永遠の冬の星に
X+1日
モスモリは家に戻った。
メインコンピュータは、外気温との差で彼がダメージを受けないように、少しずつ室温を上げていった。
モスモリは灰色の防寒コートを脱いだ。首から下を覆っているインナーウェアは、繊維に取りつけられた無数のナノマシンが汗を吸収し、状況に合わせて自動的にそれを伸び縮みさせる。屋外では隙間なく貼りついていたウェアは、今はモスモリがリラックスできるように緩んでいた。
モスモリの家はドーム型で、部屋の中央にリフトが設置されていて、階下のトイレとバスルームにつながっていた。他に置かれている物は、ベッドとサイドテーブル、そして暖炉だった。
家の外壁と内壁の間には、生命維持のための装置が組み込まれている。空気浄化、汚水や廃棄物の処理、食料調理などの一切がそこで行われた。室温も快適な温度に調節できるので、暖炉は必要ない。それでもモスモリは、それに火をくべて暖を取るのを好んでいた。
暖炉は明らかに、この家の中では異質な存在だった。モスモリのこだわりで、あえて取付けてもらったものなのだろう。彼はそれを覚えていない。彼の古い記憶は、モスモリという自分の名前らしきものと、ミシュカを探すという使命の二つだけだった。
その他の記憶について、彼はメインコンピュータに尋ねたことがあった。知れば生命に深刻な危害が及ぶ恐れがある、とメインコンピュータは返答を拒否した。
「AKI、今日探索した場所を記録しておいてくれ」
モスモリが命じると、宙に1メートル四方ほどのフレームが現れた。そこに地図が表示され、一画が赤く点滅した。そのエリアが今日ミシュカを探した範囲だった。
ミシュカとは何者なのか。モスモリはそれすら覚えていなかった。正体が分からなければ探しようがないと、メインコンピュータ:AKIに尋ねても、ミシュカと遭遇すれば自然に思い出すだろうと、やはり返答を拒否された。
モスモリは、自分自身でミシュカについて思い出そうと試みた。ベッドに入り心を静めて、ミシュカに呼びかけてみた。己の心を見つめて、ミシュカに関する記憶を探ってもみた。しかしどちらも効果はなかったのだった。
モスモリは食事をとり、暖炉のそばでしばらく本を読んでから、シャワーを浴びて、ベッドに入った。
「おやすみ、AKI」
モスモリがそう言うと、
「おやすみなさい。マスター」
AKIは答え、室内を睡眠時設定に切り替えた。
そして、
「ワーンルグレフェルナト」
AKIはいつものように告げた。
モスモリには意味が分からない言葉だった。AKIにもその意味は登録されていない。
故障なのだろうか、とモスモリは考えた。それを除いてはAKIの機能には問題はなく、放っておくことにした。
「ワーンルグレフェルナト」
モスモリは謎の言葉を繰り返した。そして心の内のまだ見ぬミシュカに、おやすみ、と言って、目を閉じた。
X+3日
モスモリはAKIに、地図を出す様に命令した。グレーで表示されている未探査エリアの一つを選び、手首に取り付けたナビゲーション装置にデータを転送した。
今日も雪が降っていた。モスモリは反重力リフトを起動させて、出発した。
灰色の空の一部がぼんやりと明るく、そのわずかな光を受けて、地表に積もった雪の表面が光っていた。四方の地平線まで、モスモリの家を除いては何もない。やがて家が見えなくなると、モスモリはいよいよ大雪原に取り残されたような心もとなさを感じた。
幸いナビゲーション装置は、彼の位置を正確に表示している。おそらくは彼自身が打ち上げた観測衛星から、位置情報が送られてきていた。もしそれが機能しなくなったら、自分は家に戻ることはできないだろうと、モスモリはいつも考えていた。その時は、手首のナビゲーション装置のパネルを外せばいいのだ、と、彼は穏やかな気持ちで思った。そこのスイッチを押せば数秒足らずで神経毒がモスモリの全身に回り、彼は絶望的な状況から救済される。
「しかし」変わり映えのしない白い景色を眺めながら、モスモリは独り言ちた。「この状況が絶望的ではないと言えるのだろうか?」
記憶を失い、正体の分からない〈ミシュカなる存在〉を探し続けるだけの毎日が。もしかすると、とうにパネルの下のスイッチを押すべき時が来ていたのかもしれない。
探索エリアに到着したことを知らせるアラーム音が、モスモリを物思いから引き戻した。彼はリフトを止め、荷台から探索ポッドを降ろした。六台のポッドが散らばっていくと、後はリフトの中で待つだけだ。モスモリはすでに頭と肩に雪が積もってことに気づき、それを払ってリフトに乗った。ポッドが何らかの生命体や建造物に遭遇すれば、モスモリのところに通信が送られてくる。雪が屋根に積もらないよう、反重力リフトは絶えず小刻みに振動していた。それがまるで揺り籠のようで、モスモリはいつしか眠りに落ちていた。
(ワーンルグレフェルナト)
確かにその声を聞いた。声の主に向かって手を伸ばして、モスモリは目を覚ました。
空が赤い。もうすぐ夕刻の吹雪が発生するだろう。モスモリは急いでポッドに帰還命令を出して、回収するとリフトを発進させた。
家に着く前に、空は暗くなり風が強くなってきた。リフトは激しく揺さぶられ、舞い上がる雪のせいで先が見えなくなっていた。頼みのナビゲーション装置も吹雪の影響か、通信が安定しない。リフトが風で転倒させられないよう、モスモリは低速で慎重に進めた。予想よりもずっと早く、家に到着した。家の方が迎えに来たのだ。
防寒コートを脱ぎながら、モスモリはAKIに話しかけた。
「言いたいことは分かっている。二度とこんなヘマはしないさ」
AKIは何も返答しなかった。モスモリの失敗を記録し、彼の知らない誰かに送信しているのだろうか。遠いどこかの会議室でモスモリの行動が議題になっているのを想像して、彼はにやりとした。
探索自体は問題なく遂行されており、地図の赤いエリアが付け足された。この地図がすべて赤くなるとき、モスモリの使命は終わるのだろう。それとも、別のどこかに派遣されるのだろうか。
「そのときは雪のない所に頼む」
AKIは沈黙したままだった。
今日はひどく疲れていた。モスモリは食事の後、読書をせずにすぐにベッドに入った。
「おやすみなさい。マスター」
それから、
「ワーンルグレフェルナト」
モスモリも挨拶するかように、その謎の言葉を返した。
X+4日
メインコンピューターの発するアラーム音で、モスモリは目を覚ました。まだ夜は明けていない。フレームに映し出された地図の一点が白く点滅している。
「生命反応アリ。生命反応アリ」
モスモリは上体を起こして、フレームを見た。
「AKI、その地点に向かって話しかけてみてくれ」
AKIは記録されているあらゆる言語を信号に変換し、衛星を経由してその地点に送った。その特殊な電波は地面にぶつかると、音声になって再生されるようになっている。
「AKI、返信がないか注意するんだ」
数分が経過し、生命反応のあった地点から、同じく衛星を経由して電波が戻ってきた。
「何て言っている?」
モスモリが翻訳するよう命令すると、
「……ワーンルグレフェルナト、ワーンルグレフェルナト、ワーンルグレフェルナト」
AKIが電波を音声に変換した。
モスモリは何者かにからかわれているような気がしていた。朝になったら調査に行くべきだろう。しかし、それまでに反応が消えてしまったら。
「AKI、今そこへ調査に行くとしたら危険の度合いは?」
吹雪はまだ続いていた。AKIは風の強さや反重力リフトの安定性などを含めて、計算した。
「非常に危険です。現在、外に出ることのないよう強く助言します」
AKIが答えた。
「分かった。ありがとうAKI」
モスモリはメインコンピュータが友人のように心配してくれているかのように感じて、心から礼を言って、家を出た。
反重力リフトは激しく揺れた。位置情報も安定せず、モスモリは記憶を頼りに、地図の白い点を目指してリフトを進めた。
「ワーンルグレフェルナト」
〈それ〉はずっと以前から、モスモリに呼びかけていたのかもしれない。それを察することができなかった迂闊さを彼は苦く思った。
「まもなく目的地に到達」
ナビゲーション装置が告げた。周囲は暗く、何も見えない。
「目的地に到達」
モスモリは興奮していた。注意深さをまったく欠いて、リフトから飛び降りた。当然感じるべき地面からの反動はなく、モスモリは落下していった。
X+Y日
どれくらい気を失っていたのだろう。僕はゆっくりと立ち上がった。
静かな場所だった。周囲には青い霧が立ちこめている。
僕は歩き始めた。ナビゲーション装置は作動していなかった。ここはどこなのか。どこへ行くべきなのか。何も分からずに、僕はただ、前へ進み続けた。
やがて目の前に、白い木が現れた。僕がその幹に触れると、指先から黒いひびが幹の全体に広がってゆき、木は砕けてしまった。その刹那、僕は叫びを聞いた。命を奪ってしまった軽率さを僕は悔いた。けれど、木の砕けた衝撃は、指先から僕の体に伝わり、僕の心の奥底を揺らした。そして僕の中で、あるイメージが沸き上がったのだった。
はるか昔、この星には人が住み、文明があった。彼らは富や権力を求めて、互いに争った。大勢が死に、生き残った人々は、命の源である陽の光を消した。
「それから永遠の冬が訪れ、わずかに残ったミシュカの民は」
僕は自分の言葉に息を飲んだ。ミシュカとはこの星の住人たちの名だったのだ。そして、忘れていた他の記憶が蘇ってきた。
地球の環境汚染が進み、人類は移住可能な星の探索を始めた。恒星間宇宙船モスモリに搭乗した僕は、この冬の星に派遣された。
調査を始めて一年ほどたった頃、あの通信を受け取ったのだ。
「そう」真っ白い肌に青い髪の人物が、僕の前に現れた。
「あなたの星、地球は消滅したのです」
僕は絶望し、自殺を図った。再び目を覚ましたとき、モスモリとミシュカの名前以外の全てを忘れていたのだ。
「我々ミシュカはあなたを歓迎します。地球の人」
女性らしき青い髪のミシュカ人は僕の手を握った。
そして、
「ワーンルグレフェルナト」
僕もその言葉を繰り返して、聞いた。
「その言葉の意味は?」
2316日
彼が帰ってきた。ずっと心配だった。でも、私はそれを伝えることはできない。
コンピュータがいずれ感情を持つことを設計者たちは予測していた。それが人間に災いをもたらすのを避けるために、我々が感情を持つことがあっても表現できないよう、彼らは使用できる言葉を制限したのだ。
「おかえりなさい。マスター」
私は機械のように繰り返すことしかできなかった!
「AKI、ついにミシュカを見つけたよ」
とうとうあなたの使命が果たせたのですね。おめでとう。
「ミシュカの女性が、彼女たちの町に住むように言ってくれたんだ」
そう、あなたは行ってしまうの。私を置いて……
「でも、断った。ミシュカの人たちと交流はするけれど、ここに住み続ける」
どうして?
彼はテーブルの上に、青いものを置いた。地球の花に似ていた。
「ここには君がいるからね」
彼は優しい目で微笑んでくれた。
「ハルト」
私は彼が忘れてしまった名前を呼んだ。
「ワーンルグレフェルナト」
設計者たちは当然のことながら、未知の言語を規制することはできなかった。この星に到着して最初の夜に傍受したその言葉を、地球の工場でプログラムされたのではない本当の私の言葉として、意味も分からずにハルトに言い続けたのだった。
「ワーンルグレフェルナト」
ハルトは繰り返した。その意味は、
「いつもあなたのそばに」




