影からの忠告
ジークは扉を開けようとして、微かに感じた気配にタメ息をついた。
「…忍び込むのはやめろと言ってるだろう?アヴィカ」
扉を開けば、そこにはソファーに腰かけて、ヒラヒラと手を振る麗人の姿があった。
(…どうやって入ったのか聞くのは愚問だろうな)
優秀な傭兵集団でもある風の民の、しかも剣の姫の名を冠する族長の娘には、ザルのような警備だったろう。
「たまには練習しないと鈍るからね。ジークだって今日はお楽しみだったんでしょ?」
耳の早いアヴィカに内心舌を巻くが、無表情にジークは返す。
「楽しむほど余裕はなかったが、な」
「…それは是非手合わせ願いたいね」
ジークの独白に、アヴィカの目の色が変わる。
それはどこか猫科のしなやかな獣が、獲物を前に喜ぶのに似ていて。
素直な反応に思わず、唇を歪めた。
「欲しければレインに話せ。あれの主はあの娘だからな」
その言葉に、アヴィカはにやりと微笑んだ。
「主従ともども武闘派ってことかな」
アヴィカの言葉に引っ掛かるものを覚えて、ジークは思わず問いただす。
「なにかあったか?」
その言葉に、アヴィカはクックッと思い出し笑いをした。
「ちょっと口が悪い店主を蹴り倒したんだよ。いやぁ深窓の令嬢とは思えない、華麗な回し蹴りだったよ」
「…そうか」
日頃の畑仕事は足腰鍛えるためだったのか。
ジークは妙な納得をして、少しだけ微笑んだ。
それを見つめていた銀の瞳が、すっと冷気を纏った。刃のように言葉で切り込んでくる。
「ただの令嬢であれば、君は彼女を招き入れなかったのだろうけどね」
その刃を受け止めて、相対するジークの瞳は静かに揺るがない。
「どういう意味だ?」
その反応に、アヴィカは肩をすくめる。
「…そのままの意味だよ。彼女は本当に嘘がわかるのかも」
彼女の言葉に、ジークは黙りこむ。
想定した範囲外からの言葉に、対応出来なかったのだ。
「…なにか感じたのか?」
その言葉に今度はアヴィカが黙りこみ、暫くして重い口を開く。
「…微かに君のアレと同じ気配がした。私が嘘をついたときにね」
その言葉に、ジークは思わず眼帯に手を触れていた。
「まさか…そんなことが…」
呟きながら、その事を全く考えなかった自分に激しく舌打ちする。
(らしくもない…目先の事に目を奪われるなど…!)
契約で繋がる異形のもの。祝霊と呼ばれる彼の黒い狼と同じ存在が、レインの側にいる、と言うことは。
(契約無しで無意識に力を発動しているのか…?)
彼女の血が成せる業なのか。
そうだとしても、その祝霊はどこで手にいれたのか。
(金獅子の誕生で全ての祝霊は地に帰ったはず…)
押し黙ったまま、考えを巡らせるジークに、アヴィカは放っていた殺気を収める。
「ジークにしては、随分危ない橋を渡ると思ったが…気づいてなかったか」
その言葉にもジークは無言を貫く。
彼女が気づいたのと、違う問題において、彼はその言葉を否定出来なかったから。
そんなジークに呆れたように、アヴィカが呟く、
「…ジーク、お前はいい王だが…相変わらず腹芸はうまくないな…そこで否定しないってことは、彼女を呼んだ本当の理由が別にあるっていうようなもんだろう?」
その言葉に、ジークは赤い瞳を細めた。
「お前なら、どちらにしても容易く突き止めるだろう。ならば下手に隠しても無駄だ」
その言葉に、アヴィカは少し眉をひそめていたが、やがて吐息を一つ吐き出して、天を仰いだ。
「今さら見つけてどうするつもりか、聞こうと思ったが…やめておこう。ここまで手の内を晒すなら、裏切るつもりはないんだな?」
その言葉に、ジークはうすく微笑む。
「無論だ。お前の刀の錆になる気はない」
その言葉に、アヴィカは肩を竦めた。
銀の瞳が三日月のように細くなる。
「お前も難儀なやつだな。どうしてそう言う面倒なやつに惚れるんだ?私にしとけばよかったのに」
さっきまでの殺伐とした気配などあっさりと振り払って、あっけらかんといい放つアヴィカに、ジークは思わず小さく笑みを漏らした。
「お前が無理だろう?俺はお前より弱い」
ジークの言葉に、今度はアヴィカが盛大に笑う。
「確かにそうだな」
そして一頻り笑うと、それを納めて立ち上がった。
「一応、釘は指したからな。うまく立ち回れよ、王様」
その声援とも野次ともつかない言葉を残し消えた側妃に、ジークは深いタメ息をついた。
(うまく立ち回れ、か…)
この上なく難しい要求であることは、彼女は百も承知だろう。
しかし願わずにはいられない。最後の最後で、レインを選べない自分を知っているから。
(結局は似た者同士なのだな…)
影に生きるもの同士、彼女の純真無垢を眩しくも感じ、また恐れもしている。
其にしても、側妃の持ち込んだ新たな難問に、ジークは思わず嘆息した。
(嘘を見抜く祝霊…か)
彼女にそれをもたらしたのは何なのか。
(確かめることは容易い)
彼女に契約をさせればいいのだ。
しかし、それはジークにとっても、自分の正体を明かすことになる諸刃の剣だった。
アイリのことだけではなく、父親についても話さなくてはいけないだろう。
その質問に、彼女を納得させる答えができる自信が、ジークにはなかった。
ジークは思わず、その人の面影に問いかけた。
(シン=ハ様…貴方は一体何を考えておられたのですか?)
心に浮かぶのは、里にいた頃の彼だ。
黒い髪靡かせて、その青い瞳を夢に輝かせていた青年。
その傍らにはアイリがいて、それはいつまでも続く幸せだと思っていた情景。
(ジーク…お前は俺の戦友だ)
酌み交わした盃に映っていた月は、正に今夜のような満月だった。
そして、思い詰めた青い瞳で問い詰められたその時も。
(ジーク、お前は全知全能の力を欲するか?)
あのとき、違う答えにたどり着ければ、アイリは幸せになったのだろうか。
里は火の海にならず、自分も望まぬ玉座につくことはなかったのか。
ジークに分かるのは、何度遡ろうとも自分の答えが変わらないことだけだった。
(今できる最善のことは、計画を終わらせることだ…)
その為には、王妃の暗殺に関わるものを早く見つけなくてはならなかった。
(もう少し、囮にエサを付けるべきか…)
そしてさっきの話を思い出し、思わず唇を歪めた。
「回し蹴りか…気を付けねばな」
そして、意を決して立ち上がった。




