第4話 落ちこぼれの魔剣使い《ネガヘクセ》2
時間となり有紗が迷宮から出るとちょっとした騒ぎになっていた。
迷宮門を出た先の迷宮管理協会のロビーは人でごった返している。
まだ夕方だ。ここが騒がしくなるのはもう少し先のはずであるが何かにあったのだろうか。
遠巻きに混雑を確認すればその中心に西園寺とその取り巻きの一党の姿が見てとれた。
彼女らが何かしたのだろうか。
例えばはぐれと呼ばれるような上位階層の魔物を討ち果たしただとか。
嫌な女であるが、有紗はその辺りは認めている。学年第二位の成績は伊達ではない。
ただ、それにしては西園寺の様子がおかしい。
「あぁん、私の王子様ぁ」
なんだあれは。などと素で思ってしまった有紗を誰が攻められよう。
普段の嫌なお嬢様っぷりはいったいどこへ吹っ飛んで行ったのか、まるで夢見る乙女みたいになっている。
心なしかキラキラとした何かが飛んでいるような気すらしてくるネコナデ声は有紗他、取り巻きだって聞いたことがないものだ。
となれば当然、気になってくるのは彼女をそんな状態にしたであろう件の王子様だろう。
外国人か? 黒髪に空色の瞳が特徴的だ。長い髪を背後でくくってそれが、体を動かすと揺れるので犬の尻尾のようにも見える。
「すげえよな、あの兄ちゃん。六十層に相当する変異種を一人で倒したらしいんだよ」
「それもアレだろ? 学生守りながらだって話だ」
「俺が聞いたところによれば、かなりすげえ魔法をいくつも使ってたってよ」
「おいおい、どこの誰だよそりゃぁ。そんだけ有名なら情報が即座に出回るもんだろ」
「それがなにもねえんだよ。突然湧いて出て来たみたいにな」
「太平洋迷宮特区出身だとよ。最近潜り始めたんだと」
「なるほどなー」
ガヤガヤと騒がしい話声をより分けて、有益な情報を手に入れた。
どうやらあの男、進めば進むほど強くなる魔物の中でも、現在最前線でトップの魔法使いたちでも苦戦するどころか死を覚悟する六十層クラスの魔物を相手に一人で大立ち回りをやったらしい。
それも学生というお荷物を抱えて。それが本当ならばかなりの実力者であることは間違いない。
興味はある。
正確な年齢はわからないが、さほど離れていないだろう。その歳でそれほどの魔法の力に至ったその方法を聞いてみたかった。
「はーい、ダレンさーん! 準備が出来ましたから応接室にお願いしますー!」
良く受付にいる女性が大声で人垣に割って入り、ダレンと呼ばれた件の人物を応接室へと連れていく。
ダレンという男が心底安心したような表情なのは西園寺から逃げられたからだろうか。残念なことに西園寺はしつこいから後々大変だろう。
「ダレン様……素敵なお方……」
今もうっとりと応接室の方を見ているのだから重症だ。
このまま自分からの興味を失てくれないものかと有紗は思うが、おそらく学校では変わらないだろう。
「はぁ……」
面倒くさそうに溜め息を吐いて、有紗はロビーを出る。夕暮れ時、摩天楼の隣から夕焼けが降り注いでいる。
室内の明るさから外の明るさに目を細めた一瞬で、目の前に車両とメイドが現れた。
「お迎えにあがりました。お嬢様」
瀟洒な雰囲気のメイドは有紗の前で優雅に一礼。今の有紗以上に淑女然とした立ち居振る舞いは、まさに完璧なメイドといったところだろう。
「別に迎えはいらないって言ってるじゃない」
「それでは家に帰るのが遅くなりますので。お乗りください」
なれたやり取りだ。
迷宮の帰りにはいつもメイドが迎えに来る。
彼女は、魔法が使えず日常生活がままならない有紗につけられたそば付きメイドのカレン。いらないと言ってもやってくるお節介なメイドだ。
「……わかったわ」
その強情さは既に知っている。うんと言うまで彼女はテコでも動かない。例え魔剣を抜いたところで彼女は絶対に動かない。世界が滅ぼうとも彼女はきっと有紗がうんというまでたち続けるだろう。
ドアを開ける彼女に従って有紗は車に乗り込んだ。
運転席にはカレンが乗り、魔法を起動する。ふわりと浮かび上がる車はそのまま有紗の自宅に向かって飛翔を始めた。
「……」
魔法の箒が馬車になり、車になって久しく。随分と飛びやすく便利な世の中になったものだ。
などと窓に額をつけて眼下を行く車を見据えながら思う。このまま何事もなく家につくものと思っていたが。
「お嬢様。ご相談があるのですが」
珍しいことにカレンから相談があるのだという。
「なにかしら」
辞めたいだとか、だろうか。
役に立たない手のかかる主人である自覚はある。随分と迷惑をかけているからやめたいと言われたら止めるつもりはない。
「はい。お嬢様、家庭教師をとってはいかがでしょうか」
「家庭教師?」
予想外の提案だった。辞めるなどと言われなくてよかったとホッとする間もなく、その予想外の提案に思考を取られる。
家庭教師とはアレだ。家に人を読んで教えてもらうというもの。
「なぜ?」
それをなぜ今更という気持ちが強い。
有紗とて何人も家庭教師がつけられた。そして、全員が匙を投げたのである。それほどまでに有紗は魔法の才能がないとされている。
「本日、低階層に六十層級ベヒモスが出たことはご存知でしょうか」
「……ええ、なんとなくは。あの騒ぎでしょう?」
「はい。それを居合わせた学生を守りながら独力で討伐した者がいるのです」
「見たわ。確か、ダレンっていう私とあまり変わらないくらいの男だったわ」
「そこまでわかっているのなら話が早い」
「あんた、まさか」
「はい。お嬢様の家庭教師として彼を呼ぼうかと」
「話が早すぎるでしょう」
まだ事件が起きて数時間も経っていない。話が早すぎるにもほどがある。
いや、ない話ではないのか。なにせ、迷宮管理協会の会長や幹部には天童の人間が多い。魔法使いとしての名家である天童家は大きな影響力を持っているのだ。
上の方でどのような議論がされたかは定かではないが、概ね強い魔法使いを手に入れるという方向で動くことになったのだろう。
だから好都合な位置にいたカレンと有紗に話が来て、即座に動いた結果がこれなのだろう。
「これは旦那様の命令でもあります。それほど優秀ならば我が家で確保する方が良いと。まだどこにもつながらない魔法使いは貴重ですから。その方法は私に一任されましたのでお嬢様の家庭教師として我が家に入れることにいたしました」
「それ、私に彼を誘惑しろと?」
「はい」
カレンは言葉を飾らずに断言した。
魔法も使えない家の面汚しならば、ならせめて女としての武器を使えということらしい。それで優秀な魔法使いを引き込み、引き止めろということだ。
「わかったわ。お父様の命令なら仕方ない」
「……お嬢様、私は……公を抜きにすれば、私としてはお嬢様に魔法を使えるようになっていただきたいと思っています」
「ええ、わかってる。ありがとう」
ただそれが許さないこともある。カレンは出来うる限り有紗の為を思って行動してくれている。
あとは、やってくるダレンという男がゲスな男でないことを祈るばかりだ。
「では、今夜準備をしておいてください」
「え、今夜?」
「はい」
「何もかもが急すぎない?」
これでは淑女としての心構えを準備する時間すらない。
「兵は神速を貴ぶと言います」
「それにしては早すぎるっての!」
「何事も速い方が良いとは奥様のお言葉ですので。今回は西園寺もレッドラインも、明星会すらも動いていましたから」
どれも日本ではビックネームの迷宮探索団体だ。
その元締めたちは昔から迷宮探索を行っている名家であり、優れた魔法使いを数多く輩出してきた家でもある。
天童はその中でも若造であるため、強い魔法使いを得て発言力を高めたいのだろう。
それで今夜、誰にも唾をつけられる前に彼を家に呼んだ――。
「――え、ちょっと待って、夜ってつまり……?」
夜に男を家に呼ぶ。
しかも、それが女の武器で魅了するように暗に言われている男であれば想像されるのは、もちろんそういう行為だ。
多感な思春期女子の妄想力が、あんなことやこんなことを映像として出力してしまうのは仕方ない。
かぁ、っと有紗の顔が赤くなる。それは窓から差し込む夕暮れだけのせいではない。明確に体温が上がって鼓動が早まっているのを感じる。
「はい。そのようなこともあるでしょう」
さらにカレンが臆面もなく肯定する。
おかげで顔も鼓動も思い通りにならない。
「大丈夫です。胸は薄くとも器量は良しとなるように教育はしていましたから」
「だ、誰が胸が薄いよ!」
続く軽口のおかげで、思考を占有していた卑猥な想像がどっかに吹っ飛んでくれた。
もちろん、胸が薄いのは事実だが、それを認めるのは有紗としては腹立たしい。まだ育つ可能性はあるのだ。きっと、たぶん。
「まあ、お嬢様の胸に関してはこの際、置いておくとしましょう。もしかしたら貧乳好きなのかもしれませんから」
「もういいから」
「夕食後、お嬢様の部屋にダレン様が訪れる手はずになっています」
「本当、良い手際だこと」
「お嬢様はいつものようにお部屋で身支度を整えください」
「……ええ、わかってるわ」
了承も納得もしかねるものの、それを突っぱねるだけの力は有紗は持たない。
何もかも放り捨てていけるだけの力は確かにある。魔剣を抜いてしまえば、有紗に手を出せるものはいない。
世界全てが敵になって魔法を撃ってこない限り敗北はないだろう。
だが、それがどうしたの言うのだろう。それで逃げたところで何の問題も解決しないのだ。有紗の夢がかなうことはないのだ。
ならばここであがくしかない。
「私は、偉大な魔法使いになりたいんだもの……」
「……なれますよ、お嬢様なら」
「……ええ。そうね」
●
そうして時間はあっという間に過ぎ去った。
灯りの消えた広すぎる部屋。月光が寂しげにそこに佇む人物を照らしていた。
着ている薄いネグリジェはいつの間にか用意されていたものだ。艶美なその衣装は、どう見ても誘惑用のものだろう。
防御力が低すぎて有紗としては落ち着かないし、これからすることを考えると頭がゆだってしまいそうになる。
年頃の乙女として、王子様だなんだということはないが、どこの馬の骨とも知れぬ輩に己の初めてを捧げるというのは結構ダメージがでかい。
果たしてダレンという男は協会で話を聞いてそれに承諾してきたらしい。
食卓に出ることを許されない有紗としてはどんな会話がなされたのかはわからないが、とにかくやるだけのことをやるまでだ。
「お嬢様、ダレン様がお見えになりました」
びくりと想像以上に自分の体が跳ねたことに驚きながらも、有紗はすぐに呼吸を整える。天童の娘という仮面を笑顔に貼りつける。
「――通して」
ややあって扉の向こうに投げられた有紗の言葉に扉が開き、ダレンが入ってくる。
迷宮管理協会のビルで観たのと同じ格好だ。どこかの制服のように見える戦闘服そのままと言った風情。
目鼻顔立ちは整っている方だろう。ならば幾分かはマシか。などと諦観を心にしまい込みつつ。
「ようこそ、ダレン様。天童有紗と申します」
そう淑女の礼をする。
姿が完全に娼婦のそれなのだが、最初の礼は大事だろうと有紗に行動を選択させた。
「あー、やっぱりこういうことなのね」
それを見たダレンは頭をかく。
ただそれだけで全てを察したあたり、この手のことに疎いというわけではないらしい。
それも当然のことであった。
ダレンは英雄アルバート・テゼルの息子なのだ。英雄と懇意になりたい輩から女が贈られて来たり、ロリが贈られて来たりしたこともあるのである。
権力者の対応は世界をまたいだところで変わることはないとダレンは一人、誰にも知られず理解した。
「私は――」
有紗はダレンに向けて言葉をつづけようとして、ダレンの手に遮られる。
「魔力波からして監視があるな。まあ、この程度なら」
ダレンが何事かを呟き、トン、と靴を踏み鳴らす。
力の流れがダレンから広がるのを有紗は感じた。
「良し、これで監視の目と耳はごまかした。家のやつらを気にせず話せる」
そうダレンは気軽に言うが、今彼がしたことは、視界妨害、聴覚妨害の幻覚魔法だ。
有紗の常識では、少なくともこの天童の家にいる監視役に選ばれるような輩の目をだますなど容易いことではないことになっている。
それも一度に複数の魔法を一人で使うというのはあり得ないほどの高等技術なのだ。
「本当に……?」
「ん? ああ、幻術見せて幻聴聞かせてる。眠らせると後が面倒だからな。今、俺たちは普通に話したり色々してるだろうさ。何が見えるかは、監視の頭の中で勝手に補完されるから正確にはわからないけど」
それは情事が見えたりすることもあるのでは……? などととりあえず変な方向に行きかけた思考に有紗は急ブレーキ。
「何が目的?」
「何が目的って言われてもな。報酬が良かったから、あんたに魔法を教えてくれって言われて来ただけだぞ。まあ、裏の思惑はどうみても俺を囲い込みたいみたいだけど」
「それがわかってて、あんたはどうするのよ」
「いや、決めてない。俺この世界に来たばかりだしなぁ。ただ、とりあえずその服装だけは何とかしてくれ」
「――ッ!」
言われて気が付く羞恥もある。
全力の身体能力を駆使して有紗はシーツを被る。
「それならまだなんとか見れるな。で、俺としては俺の目的があるからあまり縛られるのはな」
「なに、目的って」
「――魔剣を使えるようになりたいんだよ」
そういった彼は、冗談を言っているのではないとわかった。
その雰囲気を有紗は知っている。
なぜならば、その雰囲気はまるで有紗そのものであったから――。