悪役令嬢(国家公務員)ですが、現場で王子の本気アドリブを食らいました。ボーナス査定は響きますが、人生の伴侶は手に入れました。
「おーほほほほ! この泥棒猫が! 王子との婚約は白紙に戻して差し上げましてよ!」
夕焼けに染まる学園の中庭。金髪縦ロールの令嬢、フローラは完璧な高笑いを決めた。
目の前で震えるのは「ヒロイン」のリリアーネと、彼女を庇う「王子」のエドワード。
「……君がこれほど残酷な女だったとは!」
王子の叫び。それは「物語」がクライマックスへ向かう合図だ。
しかし、私は内心で手元の懐中時計をチラリと見た。
(よし、16時59分……)
扇子をパチンと閉じ、一瞬で冷徹な高笑いを消した。
そして、泥だらけのリリアーネに歩み寄る。
「はい、お疲れ様。ヒロイン役、今日も良かったわよ。特にその子鹿のような震え、リアリティあったわ」
「えっ、あ、ありがとうございます……先輩」
リリアーネが顔を上げ、ハンカチで目薬でつくられた涙を拭う。
王子も、剣を構えていた勇ましいポーズを解いて、肩を回した。
「笑里、今日の罵倒もキレキレだったな。喉、大丈夫か?」
「ええ、この後マヌカハニーでケアしますから。それより香取さん、今のセリフ、もう少し『軽蔑』を込めてくれないと。私の悪役ポイントが加算されません」
時は20XX年。
悪役令嬢系の小説が流行りに流行り、需要が供給に追いつかなくなってきた。
小説、アニメ、漫画…………人気は留まることを知らず加速し続ける。
そして、とある職業が生まれた。
「破滅フラグ管理官」
悪役令嬢、悪役王子の役者のプロフェッショナル。
ストレスの多い社会に求められる「ざまぁ」の欲求に応える今やなくてはならない職業だ。
笑里恋歌は、国家公務員として「悪役令嬢」を演じているプロフェッショナルだった。
「じゃあ、私はこれで。定時ですので」
「えっ、今から断罪イベントの続きじゃ……」
「続きは明日、10時からの回で。これ以上は残業代が出ませんので、失礼します」
私はドレスの裾を翻し、優雅に、しかし迅速に現場を去った。
更衣室でコルセットを脱ぎ捨て、着慣れた事務服に着替える。
「悪役令嬢」としての彼女は、婚約破棄され、国外追放されるのが「ゴール」だが、公務員としての彼女は、有給休暇の消化とボーナス査定が「ゴール」だ。
「……さて、帰りにラーメンでも食べて帰ろ」
最強の悪役令嬢は、誰よりも現実的な足取りで、夕暮れの街へと消えていった。
学園の門を一歩出れば、そこは魔法と中世風の街並み――を精巧に模した「エンターテインメント特別区」だ。
は、慣れた手つきでICカードを改札にかざし、区外行きの電車に乗り込んだ。
(ふぅ。今日の『断罪の伏線:教科書破り』、ちょっと力が入っちゃったわね)
つり革に掴まりながらスマホで今日の「悪役スコア」をチェックする。
リアルタイムで中継されている市民からのヘイト指数は、目標値を5%上回る「82%」。
これなら今月のボーナス査定はAランク確定だ。
下車したのは、何の変哲もないオフィス街。
彼女が向かったのは、チェーン店のラーメン屋。
豪華なドレス姿の残り香を消し去るように、カウンターの隅で
「ラーメン並、ニンニク多め、野菜多め」
を注文した。
「……これよ、これ」
葱を山盛りに乗せ、かき込む。
宮廷料理のフルコースも悪くないが、公務員の胃袋にはこのジャンクさが染みる。
そこへ、隣の席にガタガタと慌ただしく誰かが座った。
「す、すみません。ラーメン大盛り、木耳多めで……!」
聞き覚えのある声に、の箸が止まる。
横を見ると、そこには先ほどまで「運命のヒロイン」として彼女に罵倒されていた、リリアーネこと、夜叉夏かぐやの姿があった。
もちろん、お決まりの地味な制服姿ではなく、ヨレヨレのパーカーを着た「仕事終わりの顔」で。
「……夜叉夏さん?」
「はふっ……!? ゲホッ、エ、先輩!?」
夜叉夏がラーメンを喉に詰まらせかける。
「お疲れ様。あなた、ここ行きつけなの?」
「は、はい。ここの『ざまぁ後』のラーメン、最高に美味しいんで……」
ヒロイン役の彼女も、実は非正規雇用の「物語進行補助官」だ。
二人はしばし無言で、葱の青い山を崩しながらラーメンを啜った。
「ねえ、夜叉夏さん。来週の毒盛り未遂のシーンだけど。あそこ、私に平手打ちする準備しておいて。監督からヒロインの反撃が足りないって要望が来てるの」
「ええっ、先輩を叩くなんて! 減給されたらどうするんですか!」
「大丈夫よ。私の耐久スキルの経費で落とせるから。その代わり、しっかり泣いてね。市民を味方につけるのがあなたの仕事でしょ」
ラーメン屋の片隅で、世界を揺るがす「断罪劇」の裏工作が淡々と進められる。
「あ、先輩。デザートにコンビニの新作スイーツ買って帰りません? 領収書、『福利厚生費』で切れるかもしれませんよ」
「いいわね。じゃあ、今日の会議はこれでお開き」
最強の悪役令嬢と可憐なヒロインは、割り勘で会計を済ませると、夜の街へと消えていった。
明日の10時、また「宿敵」として再会するために。
***
翌朝10時、学園の講堂。
予定されていたシーンは、いよいよ中盤の山場「ダンスホールでの公開処刑」だ。
「フローラ! リリアーネを階段から突き落としたのは君だな!」
エドワード王子が、まばゆいスポットライトを浴びて叫ぶ。
その瞳には、昨日ラーメン屋の隣で震えていたリリアーネへの愛――を装った、プロの情熱が宿っていた。
(……あ、エドワード様、ちょっと立ち位置がズレてる)
は扇子を広げながら、ミリ単位で自分のポジションを修正する。カメラ映りと、王子のマントが絡まないための配慮だ。
「まあ、証拠もなしに。わたくし、そのような野蛮なこといたしませんわ。おーほほほ!」
撮影は順調に進み、「カット!」の声がかかる。
休憩に入った途端、王子エドワードは豪華な椅子に崩れ落ちた。
「……あー、死ぬかと思った。、さっきの罵倒、心臓に来るよ。本当に俺、何かしたっけ?って不安になる」
即座にエドワード王子は顔は良いがどこか残念な男、香取瑞葵へと変貌する。
「演技ですよ、香取さん。それより、マントの扱いが雑です。公務員試験の『王族所作』セクション、赤点だったんじゃないですか?」
香取はガシガシと頭を掻いた。長くて綺麗な黒髪がぐちゃぐちゃになる。
「しょうがないだろ、俺はもともと体育局の人間なんだ。現場の治安維持要員として採用されたのに、顔がいいからって『王子枠』に回されたんだから」
実は、この「王子」こそが一番の肉体労働だった。
常に背筋を伸ばし、重いサーベルを腰に下げ、さらには「ヒロイン」を抱き上げるシーンでは、カメラに映らない角度でスクワット並みの筋力を酷使している。
「先輩、香取さん。差し入れです」
夜叉夏がコンビニの栄養ドリンクを持ってきた。
「悪いな、夜叉夏。……なあ、さっきの『突き落とされシーン』、膝打たなかったか? 労災申請の書類、俺が持ってるけど」
「大丈夫です! ちゃんとプロテクター仕込んでましたから」
豪華なシャンデリアの下、ドリンク剤を回し飲む三人。
「なぁ、笑里。今度の日曜「大変だ! 上層部から演出変更の指示が入った! 『視聴率が停滞しているから、来週の断罪イベントに【第三の勢力】を投入しろ』って!」
香取がなりかを言いかけたときに監督かこちらへ叫んだ。
三人が顔を見合わせる。
「第三の勢力? 私たちの契約書には、そんなの載ってませんけど」
鋭い声で問う。
「隣国の『狂犬公爵』だよ! 酒実樹勇士!!!中途採用で入ってきた、元・格闘家のアウトロー俳優だ。彼は台本を無視して暴れるタイプらしい……」
ぎゅっと皆の眉間にシワが寄った。
「……つまり、残業時間が増えるってことですね?」
「あ、いや、それは……」
「香取さん、夜叉夏さん。作戦会議よ。新参者に私たちの『完璧な定時退勤』を乱されてはたまらないわ」
酒実樹は私がとても、いや、とてーーーーも苦手とする人物だった。
にやにやしながら近づいてくるし。台本無視してるし。悪役令嬢としての立場を崩されたらたまったものではない。
悪役令嬢、ヒロイン、王子の三人は、一致団結して「予定通りの国外追放(退職)」を勝ち取るべく、新たな「敵」を迎え撃つ準備を始めた。
***
「狂犬公爵」こと、中途採用のヴォルフ。
彼は台本を無視し、荒々しくの腕を掴んだ。
「……おい、お前。いつまでこんな『茶番』を続けるんだ?」
演出にはない力強い引き寄せ。私の背中に、冷や汗ではなく、プロとしての警報が鳴る。
「……あら、公爵。台本ではわたくしを軽蔑して通り過ぎるはずですけれど?」
「あんなクソみたいな台本、破り捨ててきた。俺が欲しいのは、演技じゃないお前だ。……」
「ご冗談を……「本気だ」
頭の中に警報が鳴り響く。
だからこいつは嫌いなんだよ!!!
彼はこの「撮影」を、真実の求愛の場に変えようとしていた。
っ、嘘だろ………
現場に緊張が走る。監督は「これだ! リアルな熱量だ!」とカメラを回し続けるが、私にとっては「業務過多」の危機でしかない。
しかし、その時。
「そこまでだ、ヴォルフ公爵」
割って入ったのは、いつもは頼りないエドワード王子だった。彼は台本にない鋭い剣筋で、ヴォルフとの間に割り込む。
「エドワード様? あなたの出番はもっと後……」
「黙ってろ、。……今は、『王子』としてじゃなく、君の『同僚』として言わせてもらう」
エドワードはヴォルフを冷たく睨みつけた。
「彼女は定時退勤を愛している。公務員としての規律を重んじているんだ。お前の独りよがりな情熱で、彼女のワークライフバランスを乱すことは許さない」
「……はっ、甘いな王子。俺なら、彼女をこんな安い給料の現場から連れ出して、一生贅沢させてやれる」
「贅沢? 彼女が求めているのは、仕事の後のラーメンと達成感だ。お前のようなイレギュラーに、彼女の美学は理解できない!」
私は呆然とした。
………なんでラーメンのこと知ってるんだ?
(……ええ、きも……)
「、行こう。ここは俺が食い止める。君は……先に上がれ。リリアーネが駅前のカフェで待ってる」
エドワードの背中が、いつになく大きく見える。それは「物語のヒーロー」ではなく、窮地の同僚を助ける「最高のパートナー」の背中だった。
「最高のパートナー」?何を言っているんだ。
私達はただの同僚。私は天才役者で誰もが目を奪われる完璧な破滅フラグ管理官。
なんでこんな残念な男を?冗談じゃない。好きなわけないでしょ。
「……エドワードさん。明日、コーヒー奢りますから。ブラックの、一番高いやつ」
「ああ。砂糖抜きで頼むよ」
私は一瞬だけ、悪役令嬢の仮面を外し、一人の女性として微笑んだ。
そして彼女は、恋の予感という名の「想定外の残業」を華麗にスルーし、夕闇の街へと走り出した。
心臓が少しだけ、ラーメンを食べている時より速く跳ねているのは、きっと走りすぎたせいだと自分に言い聞かせながら。
***
エドワードがヴォルフ公爵を食い止め、私が定時退勤を果たした翌日。
二人は仕事終わりに、約束通り駅前の落ち着いたカフェにいた。もちろん、煌びやかな衣装ではなく、私はシンプルなワンピース、香取はラフなジャケット姿だ。
お互い大きなサングラスとマスクで見た目は不審者だけれども。
「……昨日は助かったわ。あれは完全に『ハラスメント案件』だったから」
綿は、エドワードの前に置かれたブラックコーヒー(一番高いやつ)を見つめながら言った。
目の前の切れ長な瞳から目が離せない。
「いや、お互い様だろ。俺だって、あのままヴォルフの独壇場になったら、俺の王子としての役割が全部食われるところだったしな」
私の会話は常に「業務」が中心だった。
昨日感じた一瞬の「恋の予感」は、の脳内では「共演者としての信頼度の向上」という名目で処理した。
恋なんて必要ない。判断力を鈍らせ、不幸にするだけの物。
「しかし、あの狂犬公爵、手強いわね。視聴者の反応は良かったみたいだけど、私たちの『段取り』が全部狂う」
「ああ。明日は俺が『フローラへの信頼』を表明するシーンがあるんだ。ヴォルフに邪魔されないように、事前に夜叉夏と三人で打ち合わせしないと」
私たちの間にあるのは、恋人同士のような甘い雰囲気ではない。
長年連れ添った戦友、あるいは同じプロジェクトの難題に立ち向かうベテラン同僚のような、静かな連帯感だった。
この雰囲気がどうにも嫌だ。
言っちゃわるいが私はかなり綺麗なほうだ。祖母が外国人でかなり整った顔立ちをしているとちやほやされていた。
見た目によらずかっこいい、と評される声でお願いしたらどんな人も虜になる。それなのに。
じーっと目の前の男を見る。
長い髪の毛と切れ長で涼やかな瞳。通った鼻筋に私と対照的な甘い声。
べ、べ、べ、別に!?!?!?好きって訳じゃないけど!?!?!?
あなたがどうしてもっていうなら付き合ってあげないことも無い………わよ!!!
思考が行ったり来たりぐるぐるしている。
一回助けられただけなのに。好きなわけないのに─────
ふと、香取が私を見て、少しだけ真剣な表情になった。
「なあ、。もし、本当にこの『物語』が終わって、俺たちが国外追放処分(契約満了)になったら、どうするつもりだ?」
少し考えた後、ブラックコーヒーに口をつけた。
「そうね……次の職場を探すわ。今度は、もっと残業が少なくて、悪役じゃない、地味な一般事務の仕事がいい」
「ははっ、似合わねえな」
「あなたこそ。その顔とスタイルじゃ、どこ行っても目立つでしょうに」
香取は笑いながら、言った。
「まあ、どこに行っても、お前が作った悪役令嬢のポジションは、最高のコンテンツとして歴史に残るだろうな。俺は、その隣で演じられて光栄だったよ」
「……光栄だなんて。お互い、最高の『宿敵』だったわね」
恋ではない。けれど、それ以上に深く、お互いのプロ意識と努力を認め合う関係。
カフェを出た二人は、明日の撮影現場で激しく憎み合う役に戻るために、それぞれの家路についた。
明日の朝10時には、彼らはまた「王子」と「悪役令嬢」として、世界を揺るがす愛憎劇を演じるのだ。
***
家に帰るとすぐにメイクを落とす。お風呂のスイッチを押してシャワーを浴びる準備をする。
お風呂ではぽこぽこしたBGMにのせてナイトルーティンをアップするための動画を撮る。
お風呂からあがるとすぐに化粧水を塗ってパック。この仕事では美しさが武器だから。
そしてすぐに悪役令嬢、フローラへの評価を見る。
こうして軌道を調整していき、求められている自分へと近づく。そこには一切の個性はない。求められているのは有名になることのみ。
こすられ続けた悪役令嬢系ではヒットしない。悪役はいつまでも悪役でいられない。
コメント欄をスクロールしているとあるアカウントが目に留まった。
『東京都・あくあまりん』
「海………」
雨雲海。彼女はフランチェスカというシンデレラの姉役で人気を取っていた。
だが。その作品は全員を救ってしまった。痛快な「ざまぁ」を求める視聴者にはこれは不愉快にしか思われずバッシングが世間から巻き起こった。
フランチェスカは真実の愛を手に入れ、元の世界へ帰る。悪役令嬢からヒロインへとなり彼女の母親役が悪役を期待されたものの悲しい過去が明かされ、悪役不在となってしまった。
駄作と評された作品の主演を務めていた海は新しい仕事がなく今は無職だと聞いた。
今一度、よく考える。
「ざまぁ」展開には加害者が必要で。その『悪役』がいなければ作品は成り立たない。
(悪役令嬢、やめようかな)
作品の中の誰かの不幸を喜び食い物にする。
それを糧に作られた社会は果たして正しいのか?
香取瑞葵と生きたい。
悪役とか王子とか、そういうのはすべてほうっておいて。
役者とか俳優とか気にしないで。
ただ二人の人間として共に生きたい。
今日、笑里恋歌の好きな物が増えた。
一つは定時退社。
二つはラーメン。
そして三つ目は…………
(香取瑞葵)
悪役令嬢の恋は走り始めた。
***
笑里恋歌が好きだ。ずっとずっと。このシリーズが始まってからずっと好きだった。
クールな距離感が好きだ。
笑ったときの細められた目が好きだ。
この感情は君がくれた。それを俺は、愛と名付けよう。
明日は物語の最終章。ちゃんと、伝えようと。
***
フローラは雨の中、国境の門でエドワード王子と対峙していた。
「フローラ、二度とこの国へ戻るな!!」
リリアーネと真実の愛を勝ち取り、呪われた令嬢フローラを追放する。
エドワードの冷徹な演技。本来ならここで私は悔しげに去り、物語は「めでたしめでたし」でクランクアップする。
だが、その時。
(……えっ?)
エドワードがフローラの腕を強く引き寄せ、傘を捨てて彼女を抱きしめた。
騒然とする撮影スタッフ。カメラマンは混乱しながらも、そのあまりに美しい構図にシャッターを切り続ける。
「エ、エドワードさん!? これ、台本に……」
「……もう、限界だ」
耳元で、彼が低く、震える声で囁いた。
「定時だ、公務員だ、役柄だ……そんな言い訳で、自分を誤魔化すのはもう疲れた。恋歌。俺は君を追放したくない。仕事のパートナーとしても、一人の男としてもだ」
私の心臓が、今まで演じてきたどんな修羅場よりも激しく打ち鳴らされる。
この鼓動はフローラのものか?それとも笑里恋歌のものか?
「何を……事熱心なあなたらしくもない。これは公務なのよ?」
「ああ、仕事だ。だから、これは『辞職願』だ」
エドワード……いや、香取瑞葵は私の目を見つめ、ポケットから役作りの小道具ではない、本物の、小さな箱を取り出した。
「王子も、公務員も辞める。……君という『悪役』に、俺のこれからの人生を、全部盗られたいんだ」
どよめく現場。
夜叉夏が「きゃー!」と歓喜の悲鳴を上げ、監督は「回せ! 奇跡のラストシーンだ!」と絶叫している。
私は少しだけ呆れたように、でも、これまで見せたことのない、溶けるような甘い笑みを浮かべた。
「……バカね、瑞葵。そんな無茶苦茶なアドリブ、ボーナス大幅カットよ?」
「構わない。その分、俺が一生かけて稼ぐ」
私は彼の首に手を回し、自分から距離を詰めた。
「……いいわ。その『不祥事』、わたくしが一生付き合って差し上げますわ」
雨の中、二人は台本にはない、けれど誰よりも真実のキスを交わした。
数分後。
「はい、カット! 完パケです!!」
監督の声が響くと同時に、二人はパッと離れた。
私はいつものように前髪を整え、エドワードは少し照れくさそうにネクタイを緩める。
「……今の、福利厚生の範囲内に入ります?」
「さあ……でも、受理されたみたいよ」
二人は微笑み合い、並んで更衣室へ向かう。
明日からはもう、王子と悪役令嬢ではない。
ただの、恋という名の「終わらない残業」を楽しむ、一組の男女として。
***
あの大雨の中のクランクアップから一ヶ月。
二人は、物語を完結させた「元・共演者」としてではなく、ごく普通の「恋人」として、初めての休日を過ごしていた。
「……。そんなに離れて歩かなくてもいいんじゃないか?」
「仕方ないでしょう。つい癖で、あなたとは『不仲な距離感』を保つように身体が覚えちゃってるのよ」
遊園地の中、カジュアルな私服姿のエドワードが苦笑する。
もまた、ドレスなしの自分の姿が落ち着かないのか、何度もスカートの裾を気にしていた。
「見て、瑞葵。あそこのショップに『王子様の王冠カチューシャ』が売ってるわ。あなたの役作りの参考に……」
「もう役作りは必要ないんだって。今はただの、君の彼氏だよ」
瑞葵は少し強引に、私の手を取った。
撮影中は「断罪」のために掴んでいたその手を、今は指を絡めて優しく握りしめる。
私の頬が、役作りではない本物の朱に染まった。
「……あなた、本当に堂々とするようになったわね。あの初日の、ガチガチに緊張してた王子様はどこへ行ったのかしら」
「あれは君が怖すぎたんだよ。今は……こうして触れていないと、また君が『国外追放』されて消えちゃう気がしてさ」
ふざけたような言葉の中に、隠しきれない本音が混じる。
繋がれた手に少しだけ力を込め、彼の肩に頭を預けた。
「……追放なんてされないわよ。私、次の職場はあなたの家の近くの役所に決めたんだから。有給休暇も、あなたと合わせるために調整済みよ」
「……さすが、元・最強の悪役令嬢。根回しが完璧だな」
二人は、かつて演じたドラマチックな「愛憎」よりも、ずっと静かで、ずっと確かな「愛」を育み始めていた。
夕暮れの観覧車の中で、二人の影が重なる。
それは台本も監督もいない、彼らだけのための「真実のシーン」だった。




