宰相の茶会
相変わらずの、亀更新で申し訳ありません。
じわじわと増えるブックマークに、励まされてなんとか書き続けられております。
ありがとうございます。
少しでも、皆様の納得のいく結末を迎えたいと思っております。
澄みきった青空の下。
そんな空とは程遠い気持ちのまま、レインは考えられるなかでも一番、会いたくない人物と街を歩く羽目になっていた。
まぁ、その相手はそんなレインの気持ちなど、欠片も気にしてないご様子だったが。
「ここのところ、過労気味だったから、正直助かったよ」
不機嫌なレインとは真逆に、ユージィーンは日向ぼっこをする猫のように、ご機嫌に微笑んでいる。
(この人…絶対楽しんでる…!)
昨日はあれから、王は部屋に戻ってこなかった。
戻ってきたところでどうすればいいのか、レインには分からなかったけれど。
そして夜明けと共に、逃げるように染色小屋に隠っていたら、突然訪ねてきたユージィーンに街に行こうと拉致されたのだ。
「ユージィーン様は…知ってたんですよね?」
彼は、初めからレインのことを姫と呼んでいた。
何より、あの王が信頼を寄せる腹心の彼が、知らない訳はないだろう。
「知ってたよ。君の母上はともかく、父上とは、色々あったから」
さらり、と答えてユージィーンは笑う。
その言葉に含まれる何かに、レインは首を傾げた。
「色々…?」
「そう。色々」
「…教えてくれますか?父のこと」
レインの強い菫の瞳に、ユージィーンはニヤリとする。
「一言で言ったら、はた迷惑な人だったな」
「…え?」
金獅子王は、この国から戦争をなくした英雄だった。
小競り合いが耐えない国内の大小の民族を統一した、建国の父に等しい存在だ。
それを、はた迷惑とは。
「言ってることは子供並みなのに、行動力と実行力でどうにかしてしまう、とんでも人間だったね。俺は何度、神にこんなやつにそんな力をくれてやるな、と祈ったか分からないよ」
「え…?そ、そんなに?!」
「…でも一番たち悪いのは、それが憎めないってことなんだよね」
アハハ、と楽しげに笑うユージィーンを、レインはうろんげに見る。
(やっぱり…この人は苦手だわ…)
主に輪をかけて、何を考えているのか分からないのだ。
(それに…一体どこまで連れてかれるんだろう?)
思わず眉をしかめれば、その考えを読んだように声がかかる。
「大丈夫。もう少しで着くよ」
その見透かしたような言葉に、レインはむっつりと黙りこんだ。
何かを言えば、それを何倍にもして楽しむ、そんな相手だと分かるくらいには、付き合いも長くなっていた。
レインの学習成果を尊重してくれたのか、それからは特にからかわれることもなく、レインは黙々と歩いていた。
「ここだよ」
そういって、ユージィーンが足を止めたのは、半刻ほど歩いた街外れの一軒家の前だった。
「ここは…?」
「便宜上、俺の持ち物になってる家」
小さいながらハーブが咲き誇る庭をもつ、質素でシンプルで家庭的なその家は、どこかこの食わせものの宰相に、似つかわしくないように思えて、レインは首を傾げた。
と、その時。
察したようなタイミングで、扉が開いた。
「ユージィーン様、お帰りなさいませ」
そこにいたのは、赤い斜の布で顔を隠した女性の姿だった。
ただその琥珀の瞳だけが、露になっているその姿は、まるでー
(王妃様…?なはずがない…)
「オリガ。久しぶりだね。元気?」
レインが混乱しているのを他所に。
出迎えてくれた女性を労って、ユージィーンはその掌に口づけた。
彼が呼んだその名前に、レインはようやくこの女性の正体が分かった。
(この人は…ヒルダ様のお店にいた人だ!)
どうやら、この女性も神聖帝国の出身だったようだ。
この国では珍しい、亜麻色の髪に、琥珀の瞳の組み合わせも彼の国なら一般的だった。
(でも、それだけで…こんなに…似るものなのかしら?)
まるで、どちらかが合わせているかのように。
「こちらが、娘のエレイン。レイン、こちらがオリガ嬢。この家の管理をお願いしている人なんだ」
物思いに沈んでいたところを、声をかけられて、レインは捕まえかけていた思考の尻尾を逃してしまった。
「以前、お会いいたしましたね?さぁ、立ち話もなんですから、お入り下さい。お茶の準備をいたしますわ」
にっこりと微笑んでくれるオリガに微笑み返しながら、レインは妙な胸騒ぎを覚えていた。
オリガが用意してくれたのは、ハーブティーとお店で食べたものとは全く違う、大きくカットされたアップルパイだった。
その他にも小さめに作られたサンドイッチや、季節のフルーツが盛られ、テーブルはたちまち、一杯になってしまった。
ここに案内するなり、用事があるからとユージィーンが居なくなったからか、オリガも斜の布を取り払い、その美しい顔を晒していた。
王妃のように、人間離れした美貌という訳ではなく、側妃たちのように際立った美しさでもないが、オリガは美しい女性だった。
地に足がついた美しさ、というか。
その落ち着いた所作は、この人が身も心も成熟した女性であることを伝えていた。
「ユージィーン様は、人の都合を気にされない方だから、朝食も食べれなかったんじゃないかしら?ゆっくり召し上がってね」
そういうと、オリガは自分もサンドイッチを手にとって食べ始めた。
「あ、ありがとうございます」
正直、お腹は空いてなかったものの、好意を無にするのが忍びなく、レインもサンドイッチに手を伸ばした。
「おいしいです」
しかし、一口食べれば予想外に美味しくて、あっという間に食べてしまう。
昨夜も殆ど食べなかったものだから、心はともかく体は相当に困窮していたようだ。
「それは良かったわ。ユージィーン様に、ご飯は何がなんでも食べさせてってお願いされていたから。空腹だと考えることも暗くなるからって」
クスクスと、微笑み混じりに明かしてくれるオリガに、レインは思わず手を止めてしまう。
(何を考えてるか分からない人だけど…心配してくれているの…かな?)
ユージィーンは泣き腫らした、レインの目を見ても何にも言わなかった。
ただ、こうしてそれと分からないように、優しさをくれる。
まるで、彼の主のように。
レインの掌に、ポツンと水滴が落ちた。
もう体の水分なんか出尽くしているはずなのに。
まだ、こんなにも溢れるものがある。
「あら、貴方は泣きかたを知らないのね?そんなに静かに泣いたら、余計悲しくなるのよ?」
オリガはそう言うと、そっとレインを抱き締めてくれた。
「もっと大きな声で泣いていいのよ。ここには、私たちしかいないのだから」
その胸は暖かく、そしてその声は優しかった。
まるで母親のような、慈愛に満ちた声。
その声に、レインを支えていた最後の糸が切れた。
いつしか、レインは彼女の細い腰にすがり付くと、大声で泣きじゃくった。
「すみません…ありがとうございます」
オリガから受け取った冷たい手巾を目に押し当てながら、レインは小さくなった。
殆ど初対面に近い人の前で、大泣きしてしまった自分が、今更ながら恥ずかしかったのだ。
「気にしないで。私にも覚えがあるのよ」
そうして、オリガはすっかり温くなってしまったハーブティーをいれなおしながら話しててくれた。
それは彼女の身の上話でもあった。
「私には腹違いの妹がいたんだけどね、流行り病で亡くなってしまって…皆、その子をとても愛していたから、家族ごと喪ってしまったようなものだったわ。そうして私は妹の身代わりに、妹の真似をするようになったの。家族は…元気になったけど…私は泣けなくなったわ」
そして、オリガは少し頬を染めた。
「でも、そんなときに私も言われたのよ。泣き方が分からないんだねって。その人は…私が泣き止むまでずっと、抱き締めてくれたわ」
オリガのその表情で、レインはその人が彼女のどんな人か伝わってくる気がした。
「オリガさんは…その方が好きなんですね」
その途端、オリガの顔が桜色に染まる。
「ええ。そうなの」
そうして、紅くなった頬を押さえた彼女の手に、レインは控えめにキラリと光る指輪を見つけた。
蔓が絡み付いているかのような、独特のデザインだ。
「もしかして、旦那様…てすか?」
レインの言葉に、オリガは恥ずかしそうに頷いた。
その幸せそうな様子に、レインは思わず自分の手元に目をおとした。
そこに光るのは、紫紅玉の指輪。
価値でいったら、レインの指輪のほうが、ずっと値打ちがあるはすだった。
ても、レインはオリガの手元に輝くその指輪を、心の底から羨ましいと感じていた。
そこには心があった。
これを贈った人の、オリガへの思いが。
黙りこんだレインに、なにかを察したのかオリガがそっと声をかけてくれる。
「レイン様…、私には…今は、本当はお話できないことだけど…一つだけ、言わせて頂きたいことがあるの」
改まったオリガの姿に、レインも同じように姿勢を正した。
「ジーク様が貴方にお話したことは、嘘ではないかもしれない。でも本当でもないかもしれないの。あの方は…不器用すぎる位に真っ直ぐだから」
オリガの細い手が、レインの手に重なる。
そこから思いを伝えようとするように。
「あの方の…言葉を"見"ないで。あの方の…心を見ていただきたいの」
「…え?…」
オリガの言い方はまるで、レインの不思議な力を知っているかのようで、レインは戸惑った。
「オリガさん…それは…」
「やー、オリガ悪かったね、相手してもらって」
狙ったようなタイミング現れた、ユージィーンに遮られて、レインは出鼻を挫かれてしまう。
「いいえ。楽しい一時でしたわ。ご用事は済みまして?」
微笑みながら出迎えた、オリガにそう問われて、ユージィーンは行儀悪く立ったまま、アップルパイを頬張りながら頷いた。
「概ね、ってところかな。じゃあ、二人とも上手くやっていけそうなんだね?」
「はい。責任を持って、お預かりいたしますわ」
頷くオリガを満足そうに見つめる、ユージィーンを、慌ててレインは引っ張った。
「ユージィーン様!話がみえないんですけど…」
レインの抗議に、ユージィーンは猫のような笑いを浮かべる。
「しばらく、実家に帰らせていただきますって、ジークには言ってあるから大丈夫。お互い、ちょっと離れて考える時間も必要でしょ?」
「実家って…!」
「姫は俺の養女、ここは俺の家、すなわち実家、でしょ?」
強引な結論を、涼しげな顔で言い切って、ユージィーンはニヤリと微笑む。
「それとも、離れるのは寂しい?」
レインの顔がさっと紅潮する。
「そんな訳ありません!」
「じゃあ、ここで大人しくしててね。夜会の晩に、迎えに来てあげるから」
軽くあしらわれて、レインは憮然と黙りこんだ。
そんな彼女に笑いをこらえながら、ユージィーンは手を振って別れを告げる。
そして、律儀に戸口まで見送りに来たオリガに、そっと囁いた。
「悪いね、君の護衛を当てにして…」
ユージィーンの珍しい詫びの言葉に、オリガは少し可笑しそうに微笑んだ。
「こちらこそ、永いことジーク様にお借りしていたのですから、存分に使って頂いて構いませんわ」
「まぁ、そのお詫びに旦那を定期的に、様子見がてら帰すつもりだから」
その言葉に、オリガの白い頬に赤みがさす。
何年たっても変わらぬ初々しい所作に、呆れたようにユージィーンは呟く。
「…ホントに、俺には不思議で堪らないよ。なんで、アイツなの?会話弾む?」
その言葉にオリガは、にっこり微笑んで答える。
「ユージィーン様にも、いつか分かる時が来ますわ。あのジーク様だって見つけたんですもの」
その言葉に、ユージィーンは眉を少し上げてから、結局肩を竦めることにした。
「まぁその時は、相手を実家に帰さないように気を付けるさ」
オリガは賢明にも、その言葉に微笑んだだけだった。




