黒狼の伝承
梟の持ち込んだ品物は数は少ないが、どれも普段目にしない素材や、石で出来ていて、レインは思わず惹き付けられた。
ヒルダも王妃も思い思いに、手にとって眺めている。
「王妃さまには、こちらがお似合いですわ」
「ヒルダがそういうなら、そうしようかな。私より私のことが分かるようだから」
「もう…王妃さまったら…」
王妃に蕩けるような微笑みを向けられて、ヒルダは恥じらうように頬を手で包んでいる。
レインは思わず、ため息をついた。
(誰か…このラブラブ状態に突っ込んでください…)
しかし、残りの妃二人はそれどころではなかった。
「アヴィ、往生際悪いですわよ!ほら、顔に当ててじっとする!!」
「いや、だからドレスは無理なんだって!」
「あなた一応、側妃なのよ?陛下の甲斐性が疑われるでしょ?」
「う…」
「分かったら、さっさと着替えて」
「…はい」
理詰めでこられてはアヴィカに太刀打ちできるはずもなく。
嬉々とした茉莉花に、取っ替え引っ替えドレスを宛がわれているアヴィカの、その銀の瞳は死んでいた。
(本当に…苦手なのね)
自分もドレスは苦手なので、大いに同情してしまうレインだった。
「何か、気に入った品はございましたか?」
気をとられていた時に、不意打ちのようにかけられた声に、レインは思わずびくりと肩を竦めた。
その様子に声をかけてきた梟が、申し訳なさそうに眉を下げる。
「すみません、驚かしてしまいましたね?」
商人らしいもの柔らかな物腰に、レインのほうが恐縮する。
「いえ。どれも領地では見たことがないものでしたので…見とれてしまいました」
その言葉は、予想外に相手を喜ばせた。
「それは嬉しいお言葉です。実はどれも私の作品でして…あ、一部違うものもありますがね」
言葉とともに、アヴィカの方を見たので、どうやらドレスは除外されるらしい、とレインは納得する。
「ということは…梟さまは、彫金師なんですね?」
彫金師とはその名のとおり、金を細工する職業のことをいったが、その多くは宝石の加工といった宝飾品の製作過程全てを生業としていた。
「はい。贅沢三昧の方から、金を巻き上げるまたとない職業でございましょう?」
冗談めかした言葉とおどけた仕草に、レインの顔も自然と綻んだ。
その笑顔に、梟の銀の瞳が優しく弧を描く。
「レイン様は…あまり宝飾品が、お好きではなさそうですね?」
「そうですね…貴族だけに許される贅沢だから…あまり好きではありませんでした」
でも、今は少し違う。
贅沢も度を失わなければ、必要なことなのだ。
「でも、今は素直に素敵って、言えるようになりました」
「では、私のお得意様ですね。どうぞ、じっくりご覧ください」
茶目っ気たっぷりにウィンクして、梟は一礼して王妃の元に去っていく。
ひとりでゆっくり見回れるよう、配慮してくれたことに感謝しつつ、レインは一つ一つを丹念に眺めた。
宝飾品はどれも素晴らしかった。
細かなところまで凝らされた意匠に、光を弾く宝石たち。
レインはいつしか夢中になっていた。
そして、その中の一つに、目が引き寄せられた。
耀くルビーや、サファイアにくらべたら全く目立たない、青紫色の石のついた指輪。
輪を取り囲むのは、スズランの意匠だ。
なぜか目に留まったそれを、手に取ってみる。
他の石が光を放つのとは逆に、光を吸い込むような暗い紫色は、けして目立つとは言えないのに、なにかが胸をざわつかせる。
「その指輪、お気に召しましたか?」
ゆったりと問いかけられた声に、我に帰る。
「あ、あの…はい…」
なぜか口ごもるレインに、小首を傾げて梟は微笑んだ。
「なかなかお目が高い。これは紫紅玉という石なんですが…こうやって、光に翳してご覧ください」
梟の言葉に、素直にレインは光に翳してみる。
その瞬間、青紫の石は燃え上がるような赤に変化していた。
(これは…!)
驚くレインの目線を受け止めて、梟は軽く頷いてみせる。
「不思議な石でしょう。別名を゛黒狼の心臓゛ともいうんですよ」
「黒狼…?」
その言葉に、漆黒の毛皮を纏う、あの聡明な青い瞳の狼がよぎった。
どこかこの世ならざる雰囲気をもつ獣。
レインの動揺に、梟は少しその銀の瞳を細めたが、そのまま言葉を続ける。
「そう。謂れは、ある部族に伝わる昔話なんです」
その昔、とある国の深い森の奥に、大きな黒い狼が住んでいた。
黒狼は、人を好んで襲うことはなかった。
ただ、森にさえ近寄らなければ。
その森は不思議な森だった。
あるものは、動物が喋りかけてきたといい。
あるものは、この世のものとは思えない、美しい花が咲いていたといい。
あるものは、耀く宝石の宝庫だったといい。
しかし一様に、その森の奥には入れず、目にしたものを手にすることはできなかった、といった。
そして、その噂はついに王のもとへと届くまでになった。
好奇心に駈られた王は、自分の抱える魔法使いに相談した。
魔法使いは、黒狼にこの世で一番美しい娘を捧げ、その娘に狼を殺させよと告げた。
王はその言葉に従い、国で一番美しい娘を黒い狼のもとへ遣わせた。
森の入口で、娘は膝まづき、黒い狼への面会を申し入れると、迷いの森はその腕を開き、娘は黒い狼に出会うことができた。
狼が娘を見据えると、娘はその瞳の虜になった。
狼もまた、その娘の美しさの虜になった。
狼は娘に、自分の心臓を差し出し、その一部を紫紅玉に変えて、娘に持たせた。
娘はその石を手に、王の元へ帰った。
そして、それを王に差し出すと、それは大きな黒狼の姿を取り戻した。
そして黒い狼は、王を食い殺すと娘を背に乗せ、森へと消えていったという。
そして今でも、どこかの森で、黒狼と娘の末裔はひっそりと暮らしているのだ、という。
人々は敬意と畏怖をもって、その黒狼の末裔を゛森の民゛と呼んだ。
「狼との結婚…大変でしょうね」
異文化交流すぎやしないだろうか。
レインの的外れな心配に、梟は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「まぁ…昔話ですので」
「今も…森の民は…どこかで暮らしているんですか?」
その質問に、梟は困ったように眉を下げた。
「噂には、戦で森が焼かれて…バラバラになった、と聞いております」
「そう…ですか」
好きになった娘のために、自分の心臓を捧げたという黒狼。
その行為を、娘は喜んだのだろうか。
(私なら…悲しいな)
自らを傷つけて差し出される愛情は、重くて受け取れない気がする。
最後にみた、傷ついたボロボロの、黒い狼の姿が思い出されて。
(あの黒い狼は…その末裔なのかもしれない)
そっと持っていた指輪を、台座に戻したレインに、梟が困ったように眉を下げた。
「すみません、余計な話を聞かせましたかな?」
「あ、ごめんなさい。そんな貴重な石なら、高価なんですよね?私には…」
いいよどんだレインの頭に、さっと影がさした。
驚いて振り仰いだ先に、一つだけの、だからこそ強く煌めくルビーの瞳。
とことん無表情ではあるが、その赤い瞳の奥にある不機嫌な色に、レインは思わず怯む。
(な、なんだか機嫌が悪い…?)
「へ、陛下…どうして…」
「様子見だ」
いきなりの登場に驚いたレインに、簡潔に答えると王はその手をとり、すっとその指に指輪を嵌めてしまう。
それは誂えたように、レインの指におさまり、控えめな青紫の光を放っていた。
「それはお前のものだ」
静かな王の声に、レインははっと我に帰る。
「い、いただけません…!」
(私は偽物の妃だから)
続く言葉を飲み込んだレインに、王の瞳が微かに細められた。
じわりと王が距離を詰めてくる。
レインは思わずあとじさった。
そして足元に引っ掛かった椅子に、そのまま座り込んでしまう。
その椅子の手すりに手をかけて、レインを囲いこみながら、王はレインの耳に口を寄せる。
故意か事故か、首筋を唇がかすめて、レインは思わず身をすくめた。
「心配ない。これも小道具だ」
妖しい眼差しはそのままに、声音は凍りつくように鋭く告げられて。
総身に冷や水を浴びせられたように、一気に目が覚めた。
(当たり前だったのに…)
高価な贈り物も目眩ましの一種だ。
それは心がある行為じゃない。
ただ一重に、王妃を悪意の対象にしないだけのために、レインに心を移したように、みせかける小道具なのだ。
ちくり、と胸は痛む。
それでも、それはレインの仕事だった。
(いつまでも陛下だけに、頑張らせちゃいけない…)
レインは、その首に腕を回した。
倒していた王の上半身をさらに引き寄せる。
頬が燃えるように熱い。
恥ずかしさに、蚊のなくような声しかでなかった。
「…ありがとうございます」
王からのプレゼントに、身を震わせて喜ぶ妃になれているだろうか。
抱き寄せてしまえば、表情を見ることもなく楽かと思ったのに、見えないからこそ気になってしまい、心臓が早鐘をうつ。
(呆れられてる…?)
永遠に思える沈黙の後、ひょいっとレインの体が浮いた。
「え?!」
驚いて顔を上げたときにはもう、王はレインを横抱きに抱えていて。
「これは持ち帰る」
近くにいた梟に言付けると、さっと身を翻した。
「へ、陛下!ちょっとまって…」
焦るレインには構うことなく、大股で立ち去る王を見送って、梟は苦笑いする。
「…自ら追い込んじゃって…大丈夫かな、あのお姫さまは」
普段ならともかく、今は寝不足だ。
(やせ我慢もここまで、かな?)
それならそれで、梟はよいとも思っていた。
ジークの全てを簒奪したに等しい、あのお方に一つだけ払わせる負債のようなものだとも。
(それでも…若長は抗うんだろうが)
つくづく損な性格の弟子に苦笑いしながらも、梟は妃たちに、レインが連れ去られた経緯を伝えるべく、歩み寄った。




