カメリアのドレス
クリスの手を借りて、馬車を降りたレインを待っていたのは、ユージィーンだった。
柔らかい茶色の瞳に映える深緑の夜会服は、金糸で家紋が刺繍され、その一つ一つに、ルビーやダイアモンド、サファイアが縫い付けられている。
それは、この宰相が紛れもなく、名家の出身であることを誇示していた。
その彼の隣に隠れるように、純白なドレスをまとった、可憐な妖精のような梔子が、不安そうに立っていた。
「無理をいって申し訳ありませんでした」
待っていた彼に、クリスは一礼して、それから彼にレインの手を託すと、不安そうな梔子のもとに走っていった。
クリスを認めた梔子は、ホッとしたように微笑みを浮かべている。
弟は随分と、この女性になつかれているようだった。
(あの子が、見違えるほど男の子らしくなったのは…あの子の影響かしら?)
若いというより、幼い二人に思わず微笑んでいると、斜め上から視線を感じて、レインはユージィーンを見上げた。
視線が合った途端。
「とても、よく似合ってるよ。見違えた」
義父の称賛の言葉が嘘でなかったことに、こそばゆい思いを抱えながら、レインは小さく礼を言う。
「ありがとうございます」
「では、行こうか。君を見たジークの反応を、特等席で見たいからね」
差し出されたユージィーンの腕に手をかけ直して、レインはゆっくりと階段に足をかけた。
隣を歩くユージィーンの茶色の瞳は、いたずらっぽく輝いている。
「いい瞳になった。君は…この嘘つきの王国でなにかを見つけたようだね」
ユージィーンの言葉に、レインは密やかに笑う。
「見つけただけでは…満足しませんわ。手にいれるまで…諦めるつもりはありませんの」
そして、挑戦的に彼を見上げたレインは、思わずポカンと口を開いてしまう。
(なんて顔…するのよ…)
柔らかい印象とは真逆の、煮ても焼いても食えない腹黒宰相は。
見たことがないほど、晴れやかに、心底嬉しそうに笑っていた。
それは純粋で、この上なく無垢な笑み。
本心からの安堵の表情に思えた。
「君たちは本当、正反対の二人だね。でも、だからこそ惹かれ合うのかな…」
独白のような台詞のあと、彼はほんの少し、苦い微笑みを浮かべて小さく続けた。
羨ましいよ、と。
そして、レインに一つ、いつものからかうような微笑みを浮かべて。
「俺は君の勝ちに、賭けるよ」
と、宣言した。
夜会の会場は華やかに飾られていた。
一際目を引くのは、頭上にかがやくシャンデリアだ。
無数のクリスタルが目映くかがやくそれは、その下で笑いさざめく群衆に、キラキラとした光を降り注いでいる。
そして、そこから四方にめぐらされている布に、レインは思わず声を漏らした。
「あれ…は…」
レインの声に、ユージィーンがいたずらっ子の微笑みで答える。
「そう。君の染めた布だよ。側妃たちでね、この日のためにとっておいたんだって」
シャンデリアの明かりを受けて、布に縫いつけられた耀石が会場に、独特の紋様を浮き上がらせ、幻想的な雰囲気を産み出していた。
嘘から始まった、後宮の日々だけど。
そこから生まれたものは、こんなにもあたたかく、レインの胸を震わせる。
レインは思わず、にじんだ涙を拭った。
そして、新たな決意をこめて、足を踏み出した。
嘘から始まった、彼へと続く道を。
その時、自分はどうなるのか。
馬車に乗るまでは、それは不安と絶望に塗りつぶされる瞬間であったに違いない。
しかし、弟の授けてくれた知恵のお陰で、レインはその時を全く違う心境で迎えていた。
今日も彼は漆黒だ。
常よりは美しい銀糸の刺繍は施されていたけれど、華やかな色彩の中で、異彩を放つ存在。
でも、今の自分なら彼がどこにいても、見つけ出せる気がした。
レインが王の元へたどり着いた時、王は外国の使節との話を終えたところだった。
「ジーク、家出娘を送還してきたぞ」
ユージィーンの発言に反論は山ほどあったが、レインはそれどころではなかった。
久しぶりの王の存在に。
(どうしよう…私…どうやってこの人と普通に話してたんだろう…?!)
勝手に顔に血が上り、心臓も跳ね回る。
そんな自分をもて余すレインを他所に。
王はゆっくりと彼女たちを振り返り。
そして、赤い隻眼を大きく見開いた。
その視線の先にあったのは、彼女…ではなく、彼女のドレスだった。
「…それは…」
レインは、王の驚きが自分ではなく、自分のドレスに向けられていることに、多少ムッとしながら、答えた。
「紅華が作ってくれました。とてもいい出来で気に入っております」
「…カメリアにカササギ…」
その呟きで、レインは王がドレスの刺繍に驚いていたことを理解した。
(でも、ここまで驚くことかしら?)
「あのね、君ね…先ずは中身を誉めなよ、折角綺麗に着飾ってるんだし」
ユージィーンの突っ込みに、王は驚いたように瞬きをすると、レインの目をじっと見つめなおした。
「良くできている」
それは、およそ着飾った女性には誉め言葉とは思えない代物だったが、今のレインにはそれさえ凶器だった。
「ありがとう…ございます…」
消え入りそうな声で礼をいいながら、彼女は俯いた。
「もう、僕の時もそのくらい可愛い反応を見せてほしかったなー」
ユージィーンに念押しされて更に恥ずかしい。
自分でも分かるくらい、顔は赤いだろう。
「じゃ、僕の役目はここまでだから。…ここにいるとなんか発狂しそうだし」
そんなニヤニヤ笑いと共に、ユージィーンが去っていくと、レインは思わず自分の熱い頬に手を当てた。
離れていたからこそ、気づいてしまった。
「顔が赤いが…熱でもあるのか?」
真顔でそんな、とんちんかんなことを聞いてくる。
自分に向けられる好意には、ものすごく鈍感なこの人が。
「なんでも…ないです」
どうしようもなく、好きなんだ、ということに。
その答えに、納得してないように王は少し目を細めたが、すっとレインに腕を差し出した。
「王妃達が寂しがっていた。会ってくれるか?」
その気遣うような声音に、レインは素直に頷いてその腕をとる。
レイン自身も、彼女たちに会ったら話したいことがたくさんあった。
「皆元気ですか?あ、そういえばグランも…」
グランの名前が出た瞬間、隣の王の足並みが少し不安定になった。
レインは思わず、傍らの人を見上げた。
その赤い一つきりの瞳には、なんとも言いがたい色に満ちていた。
「…あぁ。元気だ」
(何だろう…?グランったらなにか、王を困らせてるのかしら?)
王の帰還と共に城を留守にしていた彼女は、グランとアヴィカのことなど知るよしも無かったのである。
彼女がそれを知って愕然とした後。
大男を相手に、どんなに好きで無理強いをしてはいけない、と説教をはじめ、実はその説教が目の前の男ではなく、彼女の隣にたつ、王様の心をチクチクといじめる結果になってしまうのは…もう少し後の話である。




