茜色―3
イヤな夢をみた。
優しかった日々も、それにともなう後悔も、痛みも。
はっきりと覚えている、ライトの熱さも。
鮮やかすぎていたい彼とのであいだって。
なかったことにしてしまえたらこうふくなのに。
あんな夢をみたあとにここで目覚めなくちゃならないなんて、寒暖差が激しすぎではないのか。
優しいのは毒だ。
こんなふうに思うのも、私が毒を飲み込んでしまったからなのだろうか?
わたしは大丈夫だけど、私はだめなのに。
だめだったのに。
でも覚めないよりよかった。
覚めてくれてよかった、そう思ったのに。
「パーティーは、わたしがいなくても、いいはず、です」
使用人さんが持ってきたお知らせはちっともよくない。今すぐ夢の中にこもってしまいたい。頑丈な鍵をかけて引きこもるんだ。こんな話をきくんだったらどんな悪夢だろうと覚めなくてよかった。
だいたいどうして、そんな急に?
パーティーなんて普段なら絶対わたしは参加しないというか、人の目に触れさせるのも嫌だみたいな感じだったではないですか!なんで?私が5歳になったから?いやいやいや、それ関係ないよね。だってこーんな幼児なんだよ?夜は眠いし良い子はさっさと眠るべき時間まで大人はわいわいやってるよね?
ぺたぺたとほっぺを触ったり、みょーんとひっぱってみたりする。なんとなく落ち着かないものでして。
「私はお嬢様のお洋服を選ぶことができて嬉しいですよ」
困ってるのにとっても嬉しそうな、でもそれを律しているみたいな表情の使用人さんと目が合う。
すとんとしゃがんで、私の目線にあわせてくれる。
「……」
説得するとか、同情するとか、同調するとか、そういうのを使用人さんはあんまりしないで、いつもちゃんと、私の声をきこうとする。それも、いやだ。
嫌だなぁって思うけど、わかってる。
どんなに不満があったとしても旦那様が決めたことだ。私に否と言うことはできない。
はじめから私に選択権など与えられておらず、故に拒否権も持たない。
「絢明お嬢様は可愛らしいですから、ピンクやオレンジも似合いますよ。私は浅葱色や花緑青とかもいいと思いますが」
それになぁ。
どこから持ってきたのか、色鮮やかなものからくすんだもの、パステルカラーのものに淡いもの、たくさんの色、デザインのドレス。それらの山を作りながら使用人さんがひらりひらりとドレスを揺らしている。
こんなに楽しそうに私のドレスを選んでくれる使用人さんが私の目の前にいて。
この人はいつも私のことをみようとしてくれて、いい人で。
だから、嫌だなぁって気持ちと同じくらい、私がドレスを着るだけできっと使用人さんは今よりもっと喜んでくれるのかなぁって思ったりして。そう思ってしまったら、これ以上イヤとは言えなくなってしまった。情報収集するとか、どうどうと本邸に行けるとか、そういう利点を思えば頑張れなくも、ない、かなぁ。
うん、だいじょうぶ。
きっとなんとかなる。がんばれ、私!
ぎゅ、と手を握って自分を鼓舞したその手の先、使用人さんの手元の色が気になった。
さっと使用人さんの持っているドレスを確認してみる。
それはそれは色鮮やかな赤。待って使用人さん。それは待って。
「あわいいろがいいです」
ええと、選んでもらっているのに申し訳ないのですが…はっきりとした色は遠慮したいです。目立つ色は好まないというか、華やかなのはあんまり似合わないし、そういうのは私じゃないというか、私が、そうなりたくないというか。
それに顔を覚えられちゃうと動きにくくなるし…。
私、壁の花になっていたいと思うので。
あ、蕾、いや、葉?と言ったほうがしっくりくるかもしれない。まぁ、多少はお話しないといけないのだけれど。
「淡いものですか?そうですね、それなら……」
持っていたドレスを置いて、山のなかからいくつかのドレスを取り出していく使用人さん。
濃い色やぱきっとした色合いのものを避けていき、それからくすみカラーや薄い色のものを選び出していく。そこからまたデザイン別にわけて――もうすこしかかりそうだな。
使用人さんからきいた話だと、今回私が行くことになってしまったパーティーは、幼馴染の樂満蓮様のお家のものだった。
由井園家からは旦那様と奥様はもちろん、兄と姉、由井園真秀様と真菜様も出席する。
真秀様、真菜様とは仲が悪いわけではないけれど、仲良しというのとは違くて、なんというか…何を話せばよいのか分からないし、奥様とも顔を合わせなくてはならないというのが辛い。
真秀様方にはたぶん、嫌われてはいないと思うのだけど。
すごくいい方たちだからなー、真秀様も真菜様も。とはいえ、よくよく考えなくたって、知らんうちの子供がいきなり妹になるとか受け入れられないものなのでは?ましてや旦那様の隠し子的なものだと思われそうな初対面だったのだし。私あのときはそこまで気がまわらなくてどんな対応をとったのか覚えてないんだよな…。そもそも関わりが薄くて、真秀様、真菜様の記憶は曖昧なものが多い。
もっといえばあの時期の記憶か。
「絢明お嬢様!こちらはどうでしょうか」
見せてくれたのは、淡い若葉色のドレス。
背中部分やシフォンのスカート部分には若葉と木の実の刺繍が入っている。小さな白い花、レースリボンが飾りに使われていて可愛らしくも上品なドレスだ。
ええと、可愛すぎじゃありませんか?
とっても素敵だと思いますけどね?でも、ね?
「あの、えっと、わたしに、にあいます…?」
「もちろんです、絢明お嬢様のダークブラウンの髪にも合いますよ。お嬢様はどんな色もお洋服もお似合いになりますが…私は緑と青系がとくに、お嬢様に合うと思っています」
「ぁ、ぇと、まなさまたちは、どんなのを、きていくのかな?」
「真秀坊ちゃまはホワイト、真菜お嬢様は水色でしたね」
なるほど。
キャラメル色のふわふわとした髪の真菜様に水色は確かに似合うだろうし、同じキャラメル色のサラサラとした髪の真秀様に白は似合うだろうなぁ。お二方とも顔が整っていらっしゃるし。
「で、でも、わたしにはかわいすぎだと、おもう、です」
「そんなことはありません!とても素敵ですよ」
手を握りしめて使用人さんが力説する。
あの、はい、そんなに力説しなくても、いいんですよ?
使用人さんの言葉は嬉しいし、その、使用人さんのことをみていればほんとうにそう思ってくれてるってわかるんです。だけど周りからみたら全然似合ってないとか、あるじゃないですか。そういうの一番つらい。
「…お嬢様はほんとうに素敵ですよ。それだけは信じてくださいませんか」
どうしようと俯いてしまった私の肩をそっと抱いて、使用人さんは顔をあげた私の目をまっすぐみていた。
その言い方はずるいんじゃないでしょうか、使用人さん。
ここで私が信じたいと思ってしまうのはあなたくらいなのに。
ねえ、ずるいよ。
「ぅ、きます。かわいいのは、きらいじゃ、ない、ですから」
「それはよかったです。そうですね、そのドレスなら髪飾りはこれとこれ、あと靴とソックスかな。白と若草、あと刺繍系で揃えましょうか」
てきぱきと揃えられていくコーディネートにちょっとだけ、私はぽかんとした。
結局、パーティーで着ていくものを全て選び終えたのは真上にあった太陽が沈む頃だった。明るい陽の光が色を変え形を変え、茜色に雲を燃やしつくし灰をまく。そうして黒に覆われるかどうかといったその空にふと目をやると、長い直線の雲がある。
「飛行機雲、ですね」
私の視線の先をみて、使用人さんは呟く。
「あしたはあめかな」
「そうかもしれませんね…」
雨だなんて、また一つ憂鬱な理由が増えてしまった。
嫌だな。
雨もパーティーも、いろんなことが。