第6話 教師と生徒の邂逅
十五層に出た六十層クラスの変異ベヒモスを討伐。それも学生を護りながら独力で討伐。
そんな快挙を果たしたダレンを迷宮管理協会、ひいてはその裏で糸を引く天童や西園寺などの名家が逃がすはずもない。
対応した受付嬢の琴葉はとんだ役回りだと泣きそうだった。
なにせ目の前の男、マジになにもなかったのである。
国籍、戸籍、入国手続きをした形跡も住所も仕事もなにもないのである。
ないない尽くしのこと男はそれを気にした素振りもない。
ベヒモスの死体を見るに確かに気にしなくても良いだけの力をもっていることは明白。
だからこそこんな人がいるのはおかしい。どこに隠れていたのか。
そこをなんとかごまかし、集まった群衆にうまいこと疑われないようにライセンスカードを発行し奥に連れ込むというのが協会長からの指令。
そんなのを一般事務職に振らないでほしいと思うが最初に対応してしまったのが運のつきだ。
軽くバレないように息を吐き。
「ダレンさんですねー! 太平洋迷宮特区出身、無所属、最近活動を始めたばかりのフリーランス探索者」
勢いよく、なるべく大きな声で告げる。いくぶんかわざとらしいが。
「まあ、太平洋迷宮特区出身でしたの! 太平洋沖の迷宮を攻略するための海上都市には世界最高峰の魔法使いや迷宮探索者たちのための設備があると聞いていますわ。それならあの強さも納得です」
なぜかお隣にいるこの脳内ピンク乙女と化した西園寺が信じたから情報は波及し、それが真実と化す。
――なんだかわかりませんけど、西園寺の娘さんが襲われた混乱で頭お花畑になってて助かりました。
――まあ、狙ってやったんですけどね。西園寺もこの人のことほしいでしょうし、協力してくれると思いましたから。
――ただ、アレ完璧に家のこと忘れてますね。
日に何度も人を見る受付嬢の人間観察は正確だ。西園寺は完璧にアレなことになっている。
一過性のことだろうととりあえず思いつつ今のうちに事実を作り上げなければ。
問題はダレンなのだが、ダレンも伊達に英雄の息子ではない。何度も貴族のパーティーに出席させられ、あの嫌な魔境での戦いを経験している。
言葉の裏に隠された思惑をある程度察することはできる。
「ああ、そうだ。ライセンスの再発行はできるか? ダレン・テゼルだ」
そっと魔法を使い、受付嬢の琴葉にだけ見えるように己の明かして良い情報を伝える。
琴葉は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに笑顔に戻し、そ知らぬ顔で手元の端末にダレンから受け取った情報を記載してしまう。
――話のわかる人で助かりました。それにしても慣れてますねこの手のこと。
琴葉は心のなかでダレンに対する警戒度をあげつつ、ライセンス発行手続きをしてしまう。
迷宮踏破歴などがないのは再発行だからということにしつつ、得た情報をまとめて一度裏に下がる。
「会長、こちらが彼から得た情報です」
「おお、流石だ」
会長にまとめた情報と聞き取りの結果を伝える。
「よし、このまま裏に通せ。私は天童家に伝える」
「はい、わかりました」
「うまくやればボーナスだぞ」
「はーい」
うまくやらなければ沈められるという言外の脅しを受けつつ、笑顔を張り付け。
「はーい、ダレンさーん! 準備が出来ましたから応接室にお願いしますー!」
「ああ、助かる」
琴葉が裏に行っていた間に西園寺に迫られていたダレンは彼女の帰還に心底安堵してついていく。
通されたのは豪華な調度品がおかれた応接室だ。
琴葉がダレンの目の前に紅茶の入ったカップをおく。
一応、毒の類いがないかだけ確認してからダレンは口をつけた。
爽やかな風が喉を抜けていった。
「うまいな」
「良い茶葉を使ってますから」
「俺は良い茶葉に値すると?」
「否定しませんよ。変異したベヒモスをお一人で討伐。それも学生を護りながら。尋常な魔法の腕ではありません」
対面に座った琴葉がそう言う。
「そうなのか」
「そうですよ。現状は理解できていますか?」
「なんとなく。全てじゃない」
「いくつか質問してよいですか?」
「少しなら」
「今までどこに?」
「遠くだな」
「この国にはどうやって?」
「知り合いにもらったゲートで」
「知り合いとは?」
「助けたウサギ女」
「真面目に答えてます?」
「大真面目」
「……」
琴葉は形の良い顎に指を当てる。ややあって質問を再開する。
「目的は?」
「金稼ぎ」
「家族は」
「ここにはいない」
「ならどこに」
「故郷」
「故郷はどこですか?」
「遠い国」
琴葉が質問し、淡々とダレンが答えていく。
しばらくそんなことが続いて、琴葉がテーブルに突っ伏する。
「ぁぁー、もう無理ぃ。あなたなんなんですかー。開心の魔法使ってるのに全然乗ってくれないし」
「乗るわけないだろ。あとそんなやる気ない魔法なんてかからんぞ。んで、もう終わりか?」
琴葉は精神系の魔法開心を使ってダレンを探ろうとした。
だが、ダレンの防殻に阻まれてまったく意味をなさなかった。
なので琴葉はやめることにした。
「はーい、もうやめます。悪い人じゃないみたいですし、敵意がないならそれで良いです。あなたの正体とか知りたいんですけど無理矢理って無理そうだしあとが怖いんで」
今までの質問のおかげである程度はダレンの人柄は掴んだ。
わかった中で重要なのは、ここにまったくの未練がないことだ。
迷宮管理協会にも、日本にも。あるいはこの世界にすら。
つまり、いつでも捨てることができる。
どこでも一人で生きていけるということだし、依ってたつものがあるということ。
ならば取るべきはこちらが提供出来る利益を見せることだ。
つまりプランBというやつである。
「では、国籍不明身元不明住所不定無職のダレンさん」
「いや、待てそれはめちゃくちゃ不名誉こと言ってるよな!?」
「でも事実ですし。この先、日本で暮らすなら困りますよねぇ」
「いや別に」
「困ると思いますよ。なにせ、魔物の素材とか討伐報酬とか、受け取るのに必要になりますよ」
確かにそれを言われては困る。元の世界にこちらの魔物の素材を持ち帰ったとしても売れるかわからない。
その上出所を聞かれたら答えられない。そんなやつの商品を買いたいのはアングラな闇市の連中くらいだ。
そんなものつてがなければどうしようもない。当然、ダレンにはそのつてがない。
「……つまりお前らがそれを用意するって?」
「はい」
「わかった。それで頼むことにするよ。あんたもそれの方が良いんだろうしな」
「いやぁ~助かります~。そうしないと沈められちゃうんでぇ」
「怖いところだな日本」
「まあ、冗談にしてもひとまず此方があなたのライセンスです。当面の住居も示してます」
「それで囲い込もうってつもりか?」
「いえ、そんなことはないですよ。普通の我々が持っている物件の一つということだけです。貸出サービスはやってますので。迷宮の近くに住みたいって人多いんですよ、便利なんで」
「まあ、家があるのは助かる」
「あとは、ベヒモス討伐の謝礼金もライセンスの中に入れてます。一応、言っておくと、ライセンスで買い物ができますので、そちらで使ってください」
どうやってお金を使えばいいのかわからないというのが顔に出てしまったのだろう。そう補足されてしまった。
とりあえずライセンスカードを見る。ダレンにはどれほどの値段かはわからないのでゼロの数で判断する。
とてつもない金額ということだけがわかった。しばらくは生活に困らないだろうし、学費などの工面も出来そうで何よりである。
「ああ、そうするよ」
「では、あとは穏便に帰っていただければ――」
そう琴葉が締めくくろうとしたとき、応接室がノックされる。
「使っていますが」
琴葉がいぶかし気に扉を開けると、協会長がいて一枚の紙を見せる。
「なんですか? 依頼書?」
「ああ、それを彼に」
それだけ言って扉は締まる。
琴葉は即座に依頼書と言われた紙を確認。
依頼内容は天童からのもので、家庭教師としてダレンをこちらの家に送れというものだ。
「なんだそれは?」
「あなたへの依頼ですね」
「そういうのもあるんだな」
「ええなにせ、迷宮は国家の大切な資産ですから。迷宮がなければ燃料資源も、鉱物資源もなにもかも取れませんからね。あとは、好事家とか大学の教授とかが魔物の素材を求めていたりしますから」
「どこも変わらないということか。で、内容は? 俺宛なんだろ?」
指名依頼なんて初めてだから、少しだけワクワクしている。元の世界では依頼を受けるなんてこと自体なかったから少し楽しみになっていた。
「はい。天童家――この日本で有数の魔法使いの名家、一組織のことからの依頼です」
「どうせわからないからって解説いれたな」
「わからないでしょう?」
「ああ、わからん」
「とりあえず偉い人の家です。その家の娘さんに魔法を教えてくれということです。ちなみに金額はこちら」
「すごい値段だな」
ダレンには正確なところはわからないが、ベヒモスの売買金額と比較してもそん色ないくらいだった。明らかに過剰だ。
家庭教師という仕事に対して与えるようなものじゃない。
「これがどういう意味かわかってます?」
「取り込み、囲い込みかなんかだろ。貴族が良くやる」
「はい。貴族って……まあ、良いです。わかっているようで何よりです。それでどうします?」
「あんたとしては行ってほしいんじゃないか?」
「まあ、そうしろという命令ですね」
「隠さないんだな」
「かくしてもバレてそうですし」
「なら行くよ。稼げるのはいいことだからな」
元々の目的が果たせるのならば何でもいい。最悪面倒になれば元の世界にゲートで帰ればいいのだから何一つ問題などないのだ。
こちらの事情にかかずらって当初の目的を見失わなければ何でもいい。
「じゃあ、行かせてもらうよ」
「はい、それでは頑張ってください」
そして、ダレンは天童の家に案内され、やけに豪華な夕食をごちそうになり、様々な話を聞き流して彼は天童有紗の部屋へと向かった。
「――通して」
ややあって扉の向こうに投げられた有紗の言葉に扉が開き、ダレンは部屋の中へと入る。
薄暗い部屋の中にその少女は月明かりの下に立っていた。
「ようこそ、ダレン様。天童有紗と申します」
そう淑女の礼をする。
薄いネグリジェを身にまとった有紗の姿は、ダレンには淑女というよりは娼婦に見えた。おそらくはそう思われても良いという天童の思惑が透けてみるようであった。
「あー、やっぱりこういうことなのね」
それを見たダレンは頭をかく。
少ししか天童家というものに接してはいなかったが、どうにもこの有紗という少女の扱いからして腫れものどころではない。
むしろ目の上のたんこぶだとか厄介者扱いなのだ。というか、あの父親に関していえば、有紗という娘がいるということすら認識から外そうとしていた節すらある。
なぜならば、それはダレンも感じたことのある視線と雰囲気。彼女の纏うそれがある種、己と似通っていることを看過した。
それも当然のことであった。
そして、やはり権力者の対応は世界をまたいだところで変わることはないとダレンは一人、理解した。
「私は――」
有紗が言葉をつづけようとするのを、ダレンは手で遮る。この部屋に入ってから感じていた魔力波がこの部屋を監視している人物がいることを示している。
「魔力波からして監視があるな。まあ、この程度なら」
ダレン、トン、と靴を踏み鳴らす。
幻覚と幻聴の魔法を使い、監視の目と耳をごまかすことにする。
「良し、これで監視の目と耳はごまかした。家のやつらを気にせず話せる」
「本当に……?」
有紗が信じられないといったような顔をするので、少々ダレンは説明をしてやることにした。
「ん? ああ、幻術見せて幻聴聞かせてる。眠らせると後が面倒だからな。今、俺たちは普通に話したり色々してるだろうさ。何が見えるかは、監視の頭の中で勝手に補完されるから正確にはわからないけど」
何が見えるにしろ、それほど問題にはならないだろう。彼らにとって都合のようものが見えるはずなので、悪いことにはならないし、記憶を曇らせる魔法も同時に使用していた。
どのような幻覚を見ても、明日の朝には綺麗さっぱり忘れているし、それを不思議にも思わなくなる。
「……何が目的?」
「何が目的って言われてもな。報酬が良かったから、あんたに魔法を教えてくれって言われて来ただけだぞ。まあ、裏の思惑はどうみても俺を囲い込みたいみたいだけど」
「それがわかってて、あんたはどうするのよ」
「いや、決めてない。俺この世界に来たばかりだしなぁ。ただ、とりあえずその服装だけは何とかしてくれ」
有紗の格好は目に毒だ。
「――ッ!」
言われて気が付いたか、有紗は全力の身体能力を駆使してシーツを被る。
「それならまだなんとか見れるな。で、俺としては俺の目的があるからあまり縛られるのはな」
「なに、目的って」
「――魔剣を使えるようになりたいんだよ」
有紗に聞かれた目的。
金を稼ぐためといっても良かったが、ふとした直感がダレンの脳裏をよぎった。
彼女は、自分と似ていると。
顔立ちなどの話ではなくそのありようがまるで鏡写しのように似ているのではないかと感じたのである。
だから、ダレンは正直に答えた。
「……魔剣を使えるようになりたい、そう言ったの?」
静かに有紗は言った。そこには言葉にならない感情が込められていた。
「ああ、確かに言った」
「天童に認められるだけの力を持ちながら、魔剣ですって……? ふざけないで!」
それは強い怒りだ。
「私がどれほど望んでるものを持っていながら――」
有紗はダレンの前に手を伸ばした。
「こんなものが欲しいだなんて!!」
その手に在るのは漆黒の刀。
「魔剣……」
この魔法が総ての世界で魔剣を出す相手。
ただそれだけで、ダレンには理解できてしまった。
いや、食堂で聞いた話を思い出したというべきか。
一人娘は無様にも魔法が使えない。
だから、達人の君に教えてもらいたい。魔法が使えるようになるまで。
なるほど、つまりこの少女は己と真逆であると理解した。
「こんなものの何が良いのよ!」
振るわれる黒刀を紙一重で躱す。
その力の正確なところはようとしれないが、ダレンの直感があれに斬られてはマズイことを告げている。
即座に強化魔法を励起。窓から飛び降りる。
幻聴が効いているため、誰一人気が付くことなく、ダレンは夜へと踊りだす。
それに続くは、理を手に掴み超常の小世界とかした有紗だ。
強化魔法を使ったダレンの身体能力を容易く超過する。
「良いに決まってるだろ、魔剣だぞ!」
「良くない!」
放たれる斬撃、その全て必殺であると直感が告げている。
それこそが彼女の魔剣に込められた理だ。彼女が掴んだ彼女自身の真理だ。
「く、この――」
ダレンは魔法をバラまきながら打開策を考える。
といっても魔法対魔剣の戦いなどお話にもならない。
世界規模で魔法使いを集め飽和攻撃をしたのならばかろうじて魔剣使い一人殺せるだろうレベルだろう。
つまりダレン一人では勝てないのだ。それだけの力がある。
斬擊は鋭く、誰かに師事したわけでもない我流ながら、その武技は至高の領域に近い。
大した才能だ。
「それだけできながら、何が不満なんだよ!」
ダレンからしたら羨ましい限りだ。
自分が望んでも手に入らないものを持っているくせにそれを望んでない、いらないなど言われては我慢ならない。
相手の姿こそが己の望む姿なのだ。それだけで、狂おしいほどに嫉妬するには十分だ。
「何もかもよ!」
有紗もまた同じだった。
放たれる魔法、都合十種。強化魔法と先ほどの幻覚魔法まで継続しようしているのなら、少なくとも十二種の魔法が同時に有紗の足止めに使われている。
まさしく日本一、いや世界一かもしれない技量と魔力だ。
それほど流麗に魔法を使い、有紗が認められなかった天童に認められている。
大した才能だ。
「何が不満なのよ!」
有紗からしたら羨ましい限りだ。
自分が望んでも手に入らないものを持っているくせにそれを望んでない、魔剣の方がほしいだとか羨ましいなど言われては我慢ならない。
相手の姿こそが己の望む姿なのだ。それだけで、狂おしいほどに嫉妬するには十分。
「何もかもだ!」
そう、何もかもだ。
相手が己の夢を掴んでいることも。
相手が己の夢をいらないと言っていることも。
己の夢を叶えることが出来ないことが何よりも不満で無様で狂おしいほどに腹立たしい!
「何でだよ! 真理を掴んで魔剣を抜いてるくせに何で魔法にこだわる!」
「それがないと誰も認めてくれない! 誰も生きて良いよって言ってくれない! 家畜でしかない! それに――」
吐き出した慟哭には血が滲んでいる。
自らの傷を抉り出すかのような絶叫が夜を引き裂いていく。
「あんたこそなんなのよ! 魔法が使えて、そんなに強くて天童にも認められているのに、何で魔剣に拘るのよ!」
「それがなきゃ誰も認めてくれない! 生きる居場所がどこにもないんだよ! 誰かに生かされる家畜でしかないんだよ! それに――」
腫れ物を扱われるような疎外感。
誰もが一歩引いて見ている。いや、見てすらいない。
価値などない路傍の石にすら劣るもの。生きる意味などどこにもない憐れな半死者。
世界にお前の人生を無価値と断じられている。
そんなもの認められるわけがない。
だからこそ求める。
なにより。
魔剣がなければ、魔法がければ。
「「――あいつらを見返せない!!」」
魔剣が使えないとバカにしたやつ。
魔法が使えないとバカにしたやつ。
俺を認めないやつ。
私を認めないやつ。
「――俺の魔剣で認めさせてやる」
「――私の魔法で認めさせてやる」
全部全員、この世全て!
魔法を突きつけ、魔剣を突きつけ、互いに放った祈りは同じだった。
それの事実になんだか思わず笑えて来る。
有紗は日本のダレンだ。
ダレンは異世界の有紗だ。
互いに真逆で同一だ。
「なら――俺に魔剣を教えてくれ」
「なら――私に魔法を教えて」
全てを見返すために――。