毒花姫は竜公爵に餌付けされる
本編3話、番外編2話の計5話です。
2/2の19時、21時、23時。
2/3の7時、13時に更新して完結です。
少しの間ですが、お楽しみください。
エメラティーナは、国一番の美姫として褒めそやされる王女だ。
翡翠色の髪は緩やかにウェーブを描き、日に当たれば透けて見えるほど。
金色の瞳がまたたけば、星の輝きのようだと言われた。
肌も白く、かと言って不健康というわけではない。肢体も豊満だが、決して太っているわけではないという、魅惑の美貌を持っていた。
しかしそんな彼女には、欠点があった。
その美貌に嫉妬した魔女が、「もし異性に触れたならば、相手は毒に侵され死んでしまう」という呪いをかけたのである。
その呪いのせいでエメラティーナは王族としての義務を果たすこともできず、なおかつ結婚すらできなかった。
家族からは疎まれ、周囲からは怖がられ、離宮に少数の侍女とともにこもり過ごす日々。
昔は「妖精姫」と呼ばれていた彼女が、触れれば死ぬ「毒花姫」になったのだという噂が広がるのに、そう時間はかからなかった。
むしろ観賞用の人形として、お飾り扱いされる日々。
そんな日々が続き、エメラティーナは疲れ切っていた。
ゆえにいっそのこと、死ねたらいいのに、と思う。
毒花姫を娶ろうなどという酔狂な輩は、そう多くないのだから――
――そう。エメラティーナは、触れれば死に至るという毒花のような呪いをかけられたはずだった。
(……そのはずなのだけれど、これはどういうことかしら……)
エメラティーナは、寝起きのまったく働かない頭でぐるぐると考える。されどその間にも、抱き締める力は強くなっていった。少し身じろいだだけで、決して離すまいと言わんばかりに拘束がきつくなる。しかも、痛いわけではないから不思議だ。
エメラティーナは胸元に手を当て、ぎゅうっと拳を握り締めた。
心臓がばくばくと大きな音を立てているのが、自分でも分かる。されど誰かに気安く触れられるのは久方ぶりで、頭が混乱しているのだ。
しかもそれが美貌の人とくれば、心臓はなおのことうるさくなる。
(結婚前は何もかもどうでも良くて、顔を見ようとも思わなかったけど……改めて見返すと、本当に綺麗)
瑠璃のような髪がシーツの上に散らばり、宝石のようだ。
顔も中性的だが整っており、まつ毛も長い。自分自身も言われたことがある「触れたいが触れられない美しさ」というやつを目の当たりにするとは、思ってもみなかった。
エメラティーナの場合、それは妖精のような美しさと毒花のような呪いを揶揄して使われていたが。
レキュロスの場合、それは言葉通りの意味として使える。
エメラティーナは「絶対に動くまい」と自分に言い聞かせながら、息をひそめていた。
レキュロスの姿をそのまま見ていたかったというのもあるが、それ以上に嬉しかったのである。
レキュロスの体温はエメラティーナよりも低いため少しひんやりしているが、触れている場所の感触はとても柔らかい。その感覚が、呪いのせいで蔑ろにされ続けた彼女の心にそっと染み込んでいったのだ。
泣きたいほど嬉しいことなど、これから先ないと思っていた。
エメラティーナはこれから死ぬまで、お飾りとして人形のように生きていくと。そう思っていたのだから。
それゆえに、エメラティーナは自身を見つけてくれたレキュロスに心の底から感謝する。
相手が性別という概念を持たない竜族種だろうが、どうでもいい。
だってレキュロスは人間よりも優しく温かく、まるで宝石のように、エメラティーナを扱ってくれるのだから――
***
ステラレーム帝国。
ここは獣人たちが国を治める、他の国から見れば変わった場所だった。
されど人間などよりも力が強く武力があるため、それ相応の戦力を持ち合わせている。ゆえに近隣諸国は、争いを恐れて平和条約を結んでいた。
エメラティーナが嫁いだのは、そんなステラレーム帝国で公爵位を持つレキュロスという竜人だ。
竜人は希少種ゆえ、さほど数がいない種族である。そのうえ大抵の個体が「中性」であるため、性別という概念を持たないのが当たり前だった。
ただ変わっているのが、美しいものが好きだということ。
そして一目惚れした種族ひとりを、死ぬまで愛し続けるということだ。
竜人属たちにとっての恋愛とは、子を成すためのものではなく寂しさを埋めたり、美しいものを愛でたり慈しんだりする感情らしい。
エメラティーナはそれを嫁いできてから説明されたとき、たいそう驚いた。
(でも、レキュロス様が中性種だからこそ、わたしの呪いも効かないのだし。レキュロス様としても、美しいものを愛でられて幸せなのでしょうし。結婚して良かったわ)
エメラティーナはそう思いながら、着替えをしていた。
着替えを手伝ってくれるのは、祖国から唯一付いてきてくれた侍女・ユリアである。栗色の髪をきっちりとお団子にした彼女は、今日もぴしっとした身なりだった。顔はとても愛らしいのに、仕事はきちっとこなす敏腕侍女である。
ユリアはエメラティーナが物心つく頃からともにいる侍女で、エメラティーナが呪いにかかったと知っても離れていかなかった唯一の人だ。
彼女は鼻歌交じりに髪を梳かしている。
「ティーナ様、素敵な旦那様で良かったですね〜ほんと」
「ええ。ただお人形のように飾られているよりも、ああやって触れてくださる方がよっぽど幸せよ」
「はい。ティーナ様をしっかりと人として扱ってくださるところは、本当に素晴らしいと思います。ですが……」
ユリアは髪をいじりながら、言葉を濁した。
エメラティーナはユリアの顔が歪むのを鏡越しに眺めながら、内心首をかしげる。
「どうしたの? ユリア」
「いえ、その……お人形扱いなのは、変わらないのかもしれないなーと。そう思いまして」
そう言われ、エメラティーナはああ、と声をあげた。
そういえば、ユリアは昔から、「ティーナ様が幸せなのが一番です! ティーナ様を心の底から愛してくださる方がお相手なら、ユリアも幸せですから」とよく言っていた。
それがまさか呪いのせいで、邪魔されるなどとはつゆほども思わなかっただろう。そのうえエメラティーナが「美しいから」という理由だけで愛でられているのを見ると、とても複雑なのではないかと、エメラティーナは結論づけた。
そんなユリアの不満を払拭するべく、エメラティーナは微笑む。
「ユリア。わたし、今とても幸せよ」
「ティーナ様……」
「確かにレキュロス様がわたしを大切にしてくださるのは、お人形遊びの延長線なのかもしれないわ。でもね、ユリア。レキュロス様は呪いがかっていると分かっていても触れてくださるの。女は呪いにかからないはずなのに、ユリア以外の侍女はまるで触れたがらなかったのにね」
だからわたし、今とても幸せなのよ。
その言葉は、エメラティーナの本心から溢れたものだった。
祖国にいても、エメラティーナは煙たがられるだけだったからだ。女にはかからないはずの呪いなのに、侍女たちは世話をするのを嫌がったのだから。
まるで汚物に触れるかのような態度に、エメラティーナの心は当たり前のようにすり減っていった。
しかしレキュロスがいる公爵家の使用人たちは、皆エメラティーナを彼の妻、伴侶として扱ってくれた。
ユリア以外で身の回りの世話を焼いてくれるメイドたちの態度を見て、はじめは訝しんだほどである。
されどエメラティーナの周りには極力女だけを置き、不自由ない生活をさせてくれるレキュロスの配慮を見て、疑いは徐々に消えていった。
そう。エメラティーナは今、とても幸せなのである。
ただ困った点があるとすれば、寝るのは必ず一緒で、その上抱き枕のように扱われる点だろうか。
夫婦なのだから別に構わないのだが、いかんせん恥ずかしい。
にもかかわらずもっと触れて欲しいと思ってしまう自分がいることに、エメラティーナはひとり恥じていた。
(レキュロス様はわたしを、そういうふうな対象として見ているわけじゃないのに……)
なんて節操がないのだと、エメラティーナは内心反省する。
レキュロスにとってエメラティーナは、愛玩人形なのだ。それだけは忘れてはいけない。
そう自分に言い聞かせながら、エメラティーナは支度を整え下の階に降りる。
ダイニングルームのテーブルにはすでに、レキュロスが腰掛けていた。その手には紙が握られている。おそらく、何かの資料なのだろう。
エメラティーナは手袋で覆われた指先でスカートを摘み上げると、礼をした。
「お待たせいたしました、レキュロス様」
「……ああ。おはよう、エメラティーナ。今日もまた、愛らしいドレスですね。選んだ甲斐があります」
「……ありがとうございます。レキュロス様がくださったドレスはどれも素晴らしいので、毎朝選ぶのが楽しいです」
エメラティーナは、さらりと褒めるレキュロスの言葉に頬を赤らめる。世辞がないと分かるさっぱりとした物言いは、祖国にいた際のうわべだけのものとはまるで違って聞こえた。
優しげに見つめてくる緑柱石色の瞳もこそばゆく、恥ずかしくなる。
エメラティーナはこう感じるたびに、「自分が夫に恋をしている」という偽りない事実に直面するのだ。
エメラティーナは恥ずかしくなりながらも、使用人が引いてくれた椅子に座った。
朝食の時間である。
レキュロスは王弟だが、第三騎士団で団長をしてもいる。竜人というだけで、人間で言うところの一軍隊程度の戦力を有するため、決して欠くことができないのだ。
されどレキュロスは夕食前には必ず帰ってきてくれるし、エメラティーナも寂しい思いをしたことはない。人によっては、妻を蔑ろにして娼館に通う輩もいるというのに。
エメラティーナは朝食を口に入れ咀嚼しながら、悶々と考える。
(でも、妻としての役目を果たせていないのも事実……だってレキュロス様は、茶会にはまだ参加しなくていいとおっしゃるし……)
どうやらこの国では、夜会で一度顔出しをしてから出ないと、外に出てはいけないという決まりがあるようだ。夫人は基本的に、貞淑にあるべきという風習があるらしい。
外の世界が怖い上に人と関わるのが苦手なエメラティーナとしては嬉しい話だが、それでいいのだろうか、とも思う。
しかし外に出なければならないときが、いつか必ずくるだろう。エメラティーナはそう考えた。そうしていると、色々な不安が押し寄せてくる。
(また、変の目で見られないかしら……陰で、笑われたりしないかしら……)
そう考えるだけで、心は冷め何もかもがどうでも良くなってくる。思い出しただけで体も動かしにくくなるから、心とは不思議なものだ。
だんだんと食事が喉を通らなくなり、エメラティーナはそっと手にしていた食器を置いた。
グラスに注がれた水を飲み無理矢理押し込んでいると、レキュロスが口を開く。
「エメラティーナ」
「……はい、なんでしょうか?」
「大丈夫ですよ」
何が大丈夫なのか、とは聞けなかった。
レキュロスが心配してくれていることが、声を聞いただけで分かったからだ。レキュロスはことあるごとに、エメラティーナにそう言い励ましてくれる。
しかし今回は、それで心が晴れなかった。
エメラティーナは項垂れる。膝の上で重ねた手を、ぎゅっと握り締めた。手袋越しだと、自分の体温すら感じられないのがもどかしい。
彼女が極力露出の少ない服装をするのは、相手に触れてしまわないようにという配慮からきていた。
それが功を奏したことはなかったが。
ぼんやりとしていると、椅子を引く音が聞こえる。
音に気づき顔を上げれば、なぜか直ぐ隣りにレキュロスがいた。その手には、食べやすいように切り分けられた果実が握られている。
「エメラティーナ、口を開けてください」
「……へっ?」
「はい、あーん」
エメラティーナは流されるままに口を開き、果物を頬張った。
もぐもぐと口を動かし咀嚼し終えると、また次の果物が差し出される。エメラティーナは断るに断れず、そのままそれを食べていった。
(これは……餌付けされている……?)
どうやら、エメラティーナが食べないことを心配したようだ。
果物はとても美味しいのだが、なんだか釈然としない。恥ずかしさよりも、なんとも言えない気持ちがこみ上げてきた。
しかしエメラティーナは、基本的に少食だ。妖精姫と呼ばれていた頃は今よりも食べていたが、毒花姫になってからは申し訳なさと周囲の視線ばかりが気になり、食も細っていった。体も前より痩せ、以前と比べると魅力は欠ける。
その上食べても砂を噛んでいるかのように味がせず、楽しいと思える機会も減っていた。体の露出した服を避けるようになってから、肢体のバランスに気を遣わなくてよくなったというのもある。
様々な理由があり食が細くなっているエメラティーナは、そろそろ満腹になってきていた。
されど以前と比べて味がすることに気づき、なんだかホッとする。
エメラティーナは差し出された果実を断った。
「レキュロス様。申し訳ありません、もう、お腹いっぱいです……」
「そうでしたか。エメラティーナは細いのですから、ちゃんと食べなければいけませんよ?」
「はい……少しずつ、気をつけます」
「ええ。そのほうが、わたしも楽しいので」
「……はい?」
「エメラティーナが一生懸命果実を頬張る姿を見ていると、楽しいのです。癒されます。愛らしい妻がいて、わたしは幸せですね」
あ、これからはわたしの膝の上に乗って食べますか?
そう言われた瞬間、エメラティーナの顔に熱がのぼった。
「な、な、なっ……!」
口をわななかせ何か言おうと考えたが、抗議の言葉が思いつかない。
そうしている間にレキュロスは先ほどエメラティーナが断った果実を口に入れ、果汁がついた指先を舐めた。
別に自分の指が舐められたわけではないのに、見ているだけでぞわっと背筋が震える。
(その色気は一体どこからやってくるの……!!)
しかもレキュロスはそんなエメラティーナを見てくすくす笑い「冗談ですよ」という始末。
エメラティーナは全身をぷるぷると震わせ、恥ずかしさに耐える。
この竜人は一体、エメラティーナの心をどれだけ落とせば気が済むのだろうか。ここまでひとりのみが世界を独占するのは、初めてだった。
そう。たとえ中性種だと言われようとも。
見た目が美しく態度も今まで会ったどの令息よりも紳士的なため、異性にしか見えないのだ。
(こんなに完璧な方には、これから先会わないわ。絶対に……)
そう思いながら。
エメラティーナは心臓に悪い朝食を終えた。
――こうして彼女の一日は、静かに幕を開けるのである。