大掛かりな罠
いつも読んでくださる方、ありがとうございます。
連続投稿はここで、一旦おわります。
残りも切りの良いところで上げたいので、何話か、まとめてアップする予定です。
完結みえてまいりました。
ラストスパート頑張ります。
「あれ?もしかして梔子、上着が…」
ホールの入り口まで来たところで、クリスが梔子が随分と寒そうな様子に気づいた。
最初に見たときは薄手のストールのようなものがあったような気がしたのだが。
「もしかして、会場に…?」
慎ましい彼女は、ずっと言い出せなかったようで、少し冷えた身体を縮ませながらも、大丈夫というように気丈に微笑んで見せた。
『自分は一人で戻るから』
と、手話で伝えてくる彼女に、クリスは逡巡した。
彼女を一人捜しに行かせるわけにもいかないか、王の手前姉を一人にもできない。
迷う弟の背中をレインは思いっきりどついた。
「ほら、行ってあげなさい!私はここで待ってるから」
「でも…姉上…」
「大丈夫よ!勝手に帰ったりしないから」
散々に絶対ですよ、と念を押され、指切りげんまんすらもさせられて、ようやくクリスは梔子を伴って、ホールに引き返していった。
その後ろ姿を見送り、レインは思わずため息をついた。
こんな筈ではなかった。
王に会ったら話さなければならないことだって、一杯あったのだ。
彼が隠していたことを、話してほしかった。
あの赤い瞳の中に、レインの気持ちの半分でも、応えてくれる気持ちがあるなら。
(結局、謝ることさえ出来なかった…)
レインは思わず、足を止めてしまう。
せめて、一言。
あのとき彼にいった言葉だけでも、謝りたい。
決意して身を翻したその時。
じゃり、という音がして、なにかが靴のしたで砕けた。
(…え?何…??)
驚いて靴の下をみると、なにか白いものが粉々に砕けているのが見えた。
(なにかしら…?クラッカーにしては固かったような…??)
それにここはホールの入り口近くだ。
こんなところまで食べ物をもってくるような人もいない気がする。
レインは辺りを見回して、誰も見ていないことを確認すると、その場にしゃがみこんだ。
(…やっぱり…!)
視線を下げてみたら、果たして予想の通り、同じものとみられる白い石が、レインから少し離れたところに落ちているのが確認出来た。
レインはしゃがんだまま、にじりよってそれを拾い上げてみる。
(何かしら…これ、なんか見覚えがある気がする…)
こんな華やかな席ではなくて…。
もっとこう、土の匂いがするところでみたような。それは…
(…畑だ!)
これと同じもの肥料として、畑で使っていた。
でも、なぜこんなところに。
夜会のホールの床に、これが転がっているのか?
レインは、ハッと上を振り仰いだ。
(まさか…あの布に…?!)
深い藍色の布にキラリと光る輝石。
その一部にこれが、紛れているのだとしたら。
間違いなく誰かが、作為的にしたことのはず。
レインは唇を噛み締めた。
その誰かは間違いなく、王宮にあって権力に近い存在のはずだ。
この布があったのは、レインの染色小屋。
鍵を受け取れるとしたら、間違いなく。
レインに近しい誰かのはずだった。
(とにかく、この目で確かめてみなくては…)
レインは菫の瞳を険しくして、上に繋がる階段を探し始めた。
梔子が忘れた、というストールは、彼女が置き忘れた場所にそのままおいてあった。
「よかった…!」
クリスはそれを取り上げると、梔子の肩にそっとかけてあげた。
「気づかなくてゴメン。寒かったよね?」
その優しい笑顔に梔子はおろか、その先にいた女性までがくらり、とよろめく。
その拍子に手にしたグラスが傾き、中身が目の前の女性の足元にこぼれた。
と、その瞬間。
ボッという微かな音とともに、床から小さな火が生まれた。
「キャッ…!」
小さく悲鳴を上げて、その女性がよろめく。
「危ない…!」
クリスは咄嗟に手を出して、その女性を抱き止めた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい…」
優しく尋ねられ、美しい緑の瞳で気遣わしげに伺われた彼女は、とっくに床の火のことなど忘れてしまった。
しかしクリスは、ほんの少しの焦げあとを残して消えたそれを、忘れていなかった。
彼女を助け起こしたあと、彼はよろめいてグラスの中身をこぼしてしまった女性に、向き直った。
真剣なその目に釘付けになる相手に、クリスは優しい声でグラスの中身が何か、たずねた。
「こ、これは炭酸水ですの。美容のために私はこれしか頂きませんの」
逆上せるあまり、余計なことまで喋ってしまう彼女に、優しく礼を言うと、クリスは自分の連れを振り返った。
「梔子、悪いけど…姉上を送ってくれる?僕は…用事ができた」
クリスの真剣さに、ただならぬ様子を感じとり、梔子は小さく頷くと、早足で来た道を戻っていった。
それを見送り、クリスは床をあらためた。
踊る人々の足元に、広がる砂状のもの。
気づかぬうちに降り積もっていたそれ。
(きっと、ドレスにも夜会服にも…ついているはず)
クリスは頭上で波打つ、布を見上げる。
いつ。だれが。どうして。
疑問は多い。
でも、今為すべきは、無事にこの事態を切り抜ける策を見出だすことだった。
クリスは華やかに舞い踊る群衆のなかで、ただ一つの色を探し始めた。
ジークはたった今、辞去していったクリスが、青い顔で戻ってきたことに、我知らず立ち上がっていた。
「レインに何かあったのか?」
ジークの問いかけに、クリスは一瞬虚をつかれたような顔をして。
それから、首を振った。
ジークは安堵のあまり、吐息をつく。
一瞬、恐怖のあまり血が凍ったようにさえ、感じた自分に、戸惑ってしまう。
それを隠すように、ことさら言葉は短くなった。
「では、何か?」
クリスは青い顔のまま、失礼します、と王の傍まで歩み寄った。
余人には聞こえない、王だけに届く声で話すために。
「陛下、すぐにここから客人全て、避難させてください」
訝しげに見つめる王に。
クリスは青い顔色のまま、続けた。
「ここは…非常に危険な状態となっています。今どこかで水が撒かれれば…直ぐ様、火の手があがりましょう」
クリスの言葉に、ジークは眉をひそめる。
「水を撒いて火をつける…だと?そんなことが…」
「生石灰が撒かれているのね?」
クリスは、突然割ってはいった声に、びくりと肩を震わせた。
声の主は意外にも、黄金色の紗を身に纏った王妃だった。
「その通りです。何者かが、この会場に生石灰を撒きました。出所は…恐らくあの、青い布でしょうが…いまこの会場、そして招待客全て、生石灰の粉末を身に着けている状態です」
クリスの言葉に、王妃は息をのむ。
「なんてこと…!」
「つまりは、水で発火する粉末を、全ての人間が被っている、ということなんだな?」
理解の早いジークの発言に、クリスは頷いた。
生石灰はそれ単体では発火しない。
しかし、水をかければ高熱に変わり、それに布など燃えやすいものが接すると発火するのだ。
しかし、それ単体では燃える力も弱い。
せいぜい、小さな火傷くらいにしかならない。
(そんな悪戯程度で…ここまでするだろうか…?)
周到に準備しなくては仕掛けられない、大掛かりな罠があるはずなのだ。
クリスは、あの日みた、シャンデリアをいじる男達を思い出した。
(間違いなく…あれだ)
彼が見上げたそれを見て、ジークはその考えを理解する。
彼はその隻眼を細め、不敵に微笑んだ。
ユージィーンが見たなら、またお前はそんな楽しそうにしやがって、と呆れそうな、そんな顔を。
「なるほど…手の込んだ罠を…仕掛けたな」
彼らの頭上に耀くシャンデリア。
それは、今や導火線と等しい青い布を、四方にたなびかせて、静かにその時を待っていた。




