第7話 異世界のタイムリミット
ダレンは有紗に魔法を教える。
有紗はダレンに魔剣を教える。
互いに教師で生徒。
「それじゃあよろしくね先生」
「ああ、よろしく頼む先生」
ここに契約は交わされた。
交わらせたお互いの夢がその証。
「で、改めて聞いて良いかしら」
夜風が吹き、ややあってから有紗が話を切り出す。これはこれから共に歩むための確認作業のようなものだ。
「あなた、迷宮特区から来たって嘘でしょ」
それはダレンの核心だ。彼という存在はおそらくはこの世界のものではないという有紗の本能的な直感がそう問いかけさせた。
「ああ、そうだな。おまえには隠さないでおこう。俺は異世界から来た」
ダレンとしても協力者に隠し事はしない。隠し事をしたせいで半壊した一党の話は父親によく聞いている。
正直に言ったのだが。
「…………」
有紗の反応は、ドン引きだった。
当然である。迷宮特区から来たのが嘘ならば、どこか別の場所、アメリカなどのエージェントなどこの世界の常識の中で話を組み立てる。
まさかそれが異界から来たなどと言われては、頭大丈夫かと思ってしまうのも無理からぬことだ。
「いや、待て、本当だ。証拠を見せる」
流石にその反応は傷つくプラス協力関係にひびが早速入りそうなので、手っ取り早く証拠を見せることにした。
ダレンが腕輪を操作するとゲートが開く。
「来てみろ」
ダレンは安全だと示すために最初にゲートをくぐり、それから戻ってくる。
「安全だ」
「そうみたいね」
ダレンが入ったのを見て、有紗も一息に飛び込んだ。
水に飛び込んだかのような、何かを超えたような感覚が襲う。それがなくなれば、まったく別の場所にいる。
「本当に、移動した?」
そこは四方を石壁に囲まれた空間だ。床は木製。部屋の中にあるものは、ベッドと書き物机。飾り気のない部屋だ。
確かに一瞬で移動したことは確かなようである。先ほどまでいたのは天童邸の敷地内だ。戦闘である程度移動したとはいえ、そこから出てはいない。
そして、近場にこのような部屋がある場所は有紗の記憶にはない。
それに――。
「本当に異世界なのね……」
窓枠の外に広がる光景は、日本では見ることがかなわない風景だ。異国にもこのような場所はあるまい。
馬車や竜車、蒸気自動車などが行き交う石畳が敷き詰められた道があり、多種多様な人々が歩いている。
人間から獣の特徴を持った獣人。鱗、爪、牙のある竜人。ファンタジー世界には定番らしい尖った耳が特徴的なエルフ、矮躯でひげを生やしたドワーフなどなど。
ありふれたファンタジー異世界の景色が広がってる。これが仕込みならば随分と手がかかっていることであるが、絶対にありえないものが聳え立っている。
「あれは……?」
「ああ、あれが日本で言うところの迷宮に相当するものだ。俺たちはただ塔とだけ呼んでるよ」
天を貫かんとする巨大な塔。
天辺は雲を貫き目にすることが出来ないほどに高い。果たして頂上があるのかすら不明だろう。空の向こう側までつながっているといわれても有紗は信じられるというものだ。
なにせ、このような異世界まで存在しているのだから何でもありだろう。
「すごい高いわね……すごい……」
「これで俺が異世界から来たって信じたか」
「ええ、半分くらい」
「残りの半分は?」
「あんたが私に幻覚を見せている説」
「それで俺に何の得があるんだよ」
「んー、私の信用を得られるとか?」
「それなら最初から魔剣が欲しいなんて言わねえだろ。それのおかげでおまえに何されたと思ってるんだ」
危うく殺されかけたのである。
信用を得て、何かしらの情報や弱みなんかを聞きだしたりするのであれば、魔剣のことは言わずにもっとそれらしい行動をとる。
「それもそうね」
「それで、どうする?」
「行き来は自由なの?」
「ああ、自由だな」
「それじゃあ、少しこの街とか見て回っていい? 魔法がない世界だなんて信じられないわ」
「俺からしたら魔剣がない世界の方が信じられなかったんだがな」
「良いでしょ、少しくらいなら!」
珍しくはしゃいでいる自覚があるが、これではしゃがずにいられる日本人がどれくらいいるだろうか。
異世界である。エルフである。ドワーフである。竜人である。
そんなものが溢れる世界だ。少しくらい見てみたいと思うのはネットに触れ、少しでもウェブ小説を読んだことがある者なら普通だ。
「まあ、良いが、とりあえずその服装だけは何とかした方がいいな」
「え――わ、ちょ、見ないでしょ!」
「ちょ、やめろ魔剣を抜くな!?」
自分の格好を思い出して羞恥心から顔を赤くし、魔剣を振り回そうとする有紗をダレンは決死の想いでなだめる。
ここで暴れられては困るどころの騒ぎではない。ここはダレンの部屋で、修繕費など発生させられてはたまらない。
「と、とりあえず待ってろ――」
それだけ言ってさっさと部屋を出て、有紗が切られそうな服を見繕ってくる。幸いなことにこの家には有紗が着られるような服があった。
「――へぇ、結構いい趣味じゃない」
動きやすさを重視した機能的な女性用の戦闘衣装だ。
モノトーンカラーで飾りっけは薄いがその分、収納や道具などを吊り下げることが出来るベルトなどが多くついていて非常に使いやすさ動きやすさがある。
特に各所のベルトが動く際の余分な動きなどを補正しているのか疲れにくいなどの効果もありそうであった。
「ああ、俺の死んだ母さんが学生時代に着ていたものだそうだ。親父は金遣いが荒いわりに物持ちは良いからな」
「お母様の服なんて、私が着ていいのかしら」
「服なんて着られないと意味ないだろ」
「そうね。なら大切に着させてもらうわ。それより、武器とかはないの? 流石に魔剣をいつも振り回すわけにはいかないでしょ」
「ぶき? なんだそりゃ」
「え? そりゃ銃とか、剣とか、戦いに使う道具よ……もしかしてこの世界の武器って全部魔剣?」
「魔剣以外になにかあるか? 魔剣がなければ拳くらいだ」
魔剣ならば弾丸よりも速く動けるから銃なんていらないし、魔技を使えば遠距離攻撃をすることも出来る。
魔剣以外の武器を作るという発想はこの異世界にはないのだと、有紗はそのやり取りで理解した。本人も魔剣の力を知っているからこそ理解が早い。
「だからさっき窓から見た時、ファンタジー世界なのに鎧とか剣を持ち歩いている人がいなかったわけね」
異世界ギャップとはこのことか。
他にも色々ありそうだなぁ、と思いながらもひとまずは街へ繰り出すことを優先する。
「それじゃあ行きましょう。エスコートしてね、私の先生?」
「では、行きましょうか、俺の先生?」
貴族がやるように差し出された手を取って家を出る。
ここトゥルムの街は、レグリース帝国最大の塔が存在する都市である。人口数十万を有し、帝国中から人も物も集まる要衝となっている。
カナル運河が市中を縦断し、そこを基点に大陸中の物が運ばれてくる。
あるいは都市と都市を繋ぐ蒸気機関列車網が多くの人を運んでくる。
巨大都市は、煩雑としていながら不快感はない。それはどこもかしこも活気で溢れ、穏やかな喧噪が満ちているからか。
「すごいわね」
そう冷静を装いながら言う有紗も、興奮を抑えきれない様子。
もし獣のように耳と尻尾があればぶんぶんと振り回して興奮を露わにしているところだろう。
「はしゃいで転ぶなよ」
「そんな子供みたいなことしないわよ」
などと言いながら露店に並ぶ商品に興味津々の様子だ。
「おまえのところの方がすごいもの多いと思うけどな」
「そうね。でもはじめてみるものはどれも凄そうに見えるでしょ」
「なるほど確かに」
さて、大通りを冷やかしつつ二人は塔へと向かう。
夜闇を照らす瓦斯灯の淡い光はなんとも幻想的だ。
特に宝石などを扱う細工街に入ったのでその輝きはひとしおだ。ダレンは見慣れた光景だが、そうではない有紗は心の底から楽しそうにしている。
そんな二人に酔いどれが近づいていた。千鳥足であっちへ行ってはこっちへ行きと危なっかしい足取り。
飲み過ぎと思われる歩き方ながらその胸には大事そうに酒瓶を抱え込んで離さない。
だが、誰も彼女に気がついていない。見事な隠行は酔いしれているとは思えないほど。ついに酔っ払いは二人の背後につき、跳躍。
「なーにやってんだだーれーんー、こんなところでぇ」
「うわっ!? げぇ!?」
突然、背中に生じた重みに驚愕し、それがなにかを認識した瞬間、表情がひきつる。
「なぁにがぁ、げぇ、なのか言ってみようかぁだーれーんー?」
「あ、いや、それはぁ!?」
「なにこの子供」
少女にしか見えない酔いどれが背後からダレンに抱きついている。
有紗はその様に目を白黒。
「あっはっはっは、子供こどもだってさあっはっはっは、このあたしを捕まえて子供とは! ドワーフを知らないのかい? あっはっはっはっは!」
どっちかと言えば捕まえているのはあなたでは? という言葉は言わないでおいた。
というか絞まっていないか?
「あの、それ以上は死ぬんじゃ」
「んお? わ、やっべまたやっち待ったわ。あっはっは、こいつ弱いからなぁ!」
「弱い? 十分強いと思うんだけど」
「へぇ?」
有紗の言葉に女はダレンを離す。
女の興味はダレンから有紗に移った。毛先から足の指先まで視線を走らせ、着ている服にどこか懐かしげに目を細める。
「ごほっ……く、いつもいつもいきなりなにする」
「学園長様からの愛だよ愛。こんな美少女に抱きつかれるとか、その手のやつは死んで喜ぶぞ、あっはっはっは!」
「喜べねぇよ! 俺が生まれる前から学園長やってるやつが美少女って、何言ってんだ!」
「あっはっは、ドワーフは死ぬまで美少女なんだよ! 見ろよこのぷりちーぼでー! ピッチピチだぞ!」
「あー、そんな気心知れたやりとりどーでも良いからとりあえず紹介してくれないかしら」
このまま止めなければ延々とやってそうだし、周りの人たちは慣れたように見物モード。賭けまでやってるあたり恒例行事なのだろう。
有紗としては話が先に進まないのは勘弁してもらいたい。いつまでも異世界にいて日本で問題でも起きていたら事だ。
「あ、ああ。この人は俺が通う魔剣士養成学園の学園の――」
「――ベルデ・エスメラルダだ。よろしくなかわいい嬢ちゃん」
有紗の半分もない小柄な体を張りながらベルデはニヤリと笑ってみせた。
「有紗です」
「アリサね、よろしく。で、ダレンこのやべぇ娘どこで捕まえてきやがった?」
「はぁ? いきなりどうした」
「わかんねえか? それとも気がつかない振りでもしてんのか? 遠慮か? 憐れんでんのか? この嬢ちゃん、ラングデイルの嬢ちゃんより才能あんぞ」
「……知らねえよ」
「知ってるなら良い」
「知らねえって、言ってるよな」
「あっはっはっはっは! 聞こえんなぁ! おまえはわかりやすすぎるんだよダレン? あと年々あたしに対する態度が崩れてないか? 昔はもっと素直でかわいくてあたしをめちゃくちゃに尊敬して敬語で話してくれてたよな?」
ダレンは、はぁ、と溜め息をはいて顔を覆う。
「真実を知ったら誰でもこうなるわ。で、何の用なんだよ、学園長様」
「ああ、重要な話さ。おまえ次の試験闘技が最後のチャンスだ。流石にいつまでもなにも出来ないやつを抱えられるほどうちは寛容じゃない」
先程で酒でふやけていた顔が、突然真面目なものに切り替わる。
そのあまりの落差は一秒前の雰囲気を破壊し、冷や水をぶっかけるのに十分すぎる効果を発揮した。
通りの喧騒は遥か遠くに去り、ベルデの声だけが明瞭に耳に滑り込んでくる。
「わかるな? あと二ヶ月だ。酷だが仕方ない」
「わかっています……」
「先達からのアドバイスだ。使えるものはなんでも使え。道具の持ち込みは可能だ。煙幕でも、毒物でも、奴隷でも何でもだ。試験闘技はおまえの実力を見るわけじゃない、勝てばそれでいい。勝てるだけの力を揃えることも試験だ。わかるな?」
「はい」
「なら良い。良いな、使えるならなんでも使え」
そういってパンとベルデは手を叩く。
ただそれだけで遠くに去っていた喧騒が戻ってくる。冷や水につけられたような空気に温かみが混じる。
「さ、悩め楽しめ若人! おまえたちの可能性は無限だ! あっはっはっは!」
そういってベルデは去って行った。
「なんというか、すごい人ね」
「まあ、見た通りすごい人ではあるんだが、色々お節介なんだよな」
「悪いことじゃないでしょ。それにしても、こんなところまで同じとはね」
「どんなところだ?」
「試験。私もあるのよ、成果試験がね。それが私にとってもラストよ」
「いつある」
「一ヶ月後よ」
「なら、お前の方が優先か」
「そのあとはあんたね、私に魔法を使えるよう教えて」
「ああ、厳しく教えてやるよ」
ダレンたちは日本に戻り、まずは有紗に魔法を教えることに決めた。
そして特訓が始まった――。