第2話 落ちこぼれの魔法使い《ブレードレス》2
ソフィから逃げるように別れたダレンは、誰かが争う声が聞こえた方に向かう。
路地奥の曲がり角の先に人影が見えたので立ち止まり、そっと奥をうかがう。
どん詰まり、三方をそこには二人の男たちに囲まれている少女がいた。
「嬢ちゃん、俺たちゃなにも無茶を言ってるわけじゃねえのよ」
「そうそう、きちんと払うべきもの払ってもらったらいいってだけでよォ?」
どうやら食い逃げか何かして捕まったようだ。彼女の足元には食いかけの食べ物が落ちている。
「え、ええぇとぉぉ」
少女の方はどうしたものかとアタフタアタフタして、周囲をきょろきょろしている。
生憎、裏路地にはダレン以外助けてくれそうなものはいない。積み上げられた木箱の上の黒猫は我関せずといった様子だ。
「良し、それならこうしよう」
何度か言い合いをしていた男たちが提案を始める。得てしてこの場合、この手の男どもから提案されることというのは古今東西一つだと決まっている。
「身体で払ってもらおうか」
「あ、ちょ、それはちょっとまずいかなーって、あのー、ね、ね、そこは話し合いとかで」
「もうそういう段階じゃねえんだよ」
「金もなくうちのものを食ったんだからなぁ」
「だから、それはぁ」
男たちの手が少女に伸びていく。
このままでは少女は男たちによって慰みものにされてしまうだろう。
「――おい!」
もう見てられないし、ここで少女を見捨てるようでは、到底父のような英雄になれるはずがない。父は見知らぬ誰かの為に一人戦い続けたのだ。
ならば己も見知らぬ誰かを助られる男でありたい。例えそれが、自業自得の末に慰みものにされそうな少女のためであっても。
だから、ダレンは声を上げて彼らの前に姿を見せた。
「あ? なんだテメェ」
「そいつは俺の連れでね。どこに行ったのかと思ってたんだよ」
「え、いや、え?」
少女は混乱しているのか、まったく状況を理解していない。余計なことを言う前に話を進める。
「赦してくれないかな。金なら俺が払うからさ」
「ほーう? それじゃあ、兄ちゃんが払ってくれるって?」
「ああ、いくらだ」
「そうそう。良い心がけだ。んんじゃ、これくらいだ」
男が伝票を見せてくる。それにはいくらか書き込みがされているが。
「おい、高くないか」
「迷惑料も入ってるに決まってるだろう? それともなんだ? 払えないのか?」
「げへへぇ、俺ぁ、男でも行けるぜ、へへへ」
もう一人の方は、身の危険を切実に感じる男だった。
「わかった、はらうよ。ほら」
「チッ、面白くねえ。ま、払うもん払うんならこっちも商売だからな、別に構やしねえ。嬢ちゃん、今度は食い逃げなんてするんじゃねえぞ」
「チェ、久しぶりの男だったのに」
「知るか。行くぞ、金さえ払ってもらえりゃどうでもいいんだからな」
男どもは金を受け取ってさっさと路地に消えていった。
「はぁ、無駄な出費だ。おい、大丈夫か?」
「え、えと、ありがとうございました、お優しい方! あなたは神様です!」
「いや。神様じゃないから。ほらもう食い逃げとかするんじゃないぞ。いくら生活が厳しいからってな」
「え?」
少女の服装は布一枚としか思えないがそれなりに綺麗な異国の踊り子めいた衣装だ。そういう娼館があるらしいことは父から聞いている。
白桜色の髪は癖が強く跳ねているが、綺麗に手入れされているようだしやはりどこぞのスラムの娼婦などが食うに困って食い逃げだろう。
珍しい話だが、ない話ではない。魔剣の才がなければ稼ぐ手段は限られる。一歩なにかが違っていればここにいたのは自分がかもしれない。
だから助けたというわけではないが、それでも何もせずにはいられなかったのも理由だろう。
「あ、いや。ちょっとお兄さん? 何か勘違いしているのではー?」
「いや、わかってるよ。大変だろうけど頑張れよ。お節介かもしれないが、もっと食べた方が客とかつくんじゃないかな?」
「あー、これはまったくもって勘違いしていらっしゃる。あの、お兄さん? ぼくは娼婦とかそういうのじゃないですよ?」
「え、いや、そんな痴女みたいな服装しておいて娼婦じゃないとかじゃあなんだ? ただの変態か?」
「あーうん、えっとそうだよね。そうなるよねぇ。でも言うに事欠いて変態はないんじゃないかな? ぼくとしては結構この服は動きやすくて気に入っているんだ」
くるりと回って衣装を見せつけてくれるが、どこをどう見ても痴女服だ。背中などほとんど布がないというか腰まで丸見えだ。
少し尻まで見えているではないか。明らかに人前に出る格好ではない。つまり痴女だろう。
「そうか。それじゃあな」
「ああ、待って待って。残念なもの見る眼で見て帰らないで! ここで何もお礼せず帰したらたらぼくの名が廃る! だからお礼をさせてよ!」
「お礼って……」
少女は、がっしりと制服の裾を掴んでくる。
ため息を吐きつつ、薄い胸を張った少女を上から下へ見る。何も持っていないのは明白だ。
食い逃げしてヤバい状況だった女が何を言うというのだろうか。やはり娼婦か。お礼は身体で、とかそういうやつか。
特に何かを持っているとは思えない少女が出来ることなどそれくらいしかないだろう。
「いや、そういうのは良いから」
「あー、また何か勘違いしてる! 流石のぼくだって相手は選びたいよ! お兄さんがどうしてもって、言うならまあ、助けてもらったし良いかなって思うんだけど。お兄さん、そういうの要らないって感じだしもっといいものだからさ! とりあえずついてきて!」
少女は意外に強引で、さらに力も強く――振りほどけないほどじゃない――ダレンをぐいぐい引っ張って路地をあちこち移動していく。
悪意は感じないし、何かお礼がもらえるというのならばもらっておこう、何かあれば魔法で跳んで逃げればいいと決めて大人しく少女についていくことにした。
「おい、どこまで――」
「こっちこっち」
気が付いたら開けた場所に出ていた。
乱立する背の高い建物群の中にぽっかりと上から石でも落っことしたように穴が空いている。橙と紫の入り混じった空がそこに見えていて、幻想的な趣が感じられた。
その広場の中央には、一軒の店。木でつくられた二階建ての建物だ。
「こんな場所があったんだな……」
「ふふん、秘密の場所だよ。上から見えた時に見えてね」
「上?」
「あ、うん。まあ、とりあえず助けてくれてありがとう。ぼくはオスタラ・エオストレ。お兄さんの名前は?」
「ダレン・テゼルだ」
「ダレンか、よろしくね。ちょっと表に出たらおいしそうな匂いにつられちゃってつい食べちゃってね。いやぁ、お金が必要なのすっかり忘れてて」
「いや、ふつう忘れないだろ」
「あははー、忘れっぽくてね」
白桜色の綺麗な髪に、ルビーのようなくりくりとした瞳やっちゃった、と笑う。それを嫌味に感じさせないのは彼女の不思議な雰囲気がそうさせるのだろうか。
「そこで助けてくれたお兄さんにお礼をしたいと思います!」
ぴょこんと頭頂から突き出したうさぎの耳が揺れて、どこかいらずらっぽさを感じさせる。
「別に良いってのに」
「さあ、入って入ってーおーい」
中は外観よりも幾分か広いらしい。思ったよりも広々とした商店であるが、そこに商品らしい商品はなにも置いていない。
空の陳列棚が並んでいるだけである。
――塔と同じ原理か、いや、魔法の気配を感じる。つまり魔法使いがいるのか。などと推測するもダレンのほかに魔法使いがいるなどこの都市では聞かない。
「なあ、魔法使いがいるのか?」
「ん? お兄さん魔法について知ってるんだ。こっちのこの時代だと骨董品で知っているとしてもエルフの老人くらいだよね」
「まあ、ちょっとな」
「ふーん? まあそうだよ。魔法が得意な奴がいてねー。おーい、帰ったよー」
そう中へ呼びかける。
「おいコラァ、どこでなにやってやがった馬鹿女ァ! お夕飯の時間とっくに過ぎてるだろうがァ!」
奥からどたどたと目つきの鋭い傷だらけの男が飛び出してきた。その眼力により睨んだだけで人を殺せるのではないかというような男だった。
しかも全身傷だらけ。トップクラスの魔剣使いでもこれほどまでに傷を負っている者はおらず、その威圧感は剣聖である父に匹敵する実力者だ。
「いやぁ、ごめんごめん、つい」
「ついじゃねえよ! で、なんだこいつ」
「助けてくれた人!」
「テメェ! よそ様にご迷惑をおかけするとかふざけてんのか!」
オスタラに話を聞いた男は、ずんずんとダレンの前にやってくる。見下すような鋭い眼力に晒され、思わず身を固くする。
「うちの馬鹿女がくそご迷惑をおかけしましたァ! ぜひお礼に飯食って行ってください!」
「…………」
九十度直角のお辞儀だった。
「え、ええと」
「オラァ、馬鹿女ァ! お客様をご案内しろォ! 俺は料理持ってくっからヨォ!」
「はーい。さあ、お兄さんこっちだよー。ミトラス、顔は怖いけど料理の腕は一流だからさ」
「誰が顔が怖いってェ!」
「わ、聞こえてた。さあ、いこいこー。あ、靴は脱いでねー」
オスタラに押されて強引に店に上がらせられる。靴を脱がされ、畳が敷き詰められた部屋に通される。
「見たことない様式の家だな」
「日本式だよー。あいつの担当だから、そっちに合わせてんの。これ寝転がるとかできるから楽だよー」
ごろんと寝転がるオスタラ。布一枚だからもう色々と見得そうなので、ダレンは別の方を見ておくことにした。
部屋にあるものは、ちゃぶ台とタンスなどでダレンからしたら物珍しいものばかりである。
こんな場所にいるだけでも色々と奇妙だというのに、日本式という謎の様式を見せられてはますます彼らに対して興味がわく。
何者なのか。少なくとも普通の人間たちではないだろうということは何となく推測が出来る。
だが、それ以上はわからない。
「オラァ、出来たぞ!」
などと考えている間にミトラスと呼ばれた男がエプロン姿で登場する。良い匂いのする料理がお盆に載せられてた。
スパイシーな香りのするそれをダレンは見たことがない。
「えっとこれは?」
「わーい、カレーだー。ミトラスのカレー、おいしいんだよねー」
「オラァ、食べるときはきちんと手を合わせていただきますしろォ!」
「はーい。いただきまーす」
「えっと……いただきます……?」
オスタラのマネをして、自分の目の前におかれた皿の中身へスプーンを入れる。
カレーとライスのコラボレーションは何ともかぐわしい香りが鼻腔を撫で、唾液腺は壊れたように唾液を吐きだしている。
ごくりと唾液を嚥下。ちらりと隣のオスタラを見ると、おいしそうにばくばくと食べている。少なくとも即効性の毒はない。
いや、そもそもダレンに毒をもったところで金はないし、身代金を要求したところで家にも金はない。ここで食べない理由はなく、というか食べたい。
ダレンは意を決して一口食べる。
その瞬間、口の中で弾けるハーモニーは筆舌に通しがたいものだった。
「~~~~!!??」
まろやかな辛味が舌先で踊る。よく煮込まれたにんじんやじゃがいもを噛めばとろけるような柔らかさ。
肉など、口に入れた瞬間に溶け、がっつりとした味だけを残して食道に去っていく。
それがまた米とよく合うのだ。スパイスの辛味と野菜の甘味がまじりあい、絶妙のハーモニーを奏でている。
「う、うまい……!」
「でしょ~んー、うま、おかわりー」
「オラァ、良く食え! お客様も遠慮せずにいっぱいおかわりしろォ!」
「じゃあ、おかわりを」
「よろこんでェ!」
ついつい二杯目、三杯目も食べてしまうくらいにはこのミトラスという男がつくったカレーという料理はおいしかった。
「いや、すごいな。これ表で店でも出したらかなり儲かるんじゃないか?」
「んー、ミトラスが赦せばねー。ぼくはやったらっていうんだけどねー」
「んなぁ、こたァ、どうでもいいだろうが。で、馬鹿女、今度は何やらかしてこいつ連れてきたんだ」
「えーっとねぇ」
オスタラがミトラスに事情を説明する。何か問題があれば口を出すつもりのダレンであったが、特にあったことをそのまま話してくれたので口を出さずに済んだ。
「なるほどなァ。大迷惑かけてんじゃねえかこの馬鹿女ァ!」
「ぎゃぁぁ、ミトラスが怒った!」
「そら怒るわ! まずは代金の建て替えだな。迷惑料込みでこれで」
差し出された袋には金貨が山盛り入っていた。
「いや、いやいや!? 多すぎる、こんなにもらえない」
「馬鹿女が迷惑をかけたんだァ。これくらい安いくらいだぜェ。もしもらってくれねえなら、ここでこの馬鹿女の首を刎ねる」
「いや、新手の脅し!?」
流石に助けた女の首が刎ねられるのを目の前で見ているのは精神衛生上、悪すぎる。
それに正直、金は入用なのである。学費もそうだが、湯水のように金を使う馬鹿親父がいる。だからもらいたいといえばもらいたいのだ。
「けど、やっぱりもらい過ぎだから、これで良い」
自分が払った額に多少をイロをつけても金貨一枚くらいだ。袋から一枚だけ取り出してあとは返す。
「く、何て良い奴なんだ……! オラァ、馬鹿女ァ、もっと誠意込めてお礼いえやァ! それかその貧相な体でも捧げろやァ!」
「ありがとう! ミトラス、ミトラス落ち着いて、流石にそれは相手も困るって」
「じゃあ、どうやって償いするんだァ?」
「だから、それが此処に連れてきた理由だって。門を渡そうかなって」
「アァ! 門だってェ!」
「だって、彼見てよ」
じっと二人が俺を見つめる。
「な、なんだ?」
「あぁ、なるほどなァ。確かに門が最適だわなァ」
「でしょ~。ぼくらが出会ったのってきっと運命だよ」
「それでテメェがかけたご迷惑が消えるこたァねぇんだよォ。ならさっさと渡せ」
「ほーい」
ぴょんっと立ち上がったオスタラは店の奥に行ってすぐに戻ってくる。手には何かの腕輪が握られていた。
「はい、これ助けてくれたお礼」
「いや、お金で十分なんだけど」
「まあいいからいいから。これも受け取って、お金はミトラスから。こっちの腕輪はぼくからだよ」
「何の腕輪なんだよ」
「門を開く腕輪だよ」
「門? 魔法の瞬間移動みたいなものか?」
「まあ、似たようなもの。どこに繋がってるかは、行ってみたらわかるよ! さあ、起動ー」
「ちょ――」
勝手に腕輪をはめて勝手に起動される。
目の前に門が開く。小さな時空ゲートだ。
「さあ、いってらっしゃい。その世界は、きっとお兄さんにとって素晴らしい世界だよ。魔剣の使えない魔法使いさん。へへ」
どんと、押されてダレンは踏ん張れず門をくぐってしまう。抵抗もなにもなく、門の向こう側へとダレンは吐きだされる。
「いて、なんだよ、ったく――なっ……」
目の前に広がっていたのは見たこともない光景だった。
天を貫く巨大摩天楼。
空を飛ぶ車の数は多く、巨大な駅からは魔法車両が走っていた。
大荷物を運ぶ運送屋は魔法を唱えて荷物を運び、花屋は座ったまま花の手入れを行っている。
「これは……」
どれもこれもダレンが生まれた都市では見たことがないものばかりだった。
「ようこそ! 日本の首都、東京へ! ここは君が力を発揮できる世界さ!」
背後でオスタラが自慢げにそういった――。