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生きるゆえに食べる


小さな街の住宅街。民家の合間にひっそりとその店はある。

取り立てて綺麗でもなく汚くもない。一見すると蕎麦屋かうどん屋かといった佇まいだが、たらたらと揺れるのれんに『御食事処』の文字がある。


特に商品のサンプルもなくメニューの羅列も見あたらず、のれんが無ければ飲食店ということにも気づけないように思う。

これはそんな、下町なら何処にでもあるような店の、そうは何処にもありそうにない話。



1、仕事探しと出会い


参った。どうにも参った。

自分は少々陰うつな気持ちで机に向かっている。

数日前には久しぶりだった履歴書の記入も証明写真の切り離しも、今日はさらさらと手が進む。

はて、履歴書というモノはこうも量産するものだったろうか?

手を休める事なく思いを巡らせる。


…思い出せない。というよりも記憶がない。

高校大学と現役で進み、アルバイトでの職探しに苦労した覚えはなく。新卒から勤めた会社も就職活動を始めてそう経たないうちに内定。よくも悪くも順風だったのだ。

仕事をする。というところまでは、だが。


現在年齢36。13年、これというミスをする事も体調をくずすことも無く、代わりに大きな貢献もすることも無かった職場が倒産…いや、実際は親会社の撤退により営業不能になったのが45日前。


事情が事情だっただけに退職金は普通に受け取る事も出来たし、失業保険も出ている。

年齢も其ほどいっている訳でもなく、何より『此まで職に苦労しなかった』という(ほんの一時的な事実)が自分を油断、楽観させていたのだろう。

丸々1ヶ月、だらだらと過ごした。過ごしてしまった。


確かに急ではないものの、やりきれなさを感じる失職に少しばかり休養を心身が求めていたとも思うが…

好きなだけ眠り、好きなだけ呆けることにも飽きてきた15日前。

いざと気力を出して美容院(普段は床屋)で散髪し、インスタントではなく写真屋に証明写真を撮りにいき、その足でハローワークと書店を廻りいくつかの求人募集を持ち帰った。


前職は外回りの営業だったが、せっかくの機会でもあるし心機一転、店内業務を中心に接客業関連を選んでみた。今思うとポジティブなものだ。まさか10面接全滅するとはこの時の自分は考えもしなかったのだから。


ちょっとしたウキウキ気分が『このまま一生面接に落ちながら過ごしていくのか』という嫌なドキドキに変わるまで5日とかからなかった。

順風な生活を送ってきただけあって、我ながら異様に打たれ弱い。グロッキィ。自分の今後が全くもって定まらない感覚をこの歳まで味わうことが無かったのは幸か不幸か。まぁ…此までの幸福を噛みしめるよりも今の境遇を嘆く方が簡単なのだと思う。

少なくとも自分はそうだ。


「…ふぅ。」

履歴書の希望理由以外の項目を書き飽きた文面で埋め、ため息混じりにペンを放り出した。座り込んだまま腰を捻るとポキポキと軽い音がした。…まだこんなに腰は重いのにねハハハ。一人暮らし、というより独り暮らしが長くなると声にならないひとり言を思考する機会が増える。

自分だけかもしれないけどねハハハ。


いかん。良くない傾向だ。ネガティブな時ほどこのひとり言はエンドレスに繰り返されいつの間にか数時間経っているのだ。正直ここ5日くらいそんな感じなのだ。


「ん。そういえば腹減ったな。」

意図的に声を出して流れを変える。実際9時に起床してそろそろ昼時、空腹を感じるのも自然だ。

勢いよく立ち上がるのは希に訪れるぎっくり腰が恐いので、手をついてゆっくりと起き上がる。

こういう少しの事に歳を感じる。


冷蔵庫までよたよたと歩いて空けてはみるが、何か買った記憶もないのにすぐに腹を満たせる何かがあるわけもない。あったら怖い。

キッチンの端に買い置きのカップ麺と乾麺がいくつかあるが、落ち込み気味の食事にこれらを選択すると鼻をすすりながら麺をすする自分がひどく悲しくなってしまいそうなので外に出ることにした。


…関係ないけれど熱々の麺をすすっていると鼻水が出てくるのは自然な反射なのか何かの病気なのか?たまに不安だ。



外に出たはいいが、さてどうしたものか。

昼時であるし飲食店は避けたい。仕事の休憩時間とおぼしき方々に囲まれて食べるメンタルが今の自分には無い。かしましい奥様方のお喋りににも気圧されそうだ。

…コンビニでカップ麺?いや、ないよナイナイ。


フードコーナーのあるスーパーや商店街も少し歩けばあるが。

ああでもないこうでもない。とたかだか昼飯1食のことを長考しながら住宅地を歩いていると、ふと足が止まった。


何故止まったのか、自分でもよく判らなかった。

一件すると蕎麦屋かうどん屋かと思うような外観と、ゆらゆらと揺れる御食事処ののれん。

特別に惹かれる外観なわけでもない。腹は減っているがそういう欲求とは関係なく、足を止められた。というより呼び止められた様な感覚。

声をかけられた?いや、肩を叩かれた様な…質感はなかったが。何故そう感じたのかはやはり分からない。


なんとなく止まった足を動かせずにまじまじと店を見回す。幸いなことに人通りもないし、閉じた扉ごしに誰が見えることもない。

最近よくみる外にメニュー看板が在るでもなく、商品ディスプレイもない。のれんだけが食堂であることを主張している。外見からは内部も質素な店であろうことを感じさせる。


何を探すでもなく、足を動かせず止めた理由を考えているとふと目に留まるモノがあった。


『求人募集』


只其だけが書かれた貼り紙。電話番号すらない。条件なども一切記入されていない。少なくとも自分が惹かれるモノではない筈だ。


自分はもっと、仕事内容が。もっと、確りした。電話番号も無いような。こんな、何だ?何か引っ掛かる。なんで目が離せない?情報はいくら見ても何も。


動かない足も離せない視線も。何か妙に気にかかる。飲食店は学生の頃バイトで働いた事はある。が、職を探し始めてからは他の求人募集に何も感じはしなかったし、特に興味があるわけではない筈なのだが。


もう一度のれんに視線を戻し、しばし呆然としていたところへ話し声が聞こえて我に返った。女性が二人、なにやら談笑しながら此方に歩いてくる。しばらく面接以外で会話をしていないせいか、耳に届くボリュームが大きいように思えた。

まだ数十メートルは離れているのだが、話の内容が入ってくる。

どうやら昼食をどこで摂ろうかという事の様で…


自分の目的を思い出した。後ろ髪は引かれているが、ここで食事をしようとは考えなかった。自分の拘り、というか嗜好として。

仕事をしたいと思う場所は普段使いしない。というものがあるからで。

あの求人に妙な執着を持ってしまっている事は間違いないと思えた。


一先ずここを離れ、少しばかり混乱しているらしい頭を冷やしたかったし、何より昼時に入りもしない飲食店の前に居続けることなど出来ない。

足を進めて腹を満たす。そう決めて、店の場所をもう一度確認してからその場を後にした。


結局随分と悩んだ末に選んだ昼食はチェーン店のハンバーガー。考え事があるとき、程々に没頭し、それでいて思い切りが欲しいとき。若い頃からよく利用していた。何時であっても軽い喧騒とまばらな客の年齢層に安心感がある。学生街でもあれば流石に選択肢から外れてしまうが。


ある程度歩いていたからか、空腹感が強かったので大きめのバーガーとポテト、ドリンクのセットを注文した。時間帯もあり殆ど待つこともなく商品を受け取る。

外が見えるといよりは外から見える窓際の一人席もあるが、空席もあることだしと二人掛けのテーブル席に陣取る。料理人と対面する麺屋でもない限り、あまりカウンター席に座りたくないのは昔から変わらない。

…外から見える席で飲み食いする、というのもゾッとしないが。


手洗いを済ませてバーガーにかぶりつき、ポテトを数本つまんでドリンクで流し込む。

ハンバーガーって何時以来だろう?何度も利用しているチェーン店。若い時分からはワンサイズ落としたが幾度も食べているバーガーをやけに美味く感じる。この時間帯なら作りおきの回転も速いが、出来立て特有の旨さとはまた違う感じがした。


久しぶりのバーガーを思っていた以上に満喫すると、腹も気持ちも落ち着いた。ポテトとドリンクをつまみにシンキングタイム。朝の気分なら面接の件。落ちた理由をあれこれと(落ちた当人が)列挙していくのだが、今は少々具合が違う。


あの店だ。店名も分からない御食事処。自分は食べることが好きだ。料理調理も嫌いではない。さて、だからといって調理人を募集しているのか接客を求めているのかすら解らない無愛想な貼り紙。まぁあの規模の店なら自然と食器洗いなどの雑用を含めて全てやる事くらいは想定すべきなのだろうけど。

だとしても電話番号すら載せないのは不親切というか、常識から外れているんではなかろうか?電話がないわけでもなかろうに。


むぅ。どうにも気になる。ああいった形態の店で働いた事はないし、面接も受けた事もない。だから、というわけでもない。この感覚。

よく解らないものへの好奇心?この歳で?冒険するには若さが足りないだろうよ?俺。

いや、だが。面接に落ち続けている俺。選りごのみが過ぎるんじゃないのか。ああいうものが競争率から言えばド本命なんじゃないか。

24時間営業の飲食店や飲み屋あたりではブラックな話も見聞きするが、あの外観ならその心配はなかろう。大半が身内で営業しているから出てこないだけ?



あれやこれやと考えても浮かんでは消え、残っては再浮上。

とりとめがない。優柔不断。

ただ、ずっと消えないのはあの店への興味。

つまみのポテトが冷めきり、ドリンクの氷がぬるい水に成り果てた頃、不安に好奇心が勝利した。意を決して席を発つ。書きかけの履歴書を形にする為に。




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