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カペ谷ベル子の振袖

作者: 泉野 戒

Script少女のべるちゃんにて公開しているノベルゲーム「カペ谷ベル子のベース」の後日談です。

https://www.novelchan.wgt.jp/7538/

 俺は無神論者だ。そして友達がいない。


 この2つは一見して無関係だが、合わさると1つの結論を生み出すこととなる。


 それはつまり、俺は初詣には絶対行かないという結論だ。


 ただでさえ寒い冬の日に、わざわざ外へ出て何のご利益があるんだかわからない鈴を鳴らす価値がどこにある。友達がいるんなら付き合いの一貫としてそれもまだわかるが、1人で行っても虚しいだけだ。


 だから俺にとって、1月1日はいつもと変わらない冬休みの1日でしかない。これまでがそうだったし、これからもずっとそうだ。


 そのはず、だったんだが……


【マダオ】

「っへぶし!」


 冬の寒いなか、俺は行くはずのなかった初詣へと出向くべく外を歩いていた。


 粉雪が微かに宙を舞う。冬休みをずっとコタツの中で過ごしていた人間にとって、この寒さは身に堪える。


 正直言って、今すぐ帰りたい。帰ってコタツでぬくぬくしたい。


 だが、そうするわけにはいかなかった。今年はどうしても初詣に行かなくてはならない。去年までとは違うんだ。


 別に俺が仏教に目覚めたわけじゃない。いや、この場合は神道か? 何にせよ宗教は関係ない。あと友達も出来てない。泣きたい。


 相変わらず無神論者でぼっちな俺が、それでも初詣に出向く理由。それは……


【ベル子】

「くらま、くん?」


 声をかけられて、後ろを振り向く。振り向く前に、ちょっとばかり心構えが必要だった。


 平常心を保つための、心構えが。


【ベル子】

「大丈夫? 寒い?」


 そこには、天使がいた。


 ……いや、和服だからその表現はおかしいんだが、それ以外に言葉が見つからなかった。


 天使。いや、ベル子だが。今日のベル子は、いつも来ている私服ではなく、かといって制服でもなく、色鮮やかな和服を身につけていた。


 水色を基調としたその着物は、物静かなベル子の魅力を余すことなく引き出している。結い上げた髪の下から覗くうなじは、後ろに立てばそこにしか目が行かないに違いないと断言できる。


 ある程度似合うだろうと予想はしていたが、ここまでとは思わなかった。まるでベル子のために一から仕立てられたみたいだ。文化祭のときの服も相当やられかけたが、これはまた別の魅力があった。


【ベル子】

「寒いなら、上着を取りに帰っても、いいけど」


 返事をしない俺の意思をどう受け取ったのかは知らないが、ベル子がそんな風に続けてきた。


 俺は慌てて取り繕う。


【マダオ】

「い、いや、寒くねえよ、これぐらい。ベル子こそ、その格好で寒くないか」


【ベル子】

「うん。だいじょうぶ。羽織、着てるから。それに……。…………」


 と、そこで。


 ベル子が不自然に言葉を詰まらせた。


 俺たちの間だと沈黙が続くのはいつものことなんだが、どうも今はいつものそれとは訳が違うようだ。ベル子の目が若干泳いでるし、手が不自然にふらふらしてる。


 どうしたんだろうかとしばらく見守っていると、やがてベル子は決意を固めたかのように手をぎゅっと握りしめ、それから顔を伏せて、言った。


【ベル子】

「やっぱり、ちょっと寒い、から……」


【ベル子】

「その……手、を……その……」


【ベル子】

「握って、ほしくて……」


 そこまで言われて、ようやく俺は気づいた。


 というか、思い出した。


 ベル子と話すようになって間もない頃、俺たちが、初めて手を繋いだときのことだ。


 確かあのときも、寒いから手を繋ぐとか繋がないとか、そんな話から始まったんだったよな……。


【マダオ】

「はは……」


 思い出すと、なぜだか笑えてしまった。そんな面白いことはないはずなのに、ベル子との思い出は思い返す度にいつも笑いが零れる。


 俺のその笑いに小馬鹿にされているとでも思ったのか、顔を上げたベル子はちょっとだけ傷ついたような顔をしていた。別にベル子のことを笑ったわけじゃないってのに。めんどくせーヤツだよ、ったく。


【マダオ】

「ほらよ」


 特に弁解するでもなく、俺はベル子の手を取った。


 まるで何てことないみたいに振舞ったが、内心は緊張で心臓が暴れ回っていた。ベル子とはこれまで何度も手を繋いできたってのに、それでもやっぱり、これは緊張する。


【ベル子】

「…………」


 ベル子の表情が、傷ついた顔からふくれっ面に変わった。最初は全部無表情に見えたその顔は、今じゃ随分と変化がわかるようになってきた。


 そして同時に、その顔の下でベル子が考えてることも少しずつわかるようになってきた。


 そのふくれっ面が、ただの照れ隠しなんだってことも。


【マダオ】

「…………」


 2人の冷えた手が、少しずつ温まっていく。


 ベル子の指先は相変わらずゴツゴツのガサガサで、だけどそんなベル子の手が、俺はたまらなく愛おしかった。


 ベル子のこの手を握れるのは、俺だけだ。ベル子のベースはたくさんの人が聴けるけど、この手を握れるのは俺だけなんだ。


 できたら将来ベル子が有名になっても、握手会とかだけはやめてほしいなあとか思ってる自分がいる。この手だけは、いつまでも俺専用にしておいてほしいって。


 だってベル子は、俺の恋人なんだから。


 ――相変わらず無神論者で、友達もいない俺が、今年からは初詣に行かなくてはならない理由。


 それはもちろん、ベル子っていう恋人ができたからに、他ならなかった。




【マダオ】

「じゃあやっぱり、その服は鈴音さん(ベル子母)に着せてもらったんだな」


【ベル子】

「うん、そうだけど……やっぱりって?」


【マダオ】

「そりゃあベル子には、そんな複雑な帯は締められそうにないからな」


【ベル子】

「……、そんなこと、ない」


【マダオ】

「そうか?」


【ベル子】

「そう」


【マダオ】

「ふーん」


【ベル子】

「…………」


【マダオ】

「…………」


【ベル子】

「……練習、すれば」


【マダオ】

「やっぱり無理なんじゃねえかよ」


 ベル子も、この3ヶ月で随分変わったと思う。


 出会った頃は、もっと口数が少なかった。今みたいに必要以上に言い返してくることはなかった。


 それが今では、かなり赤裸々に内心を話してくれている。それだけ信頼してくれてるってことなのか……たまにウザイと思わないでもないが、どっちかというと俺は今のベル子のほうが好きだ。


【マダオ】

「にしても人多いよな。別の時間にしたほうが良かったんじゃないか?」


【ベル子】

「元旦は、いつ来てもこんな感じ」


【マダオ】

「そうなのか? だったらいっそ、正月じゃないときに来たらいいんじゃないか? 初詣」


【ベル子】

「そうね。確かにそれなら、人も少ないかも」


【マダオ】

「だろ?」


【ベル子】

「うん」


【マダオ】

「…………」


【ベル子】

「…………」


【マダオ】

「それじゃ初詣になんねえだろっ!!」


 我慢できずに、結局自分でツッコむことにした。


【ベル子】

「……びっくりした。どうしたの?」


 心底訳がわからないという風に俺を見るベル子。そうだよな。わざとしてるわけじゃないんだよな。


【マダオ】

「いや、ほんと、ほんとにさ。たまにはベル子もツッコんでくれよ。自分でボケて自分でツッコむこの悲しみを、ちょっとはわかってくれよ……」


【ベル子】

「ごめんなさい。よく意味がわからなくて」


 だろうな。悪気があるわけじゃないんだよな。だから余計に始末に負えないんだよな。


 ベル子のことは大好きだが、こういうところはどうにかならないかって思う。何て言うんだろうな。どんなギャグを言っても滑らされてるような、そんな虚しさがあるんだよな。


【マダオ】

「はぁ……」


【ベル子】

「…………?」


 何もわかってない顔で首を傾げるベル子。


 そんなベル子を見て、ああもう可愛いなくそと思いつつも、俺はもう一度ため息をついた。




 人混みのような行列の終点にようやく辿り着いて、俺とベル子は鈴と賽銭箱の前に立った。


 俺は5円玉を、ベル子は1円玉を投げ入れて鈴を鳴らし、パンパンと手を合わせる。


 最初にも言ったが、俺は去年までは初詣なんてしたことがなかった。だからお願いするにしても、どれくらいの時間するものなのかがよくわかってない。


 だからベル子に合わせようと思って、お願いしながらも横目でベル子を見てたわけだが……(決して邪な理由とかで見てたわけではない)。


 俺が思ってた以上に短い時間で、ベル子はあっさりと顔を上げた。俺のほうをじっと見つめてくるので、なんとなく俺は頷いて、ベル子の手を引きつつその場を離れることにした。


 並んでいた時間は、およそ30分。それに対してお参りしていた時間は10秒もなかった。


 割に合わないと思うのは、俺だけなんだろうか?




【マダオ】

「ベル子は、何をお願いしたんだ?」


【ベル子】

「それは……ベースを、上手くなりますようにって」


【マダオ】

「なんか普通すぎてつまんねえな……」


【ベル子】

「そう?」


【マダオ】

「ああ」


【ベル子】

「そう……」


【マダオ】

「…………」


【ベル子】

「つぎ、どうするの?」


【マダオ】

「いや、今のは話の流れ的に『くらまくんは?』って聞き返すとこだろ」


【ベル子】

「そうなの?」


【マダオ】

「そうなの」


 少し下を向いて考え込むベル子。光り輝くうなじに「俺の彼女は世界一ィィ!!」と叫び出したくなった。


【ベル子】

「でも……いくら恋人でも、人のプライベートに踏み込むのはよくないし」


【マダオ】

「はい来ましたよ当てこすり! 間接的なようでかなり直接的な毒舌攻撃! ……え、なに、ベル子。俺のことをプライベートにズカズカ踏み込む嫌な奴だと思ってたの?」


【ベル子】

「そんなこと、ないけど」


【マダオ】

「だよなだよなー。あー、良かった。危うくベル子に嫌われたのかと……」


【ベル子】

「くらまくんのことは、いい人だとは思ってるわ」


【マダオ】

「あっれれ〜? おっかしいぞ〜? 褒められてる気がしないな〜? なんでだろ〜?」


【ベル子】

「それにもしかしたら、エッチなお願いかもしれないし」


【マダオ】

「新年にエロいお願いするとか、そんないい人がいてたまるかっ!」


【ベル子】

「くらまくんは?」


【マダオ】

「確かにその質問してほしいって言ったけども! 言ったけどもタイミング! タイミングをもうちょっと考えて!」


【ベル子】

「お願い、なにしたの?」


 ツッコミを華麗にスルーするマイペースな彼女。だけどこれぐらいは平常運転だ。


 マイペースにはマイペースを。俺は咳払いを1つしてから、できる限りのキメ顔を形作る。


 そして、言った。


【マダオ】

「ベル子と、ずっと一緒にいられますようにって」


【ベル子】

「…………」


【マダオ】

「…………」


【ベル子】

「…………」


【マダオ】

「べ、ベル子さん……?」


 あ、あれ? 無反応?


 もっとこう、照れて顔を伏せるとか、そういうリアクションを期待してたんだけど? まさかの無表情でフリーズ?


 どうしよう。俺、そんな変なこと言ったか? 確かによくよく考えたらちょっと痛いお願いのような気もするし……もしかして、本人相手にドヤ顔で言うようなことじゃなかったのか?


【ベル子】

「………………私」


【マダオ】

「お? あ、おかえりベル子。悪い、さっき言ったのは忘れて……」


【ベル子】

「私、もう1回……」


【マダオ】

「へ?」


【ベル子】

「もう1回、お参りしてくる……」


【マダオ】

「いや待て待て待て! さっきお参りしたばっかだから! また30分も並ぶとか勘弁だからぁ!!」




 本気でもう一度行列に並ぼうとするベル子を何とか説き伏せて(俺がお願いしといたから大丈夫だって)、俺たちはのんびりとその辺を歩いて回ることにした。


 何せ俺は初詣とか初めてだから、お参りしたあと何をすればいいのかよくわからない。ベル子なら知ってるのかと思ったら、向こうも似たり寄ったりみたいだ。


 もしかしたら、お参りが済んだらもう帰っても良かったのかもしれない。だけどそうだとしても、俺はもうしばらくこうしていたかった。


 むさくるしい人混みのなかを、ベル子と手を繋いで歩く。


 言葉にすればそれだけのことが、俺にとってはこの上なく幸せだった。


【ベル子】

「くらまくん」


【マダオ】

「ん? どうした、ベル子」


【ベル子】

「あれ、なに?」


【マダオ】

「あれって……ああ、絵馬か」


【ベル子】

「絵馬って?」


【マダオ】

「あれに願い事とか書いて飾ったら、その願い事が叶うんだとさ」


 まあラノベの知識だけで、実際に書いたことないんだけどな、俺も。


【ベル子】

「願い事、叶うの?」


【マダオ】

「そう言われてるってだけで、本当に叶うわけじゃないんだろうけど」


【ベル子】

「そう……」


【マダオ】

「えーっと……やってくか?」


 ベル子が、こくんと頷く。


 さっきのお参りの件といい、案外ベル子は縁起をかつぐタイプみたいだった。知らなかった。俺は全然信用してないんだけどな、こういうの。


 人混みを掻き分けて絵馬の売り場まで行く。売り子は、巫女服を来た女の人だった。あの服、ベル子が着たらきっと似合うんだろうな……。


【ベル子】

「くらまくん?」


【マダオ】

「あっと悪い。ぼーっとしてた。えーっと……絵馬、2枚ください」


【****】

「はい。1,000円になります」


【マダオ】

「1,000円ですね。はい、これで……」


【ベル子】

「まって」


 財布を取り出し今まさにお金を払おうとしていた俺の手を、ベル子が掴んだ。


 見ると、ベル子の目がぎらりと光っていた。なんだどうした。どこでスイッチが入ったんだベル子さんや。


【ベル子】

「1,000円?」


【マダオ】

「あ、ああ。1,000円らしいな。1枚500円だ」


【ベル子】

「1枚、500円……」


 俺の腕を掴んだまま、ベル子は考え込むように顔を俯ける。


 そしてそのまま、なかなか動いてくれない。


 目の前の巫女さんが目線で俺に問いかけてくる。後ろには次のお客さん。


 やばい、と、俺のなかで警鐘が鳴った。


【マダオ】

「ベ、ベル子? 考え事するならとりあえず向こうへ行こうか? すみません、絵馬はまた後で買いに来ます。し、失礼しましたー」


 俺の腕を掴むベル子の腕を逆に掴み返して、俺は速やかに、かつ少々強引にその場を離れた。


 呆気に取られた巫女さんの目が痛い。こんな赤っ恥をかいたのは、久しぶりかもしれない。


 あと、すいません、見知らぬ巫女さん。


 後でって言ったけど、たぶんもう、買いに来ないと思います……。




【マダオ】

「ほんっっっとにやめてくれ、頼むから。恥ずかしいなんてもんじゃないから」


【ベル子】

「……ごめん、なさい」


 境内を降りて、人混みから少し離れた場所。そこでキツめにベル子を叱りつけると、予想以上に落ち込んだ声で謝られてしまった。


【マダオ】

「あ、いや……まあ、そんなに気にすることはないけどさ。俺も、ちょっと高いなって思ったし」


 さっきベル子が考えてたのも、たぶんそんなところだろう。


 1枚500円。木の板1枚で。


 もちろん、単純な材料費だけで考えるのは間違ってるんだろうけど、それでも俺みたいな人間からすると、ただの願い事にその値段は気が引ける。


【マダオ】

「だけど、ベル子までそんな風に考えるなんて意外だな。もっと縁起をかつぐタイプなのかと思ったんだが」


 そう、まさについさっきそう思ったばかりだったから、余計に意外だった。


 いったいベル子は、どっちなんだろう? 縁起をかつぐタイプなのか、かつがないタイプなのか。


【ベル子】

「お願いは、したい、けど……」


 まだちょっとしおらしさの残る声で、ベル子は言った。


【ベル子】

「お金は、かけたくない、から……」


【マダオ】

「うん。しおらしい声でかなりエグいこと言ってんなお前」


【ベル子】

「だって、1,000円もあったら、にるげそプリンが何個買えるか……」


【マダオ】

「そこでプリンと比べるのかよ」


【ベル子】

「にるげそプリン、食べたい」


【マダオ】

「そっか。もうお願いとか、どうでもよくなったんだな……」


 結論。


 ベル子はそんなに、縁起をかつがない。




【マダオ】

「足元、大丈夫か? 木の枝とかに引っ掛けないように気をつけろよ? その服高そうだし」


【ベル子】

「くらまくん、お母さんみたい」


【マダオ】

「お前が色々迂闊すぎんだよ。それこそその服1着で、にるげそプリンが何個……いや、何十……何百?」


【ベル子】

「ん、気をつける」


 俺たちは、森の中を歩いていた。毎度お馴染みの、秘密基地へと続く道だ。


 お参りのあと、ベル子の要望通りにるげそプリンを買った俺たちは、プリンをどこで食べるかという話になって、結局はいつもの場所でということで落ち着いた。


 本当言うと、プリンを食べるだけならもっと近場で済ませられた。


 だけどそれはそれ。俺たちにとってあの場所は特別な場所で。それに多少遠くても、その分ベル子と一緒に過ごせるんだと思うと悪くない。


 足元に気をつけろと言った俺の言葉を受けて、ベル子は左手で着物の裾を少しだけたくし上げた。ちなみに右手は俺が握っている。


 こんなこと言うと新年から煩悩まみれかよとか思われそうだが、正直、たくし上げた裾から覗くベル子の脚が堪らなかった。見ないようにと思っても、ついつい目がそっちへ行ってしまう。俺のほうが転びそうだった。


 足元に集中、足元に集中と念仏のように唱えていると、ようやく開けた場所へ辿り着いた。俺たちの、秘密基地だ。


【マダオ】

「ふぅ、なんとか着けたな」


 本当に、なんとかって感じだった。ここへ来るのにこんなに疲れたのは初めてだ。主に、精神的な方面で。


 一息ついてから後ろを振り返ると、ベル子はすでにコンビニ袋をガサガサやっていた。早い。ベースとプリンに関することだけは人一倍早い。


【マダオ】

「待て待てベル子。お前、立ったまま食べる気か?」


 プリンとスプーンを片手に、ベル子は首を傾げた。何か問題が? とでも言いたげだ。


【マダオ】

「まずは落ち着けよ。そんで座れ。ほら、ここに」


 言いながら俺は、切り株の上にハンカチを敷いた。


【ベル子】

「…………」


 ベル子が、俺の敷いたハンカチをじっと見つめる。わかってるっつの。らしくない恥ずかしいことしてるってのは。


 だけど、仕方ねえだろ。そんな出で立ちのベル子をそのまま汚いところに座らせるわけにいかないんだから。


【ベル子】

「…………、」


【ベル子】

「ありがとう……」


 「どういたしまして」と言いながら、俺は顔を背けた。


 やべえ。顔が熱い。ただでさえ今日のベル子にはドキドキしっぱなしだってのに、何なんだよこの変な雰囲気は。


【ベル子】

「くらまくん」


 トントンと肩が叩かれる。振り返ると、ベル子がコンビニ袋を差し出していた。


【ベル子】

「くらまくんの、プリン」


【マダオ】

「お、おう……」


 いつの間に、買ったんだろう。


 実を言うと、俺はそこまでプリンが好きってわけじゃない。だからさっきも、ベル子の分だけ買えばそれでいいかと思って、買わなかったんだけど……


 まさか、ベル子が俺の分を買ってくれていたとは。


 プリンはそこまで好きじゃない。好きじゃないけど……それでもこのプリンだけは、しっかり味わって食べようって、そう思った。


【マダオ】

「サンキュ、ベル子」


【ベル子】

「ん」


 ベル子はもう、にるげそプリンに夢中だった。プリンをじっと見つめて、一口口に入れて、味わうように目を閉じる。俺のことなんて、今はどうでもよさそうだった。


 そんなベル子に苦笑しながらも、俺はコンビニ袋に手を入れ、プリンを取り出した。


 そうして出てきた、それは……


【マダオ】

「…………」


 1個80円の、安物プリンだった。


挿絵(By みてみん)




【マダオ】

「ちょっと遅くなったな……鈴音さん、心配してたりしないか?」


 帰り道の道すがら。


 森を抜けて多少気を抜いたところで、俺は時計を見ながらそう言った。


【ベル子】

「大丈夫、だと、思う」


【マダオ】

「一応連絡入れとけよ。携帯、持ってるか?」


【ベル子】

「もってる」


 巾着袋から携帯を取り出して、ベル子は電話をかけた。驚くことにと言うべきか案の定と言うべきか、ベル子はほとんど喋らずに「うん、うん」だけしか言っていなかった。


 しばらくしてから電話を切ると、ベル子は俺に向けて言った。


【ベル子】

「くらまくんに、よろしくって」


【マダオ】

「そっか。鈴音さん、心配してたか?」


【ベル子】

「そんなにしてなかった、と、思う……」


【マダオ】

「……どうかしたのか?」


 ベル子のこの感じは、何か言いたいことがある感じだ。それぐらいはわかった。この3ヶ月、伊達にベル子の彼氏やってたわけじゃない。


【ベル子】

「その……前から、気になってたん、だけど……」


【マダオ】

「なんだよ?」


【ベル子】

「くらまくんって、どうしてお母さんのことを名前で呼ぶの?」


【マダオ】

「ぐっ……!」


 そこを、聞かれるのか。今、ここで。


 ずっとスルーされてきたから、ベル子のなかで消化できてるんだとばかり思ってた。


 でも、そうだよな。普通同級生が自分の母親のことを名前呼びしてたら、変に思うよな。


 俺は必死に頭を回転させて、言葉を探す。別にやましいことなんかないんだから、ありのままを言えばいいはずだ。ただ、話運びだけは間違わないように……


【マダオ】

「そ、その、さ。最初はちゃんと『おばさん』って呼んでたんだよ。だけどそうするとあの人、なんか拗ねちゃって」


 完璧な大人だと思ってた鈴音さんの、意外な一面を見た瞬間だった。子供みたいなその素振りを見たとき、「やっぱりベル子の母親なんだな」と変なところで納得したものだ。


【マダオ】

「だけど『お母さん』とかはちょっと俺が恥ずかしいし、仕方ないから『鈴音さん』って呼んでみたら、あの人すっごい喜んじゃって……」


 もう本当、飛び跳ねんばかりに喜んでいた。何がそんなに嬉しいのかってほどに。


【マダオ】

「それで今も、鈴音さんと呼び続けてる次第ですはい……」


【ベル子】

「…………」


【ベル子】

「そう」


 ベル子の反応は、淡白だった。


 でもわかる。ベル子歴3ヶ月の俺だからこそわかる。


 これは、ちょっと怒ってる。


【ベル子】

「お母さんと、仲、いいのね」


【マダオ】

「いやいや、待てよベル子! そこでお前が怒るのは違うだろ! 別にこれは浮気とかじゃなくて……」


【ベル子】

「私の、お母さんなのに」


【マダオ】

「怒ってるのそっち!?」


 まさかまさかの逆ヤキモチだった。


 これってつまり、俺よりも母親のほうが大事ってことにならないか……?


【マダオ】

「お、おい待てよベル子……!」


 どうやら本気で機嫌を損ねたみたいで、ベル子は早足にずんずん先へ行ってしまう。俺の制止の声にも、耳を貸してくれない。


【マダオ】

「待てって、ベル子! そんな格好でそんな急いだら……」


 と、言ったまさにその時だった。


 ベル子が服の裾に足を引っ掛けて、転んだ。


 それはそれは見事に、漫画のような転び方だった。


【マダオ】

「ベ、ベル子!? 大丈夫か!?」


 慌てて駆けつける。


 ベル子が、転んだまま地面の上で突っ伏して動かない。まさか気絶したのかと思って抱き起こすと、目はぱっちり開いていたし、気絶したわけじゃなさそうだった。


 ただ、その額と鼻の先が、赤く腫れ上がっていた。


【ベル子】

「…………」


 ベル子の目尻に、じわっと涙が浮かぶ。


 こんなときにアレだが、ちょっとだけ、可愛いと思ってしまった。


【マダオ】

「だ、大丈夫か? 歩けそうか? 救急車呼ぶか?」


 ベル子がふるふると首を振る。


 そして、俺の服をぎゅっと握る。まるで、小さい子供みたいだ。


【ベル子】

「痛、かった……」


【マダオ】

「そうか」


【ベル子】

「うん……」


 見ると、ベル子の下駄は鼻緒が切れていた。


 ここでちょいちょいっと直せたらカッコいいんだが、あいにくと俺はそんなスキルを持ってない。


 となれば、選択肢は1つしかない。


【マダオ】

「なあ、ベル子。お前さえ良かったら、なんだけど……」


【ベル子】

「…………」


【マダオ】

「……家まで、おぶってこうか?」


【ベル子】

「…………」


 ベル子は、目尻に涙をためたままで、こっくりと頷いた。




 知っての通り俺はインドア派で、体力にはあんまり自信がない。


 だからベル子をおんぶするって言ったときも、内心では家まで持つかどうか不安だった。しかし……


 俺の思ってた以上に、ベル子は軽かった。羽のようとまではいかないが、いつもあんなバカでかい弁当を食べてるのが信じられない程には、軽かった。


 だから俺は、体力に関しては、そこまで気にする必要はなかった。


 で。


 体力を気にする必要がないとなると、必然的に別のことが気になってしまうわけで……


【ベル子】

「くらまくん、だいじょうぶ?」


【マダオ】

「だ、大丈夫だ。問題ない」


【ベル子】

「でも、息があらい……」


【マダオ】

「あ、荒くない荒くない! 俺いつもこんな感じだから! ただの動悸息切れの救心だから!」


 もちろん、俺にそんな持病はない。


 重さ的にも息が切れるほどじゃないし、そもそも歩き出してからまだそんなに経ってない。


 それなのに、俺の息があがっているのは……


【マダオ】

「(ベ、ベル子が……! ベル子の身体が、俺の背中に……!)」


 今までに経験したことのない密着具合に、欲情してるだけだった。


 ……いや、だけどこれは多めに見てほしい。だって、この状況。


 自分の好きな女の子の色んな柔らかいところが背中に当たっていて、時折くすんとか鼻をすする音が聞こえたりして、そんでまた石鹸のいい匂いがしたりして……


 年頃の男が、これで欲情しないわけがない! むしろそんなヤツはホモ認定するまである!


 せめて、せめて紳士的にと、身体をできるだけ揺らさず、かつ歩くことだけに集中してみたが、それでもやっぱり背中の柔らかさが気になって仕方なかった。


【ベル子】

「…………」


 ベル子の手が、俺の服をぎゅっと握るのを感じた。


 無神論者の俺だが、今この時ほど、念仏を唱えたいと思うことはなかった。




【マダオ】

「やっと、着いた……」


【ベル子】

「…………」


 さっき秘密基地に着いたときを上回る疲労感で、俺はベル子の家に辿り着いた。


 心底ぐったりしていた。まさかこんな濃い1日になるとは思わなかった。今すぐ自分の家に帰って休みたい。


 だけどその反面、ここでベル子を降ろすことを名残惜しく思ってたりもするんだから、俺ってヤツも相当だ。


 とは言え、本気でこのまま無駄に突っ立ってるわけにもいかない。俺は腰を下げて、ベル子を降ろした。


【ベル子】

「……ありがとう」


 お礼を言いながら、ベル子が離れる。その動作がいつもよりゆったりしている気がして、もしかしたらベル子も名残惜しいって思ってるのかなとか、そんな風に考えた。


【ベル子】

「それじゃあ、また」


【マダオ】

「おう、また。鈴音さんによろしくな」


【ベル子】

「それは、いや」


【マダオ】

「まだ怒ってんのかよ……別に取ったりしねえって」


【ベル子】

「怒って、ない……」


 いやいや怒ってるだろと言いかけて、俺は考え直した。そんなこと言ったってベル子はどうせ認めないし、それに早く家で休ませてやったほうがいい。


 だから俺は、今日1日、ずっと言いたいと思ってたことをここで言うことにした。


【マダオ】

「なあ、ベル子」


【ベル子】

「……なに?」


【マダオ】

「ほんと、今更だけど、その……今日着てる、その浴衣さ」


 言いたかった。最初に見たその瞬間に、言いたかったこと。


 だけど照れ臭くて言えなかった、その、一言。



【マダオ】

「すっげえ、似合ってるぜ」



【ベル子】

「…………」


【マダオ】

「じゃあ、またな。転んだこと、ちゃんと鈴音さんに言えよ」


 そう言って俺は、自宅へと歩き出した。照れ臭さを誤魔化すためにも、ちょっとだけ、早足で。


 俺は一度も振り向かなかった。振り向けなかった。ベル子がどんな顔をしてるのかは気になったけど、それよりも、照れ臭さが上回っていた。


 だけどきっと、ベル子も俺と同じくらい顔を赤くして、それで俺の背中を見てるんだろうなと。そうだったらいいなと、そんなことを願って、想像して……


【ベル子】

「…………これ、浴衣じゃなくて、振袖……」


 そんなベル子の声は、聞こえなかったことにした。


挿絵は、トヲヤマカさんに描いていただきました。

というより、今回の後日談そのものが、このイラストに触発されて書き下ろしたものです。

トヲヤマカさん、素敵なイラスト、どうもありがとうございました!

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