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やがて破天の青春神話  作者: さぬきち
神速無双の光翼少女
6/10

5話 幕間①

 




「……行っちゃった」


しばらく入口を見詰めていた八重は、上品にため息を吐いて背を椅子に預けた。

ギィ、と軋んで音を立てる。

何となく腕を置いた机の上で、こつりと肘に当たる感覚。

小さな花の描かれた白いカップと広げられた数枚の書類、そして折り畳まれたノートパソコン。

本かバインダーと見まがうような薄さの赤いパソコン。

八重の右肘に触れたのは、丸みを帯びたこれの角の部分だった。

天祢との話が済んだら、引き続き手を付けようとしていた案件があったが、今はそんな気になれなかった。


「はぁ」


天井を仰ぎ、目を細める。

じっとそのまま何かを考えるような素振りをしているが、特に頭を回しているわけではなかった。

いやにだるい。


「あの子はやり遂げるかしらねー……どう思う、シン?」


「――――何のことだかさっぱり分からない」


唐突に。

まるで始めからそこに居る者にするように一人虚空に言葉を掛けた八重に、答える声があった。

突然会話を始めた八重もさることながら、さも当然のようにそれを受けて返してきた男の声。

八重がやや気怠そうに声の方向へと顔を向ける。

部屋の奥、窓の横――――冷たい壁に背を預け、立っている男の姿があった。

黒づくめの青年。

顔の右半分を覆い隠す大きな眼帯。

頭一つとまではいかないが天祢より幾分か背の高い青年が、穏やかな顔で立っていた。


「……あら居たの」


きょとんとしたように目を丸くしてみせた八重。

青年は呆れたような顔をした。


「こちらに声を掛けておいて一体何を言うんだい、あなたは」


シンと呼ばれた青年は、黒革の手袋を履いた左手で頬を掻いた。


「いつからいたの? ずっと?」


「いや、呼ばれたから参上した。まぁ、この近辺に居たのは居たけれど」


「そう。呼び出す手間が省けたわ」


脱力していた八重が、背もたれにかけた負荷の反動で上体を起こす。

投げ出すように伸ばしていた長い足を優美に組んで、屈託の無い笑みを浮かべた。


「で、どうだった?」


「いやどういうテンションをしてるんだ……」


にぱっとまるで童女のような笑顔を向けてくる八重を見て、シンはひどく呆れた顔をした。

そんな軽々しく出来るような報告じゃあないのだ。

何せ話が違う。


「どうもこうもあるか」


「強かった?」


「あー強いね、彼。能力無しであれは強い。それともあれが、彼の能力なのかい?」


「どうかしらね。違うと言っておこうかしら」


「八重、この際はっきり言っておく。いくらお得意様だからと、慣れているからといって、俺をどう扱ってもいいという訳じゃないぞ。この俺をあたかも何でも屋みたいに扱うのは君だけだ」


「同じようなものでしょう」


「断じて違う」


シンは真顔で八重を指差し、静かだが圧のある声で言った。

フリーの傭兵であるこのシンという青年を、八重は重用していた。

理由は優秀であるからという単純過ぎるものである。

あとはこのレベルの傭兵にしては抜群にユーモアがあるということくらいか。

傭兵の斡旋を生業とする組織『九龍殺戮公社』にかつて所属していた者であり、その非凡なる殺しの才能を買われていた人物だ。

そんな彼が八重と知り合ったのは、丁度彼が異能を発現させた時期であった。

敵として。

八重は片眉を上げてシンを見返す。


「何よ何。何の事よ?」


「とぼけるな。数か月ぶりに連絡をしてきたかと思えば、試しにうちの子にちょっかいかけてきて、だろ? 意味が分からんが報酬はいつも通り破格だし、手段は問わないというから受けてみたがあれは何だ? 俺は一体何と闘わされたんだ?」


「いい子でしょ?」


かくっと一瞬膝を折るシン。

シンが受けた依頼、それは『”失能力者”である水凪天祢という少年の実力を測って欲しい』というものだった。

測ると言っても正確に測定するわけではなく、シンの目から見た天祢の今のポテンシャルについて、実際に触れてその所感を教えて聞かせて欲しいというものだ。

そのような簡潔な説明を述べられてなお、シンは首を傾げざるを得なかった。

対象は”失能力者”の名も顔も知らない少年であり、年若く見える彼の過去についての情報は開示されない。

このような不可解な依頼、いつもならばさして考えもせずに蹴って仕舞いのシンであったが、相手があの八重麒麟ということで気を引かれた。

”失能力者”というからには何かしらの能力の持ち主であったことは推察される。

そんな少年の、一体何を見てみろというのか。

シンは気になったのだ。


「……分かってるわね?」


「それは分かっている」


窺うようなその言葉に、シンが片手を上げてきっぱりと首肯する。

うん、と頷く八重。

確認をしたものの、念を押すような意図は別に無かった。

世界でも有数の傭兵であるシンが、信用を反故にする懸念はとりあえずはしていなかった。


「一応言っておくけれど、あれでたまに察しが良いのよ、あの子。今度関わることがあるとしたら気を付けてね」


「分かっているって。そこまで気に掛けなくても」


「ぶっちゃけると、あの子どうも何か不測の事態が起こったらまず私を疑うきらいがあるのよ。あのやろうめ」


「それは何というか……知らん」


そういうことかと苦笑するシン。

同時に、少しばかり少年に同調する。

彼女と親しい関係にあるなら尚更であろう。

現にこうして、自分がここにいるのだから。

つまり、昨夜の襲撃は八重の依頼によるものだった。

それを内緒にしてねということだった。

シンが咳を一つ払う。


「……その話はいい。依頼は終えたが、追加の情報開示を要求する。でないと俺はこのままこの場を去るぞ」


「なんでよ」


なおも釈然としない雰囲気のシン。

八重は眼鏡の端をちょいっと上げ、珍しく突っかかってくるシンに怪訝そうに首を傾げた。


「どうしたの。そんなに痛い思いでもしたの?」


「遺憾だ。実に」


シンは自分の右わき腹を指差して、爽やかながらやや乾いた笑みを浮かべる。


「肋骨が折れていた。2本ほど、完全骨折」


あの時――――天祢の感じていた手ごたえの通り、拳を受けたシンの腹は傷んでいた。

身を引いたあの瞬間、拳どころか体の動きすら見失ったことも驚いた。

しかし何より、ナイフを握っていた右手で打たれたことに彼は衝撃を覚えた。

刃を立てれば終わりだったものを、わざわざそれをさけた。

要するに、シンは手加減をされたのだ。

手心を加えられた。

遺憾である。


「ほほぅ……!」


それを聞いて、眼鏡の奥の目を爛と光らせる八重。

あなたを相手にそのような深手を!?とでも言いたそうな顔だった。


「いやその反応はあんまりじゃないかな依頼主殿。あれかな、殺しちゃってても良かった感じかな?」


「それはダメ」


笑顔のままで人差し指でバツを作る。


「大丈夫だと思ってたわよ。信用しているもの」


やれやれという風にシンは頭を掻いた。

八重は考える。

このシンという青年は能力者としてもずば抜けており、純粋な戦闘能力においては傭兵として世界でも五指に入ると八重は認識していた。

先の場合でも定石通りシンの体に刃を立てていたところで、結論を言えばそれで彼を殺すことは限りなく不可能に近かった。

しかしその場合、もし戦闘が続行するならば加減が出来なかったかもしれないと。

一歩間違えば、依頼主である八重の意に反する形で天祢の命を脅かしていたかもしれない、ということである。


「……」


ただしそう言うものの、今回手違いで天祢が死ぬなどという想定を、八重は全くしていなかった。

何故なら八重は何よりも、水凪天祢を殺せる者は存在しないと信じているからだ。

この依頼にシンを指名した本当の理由、それは――――彼ならば天祢の相手をしても死ぬことはないだろうと考えたからだった。

何らかの拍子に一線を超えるようなことがあろうとも、シンならば天祢と引き分け得ると考えたからだった。

逆なのである。

どちらにしても、あるいは他のケースにあったとしても、シンならば依頼を完遂するだろうと判断したのだった。


「……」


もちろん、これは口に出さない。

そしてそれ以外のことも、八重は明らかにしようとはしなかった。


「……あなたは何を考えているのかな?」


「? 何?」


「彼は一体何者なんだ? ”失能力者”である彼に、あなたは一体何をさせようとしているんだ?」


落ち着いた様子で真意はどこにあるのかと問い掛けてくるシンへ、八重は目をぱちりとさせた。


「私があの子に? いえいえ」


あははと笑って首を振る。


「言ったでしょう、やり遂げるかしらって。為そうとしているのはあの子の方。私は見守るだけよ」


赤い縁の眼鏡のレンズの奥。

こちらを見据える瞳が湛える眼光の、穏やかな口調とは裏腹な力強さに、シンは背に触れる壁とは別の冷たさを感じた。

細められた八重の目は、慈愛に満ちた母のようにも、蛇のそれのようにも見えた。


「……」


そんな彼女の顔をしばらく眺めた後、シンは大げさに息を吐いた。

問答は雲を掴むようだし、力づくでなんて気はさらさらない。

ガシガシと頭を掻き、諦めたように顔を背ける。


「まぁいいよ。これ以上は訊かない。あなた相手なら気安いと、依頼の詳細をきっちり尋ねなかったこちらの過失もある」


「あら。何でも訊いてくれていいのに。私達、そんなに寂しい仲だったかしら?」


「それだよちくしょう。いいか。金輪際、興味で引き受けるなんてことは控えることにするからな」


「そうした方がいいと思うわ」


「……」


何だかんだで。

八重からの依頼というものを、シンは断ることが出来た試しがなかった。

シンは疲れたように息を吐き、昨夜の顛末を語り出すのだった。







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