第17話 バカンスのち
「さあ、夏休みですわ!」
「なによ、いきなり」
「夏休みですわ」
「これから迷宮に行くんだから、手短に言ってくれない?」
試験も終わり、終業式も終わったら学生は自由な夏休みへと突入している。
東京迷宮学園でも夏休みはある。やはり学生たちは休みに入り思い思いに楽しむことは変わらない。
誰もが浮かれて休みを満喫する。
夏真っ盛り、これからバカンス! という格好をした恵も例外ではないらしく、ダレンと有紗の目の前に現れたのがついさっき。
「海に、行きましょう!」
「却下よ。休みなんだから迷宮で修行よ」
「あんたも来るか?」
「いきた――じゃなーいですわ!! 夏休み! サマーバケーション! わかってますの!」
「わかってるわよ。一か月は迷宮に潜ってても何も言われない期間で助かるわ」
「あー、もう駄目。学生として終わっていますわ!」
「西園寺には言われたくないわよ」
「はい、有紗さんおだまり! 良いですか。学生の夏は常に一度きり! そこを有意義に過ごせないなど灰色の人生確定! だから、海に行きますわよ!!」
「その真意は?」
「もちろん、ダレン様とひと夏のアバンチュールを過ごしたいんですわ!!! って何を言わせてますの!!」
「勝手に言ったんじゃない」
「ともかく! 私と一緒に海に行きますわよ!」
「ダレンだけじゃなくていいわけ?」
「あなたとも遊びたいと思っているんですわよ! 言わせるんじゃありませんわよ! お友達と! 海に! 行きたいんですわよ!!!」
ドーンと大きく音がなったようにダレンと有紗は錯覚した。
「あんた、本当に西園寺?」
「偽物がいるんですの?」
「そういう意味じゃないわよ。あの悪女はどこへ行ったのやらと思っていただけよ」
「まあいいんじゃないか、少しくらいは遊んでも」
「あんたがそれを言う?」
ジトついた有紗の視線にダレンは肩をすくめる。
海というものは内陸育ちのダレンには縁遠いものだったから気になるというのもあった。
「それじゃあ、決まりですわ!」
「全然決まってないと思うんだけど」
「ダレン様は十票分! 多数決で決まりですわ!」
「それダレンが行かないってなったらいかないことに決まりよね」
「それに、うちの別荘には迷宮があるので、楽しめると思いますわよ」
それが決定的だった。
恵の一言が決定的だった。だってそうだろう? 誰だって、特に天童有紗という少女は迷宮と聞かれたら行かずにはいられないのだから。
どこかに己に魔法を使えるようにするための秘術だか、秘宝だかがあるかもしれないのだから、行かずにはいられない。
それも個人所有の、普通ならば入ることのできないような迷宮だ。なにがあるかわかったものではないのだ、いい意味で。
そういうわけで、ダレンたちは一路、西園寺家が所有する無人島にやってきていた。無人島と言っても西園寺家が良く手入れをしているようで、それなりに整備はされている。
別荘はしっかりとした屋敷であり、どちらかといえばミステリーチックですらある。これでダレンたち以外に人間がいれば犯罪が起きていただろう。
「使用人とかいないんだ」
「いませんわよ! というか、天童と旅行とか言ったら反対されるのは確実ですもの、世話係もなにもいらないと勝手に出てきましたわ」
「ま、そりゃそうよね」
天童と西園寺は仲が悪い。有紗と恵がこうやって一緒にいることすら奇蹟なレベルなのだ。
「で、ダレン様はどちらに?」
「あそこ」
有紗の指さした先にダレンはいた。
海を見て、子供のようにはしゃいでいるようである。
「おお、これが海か! すごいな、広いな!」
まさに子供みたいな語彙力である。
「うふふ、可愛いですわ」
「あれで反則級の魔法使いなんだから世の中わからないものよね」
本当ずるいものである。などと有紗は思うわけであるが、そこは相手にとっては自分も同じなのだから直接言うことはない。
「ダレンさまー! まずは荷物を屋敷において着替えて海にでましょう!」
「ああ、そうだな。急ごう」
恵の言葉で戻ってきたダレンは、そそくさと全員の荷物を回収して屋敷へと走っていった。
本当に子どものようで実に愛らしい。恵としては、凛々しい王子様然としたのも良いのだが、ふとこういうところを見せられるとなおさらきゅんと来てしまう。
乙女回路とはまた別の母性回路の疼きである。
「待ってくださいまし、ダレン様ぁー!」
さっそく追いかける恵。
「やれやれねぇ」
興味もない有紗はその後ろをゆっくりと歩いていく。潮風が髪を撫でる。夏の日差しは強いが、からっと晴れていて心地がいい。
屋敷の中は、良く手入れしているようだ。魔法陣による自動浄化が常にかけられているらしい。
屋敷の土台に魔法陣を刻むことで自動で魔法が発動する。自動浄化などは大抵の建物には使用することが義務付けられている。
少し昔にはそれを怠っていて問題になったこともあったが、西園寺の屋敷にそのような手抜かりはない。
むしろそれ以外にも複数の魔法陣が刻まれている。すべて屋敷の中を快適に保つもので、非常に過ごしやすい。
「魔法陣も使えないのよねぇ……」
有紗としては今に始まったことではないものの、己の非才っぷりを認識させられるとへこむ。
とかく、部屋も有紗の部屋よりも上等な別荘だ。今は、ひとまず楽しむことにしよう。
「まずは着替えね」
無人島の別荘に行くということでまさかあの恵と一緒にショッピングなどということをするとは思いもよらなかった。
その際、要らぬ騒動にも巻き込まれたものであるが、実戦を経験した有紗や五十層まで同行した恵に敵うはずもなく騒動は一瞬で解決した。
さて、それはさておきさっさと水着に着替えてビーチに出たのはダレンである。
「これが海か」
内陸育ちのダレンからすれば海は初めて見るものだ。
河よりも水が多いと聞いていたが、想像以上に多い。
「すごいなこれは……」
どこか根源に通じる気がする。
これほど広大な根源から魔法を汲み上げる。己のしていることのすさまじさを実感できるものであるが、それはそれとしてやっぱり魔剣を抜刀したいのがダレンとしての心情であった。
波の音が涼やかで、風の音とコーラスを奏でる。ただ目を閉じるだけでも心地が良く、目を開けば太陽の光に照らされた波飛沫がキラキラと宝石のように輝いている。
「ダレンさまー!」
「あんたもはしゃいでるわねぇ」
海を眺めているダレンの下へ美少女たちがやってくる。
「どうでしょうか」
恵は清楚な白い水着を身にまとっている。引き締めたボディラインはモデルと見まがうほどであるが、それでいてふくよかな女性らしさが主張を強めている。
少々露出度が高めであるが、そこは夏の冒険感として作用する。魔法陣をあしらったリボンなどは夏を快適に過ごし、海でおぼれないような対策されたものだ。
「似合ってるんじゃないか?」
「ありがとうございます。ダレン様もお似合いですわ」
鼻血をだらだら流しながら恵が言う。
やっべ、これやっべと思っているのが彼女である。
男の水着姿など初めて見た恵である。しかもそれがダレンだ。鍛え上げられた胸板はまさに凶器。
乙女の脳髄に焼き付いた太陽に照らされた美男子といえばもうそれはもう第五十曲番の魔法を受けた
水着の少女なんて初めて見るのだからダレンに良し悪しはわからない。出来ることといえば隣の有紗と比べるくらいだろう。
「なによ」
有紗の方はスポーティな水着だ。色っぽさや女性らしさというよりは機能性と動きやすさで選んでいる。
露出もそれほど多いというわけではないが、逆にそれが健康的な美しさであふれる四肢を浮き彫りにしているようであった。
なによりその肉体は鋼というにそん色ない。鍛え上げられた肉体は引き締められ、うっすらと筋肉が浮かんでいる。それでいて女らしい柔らかさを残しているのはある意味芸術的であるとすらいえた。
「いや、何でもない」
二人を比べてみるとタイプの違う美人というのが良くわかる。
「どっちが良いと思います?」
「それを俺に聞くのか? 俺はよくわからんが」
「好みで! 好みで良いのですわ!!!!」
「好みねぇ」
さて、どちらが好みか、と言われればダレンは恵を指名する。
「ふ、ふふふふ! 好みですってよ!」
「あー、そーねー。別に興味ないし、泳いでくるわ。ああ、そうだ迷宮はどこにあるのよ」
「ひと泳ぎしたら教えますわよ」
「嘘ついたらダレンに悪行バラすから」
「嘘なんてつきませんわよ」
「そ、なら良いわ」
有紗はさっさと海へ飛び込んでいった。
「まったく、少しは楽しめばよろしいのに。さあ、ダレン様、私たちも行きましょう?」
「あー、いや、俺は泳げないんだ」
「あら」
あらあら~これはちゃーんす、と恵の脳内が激しく回転し始める。
これを機にもっとお近づきになるのだ。なにせ、なにやら有紗とダレンは恵が介入できないところで仲がよろしい様子。
あれこれと手をこまねいていてはどうなるかわかったものではない。
「なら、私が教えてさしあげますわ」
ごく自然に手を取って海へと誘う。
もう恵の心臓はばくばくであるが、努めて冷静に、淑女らしく暴走しないように。
「まずは水に顔をつけるところからはじめましょう」
「ああ、それはたぶん大丈夫だと思う」
そんな風にダレンに泳ぎを教えるという至福の時を過ごす恵。
有体に言って最高であった。ずっと手を握ってても何も言われないし、しがみついてもらえたりなど実に役得。
残念なことにダレンはすぐに泳ぎをマスターして一人で泳げるようになってしまったことである。
まあ、迷宮を探索する魔法使いに運動が出来ないやつはいないのだから、それは当然だろう。
ひと泳ぎを楽しみ、ビーチで一通りの遊びをする。
普通の学生の夏休みを満喫している。誰にも邪魔されず、潮風と波声が響く無人島は本当に良いバカンスフィールド。
そんな夏の静寂を破るのは、いつだって携帯の着信音だ。
「――はい、西園寺…………はい。わかりましたわ」
「なに?」
「何かあったのか?」
「ええ、ダレン様の力が借りたいそうです」
「なんだって?」
「なんでも、魔法が効かない魔物が現れたのだとか――」




