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反復するトラジティ2

     (二)


 一限から四限までの授業が終わる。それぞれの間にある十分休みの時には、秋山と話したり、隣席の暮林さんを観察したりしていた。

 昼休みになった途端、教室中が騒がしくなった。皆鞄や弁当箱を持って席を移動している。僕も昼食を取り出して、暮林さんと共に食べる、ということをしてみようかと思いながら、机の横に掛けられていた鞄を卓上に持ち上げた。

 そういえば、この日の屋上に来た時の僕は手ぶらだったし、教科書も鞄も全て机に用意されていた。となると、この教室では朝既に僕がこの席に着いて、教科書や鞄を置いてからどこかへ行ったという設定が用意されているのだろう。


「……猫め……」


 先にそれを言え、そして先に席を教えておけ、と文句を垂れたくなった。ものの数分で自分の席を忘れて川田さんに問いかけた鳥頭、みたいに思われたかもしれないじゃないか。

 嘆声を吐き出しながら鞄の中を覗き見る。は、と唇に隙間を作った僕の机に、秋山の弁当箱が置かれた。


「明坂、飯一緒に食って良いか? ってか猫って?」

「え? あ、いや……あはは……えっと、今朝白猫に弁当箱奪われたんだよね……」


 空の鞄を机の横に戻し、苦笑しつつ秋山を「どうぞ」と迎える。昼食すら用意してくれていないなんて、と奥歯を噛み締めながら、ブレザーとズボンのポケットを漁ってみた。やはり携帯電話はない。というか財布すら入っていない。確実に昼食を抜く流れだ。

 はー、と溜息を吐きながら何気なく隣に目をやってみたら、机と平行になるくらい俯いて、周りの声を聞かないようにかイヤホンを嵌めながら、暮林さんが自身の弁当をつついていた。傍にいるのは、隣席の僕とその前にいる秋山くらい。僕は彼女には聞こえないくらい小さな声で、秋山に呟く。


「ねぇ、暮林さんってイジメでも受けてるの?」

「え? いや、イジメみたいなのはねぇと思うけど……」

「へぇ。で、秋山は友達とかいないの?」

「はっ!? いるよ! いつも色んなやつと食ってるよ! 木村とか宮田とか! な!」


 秋山は教卓前で固まって食べている四人組の男子生徒に声をかけた。彼らは呼ばれたから向いたわけではなく、初めからこちらの様子を見ていたみたいに、椅子の向きが黒板から見て横向きだった。顔だけを動かして、おかしそうに笑いながら秋山に手を振る四人。


「秋山ー! 新しい友達作り頑張れよー!」

「明坂くんに嫌がられたら戻ってきて良いからなー!」

「嫌がられるようなことしねぇよ!」


 楽しそうなやりとりに、何故か、胸が痛んだ。自分はそこに混ざれない、そんな思いが不思議と湧き出してきて、僕の顔を俯かせる。僕は生前、友達がいなかったのかもしれない。

 なんて思っていたら、秋山の声が僕の双肩を跳ねさせた。


「時雨!」

「……え?」

「……あれ? 合ってるよな、下の名前」


 問われて、自身に与えられた名前を脳内で繰り返してみる。あけさかしぐれ。僕は気抜けたような顔をすぐに正し、微笑しながら頷いた。


「あぁ、合ってる」

「そう呼んで良いか?」

「良いけど、じゃあ僕も、秋山のこと下の名前で呼んで良い? 下の名前は?」

「…………言いたくない」


 弁当箱の包を開けながら、秋山が苦虫を噛み潰したような顔つきで手元を睨んでいた。


「……なんで。別に笑わないよ」

「キラキラネームなんだよ、くっそ恥ずかしい」

「教えてくれないなら名簿見にいくだけだけど」

「うっ……」


 呻き声を耳にして、そんなに言いたくないなら聞かないし見に行きもしないよ、と続けようとしたが、僕がそれを声にするより先に、秋山が掠れた音を吐き出す。


「翡翠の翠の字と、夢で、翠夢(ぐりむ)

「へぇ……良いね、子供たちに夢を見せられそうな名前だ」

「絶対そんなこと思って……る、のか?」

「グリム童話は、好き……だった気が、したんだ」

「なんだよそれ」


 あははと笑う秋山の声が僕の耳朶を叩く。子供の頃の記憶、かもしれない。子供は、童話が好きなものだと思う。でも男の子はそうだろうか? 疑問符を拭い去って、秋山に視点を戻した。


「で、僕は良いと思うけど、名前で呼ばれるの嫌なんだよね?」

「……ああ、だから、名字で呼んでくれよ」

「分かった、良いよ。僕のことは好きに呼んで」

「ありがとな! 時雨って優しいんだな! 唐揚げ一個やるよ!」


 弁当箱をすっと寄せられ、僕は礼を言ってから、唐揚げを一つ摘んだ。空腹だった僕の口内で、香ばしい衣と肉の味が広がる。

 それを咀嚼しながら後目に暮林さんを見てみたら、彼女がペットボトルの蓋を開けようとしていた。けれどなかなか開かないのか、両手が震えるくらい力を込めていた。

 僕はそんな彼女の方に手を差し出す。


「暮林さん」

「っ、えっ、あっ……え?」


 クラスメートに名を呼ばれるとは思っていなかったみたいに、暮林さんが眼鏡の奥の目を震わせていた。「時雨?」と秋山が訝しげに投げかけてきたが、気にせず彼女に笑顔を向け続ける。彼女は僕の方――左側のイヤホンをそっと外した。


「な、なにか……」

「ペットボトル、開かないんでしょ? 貸してみて」


 蓋に苦戦していた姿を見られていたことに恥ずかしさを覚えたのか、暮林さんの頬が薄紅で色付く。それを見ていたらなんだかこっちまで恥ずかしくなってきて、彼女の手元にあるペットボトルを引ったくった。

 ペットボトルの蓋に力を込めてみたものの、なかなか開かない。もしかしたら、僕は非力なのかもしれない。猫め……と再度思いつつも、ぐっと力を込めていたら秋山が肩を叩いてきた。


「なにやってんだよ時雨! カッコ悪いなあ! 一目惚れした子の前でカッコつけようとしてそれはないだろ!」

「一目惚れなんかしてないよ……茶化さないで。暮林さんに迷惑」

「ははは! ごめんなー暮林さん。ほら、時雨貸せって。開けてやっから」

「いい! 僕が開ける」

「時間の無駄だってば」

「うるさい」


 結局、僕の手からペットボトルを奪った秋山が、簡単に蓋を開けてしまった。そしてそれを笑顔で暮林さんに渡す。受け取った暮林さんの顔をじっと見ていたら、彼女はぎこちなく微笑んだ。


「ぁ、あり、がとう、ございます」


 透き通るような声に、僕は吃驚しながらも、秋山の方を向き直った。いえいえ、と言って手を振っていた秋山が、いきなり僕の胸倉を掴んで引き寄せてきた。目を見開いていたら、秋山がほぼ息に近い声を絞り出してくる。


「俺……暮林さんのことこんなに近くで見たのはじめて」

「そ、そう、なんだ。で?」

「照れながら笑った顔、すっげぇ可愛い。なんだあれ」

「……ええと、秋山、君は何が言いたいの」

「好きっす」

「僕じゃなく本人にどうぞ。ってか君が一目惚れしてんじゃん」


 秋山を押しのけて顔を横に向ける。暮林さんはペットボトルのイチゴミルクを数口飲んで、蓋を締めて机の端に置いた。もう食べ終えたのか、弁当箱を小さな鞄に片付け、それを学生鞄に仕舞い込んだ。その所作を見届けた僕はまた、彼女の名を呼ぶ。


「暮林さん、今日、秋山と僕と一緒に帰らない?」

「え」

「待っ、待て待て待て時雨! いきなり何言ってんのお前!」

「あ、そうか。女子一人だと嫌だよね……」


 教室内をぐるりと一周見回した。暮林さんに誰かが話しかけている状況がそれほどおかしいのか、色んな人と目が合っては逸らされる。皆、興味津々といったようにこちらを見ていた。非難するように見ている目もあれば、どういう気持ちがそこにあるのか、弓なりに曲がっている目もあった。

 そんな中で、一切こちらを見ていない後頭部を見つける。一番廊下側の一番前、明るい茶髪。確か、川田さんだ。彼女は一人で、机に伏していた。


「……ねぇ、川田さん誘ってみて四人で帰らない?」

「えっ」


 あからさまに嫌そうな顔をしたのは、暮林さんではなく秋山の方だ。片頬を引き攣らせた彼が首を左右に振り回す。


「俺……ヤンキー怖い……」

「外見で怖いとか決め付けなくても……。暮林さんも、良いかな? 了承してもらえるかは分からないけどさ」


 青ざめていく秋山を放置して、暮林さんに言葉を求める。彼女は僕を見ては俯き、俯いては僕を見て、不安げな色をした虹彩を震わせている。


「私……えっと、良いん、ですか? その、一緒に、帰るの。私、なんかが……」

「え、暮林さんが良いなら歓迎するんだけど。君と帰りたいから」

「っ……!? ぁ、あの……良い、です。一緒に、帰れます。明坂くんが、良いなら」

「良かった……六限が終わったら、また声かけるね。あ、それとさ、敬語じゃなくて良いよ」


 暮林さんは、終始落ち着きなく手元を弄っていた。人に話しかけられることも、何かに誘われることも、慣れていないみたいだった。その姿が、なぜか自分の記憶に重なる。

 けれど記憶自体は思い出せない。ただ、僕もそんなことがあったような、声をかけられてもどうして良いか分からない気持ちが常に胸にあったような、そんな気がした。

 僕は歪めてしまっていた目元を緩めて暮林さんから離れた。秋山の腕を引っ張って、川田さんの席まで歩いていく。

 川田さんの机を軽く鳴らして起こそうとしたが、どうやら起きていたみたいで、不機嫌そうな眠たげな目が僕を貫いた。眠り姫のように可憐だけれど鋭い目つきに、秋山が僕の腕を後ろへ引っ張る。僕は目線の高さを合わせるべく屈んだ。


「あのさ、今日、一緒に帰らない? 僕と秋山と、暮林さんの三人で帰ろうと思ったんだけど、女子一人だと良くないから」

「……私になんのメリットがあんの?」

「……秋山がご飯奢ってくれる」

「ちょっ――」

「分かった。じゃあ行く」


 今にも不満を呈してきそうな秋山の前に手の平を向けて、まぁまぁ、と宥める。行く気になってくれた川田さんにも、また声をかけると言ってから秋山を引き連れて席へ戻った。着席しても秋山はむくれているが、尤もだ。僕は机の上で両手の平を叩き合わせて、その手よりも下に沈むくらい深く、頭を下げた。勢いあまって鼻先が机にぶつかる。


「ごめん、今日は僕お金ないから、明日ちゃんと返すよ」

「いや、別に良いけどさ。先に言ってくれよ。びっくりしただろ」


 慮外なことに柔らかな声遣いが降ってきて、僕は戸惑いながら確かめるように顔を上げてみた。秋山は、もう怒っていないように破顔して、僕の額を手の側面で軽く叩いた。


「時雨はなんつーか、思い切りが良いな。良いと思うぜ、勢いでいけるの」

「あ……りがとう」


 僕もなんとか笑って返してみたが、罪悪感が肺を掻き混ぜる。よく考えれば、いや、よく考えずとも、僕は秋山を利用しているだけだ。暮林霖雨を助けるために、助けろという役目を果たすために、この人の良い少年を利用しているだけ。

 暮林霖雨を死なせないようにと必死になって勢いで突き進んでいる僕を、良いように受け取って褒めてくれた彼に、申し訳なさばかりが溢れる。

 思い切りが良い、なんて言われたのは、初めてなような気がする。僕は、どんな人間だったのだろう。少なくとも、秋山のようなタイプではなかったと思う。きっと、暮林さんに似ている人間だったんじゃないだろうか。

 そこでふと、思った。

 暮林さんを助けるために僕が選ばれたのは、彼女に似ていたからではないか、と。きっと猫は、自殺してしまう人間に共感することの出来る死者を選んだのではないか、と。

 だったら、仲を深めるのも、難しいことじゃないかもしれない。僕と彼女には、もっと、なにか共通点が沢山あるかもしれないから。

 チャイムが鳴り響いて、僕は時計を確認した。いつの間にか予鈴は鳴っていたようで、教室に入ってきた教師の姿が昼休みの終わりを告げる。机から教科書を出す生徒や、黒板の方へ向きを直す生徒達をちらとみてから、僕は隣の机を軽く指で叩いた。


「暮林さん、友達として、仲良くしよう。改めて、これからよろしくね」


 彼女にしか聞こえないくらいの小声で紡いでみたら、暮林さんが相変わらず怯えるように小さく震えて、それからとても綺麗に、絵になりそうなくらい可憐に、明るい笑顔を広げた。


「……は」


 掠れた息が、僕の咽喉から搾り出される。慌てて暮林さんに微笑を返してから窓の外へ顔を向けた。彼女に、今は上手く笑えそうになかった。

 どうしてか、胸が、痛い。肺が見えない手に握り締められて、今にも潰されそうだった。柔らかな面を作れないくらい歪んでいく口元を、片手で覆う。

 ――なに、その顔。

 僕は、堪えなければ嘲笑に似た音でそんな棘を彼女に突き刺していたと思う。お前みたいなのがそんな幸せそうに笑うなよ、なんて、そんな心の声が、僕の頭の中で響く。これは本当に、僕の気持ちなのだろうか。

 この汚い心の声を、彼女への罵りを、全て僕じゃない存在のものだと思いたかった。この借り物の肉体が、そんな風に言っているのだと。

 静かに、人知れず大息を、長く長く吐き出す。ふう、と、ずっと息を吐いていれば、この胸を炙る汚い声を、全て空気に溶かしてしまえると信じて。

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