ニセモノ姫の後宮入り計画!
描きたいものを描いただけなので辻褄とかそこらへんは気にしないでください。
そう、事件というのはいつも突然に起こるものである。
「な、なな、なんですってぇえ!?」
部屋中に甲高い声が反響して窓ガラスが小刻みに揺れる。
レンガ造りの窓から木漏れ日が差し込むこの家は築100年という古さで、暖炉や煙突などかつての内装が当時のまま残されている。
なんでもここは一昔前の上将軍が別荘としていた邸宅らしく、この辺ではちょっとした名所にもなっている。
そんなおしゃれな家に住むマルクス・アルニダ男爵の妻スーザンは、半ば蒼ざめた顔をして立ち上がった。
「ウチの子の結婚相手が見つかったですって!?しかもお相手がクラウス第一王子殿下!? 冗談も休み休みに言ってちょうだいあなた!!」
「ま、まあ落ち着けスーザン。一旦席について話を――」
「これが落ち着いていられますか!!!」
バンッとテーブルを叩いた拍子に手前にあったグラスが床に落ちて割音を立てる。
その音に驚き、父の横で肩をすくめて縮こまっていたドレス姿の少女はビクッと肩を震わせた。
彼女の名はルミナ。
昔から体が細く、街を歩けば振り返らない男はいないと称されるほどの美貌を持つ。
ゆえにルミナが小さい頃から結婚を求める貴族やら騎士やらが絶えず花束を持ってやってきたが、母スーザンが羽虫を追い払うかのように毎度断っていた。
……というのも、ルミナには決して他人には言えない『秘密』があるからで……
「兎にも角にも、縁談は絶対にお断りしてちょうだい!!!」
「いやまあ、ワシもそのつもりなのだが……」
「あなた本当に現状を分かって言ってらっしゃる!?ルーが“女の子”なら殿下との婚姻は喜ばしい限りですけども、この子は男なのよ!?」
そう。
昔から周囲にチヤホヤされ続けてきたルミナ・アルニダの正体は、少女ではなく女装した少年なのだ。
ちなみにルミナというのは母がつけた対外的な偽名で、本名はルーカスという。
ルーカスには幼い頃からの性癖があり、特に貴族令嬢に女装するのが趣味だった。
やがて見目だけに満足できなくなった彼は声も女性を真似るようになり、いつの間にか声質も高くなった。
両親も最初はそのうち治るだろうと放置していたが、それがいけなかった。
皮肉なことにルーカスは母親譲りの美貌で、白肌。鍛錬したおかげでその美声はまるで小鳥の如し。
そうともなれば世の男が放っておかない。
いつ、どこから端を発したのか、「アルニダ家の令嬢が美しい」という噂はあれよあれよと言う間に国中に広がり、いまさら「残念、実は男でしたー!」なんて言えない状況に陥ってしまったのである。
「そもそも、この子の性別が分かっていながらどうして男性との――まして一国の王子との婚姻を了承したのですか!!」
「あ、あの時は酒に酔っててだな……。『殿下が是非とも後宮に迎え入れたいと仰せです』って言われてちょっと」
「『ちょっと』何ですか!!」
「お母さま、少し落ち着いて――」
「お黙りルー!!あんたも今がどんな状況か分かってないでしょう!!」
父曰く、公務で王城に出向いた際の夜会で、王子の代理人から「ルミナ嬢を後宮に」という旨の話を持ちかけられたそうだ。
もちろん当初は丁重にお断りしたのだが、「是非とも!」と迫る代理人に気圧され、酒の酔いもあり、血迷いまくって後宮入りの話を承諾してしまったのだという。
あとで酔いが冷め、事態の重さに気付いてあわてて破談の願いを出すも時すでに遅し。
『嫁入りに必要な金も衣装も全て用意したから早く来てきれ』とのお達しが王子名義で届いたのである。
「ああ、どうしましょう……、もう何もかも終わりだわ」
「まあ落ち着きなさい。ルーが城に行くまでまだ3日もあるのだし」
「もう3日しかないのよ!!このアホ旦那!!なんてことしてくれたのよ!!」
頭を抱え右往左往するスーザンを宥めようとマルクスが立ち上がるも、怒声の返り討ちに遭って結局椅子に尻もちをつく。
泣いても笑ってもあと3日で女装版ルーカスは何も知らない王子の妻となる。
妻ということは当然に寝食を共にするだろうし、大人の男女が仲睦まじくあるためには時にカラダの付き合いというのも必要になってくる――
――のだが、あいにくルーカスは女ではない。
王子が新妻との初夜を期待し、多少なりとも欲情して下着を脱がせて見れば、あらまあ大変。
結果、一国の王子を辱めたアルニダ家はお取り潰し……。最悪、一家心中モノだ。
「これからどうする気なのよ!!息子を女装させて殿下の後宮に入れるなんて前代未聞、前人未到の結婚詐欺計画よ!!」
「まるで未開の地に足を踏み入れようとする登山家みたいな表現をなさらないでお母さま」
「もうこうなったらあんたに無理やり怪我をさせて入宮を遅らせるしかないわ!!」
「まあまあスーザン。まずは落ち着いて」
「なんであなたたちはそんなに冷静なのよ!!」
一番冷静さを欠くスーザンが地団太を踏んで叫ぶ。
夫は酒に酔ってトンデモナイ契約をしてくるし、子供は子供で状況を理解できずにポヤンとしているし。
誰が見てもスーザンが発狂したくなる気持ちは容易に理解できるが、二人と同様にこの状況下でも『無神経な人間』がもう一人。
“その人間”は食事のテーブルで言い争う3人とは少し離れたところにいた。
「まだ打つ手が全て無くなったわけではないよ、スーザン」
「なにが『打つ手』よ!ルーに似た誰かが代わりになってくれる、とか言うなら話は別でしょうけどね!」
そんなことあるはずない、とスーザンは冗談気味に笑ったが、夫は首を横に振ろうとはしない。
「実は身代わりを計画しているんだ」
神妙な顔をしてみせる夫の爆弾発言に、スーザンは完全に閉口した。
その表情は「言いくるめられた」というより「呆れに呆れた」と言った方が妥当かもしれない。
息子を娘と偽ったまま入宮させるという契約を了承した挙句、無理なら適当にそこらの娘を見繕ってルミナに仕立て上げればいいじゃないか、と主張する夫を妻は信じられないといった顔で見ていた。
「……で、その代役を引き受けてくれるお方は?」
爵位の中でも低級にある男爵家とはいえ、ルミナ嬢も立派な貴族の一員である。
ゆえにそこらの娘ではなく、最低限の礼儀作法を弁えている女性――特にどこかの貴族令嬢に委任しなければならない。
とはいっても、ルミナ役を引き受けてくれて、かつそれなりの身分を有する体の良い人材などどこに――
「その人ならここにいるよ。ルー並みに美しく社交の場での礼儀作法を知っていて、かつ独身の女性がね」
そう言ってマルクスが視線を向けた先には、一列に並ぶメイドたち。
――ではなく、彼女らの後ろでぼんやりとこちらを見つめる一人の女性。
「メイド長のイルーシャだ」
イルーシャ。
その名が飛び出た瞬間、部屋は水を打ったかのように静まり返った。
そして給仕のメイドや居合わせた料理人の誰しもが、入り口付近で大あくびするブロンドの長髪の女性に釘づけとなる。
「は、えっ、……私?」
ウトウトしている間にいつの間にか自分が注目されているのに気づき、イルーシャは自分を指差しながら苦笑する。
「さっきの話は聞いていたね、イルーシャ?」
ふぅ、とマルクスはテーブルの上で両手を組み重い息を吐き出す。
一方で話を聞いていなかったイルーシャにとって、いま一体何が起こっているのか全く把握できていなかったのは言うまでもない。
ただ唯一分かるのは、床に落ちて割れたグラスとピリピリした場の雰囲気から、何かについて激しく言い争ったということくらいである。
(えっ、今もしかして私怒られてる? なんでだろ、仕事中にウトウトしてたからかな。うーん、やっぱ昨晩ワイン2本はダメだったか~あはは。……いや、落ち着け私。真剣に考えよう……)
横の親しいメイドにアイコンタクトで助け舟を求めるも、親友とて、全員が注目している中で今の状況をコッソリ説明することは難しい。
だがイルーシャも情報が無い状況ではどうすることもできないため、出航することのない助け舟をじっと待っていると、痺れを切らしたマルクスがついに雷を落とした。
「イルーシャ!」
「はひっ!」
「お前本当に聞いていたんだろうな!」
「そ、それはもう、えっとはい!」
「ほう。ではワシらが何の話をしていたか言えるんだろうな?」
ギクリ。
「えっとまあ……色々ありますけど――あ、ほら、3日前にアイン通りのビート家のお庭で埋蔵金が見つかったこととか――」
「違う」
「分かった!2日前にセントラルシティにお住まいのネーリックご夫妻の間に双子がお生まれになったこと」
「違う」
「じ、冗談ですあはは!!アレですよね、ご主人様がこの前の夜会のあと奥様に内緒でテネシー伯爵令嬢と寝た話ですよね!」
「――それは真実ですか、あなた」
「ち、ちち違う!!」
あれ、なんか言っちゃいけないことを言ってしまったような。
「……昨晩、ご主人様の書斎に入って机の下に隠してあった1本20万ルピスの高級ワインをこっそり拝借したことでしょうか?」
「アレはお前だったのか!!」
「あうっ!!」
やらかした!!
泥棒か何かの仕業にして難を逃れるつもりだったのに私のばか!
「ま、まあいい。お前がワシの話を全く聞いておらず、さらには酒を勝手にくすねたことはよ~く分かった」
「色んな意味で申し訳ございません」
とりあえず形だけでも、とペコペコ何度も頭を下げる。
普段からあれこれとうるさく叱られているのでお叱りやお咎めの類はイルーシャからすると慣れたものだ。
どうせまた延々と「お前はメイド長なのに責任感がうんぬん」とか説教されるのかと思いきや、なんとご主人は重いため息を吐いただけで咎める空気では無い。
それどころかニコニコしていて怪しいというか、怪し過ぎてむしろ叱って欲しい。
「まあいい、簡潔に言おう。ワシらの娘――もとい息子のルーが結婚することとなった」
「あら、おめでとうございます」
「相手はクラウス王子殿下だ」
「ぶほっ」
「そこでだ。王子殿下にルーが男であることがバレないよう、お前に身代わりになって欲しい」
「ちょっ、いや、そんなあまりに無茶です!!」
私、平民ですよ?
おやつに食パンの耳にバターとかマーマレード塗りまくって美味しいって言ってるド庶民ですが何か。
「今からでもお断りできないんですか!?」
「もう遅い。殿下から入宮承諾書まで届いているし時間が無い」
「お願いイルーシャ。あなたはとっても綺麗だし、ちょっと抜けてるところがあるけど礼儀正しいしお城でも上手くやっていけると思うわ」
「奥様までそんな……」
「そういえば、お前も以前『一度でいいからお姫さま扱いされたい!』と仲間内に申していたそうだな」
「た、確かに言いましたけど」
「ルーの代わりに後宮に行けば毎日ドレスも着られるし、その願いもかなうぞ!」
「まあ確かにそうでしょうけど……」
違うんです。
私が懸念してるのは、お城で身代わりとして上手くやれるかとかそんなんじゃなく、万が一偽物だとバレたら私だけでなくここにいる全ての人間が処分されてしまうということです。
確かに女としてカッコいい男性にお姫様扱いされたい憧れがあるのは事実だけど、もしこのトンデモナイ計画が露見した場合、私がお咎めを喰らうだけじゃ絶対に済まされないよ。たぶん。
「案ずるな。後宮にはもっと位の高い貴族の御令嬢ばかりだし、幸いにもワシらの身分が低いおかげで殿下も世間の目を気にしてさほど気にかけてはくれぬだろう。ニセモノであることがバレないよう、お前は今まで通り脇役的な存在として生活しておればよい」
「でも……」
「なにもタダで城に行けとは言わん。もし行ってくれると言うなら毎月今までの10倍の給料を出そう」
「10倍も!?」
「いくらかかろうが、このまま家を取り潰されるより何倍もマシだ。頼む、この通りだ!」
わたくしからもお願いするわ、とルー本人からも頭を下げられ、部屋は再びしんと凍ったかのように静まり返った。
もしここで私が断ろうものなら、アルニダ家は王子と結んだ輿入れの約束を反故にしたとして領地を取り上げられ……
しかも相手が相手だけに、お家お取り潰しともなるとここで働いている親友らも全員職を失うことになる。
それだけは絶対に避けたい――ていうか、純粋に10倍のお給金ほしい!
「ま、万が一バレたりしても責任取れませんからね?」
「そのことは百も承知だ。あとでワシが責任を持ってお前を城から必ず連れ戻して見せるから、それまでの間なんとかやり過ごしてくれ!」
いくら私が元女官で貴族流の礼儀や作法をある程度知っているとはいえ、中身は所詮庶民。
女官時代に経験した付け焼刃の知識でしばらくは対応できるだろうけど、保って数か月。
ボロが出て気付かれる前に城を抜け出さなければいけない。
「……分かりました。やれるだけやってみます」
こうなった以上、ここはご主人が何らかの策を練って上手く自分を後宮から追放してくれるまで待つしかないよね……。
あとはどうなろうと谷となれ山となれだ。
かくして、とうとう私は自分の将来に自信を持てないまま、後宮入りの話を承諾してしまったのである。