権力者の夢
男の傍らにあるのは一羽の白い梟だ。
赤々と燃える暖炉の火を受けて、その目は赤く煌々(こうこう)と光を放っている。
そのどこか冷淡な様は、書状を確認している男によく似合っていた。
齢二十を過ぎた位の、美しい男である。
すこしつり上がった猫を思わせる目は、黒曜石の色。
同じく、闇に溶け込むような漆黒の髪は腰元まで伸ばされ、赤い紐で首あたりで結わえてある。
すらりとした長身を包む東国風の衣装には、銀糸で龍の刺繍が施され、この男がかの地で高い身分を有していることが伺えた。
今その美しい唇には辛うじて、笑みとわかる程度の弧が描かれていた。
「兄者?どうした?何か楽しいことでもあったのか?」
まさしく猫の様に気まぐれな男の上機嫌に、向かいで酒をあおっていた男が首を捻る。
こちらは年の頃は同じながら、体格は対照的だった。
鍛え上げられた鋼の肉体。
精悍というに相応しい面にある、額から頬にかけて一筋、斜めに走る刀傷がこの男が武人であることを物語っていた。
「楽しい…楽しいかもしれんな…我らの長年の悲願が叶うやもしれんのだから」
兄の言葉に、弟はニヤリと笑った。
「兄者は、素直じゃないな。嬉しいなら笑えばよかろう。ついに、あのいけ好かぬ優男の、弱味でも握ったのか?それとも…」
そこで、弟は獰猛な笑みを浮かべてみせた。
「われらの敬愛する帝がくたばったのか?」
弟の毒に、兄は薄い微笑みは崩さず、読んでいた手紙を弟に手渡した。
弟はその書状に目を通した途端、その瞳を厳しくした。
「…黒狼が…現れた…だと?」
卓に用意された酒杯を傾けて、兄は軽く頷いた。
「このタイミング…我らの推測は当たりだったようだな?」
「まさか…本当にあの王が…゛黒狼の心臓゛を持っているとでも…?」
混乱している弟に対して、兄はゆったりと酒を愉しんでいるようにみえた。
「そう、でなければこの状況…説明がつくまい。あのヒキガエルの言う通り、あの鉄砲水に呑まれて、五体満足で戻れる人間はいない。如何に運が良かろうと…骨折だけで済むものでも無かろう」
兄の簡潔な物言いに、弟はツンツンたった短い黒髪をガシガシとかき回した。
「しかし…だからといって、飛躍し過ぎではないのか?不死の力など…おとぎ話の産物ではないか?」
「確かに…な。しかし時を同じくして、黒狼が現れているのだぞ?しかも満身創痍で、だ」
兄はゆったりと、手元の杯を傾けながら、落ち着かない弟をみやる。
「心臓と黒狼は繋がる、と聞く。すなわち、あれは王の傷を、黒狼が共有した結果であろう」
その言葉に、弟は首を捻る。
「不死…なのに、怪我をするのか?それは…」
「矛盾では無かろう?不死とは死なない、と言うことだ。つまり、よほどのダメージがなければ自己修復が可能、ということだろう」
その言葉に、弟は顔をしかめた。
武人たる彼には、それがどれ程に苦しくおぞましいことか、よくわかるのだろう。
死は時として、救いでもあるのだ。
「俺なら断固、拒否したい力だな」
素直な弟の反応に、兄は声をだして笑った。
「私もだ。だが、老いぼれ(ちちうえ)は喉から手が出るほど、欲している力だ」
「しかし、兄者…帝に不死の力がいけば…」
弟の言葉を途中で制して、兄は微笑んだ。
酷薄、というのが相応しいその笑顔に、弟は反射的に口を閉じる。
「我らは、黒狼の心臓がどう、引き継がれるものかを知らぬ。それ故、誤った知識で紛い物を掴まされるかも、しれぬよな?」
そして、事態を呑み込んだ弟の目が、ぎらりと輝くのを目にして、その笑みは深くなる。
「ちょうどよく、お誂え向きのものがいるだろう?」
「黒狼の怪我を治した、とかいう娘か」
「一国の王よりも、容易く手にはいる、目眩ましだと思わんか?」
その言葉に、弟の唇にも笑みが浮かんできた。
「さすが、兄者だな。俺の目に狂いはなかった」
今、帝位に最も近いとされる男を、尊崇の眼差しで見つめて、弟は杯を掲げた。
「未来の帝に!」
その言葉に、猫のような目を細めながら、兄は杯を掲げた。




