第3話 落ちこぼれの魔剣使い《ネガヘクセ》1
昼時の学食というものは学生たちで大いに込み合っている。リーズナブルなお値段、それなりの美味さと量が育ちざかりの学生にはちょうど良い。
わいわいがやがやと友人たちと話しながら食事を楽しむひと時は、学生時代の花であろう。
ただ、ひそひそと陰口をたたく者もいる。
「あーら、見て、あんなところに天童有紗さんがいらっしゃるわぁ」
「東京迷宮探索学園始まって以来の落ちこぼれが、良くもここに顔を出せますねぇ」
「ええ、まったくですわ。流石、西園寺さん」
西園寺という富豪の一人娘とその取り巻き。一律のはずの学生服をこれ見よがしに豪奢に華々しく改造した彼女らの可憐な口から飛び出すのは一人のそれらとは似ても似つかぬ悪口だ。
彼女らの視線の先、満席のはずの食堂にぽっかりと開いた穴の中心に彼女――天童有紗はいた。
「…………」
誰も近づくなというオーラを出しながら、彼女は学食を一人黙々と食べている。
気に入らないのか西園寺はこつりとヒールを鳴らして立ち上がる。染め上げカールした金髪をたなびかせ、優雅に有紗の隣へと座る。
流れる動作ですらりとした足を組んで見下すように――。
「ねぇ~え、聞こえているんでしょう? 天童有紗さん?」
「…………」
無視できない距離で言ったのに有紗は無視して黙々とカレーを食べ続けている。
「この私を無視するだなんて良い度胸ですわねぇ」
「…………」
ちらりと、紅金色の瞳が西園寺を見据える。その鋭い視線に思わず、うっとなるが、西園寺は扇で口元を覆い隠してすぐに優雅さを取り繕う。
「なぁに、その目。不満でもぉ?」
「……はぁ」
心底面倒くさそうに有紗は重苦しい溜息を吐く。
ちょうど食べ終わったところ、お盆を手にさっさと立ち去ることにした。面倒くさいものにはかかわらないに限る。
それが相手の神経を余計逆撫でしてしまう。
「天童有紗ぁ! 私を無視するどころか溜息を吐くなど言語道断ですわ!」
「そうよそうよ! 西園寺さんはあなたと違って成績優秀で」
「火と雷と風の三重属性に適性があるのよ! なんにも適性がないどころか魔法が使えない貴女とは違うのよ!」
「…………」
有紗は無視して食器トレイを返却する。
「詠唱略式【物体浮遊】」
その瞬間、有紗の背後から高速で水の入ったコップが飛翔し、彼女の頭に落ちる。プラスチック製のため割れて怪我をするということはないが、たっぷりと入った水が有紗にかかる。
「……」
「あーら、ごめんあそばせ。私もコップを返却しようとしたら手が滑ってしまいましたわぁ。まさか魔法も使わずトレイを返却するような方がいるだなんて思いもしませんでしたもの」
西園寺とその取り巻きたちは、ニヤニヤと有紗のぬれねずみな有様を笑う。
「もー、早く着替えないといけませんわねぇ。自慢の金髪が水でぐちゃぐちゃよ?」
「私、拭いて差し上げましょうかぁ?」
そうやって取り出すのは汚れが目立つ雑巾だ。
「……良い」
すっと立ち上がって有紗はそのまま去っていく。
「ふん、面白くありませんわ」
「見ました? あの無様なご様子」
「本当、あれで最高の魔法使いと名高い天童家の娘なのですから、本当憐れですわ」
そんな西園寺らの言葉に拳を握りながら、有紗は食堂を去る。
濡れたまま、雫を滴らせたまま乾かすこともできない。
俯きながら有紗は着替えを求め保健室へと向かう。
渡り廊下に来た時、渡り廊下を照らす光の中に、今もっとも会いたくない相手がいた。
「本当、無様ですね、お姉様」
「友梨佳……」
思わず有紗は顔をそむける。その様子に友梨佳は目を細め、有紗へ近づく。
嫌でも、自分と似たその顔が目についてしまう。
「魔法で制服を乾かすことも出来ない。ねえ、お姉様、どうしてそれで学園にこれるのですか?」
「……」
「そんな調子で、最高の魔法使いである大魔法使いになると言っているんですか? 迷宮の最下層を目指すと本当に言っているのですか?」
「…………」
ギリィ、と唇を噛み、拳を振るえるほどに握りしめる。
「何か言ったらどうなのです、お姉様」
「……」
「……そうですか。もうやめた方が良いんじゃないですか。誰も幸せになりませんよ。諦めて、ずっと家にいればいいじゃないですか」
「……やめない。私は……」
「迷惑なんですよ。お姉様のせいで、私まで馬鹿にされて。学年一位だっていうのに、お姉様の妹だからって、なんで馬鹿にされなきゃいけないんですか」
「…………ごめん」
「……もう良いです。お姉様には期待していませんから。お父様も誰も期待していません。次の期末試験でなにも出来なければ終わりです。せいぜい足掻いてください」
そう言って友梨佳は有紗の脇を通り過ぎて行った。
「……私は、それでも諦めない……。誰に何を言われようと、必ず……」
尻すぼみに小さくなる呟きは風に消えていく。夏を運ぶ風は、有紗には冷たく感じられたのは水を被ったせいだろうか。
あるいは、己自身の弱さのせいだろうか。
ふるふると頭を振って有紗は再び歩き出す。足取りは、先ほど以上に重かった。
「すみません。着替えを……」
「ふぁ、また君か」
この時間ならば誰もいないだろうと思っていた保健室には、あくびをしている保健教諭がいた。
臙脂色の髪を明らかに寝起きだとわかるぼさぼさにハネさせた保険教諭は、よれよれの白衣そのままに定位置の椅子に座る。
ぱちんと指を鳴らせば、詠唱を省略して魔法が発動し、勝手にコーヒーが彼の手元へとやってくる。
「またひどくやられたねぇ。やり返さないの?」
「……先生なら知ってるでしょ」
「うん知ってる。君が魔法を使えないことも、君が誰よりも優しいってことも知ってる。アレを使えばこんな世界なかったことに出来ることを知ってる」
そうズレた眼鏡を直しながら、笑ってコーヒーをすする保険教諭の姿は有紗をイラつかせる。何もかも分かったような顔をしているのが気に入らない。
「そんなこと私は望んでないことも知ってるわよね、早く着替え」
「ああ、うん着替えね。そういえばずっと気になってたんだよ。君、なんで僕のところに着替え置いてるの? 怖くない? 僕がすんかすんか、とかして下着とか嗅いでるとか思わないの?」
「そんなことする人が、この学校にいられるとは思えないので」
「まあね、ここお給料はいいし。暇してても誰も怒らないし。医療魔法使い資格様様だよ。でも、着替えも一々持ってくるのとか面倒でしょ。乾かしてあげてもいいんだよ?」
「なんの気まぐれ?」
「酷いなぁ、僕だってちゃんと教師なんだよ? 生徒が困ってたら助けるのが教師って物じゃないか」
そうぐっとサムズアップで薄黄緑色の瞳をきらりと輝かせ、作ったような声色で言う様は最高にイラつく。
「まあ、実際はこの後、迷宮探索授業だろう? 課外授業の時に、制服以外を着るのはオススメしないってだけだよ。制服は優秀な戦闘服だからね。君だって怪我はしたくないだろう?」
ふざけた調子からいきなり真面目な調子になって保険教諭はそういった。
「必要ない。私はたぶん傷つかないし、死ねないから」
手首の幾重にも走った傷跡を見ながら有紗はそういった。
カチャリと保険教諭の眼鏡をなおす音が響いた。
「やれやれ、そうだね。でも、駄目だ」
パチンと彼が指を鳴らすと有紗の制服と身体は完全に乾いた。
「余計なことを」
「今日は良い服装でいた方がいい」
じっと有紗の瞳を見つめて真面目に保険教諭が言うものだから、彼女も続く言葉を飲み込んだ。
「星がそういったの?」
「さあ、どうだろうね」
真面目な調子はすぐに鳴りを潜めておちゃらけた様が戻ってくる。
これ以上の追及は何を言っても無駄だろう。彼はそういう男なのだ。
「はぁ」
「溜め息をつくと幸せが逃げるよ」
「誰のせいだと……でも、ありがとう兄さん」
「僕もう君の兄さんじゃない。名前も天童蒼士じゃなくて、荒巻蒼士だからね。完全に天童とは縁を切ってる」
「それでも兄さんは兄さんでしょ」
「だったら……有紗も天童を出たらどうだい? 妹一人くらいなら面倒みれるくらいの甲斐性はあるつもりだよ」
「ごめん。私はまだ……」
「……そうか。ならやるだけやってみろだね。まったく、成長したのに中身はあのときから本当にまっすぐだ」
「それは兄さんのおかげ」
「なら僕の責任じゃないか、最悪だぁ」
「それじゃあ、ありがとう」
「うん、頑張ってね。いってらっしゃい」
「いってきます」
●
東京迷宮。
その巨大な穴は有史以来そこに存在し続けていた。
数千年かけてなお全貌がわからないほどの超巨大迷宮は人々にさまざまな恩恵をもたらした。
資源や様々な収集物は確かに人々の暮らしを豊かにした。
迷宮は人々の生活とは切っても切れぬ存在である。
しかし、中は魔物で溢れており相応に危険だ。だからこそ迷宮探索者という職業はある。
「あなたたちはその卵として節度ある迷宮探索を行うように。マナー違反は厳重注意のち反省室行きですからね」
初老の担任女教師の言葉に、クラスメートたちは頷き迷宮管理ビルのロビーから続々と迷宮に足を踏み入れていく。
西園寺はニヤニヤと有紗を笑って取り巻きと共に迷宮へと消えた。
有紗も一人迷宮へと入る。
東京迷宮第一層『諦観の遺跡』。
夜闇に覆われた古代遺跡は、乾いた古のエッセンスで満ちている。
誰もいない静寂が大音量となって有紗を出迎え、暗がりに浮かぶ先人の蛍光矢印が奥へと誘う。
有紗は、それには従わない、従えない。
有紗は一人、誰もいない広場に来る。床や地面に描かれた絵図はこの都市とも呼べる遺跡の住人たちが生きた証なのだろうか。
などと益のないことを思う。
「いたわね」
少しばかり瓦礫の山を乗り越えると、スライムがいる。この迷宮最弱の魔物だ。知能なくさ迷い続け生まれて初めて接触したものだけを食べまくる魔物だ。
ほとんどこの辺りの瓦礫を食らうだけの無害かつ無意味な魔物で率先して襲いかかってもなにもしてこない。
だから練習にはもってこいな魔物だ。
有紗は息を吐き、心を整える。遥か先に向かい自分という糸を伸ばすように手を伸ばして――。
「根源接続:魔法起動――【炎曲一番・火球】」
なにも起こらない。
「……もう一度」
集中が足りなかったのかもしれない。明確に結果をイメージして再び力ある言葉を紡ごうとする。
「根源接続:魔法起動――【炎曲一番・火球】」
なにも起こらない。
何かに接続し、そこから結果を汲み上げる。その感覚を得ることはない。
「……真理掌握:魔剣抜刀――【絶葬】」
だから己に出来ることをする。
己の内より生じる真理を掴みとる。手に生じるのは漆黒の拵え持つ刀だ。
光すら飲み込む黒の刃を抜き放ちスライムへと無造作に振るった。
「ダメか……」
しかし、スライムの形をむにゅりと変えただけで意味がない。
斬れたのはスライムの背後にあった瓦礫が見事に真っ二つになった。
肝心要のスライムは無傷で新たに生じた瓦礫に飛び付いている。
もう何度も試したことだった。やはり魔剣が迷宮の怪物たちに効くことはない。どれほど修練し技巧を高めても、魔剣というだけで迷宮の魔獣には効かないのだ。
それが例え第一層の最弱の魔獣であったとしても一切の例外なく、彼らは魔法でしか倒せない。
魔法が使えなければ日常生活すらまともに出来ない。夢も叶えられない。
「なんで、魔法が使えないの!」
魔剣が使えるなら良いだろうって? まったく良くない。
魔剣を使えば身体能力が跳ね上がる、いじめた相手をぼこぼこにすることができる。この世界を壊すことも出来てしまう。
だが、それがなんだというのだ。そんなことをして何になる。異端が異端のまま化け物になるだけだ。
その果ては孤独しかない。天童有紗は、そんな風に生きられない。
「一人はもう嫌よ……」
息苦しさは増すばかり。寂しさは募るばかり。
才能が足りないのか。
「わかってるわよ、そんなことは!」
そのために努力を怠ったことはない。寝る間も惜しみ、勉強も鍛練も行った。
自分に出来ることはやっているつもりだ。
「それでもまだ、足りないの……?」
何が足りない。なにが必要だ。己には何が欠けている。
わからない。
わからないまま、有紗は迷宮の中をさまよい続ける。
答えの出ない問いを己に問いかけ。
何かを求めて右手を伸ばし続ける。
求めるものはなにひとつ掴めなかった――。