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還るということ

作者: 水無瀬悠
掲載日:2026/03/27

【あらすじ】

精霊と共に生きる島で、ひとりの女がその生を終えようとしている。


愛し、失い、手放してきた人生の果てに辿り着いたもの——。


これは、ある女の一生と、“還る”ということの物語。



はじめまして。

本作が初めての投稿となります。


まだ拙く荒削りではありますが、ひとつの物語として形にしました。


本作は、藤井風さんの「満ちてゆく」という楽曲から着想を得て執筆しています。

もしよろしければ、楽曲とともにお楽しみいただければ幸いです。


(これが“還る”ということか…)

闇深い窓の外から穏やかな波の音だけが聴こえる。

精霊たちはキャラキャラと小さく囁く。

女の呼吸は浅く、脈拍も弱い。

しかし、迫りくる死に対して女に恐れはない。

ただ——、満ちていた。



愛さなければと思っていたあの頃。

私は私でなかったように思う。

「あの神鳥のように自由でいたい」という気持ちに蓋をして、男の言う通りにすることを選んだ、選ぶしかなかった。

愛を返される、という訳でもないのに。


男は、

「貞淑な女が好きだ」

と言った。

私は、つまらない男だと思った。でも、それを言葉にすることはない。

なぜなら、男は私が生まれる前から夫となることが決まっていたからだ。

その言葉を口にしたとて、男は面白くなさそうな顔をするだけなら良いほうで、時には手を挙げた。

私も馬鹿ではない。

そんな男だと学んだのだ。

また、母も父も、男に従うように言った。

くだらないと思った。しかし、この結婚は覆せない。それは、私ですらわかっていた。

なぜなら私が次の村の長になるからだ。


幼き頃から共にいた男は、私が女の身体になると、貪るように抱いた。

私はただその時間が過ぎることを待った。

そして、私の次の長となる娘が早く産まれてくれることを願った。

しかし、そんな私の願いも虚しく、娘どころか子すら出来なかった。

男は詰る。

「お前の身体に問題がある」と。

そうかもしれないし、そうではないかもしれない。そんなことすらも、この男にはわからないのか。

だが、私は言葉にしない。

この男と共に生きていくしかないのだから。



その生活が数年過ぎた。

子は成せない、と判断した島の長である母が「別の男をあてがう」と言った。

どうでも良かった。

私に自由などないのだから。

そんな生活にも慣れた。

私が自由なのは精霊と対話している時だけだ。



新たな夫は、何を言う訳でもなく、ただそこに在る人だった。

そして、私を抱くことはなかった。

私は問うた。

「お前は私との子どもが成せないと、前の男と同じ顛末になるぞ。いいのか?」と。

夫は言う。

「だとしても、お前は俺に抱かれるのが嫌なんだろう?であれば、抱かない」

と言い、部屋を出ていった。

私は驚いた。男は女の意思など関係なく、所有物となった女を抱くものだと思っていたから。

その後も夫とは名ばかりの同居人というような関係の日々が続いた。


ある日、家の裏手にある崖で、精霊の囁きに耳を傾ける私のもとに夫が現れた。

「声は聞こえるか?」

と私に問う。

「聞こえるもなにも、今日は珍しく海の精霊がおしゃべりで五月蝿いくらいだぞ。お前は聞こえないのか?」

「聞こえん」と夫は言う。

驚いた。この島の人間は皆、生まれ落ちた時から“精霊の愛し子”という痣を持ち、精霊たちの囁きが聞こえ、それにより魔術が使える。

「お前は魔術が使えないのか?」

「ああ、精霊の愛し子はあるが聞こえない、故に、魔術も使えない」と夫は言う。

「……そうか。そんな人間がこの島にいたのか」

「あんたは昔から周りが見えてなさそうだったもんな」と言う夫。

確かに私は精霊と魔術以外に興味を示さなかった。

「自由な女で面白いなと思っていたよ」と夫は呟いた。


そこから、夫との会話が少しずつ生まれるようになった。

共に畑を耕し、飯を共にした。夫が存外、料理が得意ということも知った。

そこから肌を重ねるまでの時間はかからなかった。

そして、すぐに子を授かった。

生まれた子は男の子だった。

私は落胆した。夫は「子は宝だ。男でも女でも構わない」と言った。

しかし、生まれた子は数年で儚くなった。

昨日まで庭で辿々しいながらも走り回っていたのに。

それを夫と微笑ましく見守っていたのに。



崖で海と空を眺めた。夫が隣に座る。

穏やかな海も荒れる海も、朝日の昇る空も星の瞬きすらない夜空も。

精霊たちが耳元で囁く。キャラキャラと。

永遠のようだった。


「帰るか」夫は言う。

「そうだな」女は答える。

変わらない日常に戻った。



そこから数年後、子が出来た。

産まれたのは女の子だった。

夫と成長を見届ける日々。

こんな日が訪れるとは若い頃の私には想像はつかなっただろう。

すくすくと育つ娘。とても可愛かった。


しかし、次に夫が儚くなった。

海の事故だった。

漁を生業とする島の男にはよくある話だ。


——「子の成長を見守るのは楽しい」と言っていたのに。


——「とうさまと呼ばれて嬉しい」と喜んでいたのに。


——まだまだこれから娘は大きくなるのに。



娘が結婚をした。

相手は優しい男だった。

孫も二人生まれた。男と女だ。

家はいつの間にか賑やかになった。

幸せとはこういうものかと思った。

しかしまた、隣り合う死が、それを奪っていく。


孫娘と二人きり。

苦しくない、と言えば嘘になる。

当たり前だ。

島の掟すらも阿呆らしくなった。

ただ、すでに手放すことを学んでいだし、ゆえに満ちることも知っていた。

——生きる、それだけだ。


ある時、島に異物が混ざる。

面白いと思った。

生きているかもわからないような孫娘にも変化が起きた。



短命な者が多いこの島で、私は長生きをした。

いい人生だったかと問われれば、答えに窮するだろう。

——でも。

自身の生が死に凌駕されると悟った時。

見えたもの、聴こえたものがあった。

光だと思った。

夫や幼くして死んだ息子、娘や孫、それが精霊たちの声と共にキャラキャラと私に語りかける。

生き死にを超え繋がる、“還る”、島での理を理解した瞬間だった。

すべてが在る場所に還ったのだ。


「何も持っていやしないけれど、すべてをくれてやるよ」


共に手放そう。

自由の効かなかった私の身体は軽くなる。

魂が満たされていく。

光の粒が混ざり合う。


開け放たれた窓から、一陣の潮風が精霊と共に旅立った女の髪を揺らした。




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