第15話 黄昏の屋上
――獣が吼える。
塔に生きる殺戮の獣が侵入者を屠らんと猛っている。只人ならばその覇気を受けただけでも死ぬだろう。
魔獣とはそういう生き物だ。その存在が人類を殺すということに特化している。そんなものを前にすれば誰であろうとも不安を感じる。
だが、有紗に不安はない。ただ冷静に手を伸ばす――。
「真理掌握:魔剣抜刀――【絶葬】」
抜刀詠唱とともに真理を掴み、己という法則そのものを形とする。それはまさしく世界の具現に等しい。
魔剣の抜刀を以て天童有紗という少女は、彼女固有の理を持った世界として成立する。そんなものを害せる存在など同じく世界そのものでなくてはならない。
それも彼女と同等の重さ、大きさ、深さを持つ世界でなければ。目の前の獣はそれに値しない。
「フッ――」
呼気一つの間に、魔獣へと接近する。
黒塗りの鞘より抜刀するは漆黒の刀。
しゃらんと鞘鳴れば斬と斬り伏せられる。ただの一撃で二十五層の魔獣が屠られる。
続くニ刀でまた魔獣の首が落ちる。漆黒の刃には血脂すら浮かばないほどに鋭い切れ味は大気すら両断している。
「こんなものね。んー、いい気分だわ」
「随分と呑気だな」
「この辺の奴ら相手にならないんだもの」
「だろうな」
「この先にはいけないの?」
「学生はここまでだ」
「私は学生じゃないんだけど? 行きましょう」
「まあ、そうなるよな――仰せのままにご主人様」
「それ気に入らないんだけど、先生」
「俺もだよ、先生」
有紗の試験を乗り越えたダレンは今度は己の試験に備えていた。
魔剣を掴むために塔を昇る。
やっていることは日本でやっていたことと変わらない。
「あー、楽しいわね、敵を倒すって! あはは!」
今までの鬱屈を晴らすように魔剣を振るう有紗は実に楽しそうだった。
「これが魔法で出来れば良いのに」
「俺もそう思うよ」
日本で出来ることがここでも出来れば良いのにと何度も思うが現実はままならない。だから、まずはやれることをひとつずつ積み上げていくのだ。
時間は限られている。とにかく上へ。とにかく倒す。獣は人間にとっては毒でしかない。それゆえに食うことはできない。
だから、とにかく倒す。倒して、倒して、魔剣へと届かせる。
「先に行きましょ」
先へ先へと有紗について塔を昇る。だが、ダレンが魔剣を掴めることはなかった。
時間は刻一刻と過ぎていく――。
●
そんな塔からの帰り道。
黄昏に染まる都市は多種多様な人種がいる。エルフにドワーフ、竜人に魚人なんてものまで。各々が探索を終えた魔剣使いたちだ。
彼ら彼女らはそのまま酒場などに繰り出すのであろう。
そんな人混みの中にダレンと有紗はいた。
「はぁ……」
「まあ、そう落ち込まないでよ。私の時だってそんなもんだったでしょ」
思い返すだけでもあれだけしてもらって魔法が使えなかった己に腹が立つが、つまりそれはダレンも同じと言えるのである。
ダレンと有紗は鏡写しのように同じなのだから。
「まあな。わかっていても、というかお前がそうだったんだから、俺もそうなのは当然か……」
「そうね……」
「よォ、親友」
話しながら歩く二人に背後から声が聞こえる。
その声は聴いたことがある男の声だ。
「クレイン……」
「誰?」
振り返ったところにいたのは、相変わらず派手な衣装を身にまとったクレインだった。
当然、有紗は知らないので、誰となっているがどうみても普通の友人関係でないことだけは察した。
「クレイン。まあ、なんというか」
「――そいつの親友だよ、知らねえ嬢ちゃん」
「ふーん? 親友って雰囲気には見えないわね」
どちらかと言えばいじめっ子だろう。あるいは、カツアゲしているチンピラだ。
具体的に言うならダレンの助けられる前の恵だろうか。
親友とダレンを呼ぶ当たり怪しい。
「そいつが照れてるだけだっての。で、なァ親友、こいつ誰だよ」
クレインはなぜか有紗を気にする。
このまま何も答えなければ、追及は激しくなるだろう。そうなると面倒だ。
ダレンは知っている。クレインという男は元から面倒くさいというのに、これ以上面倒くさくなられても困る。
「はぁ、わかったよ。こいつは――」
そこで有紗をどう紹介すればいいのかダレンは迷った。
まさか異世界から来た人と説明するわけにはいくまい。そうなると友人か? どこで知り合ったのか聞かれた場合答えにくい。どうしたものか。
などと考えている間に。
「――私はこいつの先生よ」
有紗がさっさと答えてしまう。
「ヘェ? 先生、先生ねェ。なァ親友、ちょっと付き合え」
「なんでだよ」
「良いからこいよ、ちょっと話があんだよ」
「……はぁ、わかったよ。有紗、ちょっと家に、先に戻っておいてくれ」
「……わかったわ」
幾分か納得のいかないこともあるものの、この世界のダレンの事情に深入りするには有紗はまだ何も知らなさすぎる。
ひとまずは帰ってきて事情を聴くことに決めて有紗はダレンの家に戻っていく。
完全に姿が見えなくなるのを待ってから、クレインは歩き出した。
「さァ、オレらもいこうぜ親友」
「どこへだよ」
「ついてくりゃァわかる」
また訓練所でボコボコにでもするつもりなのか。一応、魔法の用意をしながらついていけば、辿り着いたのは学園の屋上だった。
誰もいない屋上は黄昏色に染まっている。
「こんなところに連れてきてなんなんだ」
「あァ、まァ? 色々と聞きたいことがあんだよ」
黄昏を背にしてポケットに手を突っ込んだまま、屋上の柵にクレインは寄りかかる。
不意にダレンは既視感を感じた。前にもこんなことが
「十年前は良かったよなァ? あの子とオマエ、すんげェ仲良くてなァ」
遠い過去を思い出しているようにクレインは遠くを見つめている。
ただ、その深い翡翠の瞳はガラス玉のようですらあった。
「なんの話だよ」
「それが変わって四年だ」
「四年……?」
「テメェが魔剣出せなかった日だよ、あの子がヤベェ魔剣出した日でもある」
そう言われるとダレンにも心当たりがある。
なぜクレインがそこまで詳しいのかまるでわからないのが不可解ではあるが思い出した。
「成人の儀か……」
それはダレンにとっては苦い記憶だ。
四年前。
この国では、十三歳で成人を迎える。そして、その日が概ね多くの子供たちにとって初めて魔剣を抜刀する日だ。
己の中にある理を掴む日。
貴族も平民も皆一様に教会に集まり、そこで魔剣を抜くための儀式を受ける。
誰もが己の魔剣で喜んでいる中、ソフィはそのすべてをただ一度だけで圧倒した。あらゆる全て、時間すら凍結させる氷の剣。
凍てついた空気が肺を焼けさせたかのように熱くさせたのを覚えている。
「死にかけたよ」
「オマエ、すぐ近くにいたもんなァ。まァ、そのあと治療されて、テメェの番が来たってわけだ――ソフィよりもすごい魔剣を抜いてやるからな――だったか?」
「…………」
そうダレンはソフィにそういった。
あの時、確かにソフィとダレンは同じ夢を見ていた。
一緒に塔の最上階へ行って塔の謎を解くだなんて、そんなことを一緒に語り合っていた。何も知らない子供時代のことだ。
父のような英雄になれると信じていた。
己はきっとすごい魔剣を抜くのだと信じてやまなかった。
「だが、結果は」
「ああ、そうさ。抜けなかった。真理を掴めなかった」
「それからテメェはあの子と距離を取り始めた。あの子が伸ばした手も掴まずに」
「…………何が言いたいんだよ。今、ソフィは関係ないだろ」
「あるんだよ、それが。で、あの女だよ。どこの誰だ? あんな女、見たこともねェ。まず間違いなく学園の生徒じゃねェだろ」
「それがなんだ。おまえに関係あるのかよ」
「まァ? あるって言えばあるんだよ。まあ、オレっていうかソフィなんだが」
「だから、ないだろ」
「はぁ、まァ? テメェはそういうやつってのはわかってたんだが、まさかここまでってのはひでェとおもわねェ?」
「だから何がだ」
「ソフィだよ」
「だから、なんで、あいつの名前が出てくるんだよ」
ここまで執拗に、ソフィの名前を出す理由がダレンにはわからない。まったくもって関係がないではない。
そうあの日に、ダレンとソフィの道は分かたれたのだ。どれほど望んでも手に入らないもの、追いつけない存在。
ああそうだとも、嫉妬した、裏切られたと思った。これはただそんな子供の癇癪だが、あの日々が何よりも大切だったからこそ許せないのだ。何よりも己自身が。
それが顔に出ていたのだろう。
「あー、はいはい、そういう風に思っちゃうわけだ」
クレインはあきれたように頭を振る。
「なァ親友――歯ァ食いしばれやァ!!」
「ぐ――」
握りしめられた拳がダレンの顔面へと炸裂する。
魔剣を抜刀していないとしても魔剣使いの身体能力は高い。屋上の中央から屋上の端までダレンは吹き飛ばされ屋上を転がる。
咄嗟に発動した強化魔法がなければそれで気絶していただろう一撃だ。
「な、にしやが――」
さらに追撃が来る。転がったダレンに向けて容赦のない蹴りが放たれている。寝転がっている暇などない。
即座に立ち上がり、蹴りを躱すと同時に距離を取る。
「逃げんじゃねェ!」
「突然殴られた逃げるだろうが!」
「うっせェ! テメェは黙って殴られてりゃいいんだよ、親友だろ!」
「何が気に入らないんだテメェ!」
「アァ? テメェがそんなだからだよ!」
空を切る拳。髪が一房舞う。
放たれる連打は紛れもなく本気だ。魔剣を抜いていないが、本気で打ってきている。
「この!」
「ぐァ――」
ダレンとてただ躱すだけではない。放たれた大振りの拳に合わせてカウンターの拳をクレインの顔面に叩き込む。
唇を切ったのだろう。血を吐きだしてクレインはニヤリと笑った。
「やれんじゃねェの。ああ、そうだ、テメェはいっつも最初っからやりゃしねェ」
「なんの話だ」
「今の話だよ」
言葉とともに拳が放たれる。
それを躱し、ダレンも拳を放つ。
「テメェが誰かを頼ったってのはイイコトだ。あァ、よろこばしいね、一歩前進じゃねえかァ!」
蹴りが目の前を通り過ぎていく。
ダレンは、その足を見切り、掴んでぶん投げる。魔剣を抜いていないクレインと強化魔法を使ったダレンの身体能力はほぼ互角だ。
空中で身を捻りクレインが着地、その瞬間、踏み込んでくる。そこに合わせるようにしてダレンの拳がクレインの顔面へと突き刺さる。血飛沫が舞う。
「なんだそりゃ、意味がわからねえよ! 一歩前進? どこも進んでねえよ!!」
「アァ? ふざけんな前進だろうが! わかれや!」
腹にクレインの蹴りが炸裂する。
「ぐ――わ、くぁるかよ!!」
お返しとばかりにそのままタックルで地面へと引き倒し、拳を叩き込もうとふるうが、首をひねって躱される。
そのまま力任せに押しのけられ、屋上を転がる。
互いに立ち上がったのは同時。
踏み込みも同時、開いていた距離はお互いの速度により一瞬でゼロになる。先に拳がとどいたのはクレインの方。
「誰かに頼るのは良いが、それがぽっと出の女とかふざけてんのか」
顔面に叩き込まれて、口内に血の味が広がる。痛みに視界が揺れる。だが、それでも倒れるわけにはいかない。
「し、るか! 俺が誰を頼ろうが勝手だろうが!」
殴られたのを殴り返す。
「あァ! ふざけんな! 今まで誰も頼りにしなかった野郎が、今更何、言ってやがんだァ!」
殴り、殴られ、殴り返す。
その繰り返しだ。
もう動き回ることもなく、ただ鈍く拳を打ち合い続ける。
「っは、なんで、こんなことおまえとしなくちゃいけないんだよ!」
「知るか」
「そっちが売ってきた喧嘩だろうが」
「テメェが、あの子の手を取らねえからだろうが」
――ああ、なるほど。
ダレンはクレインの言いたいことがわかった。というか今ようやく思い出した。
「ああ、そうだった。忘れてた」
すっかりと忘れていたことがある。
クレインはソフィを気に入っている。
ダレンとクレインの出会いもソフィであったのならば、彼が彼女に拘る理由はわかる。
クレインという男は、己と己が気に入ったやつ以外はどうでもよいという人種だ。
ふわりと彼の派手な服が風に舞う。隠れていた長耳が露になる。
クレインという男はエルフだ。
悠久の時を生きるこの男はどういうわけかソフィという少女、いや、彼女の家を見守ることにしたらしい。
だから、無限を生きるエルフが学生なんぞやっている。
「すっかり忘れてた、それもこれもお前が毎日ちょっかいかけてくるからだろうが! 毎日毎日人のことぼこぼこにしやがって!」
「うっせえ、テメェが魔剣使えるようにならねえからだろうがァ! さっさとあの子の手をとれや!」
「取れるか! というか、それが本音か! 殴る前に最初から言えや! 短気なエルフとか聞いたことねえぞ!」
「ここにいるからなァ! それより――何が気に入らねェ! あの化けもん嬢ちゃんの方が良いって? 幼馴染みよりぽっと出の女が良いって? ふざけんじゃねェぞォ!!」
「あいつだから、だろうが!!」
今更どうして、その手を取れるというのか。
とれるわけがない。
かつては共に塔の頂上へ行こうと誓った幼馴染だぞ。
ああ、狂おしいほどに嫉妬しているとも。
だが、それ以上に――
「あいつとは対等でいたいに決まってるだろうが!!」
だから頼れない。だからその手は取れない。
魔剣を抜くまで、魔剣を抜いて追いつくまで、絶対にその手は取れるはずがない。
「いいや、テメェはあの手を掴むべきなんだよ。あの子がどれだけ想ってるかわからねえわけじゃねえだろうが!」
「それは、俺自身が赦せねえ」
「そうかよ、だったらもう知らねえ」
クレインが拳を下ろした。
「試験楽しみにしてろ、ぶっ潰してやる。それですべて終了だ。テメェの夢もなにもかもなァ。それが嫌だったら、よォーく考えるこった、なァ、親友」
「うるせえ、ロリコンエルフ」
「テメ、思い出した途端にそれか、年長者は敬えや!」
「なら敬われるような行動しろよ! 俺はお前にボコボコにされた記憶と馬鹿にされた記憶しかねえよ!」
「そりゃ、テメェが魔剣を使えるようにならねえからだろうが! ――嫌だったらさっさと魔剣を抜くか……手を取るんだな」
「……うっせぇ」
クレインはもう知らねえとばかりに屋上から飛び降りて去っていった。
「ああ、クソが、いてぇ」
魔法で治療する。すぐに治るが、受けた痛みは今更ながらじんじんと響いてきた。
「いつもいきなりで唐突すぎるんだよ――」
黄昏に染まっていた屋上はいつの間にか、夜の闇に染まっていた――。
試験まで残りわずかだ――。




