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第8話 魔法使いブートキャンプ

 迷宮第七層『惑いの森林』。

 深い森が広がるこの領域を緑色の矮躯に獣の皮を腰布として巻いた魔物ゴブリンは疾走する。

 手製のこん棒こそがまるで聖なる祝福を受けた剣とでも言わんばかりに掲げ獲物へと向かう。


『GERRRRR――』


 下卑た声と聖人すら顔をしかめる腐臭を放ち、不衛生をそのまま小人にしたかのようなそいつらは己こそが支配者だと叫ぶのだ。

 ゴブリンどもはどいつもこいつも己こそが、この森の実質的な支配者と信じて疑わない。この森には己どもの天敵となりうる魔物がいるというのに、自分だけは他の間抜けなゴブリンとは違うのだと本気で思っている。


『GOOOOAAAAAA――!!』

 群れを作りながら全員が己こそが群れのリーダー、己は賢い、己だけが獲物にありつけると思っているのだ。

 常日頃から飢え、欲望を際限なく高めた連中だ。

 縄張りに入ってきた人間は、のこのこと罠に飛び込んできた憐れな獲物であると疑わない。自分が死ぬなど考えない。

 ゴブリンにとって人間とは狩るもの。常に自分たちの方が上だと信じて疑わない。


「ッ!」


 見えた。若い女が二人に男だ。

 女は良い。色々なことに使える。犯して自分たちを増やす苗床にするのも、痛めつけて叫ばせて楽しみにすることにも使える。何より食っていて柔らかくてうまい。

 男は駄目だ。筋張っていてうまくない。だから、男は殺して女で楽しもう。

 ゴブリンどもはそう考える。誰も自分たちがやられるなど考えていないし、誰もが自分以外の味方を盾にして自分だけおいしいところにありつこうと躍起だ。

 もしゴブリンどもに相手の強さなどを鑑みる知能があれば、もう少しこの先の結果は違ったものになっただろう。

 だが、生憎とゴブリンはゴブリン程度の知能しかない。道具を使えど活用は出来ず、魔法使いにとって必須たる防殻をまとうこともない。

 子供と同じだ。迷宮の序盤。初心者が経験を積むのにちょうど良い魔物。

 厄介さはあるが、十全に魔法が使えるなら問題にすらなりはしない。

 そう十全に使えれば。


「根源接続:魔法起動――【炎曲一番イグニスファースト火球ファイアボール】!!」


 女から呪文が放たれる。

 しかし、それが何かを起こすことはなかった。


『GERRGERGER――!』


 ゴブリンはそれを見てマヌケめと嘲笑うのだ。さあ、女を引き倒しどうしてくれようかなどど舌舐めずり。

 ゴブリンは二つのことを考えられない。直前に考えたことはすぐに忘れる。

 もう、目の前の女にありつくことを考えている。よしんば忘れてなかったにしても他のゴブリンがなんとかすると考える。

 それがゴブリンの限界だ。彼らは愚かで弱い。初級の魔法を当てれば一発だ。


「根源接続:魔法起動――【炎曲十二番イグニストゥウェルフス流麗炎舞フレアダンス】」


 だから、一桁台の初級魔法よりも威力がある十番台の魔法など彼らにはオーバーキルも甚だしい。

 男を中心に放たれた舞い踊るかのような炎が周囲に集っていたゴブリンどもを意図も容易く全滅させた。


「駄目だったか」


 ゴブリンを全滅させた魔法を放った男――ダレンは、魔法を失敗させた女――有紗に話しかける。


「そう、ね……」


 なぜ使えないのだろうか、などと己の中でぐるぐるとめぐる澱んだ感情。

 あれから一週間になる。

 一通りの基礎は既にあるし、筆記の成績は良い。あとは感覚の問題か、鍛え方が足りないのかとやってみたわけなのだが、結果は見ての通り。

 相も変わらず有紗の魔法が発動する気配はない。

 流石のダレンも困り果てている。悩みの種が二つ(・・)となれば頭もいたくなる。


「あぁ、流石ダレン様ですわぁ」


 などと思っていれば悩みの種その二がようやく再起動・・・したらしく、そんな恍惚さを煮詰めたような声で言った。

 本当、こいつは誰なのだろう。

 そう思ってしまうダレンと有紗を誰が攻められよう。

 ダレンと有紗で、その言葉の内情は大きくことなるわけだが概ね言いたいことは共通している。


「はぁ、わたくしの王子様……」


 ――本当、誰これ……?

 そんな二人に誰これと困惑しているのをよそに悩みの種その二こと西園寺は妄想トリップ。

 西園寺は生まれ変わったのだ。

 何を言っているのかと言われればあの西園寺本人の言葉である。

 西園寺――西園寺恵という少女は、あの日、あの時、ベヒモスに襲われたときに一度死んだのだと本人は語る。

 取り巻きに見捨てられ、自信の魔法は通用せず、あまりの恐怖に心は散り散りに千切れてしまった。

 そんな正常でない精神状態。救済を渇望する中で、与えられた救いはあまりにも強烈に過ぎたのだ。

 魔法の大家西園寺としての矜持すらかすむほどに鮮烈で、乙女心が完全に蕩けてしまうほどに強烈で。


「そう、まさしく私の王子様が来てくださったのだと思いましたわ!」


 それで染めていた髪をダレン様と一緒が良いと地毛の黒に戻したあたり、本当に乙女まっしぐらである。

 いじめられていた有紗すら、触れたくないと思うくらいにはアレである。


「うわぁ……何とかしなさいよ、あんたにぞっこんよアレ」


 夢と理想を追う有紗が言うべきではないかもしれないが、とてつもなくアレだ。見ていて痛々しいというか。


「いや、何とかしていいのかアレ」


 アレなことになっていたとしても西園寺恵は西園寺家の一人娘である。それをどうにかするというのは、他のパワーバランスを崩しかねないとダレンは懸念するが。


「むしろ、バランスを取るという意味なら仲良くした方が良いと思うわよ。天童と西園寺が動くなら、最後の魔法大家である土御門が動かないわけないと思うわ」

「つまり、それでバランスをとれってのはわかるんだが」

「そこはあんた次第よ」


 むしろ有紗と契約した時点でバランスが崩れているのだから、他とのバランスを取りたいのであれば西園寺も仲間に引き入れた方が良い。

 それに家のことすら忘れて乙女心の赴くままに活動している恵ならば体面的には西園寺の肩も持ちつつも、それほど大事な問題が噴出することはない。

 なにせ、ダレンが不利益を被り西園寺から離れたら一番困るのは恵だからだ。


「でも、アレは面倒じゃないか?」

「面倒でもあんたの力はそれくらいの影響があるのよ」

「俺は魔剣を使えるようになりたいだけなんだがなぁ」

「私は羨ましいわよ、殺したいくらいに」

「やめてくれ冗談に聞こえない」

「んもぅ、私を仲間はずれにしないでくださいまし!」


 私もお話したいです、とむぅ、と拗ねる様は可愛らしいものだ。それが西園寺という髪を地毛に戻し、派手な装飾等全部外して楚々とした淑女モードで言っているのだから男としてはたまらないものがあるにはある。


「いや、もう本当、あんただれ。私いじめてたあの嫌な悪女はどこに行ったの?」

「別に私、あなたのこと嫌いというわけではありませんもの。好きでもありませんが」

「そっちが素?」

「こちらの方が素ですわ」

「本当、ムカつくわね。それなら、私をいじめる意味ないじゃない」

「まあ、それも上の方の政治というやつですわ。私だって、好きでいじめていたわけじゃありませんもの」

「本当にむっかつわね。あんたの悪行、全部、ダレンにバラしてやろうかしら」

「申し訳ございません」


 恵がとった行動は至極単純なものであった。しかして、それはそれは見事な土下座だったという。

 プライドがないのか、ダレンに好かれるためならばプライドすら要らないのか。たぶん後者なのだろうが、それはそれとしていさぎ良すぎやしないだろうか。


「本当に引くわ……」


 こんなのに自分はいじめられていたのかと今更ながらに泣けてくる有紗であった。


「で、仲良し二人組の話は終わったか」

「「仲良くない!(ですわ)」」

「仲良いだろ……まあいい。とりあえずこの一週間見ててわかったことだが、おまえ、本気で才能がないな」

「うぐ……」

「ええ、ダレン様に同意ですわ。私が見る限り、本当に、どうしようもなく、才能がありませんわ」

「ぐえ……」


 もういっそ殺してというくらい率直な言葉に潰れた蛙みたいな声がでるのも致し方あるまい。

 自覚があるとはいえ、世界最強クラスの魔法使いと頭あっぱらぱーな恋愛脳ではあるが西園寺随一の才媛に言われてしまうのはまた別のダメージがある。

 まだ何も知らない小学生の方がまだ魔法が使えているという事実。いや、そもそも有紗は魔法自体が使えていないので、論外だ。

 もう才能がないとかそいうレベルじゃなく、有紗という存在自体が魔法を使うために必要な何かがないとすら疑うレベル。つまり完全に欠陥があるのではないかという説まで浮上する。


「こうなれば最後の手段ですわ」

「いや、最後の手段早いな」

「諦めましょう」

「いや、諦めない!」

「というと思っていましたわ。ですので、危険な手段をとることにしましょう。幸い、私の王子様であるダレン様がいらっしゃるのでかなり勝算はあるはずですわ」


 そう自信満々のドヤ顔でいう恵の顔を殴ってやろうかと有紗は一瞬思いかけたがやめておいた。なにせ、彼女はこれでも有紗の為に魔法を使える手段を考えてくれているのだ。

 いじめていたことを赦す気はさらさらない。魔法が使えるようになったらいの一番に復讐すると誓っている。

 だが、それでも素直に感謝しよう。それが例えダレンの役に立ちたいという純度百パーセントの乙女思考からきているとしてもだ。有紗のためになるのだから。


「ありがとう、西園寺さん」

「フン、別にあなたの為じゃありませんもの。いつまでもあなたが魔法を使えないようではダレン様と私が結婚できませんもの」

「別に結婚する気はないだがなぁ」

「そういうところもクールで素敵……」

「駄目だこりゃ」

「で、どうするのよ」

「天童があなたにどういっているかはまあ、概ね把握していますので、この迷宮で魔物を倒すという行為について説明しておきますわ」


 魔物。

 それは迷宮で生まれる生き物ではあるが、人間のような純粋な生物ではない。その体の多くはマナ、魔法を使うためのエネルギーの大本から出来ているのである。

 いわば幽霊とかそういうようなものであるが、きちんと実体があるし触れることもできる。氷みたいなものだ。

 水は実体がなく流動的であるが、冷やして固めると固形物になる。


「迷宮で魔物を倒すと、氷が解けて水になるように、ある程度はこのマナに戻り自分の身に吸収することが出来ますわ。そして、マナを得れば得るほど魔法は強力になる」

「つまり、魔物を倒しまくって、マナを吸収して魔法が使えるレベルまで私の体を鍛えるとかそういうイメージかしら」

「ええ、あっていますわよ。ただ、それだとロスが多いので、さらにもう一工夫ですわ」

「もう一工夫?」

「ええ、食べますの」

「食べる」

「倒した魔物の死体はそのままだと迷宮に還りますが、食べるとそれそのもののマナを取り込むことが出来るのですわ」

「より速く強くなれる、または魔法が使えるようになる」

「その通りですわ。流石天童さん」

「あんたに褒められるの気持ち悪いわね」

「失礼ですわね」

「んじゃ、ここらのゴブリンから食うのか?」

「え……」


 ゴブリンを見る。

 醜悪だ。どこをどう見ても醜悪だし、骨と皮ばかりだ。それに不潔そうである。しかも、魔法で焼き払ったせいで焦げている。

 どう見ても食べ物ではない。


「まあ、ゴブリンはよわいですし、編み込まれたマナも少ないですけど、勿体ないですし、ぜひ食べましょうねえ、天童さん?」

「前言撤回、あんた悪女のままね」

「まさか。ちょーっとドSなだけですわぁ」

「それをダレンの前で見せていいのかしらねぇ」

「ぅ……」


 ちらちらとダレンをうかがう恵の姿は、先ほどまでのドS悪女な表情からは程遠いものだ。本当に恋しているのだなぁ、などと有紗は思う。

 現実逃避だ。ゴブリンなんて乙女が食べたいはずもないものだ。

 一方そのダレンはといえば。


「よし食え」


 懇切丁寧に焦げたゴブリンを一匹残らず集めてきて有紗の前に差し出している。

 恵は一安心したように安堵していた。

 無論、ダレンからは恵のドS部分など見えていたわけなのだが、言わぬが花というものだろう。いつか脅迫などに使えるかもしれないなどと思いながら心にメモっておく程度だ。


「いや、待ってダレン、ちょっと待ちましょう」

「安心しろ、全部黒焦げだ。炭の味しかしないだろう」

「そういう問題じゃないの。まだ形残ってるし、ゴブリンとわかるし」

「お前の魔法が使いたいという思いはそんなものなのか」

「そんなものじゃないと思ってるし、確かになんでもするわ。でも、ね、ゴブリンを食べるとか乙女として駄目だと思うの」

「ほら、口開けろ」

「ふふ、逃がしませんわよ」

「ちょ、あんたら、や、やめ、やめてぇぇぇええええ――!?」


 口の中に放り込まれるゴブリンの腕(炭)。

 その瞬間、舌の上を蹂躙する不味さ、えぐみ、苦み。完全に炭ならばいいが、中身は良いように焼けていた。

 なんと素晴らしい火加減でしょう、クソが。などと内心で悪態をつく程度にはヤバイ味がどんどんこみ上げてくる。

 ありていに言えば酸っぱい胃液。吐きそうであるが、どんどん押し込まれる炭のようなゴブリン肉に吐く余裕を与えてくれない。


「うげぇぇぇ……」


 全部、胃に放り込まれた瞬間、吐いた。

 もう天童という名家の一人娘だとか、金持ちのお嬢様だとか、そんなのどうでもよく、ただ吐きたかった。

 そして、吐いたら酷い味がこみあげてきて二重に吐きそうになった。


「う、あんたら、覚えてなさいよ……!」

「安心して天童さん。不味いのはゴブリンだけよ。これから先にいる強い魔物はおいしいわ」

「安心しろ、巧く調理してやるさ。家庭教師だからな」

「そういう問題じゃ、なーい!!!」


 有紗の全力の叫びが迷宮にこだました――。

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