声なき声
御愛読いただき、ありがとうこざいます。
遂に60話越えてしまいました…。
無駄に永くなってしまった、という思いもありますが、先ずはここまでお付き合いいただきありがとうございます。
お話はもう少し続きますので、最後までお付き合いいただけると、幸いです。
レインは階段をかけ上がると、はためく布に近づいた。
(やっぱり…)
近づいてみれば、キラキラと耀く石の間に、輝かない白い石が点在しているのがみえる。
その細かな粒は布にも散りばめられ、風に布がはためく度にパラパラと夜会の会場に降り注いでいた。
下で踊り、笑いさざめく人たちは気づいていない。
と、その時下で小さな火が上がったのが見えた。
レインは思わず下が見えるバルコニーに身を乗り出した。
倒れこむ女性を支えているのは、レインには見慣れたバイロイトの家紋を縫いとった礼服の、金髪の少年。
(クリスだ…!)
クリスは、女性を助け起こすと、向かいの女性に話しかけている。
レインは思わず微笑んだ。
彼の明晰な頭脳ならきっと、今の危険性を理解して、最善の策を検討してくれるはずだ。
あの黒衣の王と。
(結局、謝れなかった…)
ちくり、と痛む胸を押さえて、レインはあらためてシャンデリアに繋がる布を見つめた。
(とりあえず、これを外すことができれば…)
水をかける所がなくなれば、この布を伝って燃やすことは出来なくなるはず。
レインは決意して、布を止めている紐に手をかけた。
「ごめんなさい。それは見逃してあげられないの」
(その声は…)
やはり、という思いと。
まさか、という思いと。
二つの相反する気持ちのまま、レインは彼女を振り返った。
こんなときも変わらず、完璧なまでに美しい人。
「茉莉花さま…」
妖艶なる第二側妃を。
「気がつかなければ…、と思ってたのに、やはり貴方は気づいてしまったのね」
その言葉に、レインは絶望する。
この人はなにもかも知っている。
「茉莉花さまが…王妃さまを…??」
レインの言葉に、茉莉花は眉毛を上げた。
「…この国に王妃なんて、いないわ」
「…え…それは…?」
レインの疑問に答えはなかった。
ただ、後ろから伸びた手が口許を覆ったのがわかっただけで。
レインの意識はぷつん、と切れた。
「その薬、大丈夫なんでしょうね?」
茉莉花の質問に、梟はにっこりとほほえんだ。
品物を扱うときと何ら変わらない、屈託のない顔で。
「勿論ですよ。私は大事な商品に傷をつけたりしません」
「…そうだったわね」
「では、私はお先に」
倒れたレインを抱え上げた梟が、その名の通り、身軽に窓から消えていくのを見届けて、茉莉花はその瞳を伏せた。
その手には、水差しがある。
引き返せない罪に、手を染める。
それが、自分と彼を繋ぐ最後の手段なら。
「…望むところだわ」
その笑みは、凄絶で。
そして同じくらい哀しかった。
それを傾けようとしたとき。
すっと後ろから、それが取り上げられた。
「お前には任せられないからな」
嫌みな台詞に似合いの、酷薄な美貌の男。
竜焔の、その気まぐれな猫のような目を、茉莉花はきっと睨み付ける。
「私が…手心を加えるとでも…?」
「…早く行け。あの娘が手荒に扱われてもいいのか?」
「…わかったわよ…!」
この上なく憎々しいものを見る目で、竜焔を睨み付けたまま去っていく、茉莉花の背中を見送って、竜翔はポリポリとほほを掻いていたが。
こらえかねたように、声をかける。
「あのな…兄者、女人にはあのようでは伝わらないぞ?」
せめて、そんなことは君にはやらせられない、とでも言いかえれば、まだ伝わるものもあろうに。
(兄者は常は明晰な方であるのに…)
竜翔にはもどかしくて堪らない。
他の女人には、もっと上手く接しているものを。
まぁあれはあれで、どうかと思うが。
そんな弟に、竜焔は舌打ちをした。
「そんなことは…分かってる…!」
しかし、この苛立ちはどうしようもないのだ。
あの黒曜石の瞳が、どこに向いているのかなんて分かりきっている。
自分と同じような雰囲気をもちながら、彼女の愛を勝ち取った男。
その癖、そのことに全く気づいてない男。
そして、その気持ちに応えることだってない、そんな男に燻るこの気持ちを。
竜焔は整理できなかった。
いつだってコントロールできている、自分の感情が。
皇帝になる自分には要らないと、切り捨てた筈のものが。
竜焔は整理できない感情を立ちきるように、水差しを手にした。
小さく燃えるその種火が大きく育つ、その瞬間を見るために。
梔子は混乱していた。
待っている、といったレインの姿はそこになく、辺りを探しても見当たらなかったのだ。
(どうしよう…!?)
周りを歩く人に尋ねようにも、梔子には声を出すことができない。
(…どうしたら…?!)
王はクリスに、レインを託したのだ。
レインになにかあれば、クリスに咎がいかないとも限らない。
ただ、うろうろと歩き回るしか出来ず、にじんできた涙を拭ったとき。
「どうしたの?迷子?」
全身から白粉の匂いがするけど、確かに見覚えのある茶色い瞳が此方を見ていた。
(…ユージィーンさま!)
梔子の顔が、ぱっと耀く。
その顔に、ユージィーンが瞬きをする。
「君は…茉莉花さまの…声が出ない子か」
その言葉に、大きく頷いた彼女に、ユージィーンは人すきのする微笑みを浮かべた。
レインが見たら、警戒するように忠告したに違いない微笑みを。
「でも、君はしゃべれるんだよね?」
梔子の笑みが固まった。
(え…今、なんて…?)
「君の声帯は傷ついてない。君はしゃべれるよ。話そうとしないだけで。僕はね…」
にっこりと微笑む。
「そう言うズルい奴は、嫌いなんだ」
梔子の動きが止まった。
毒殺されかけたときにも、直接向けられたわけではなかったその言葉。
それに彼女は怯えていた。
言葉が招いた悪意を、また繰り返すのが怖くて。
彼女は言葉を無くすことを選んだ。
それを、彼はズルだ、と切り捨てた。
それが、嫌いだ、とも。
恐れていた非難の言葉が、梔子にもたらしたのは。
「…私、を嫌いでも、いいで、す」
開き直りだった。
黙っても結果が同じなら、今はそれよりも優先することがある。
それがわからないような、子供ではなかった。
「たすけ、てほしい、です」
円らなその瞳を真っ直ぐに向けてくる、梔子にユージィーンは微笑んだ。
それは含むところのない、無邪気な笑顔。
「…では、話してみて?」
助けるかどうか決めるから、と。
飄々と言うこの男を、信頼するものか梔子は戸惑ったが、結局は時間がなかった。
言い方を変えるなら半ば、やけくそに梔子はユージィーンに語り出した。
クリスは悩んでいた。
ここにいる全員を、恐慌に陥ることなく速やかに退避させる、その妙案が浮かばないのだ。
「デザートは…まだ出てませんよね?」
王妃のその呟きに、王の唇に笑みが浮かぶ。
「ジンジャーブレッドの、アップルパイで釣るか?」
「あれなら、話題にもなりますから、皆様は移動に応じて頂けるかも」
「しかし、ここで出しても差し支えないものだ…なんと理由をつけるか…」
王妃と王のやりとりに、クリスの脳裏を蛍が飛び交った。
「蛍…!!蛍がありますよ!あれなら、幻想的な景色ですし、ここに代わる会場として使えませんか??」
クリスの発言に、王妃と王の目が輝いた。
「直ぐにヒルダに手配して貰いましょう」
王妃の言葉に控えていたアランが伝言に動く。
「貴方は直ぐに、避難してほしい」
その姿を見届けて、王は王妃に向き直ってそういった。
王妃は王を見上げると、にっこり微笑んで首を振った。
「私が真っ先に行けば、変事を悟られます。特に…あの国の人たちは…」
王妃の顔が翳る。
その言葉にか、王妃の決意の固さにか、王はため息をついて引き下がった。
「…分かった。アランに任せよう」
そして、クリスに向き直る。
「時間がない、力を貸してくれ」
クリスが伝令に走った結果、ヒルダは予想以上に有能な女性であることを証明した。
「庭までの道に、燭台をもって使用人を立たせてください。それからぬかるんでるところには板を渡すように、申し伝えて。クリス様は、その顔を生かして、女性のところにお知らせを。ただし、頭に内緒の話です、とつけてください」
「え?内緒に??だって…」
クリスの反論に、ヒルダはふふん、と鼻で笑った。
「衆愚を動かすのに、大きな音は必要ありませんわ。第一、敵に気づかれたらおしまいではありませんか?」
そして、その美しいエメラルドの瞳を細める。
「それに、女というのは抜け駆けに敏感なものですのよ?」
この夜、彗星のように現れた王子様であるクリスは、知らずこの場にいる全ての淑女の注目の的であった。
そんな彼が、自分の連れではない女性のグループで、いかにも子細ありげに。
「ここだけの話ですよ…」
とささやいているのである。
当然周りは、何事か気になり、その女性のグループは注目される結果になる。
抜け駆けされたくない、他の女性たちも虎視眈々とそのあとを追い、それぞれのエスコートの男性や、意中の異性を追う男性、ぞろぞろと移動していくそれらの団体に、なにかイベントが始まるのかと訳もわからず付いていく人…
そうして、いつの間にか人々は庭に誘い出されていった。
「…ざっとこんなもんですわ」
不敵に微笑むヒルダが、アップルパイを積み上げていくのを手伝いながら、クリスはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
その時、彼方から大きななにかが、くだけ散る音がきこえた。
それと共に沸き起こった、かすかな地響きに。
クリスと、ヒルダの緑の瞳が結ばれた。
「王妃さまが…まだ…来てませんわ!」
「…行きましょう…!」
客の視線が蛍に向かったままなのを確認して、クリスはヒルダに手を差しのべた。
青い顔のヒルダはその手を支えにするかのように、しっかりと握りしめてくる。
その手が細かく震えているのに気づいて、クリスは彼女に微笑みかけた。
「大丈夫。あの方には、アラン様も、アヴィカさまもついてます」
それに黙って頷きながら、ヒルダの震えは止まらなかった。
彼女は知っていたから。
死神の鎌は、何者にも勝るほど素早く。
そして理不尽に人の命を持ち去ってしまうのだ、と。




