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クマに似る

作者: 長谷川透明

読んでいただけるとうれしいです。初めての投稿で語彙もなく、間違った日本語を使っているかもしれませんが…お願いします。

「いやあね、あれが先生の作品とは思いませんでしたよ。今とは随分違いますが、素晴らしい傑作ですね」


川口氏は大量の汗を真っ白なタオルで拭った。まるい眼鏡をかけ直して彼は笑う。笑って見えた歯には青のりがついていた。そんなことも気にせずに彼は笑顔を見せる。


「そうですか」

「そうですよ、だってほかならぬ先生の作品ですからね。主人公だって面白いじゃあないですか」


川口氏が話しているのはこの私、秋山夏生あきやまなつおが執筆した「橋爪さん」という作品についてだった。まだ私が無名のころに書いた作品で、何かの賞に応募して落選したものだ。私としてはいい出来だったのだが、そういう残念な結果だった。しかし、とても思い入れのある作品ゆえに何としても世の中の人に読んでもらいたい、という気持ちがあった。そして、自分で言うのもなんだが人気作家・秋山夏生として売れ出した今、昔の作品を出版したいと申し出るくらいの我が儘は通るのではないか。だからこうして川口氏に願いを乞うているのだ。


「じゃあ、なんで出版できないんですか?」


詰問口調になっているが気にしない。言い分が納得できないのだから仕方のないことだ。私は構わず彼を責める。


「いや、私の一存では決めかねますし…」

「ならば編集長にでも問い合わせてくださいよ」


そう食い下がると川口氏はううんと唸る。無精ひげを癖のように撫でながら反対の手では汗を拭う。なぜ作品を褒めるのに出版は出来ないというのか。なかなか答えを出さない川口氏を見て私は苛立った。あんなにいい作品をどうして受け入れてくれない。私は舌打ちをしたい気持ちになった。少し手洗いに立つといって席から離れるとトイレへ向かった。

ここのファミリーレストランはよく彼とミーティングをするところなので店員も顔見知りだった。私がトイレに入ろうとノックをしかけると前を通った若い女性店員が「さっき違うお客さんが入られましたよ」と忠告してきた。「そう」とだけ答え、ノブのところに視線を落とすと、なるほど確かに赤い色が表示されている。忠告を受けたのは初めての経験だったので驚いたが、常連客として扱ってくれた嬉しさがさっきの苛立ちよりも勝り、用をたすと私は上機嫌で席へ戻った。

川口氏はなおも唸っていて私が帰ってきたのを見て申し訳なさそうな顔をした。だが私は機嫌がいいので決断が遅れても気にしないことにした。どうにかなるだろう、という余裕が出てくる。何事にも左右されやすいのが私の性分なのだ。それが裏目に出ることもあればこのようにいい方に向く場合もある。

余裕が出てくると今度は暇になった。何をしようかと考え、彼の顔を眺めることにする。前々から思っていたが、彼は何かの動物に見える。なんだったかな、と記憶をたどった。目の周りだけ白っぽく、肌が浅黒い川口氏は何だかクマのような動物に似ている。アライグマではなくて、ラスカルでもなくてもっとこうふさふさした感じの可愛らしい動物だ。ああ、なんだったかな。ここまで出かかっているのに。

なおも川口氏は悩んでいるようだった。人がいいからなのか彼のこういう姿を見受けることがしばしばあった。私のために悩ませるのも申し訳ないなと思いつつも「橋爪さん」だけは発表したいという気持ちが強い。

彼のコーヒーはほとんど口をつけられない。冷め切っていて、ただ表面に天井のランプを映しているだけだった。何とも空しい沈黙の中、二人の男がもくもくとそれぞれ別のことを考えているのは滑稽だ。どうしたものかと思いつつも、私は彼の顔を見ながら動物の名前を思い浮かべることをした。パンダじゃないし、大熊猫…これもパンダのことだ。考えれば考えるほどわからなくなる。ついこの間、妻と息子と動物園に行ったばかりだというのに。

答えが出ないままファミリーレストランは騒がしくなっていく。時計を見るともう夕食時だ。夕方から話していたからかれこれ二時間はここに座っている。そろそろドリンクバーだけでは耐久出来なくなってきそうだ。しかたなく動物は家で調べることにして川口氏に声をかける。


「もう混んできたし帰りませんか。さっさと帰らないと、夕食時ですし」


妻が私の夕飯を作っているだろうし、ここで食べる必要もない。だから私は伝票を持ってレジに向かうように彼に促した。

「ええ」彼はいまだ考えつつけているが、渋々といった様子で席を立つ。ふいに伝票を私から受け取ったが彼が料金を払っても損をしないようにと気づかない彼のコートのポケットに千円札を忍ばせておいた。

料金を払い終えて、外へ出るとファミリーレストランの中では考えられない寒さだった。近所だからとなめて薄着で出てきた私はチクショウと悪態をつく。そんな中、街灯の下を歩きながら川口氏はなにげなく口を開いた。


「やっぱりいいかもしれませんね。“橋爪さん”を出版しても」

妙な間があいてから、私は歓喜する。


「本当ですか!」


彼は例の動物の様な笑みで笑う。ああ、そうだった。と私はそこでようやく思い出した。彼が何に似ているのか。あのクマのような可愛らしい動物は。






「レッサーパンダだ」

「どうしたんですか急に」


彼はレッサーパンダのようにふさふさとした髪の毛を冷たい風に揺らしながら恥ずかしそうに笑った。


売れ出せたら、こういうのもいいかな…と。まあ、夢のまた夢ですが。

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