出会い
卓上においたランプの炎がふっと揺らめく。その揺らぎにレインは伏せていた顔をあげた。
今まで書きためていた染色についての記録を纏めていたつもりがいつのまにか読みふけってしまっていたらしい。元々は領地の良質な羊毛を少しでも価値をあげたいと思い始めた研究だったのだが、レインはその染色の世界の魅力にはまっていった。切っ掛けは鮮やかな紫をだすために使うのは根っこで、本当の花は白いと知ったとき。どこか自分に似ていると感じたのだ。
(陛下は花をみて私を選んだのではない…)
しかし一体どこまで根っこに価値があると思っているのか。ただ嘘に敏い娘と思うのか或いは確信があるのか。レインすらよくわからないこの瞳のことをどのくらい掴んでいるのか。
(やっぱり本人に聞くしかないのかしら)
のらりくらりと肝心なことはかわす茶髪の青年を思いだしレインは知らず拳を握る。終始こちらの苦悩を面白がってることを隠そうともしない態度には向かっ腹がたった。
(腹黒宰相め…何時か吠え面かかせてやる…!)
心のなかで悪態をついたとき近くで馬の嘶きが聞こえて首をかしげる。屋敷の外れにあるこの小屋の傍に厩はない。
(シナモンかベルガモットが逃げたのかしら?)
おっとりした気質の馬たちを思い浮かべ小屋の扉を開けたレインの目に映ったのは闇夜から抜け出たような黒い馬だった。逞しくもしなやかな筋肉を極上の漆黒の毛皮で覆っているその馬はまさに。
(黒檀の馬のよう…)
大好きで何度も読んだ絵本の空飛ぶ馬。黒檀でできたおもちゃの馬に命が宿り空を飛んでお姫さまを助ける場面が特にお気に入りだった。
黒檀の馬は闇夜に静かに佇んでいた。その口許から地面に手綱が垂れていることに気付きレインはそっと近寄ってみた。黒檀の馬はその美しい黒曜石のような瞳にレインを映したまま動かなかった。そっとたてがみに触れると頭駱を確かめる。思った通り高級そうなそれにはキチンと馬の名前が彫られていた。
「…エボニー?貴方のご主人も黒檀の馬のファンなのかしら?まさか貴方は空はとべないでしょうけど」
絵本の黒檀の馬と同じ名前の馬に親しみを込めて微笑んでみせるとエボニーは甘えるように頭を擦り付けてきた。
「こんな夜中にどうしたの?ご主人様をおとして来ちゃったの?」
見た目に反して思いの外、人懐っこい馬に相好を崩しているとエボニーの耳がピンッと立ち上がった。
「…少々留守にしていただけだ」
突然後ろから聞こえた声にレインは思わず跳び跳ねる。聞き覚えのない低い声に振り返るとそこには愛馬と同じく闇夜の化身のような男がたっていた。グランに見慣れたレインの目では折れそうに細い体に黒衣をまとい、一つしかない赤い瞳が印象的な白い顔を半分装飾的な眼帯で覆っている。その特徴的な容姿に当てはまる人物を思いだしレインは慌てて頭を垂れた。
「ジークフリード陛下の愛馬とは知らず気軽に触れまして…申し訳有りません」
「頭を下げられるのは好まない」
簡潔な物言いに頭を上げれば予想外に穏やかな赤い瞳がレインを見ていた。エボニーは自ら主のもとに帰ると嬉しそうに彼に鼻面を寄せている。
「それに名前も長いからジークでいい。貴方には王妃を越える寵姫になって貰うのだからな」
これまた簡潔に意味不明のことを言われ戸惑ううちに王は馬上の人になっていた。
「へ、陛下!」
いきなり愛称で呼ぶのは憚られてレインは無難な呼称を選択する。そのことにたいしてなのか他の要因か王の赤い瞳がすっと細められた。
「何か?」
馬上から見下ろされていることも相まって思わずあとじさりしたくなる気持ちをこらえ、菫色の瞳で赤い隻眼を捉える。
「何故私を側妃に望まれたのですか?」
叱責を買うかもしれないとは思っていた。しかしその瞬間王の顔は彫像のように無表情になった。無表情な彫像のまま王は呟いた。
「…その必要があったからだ」
闇夜に朧げに浮かぶ薄墨色のもや。くらりとする意識の片隅で闇夜に溶け込むように王とその愛馬が離れていくのを感じていた。
(今のは嘘…でもなんだろう?哀しい色に見えた…)
今まで触れたことのない嘘にレインは戸惑っていた。