたにも、ボンフォールの探索はお願いはしますわ」
「そりゃ当たり前だな。……そのついでにお嬢様、いやボンフォール伯爵。あんたも、一緒に行かないか?」
ヨハンはこの町で冒険者として活動してきたので、先代公爵からコレットも紹介されている。そして実は、彼女は魔法使いとして共にボンフォールのダンジョンに入った経験もある。
「……そうね、確かに。すぐは難しいけれど、近いうちに同行させていただきたいわ」
「よっしゃ、待ってるぜ」
にやりとヨハンは笑みを浮かべたが、そこへ他の者が突っ込む。
「その時は、私もご一緒させてください」
「そうだよ、ぼくも行くよー!」
レオンとクルトが勢い良く割り込んでくる。目を丸くするコレットと、半目になるメイド、にやにや笑いを深くするヨハン。
「え、ええと……全員が一度にいくのは少し差し障りがあるかもしれないわ。」
アルファ○リスにも掲載。