表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/8

第3章:問いかけの深まり

 二人が出会ってから一週間が過ぎた。遼と薔薇は毎日のように会うようになった。図書館、学校の屋上、放課後の河原。二人だけの特別な時間が始まっていた。


 遼のクラスでは、薔薇との関係について噂が広がっていた。


「えー、遼って彼女いたの?」


「美人だけど、なんか変わってるよね、あの子」


「二人とも変わってるから、お似合いなんじゃない?」


 健太が遼に話しかけた。


「おい遼、あの子誰? まさか彼女?」


「友達だよ……たぶん」


「たぶんって何だよ」健太が笑った。「でもお前、最近ちょっと元気になったよな。顔色もいいし、なんか生き生きしてる」


 確かに遼は変わっていた。薔薇と出会ってから、世界の見え方が変わった。以前は灰色に見えていた景色に、少しずつ色が戻ってきた。


 昼休み、薔薇は遼のクラスを訪れた。薔薇は1年生だったが、年齢の差など関係なかった。二人の魂は同じ深さを持っていた。


「遼、屋上で一緒にお弁当食べない?」


 屋上で二人きりになると、薔薇が言った。


「昨夜のこと、夢じゃなかったよね? あの宇宙の夢」


「うん。僕も同じ夢を見た。宇宙で手を繋いでる夢」


「不思議ね。私たち、テレパシーでもあるのかしら」


 遼は薔薇に写真を見せた。夜空の星々、河原の風景、街の夜明け。どれも美しい写真だったが、薔薇が最も興味を持ったのは星空の写真だった。


「この写真、すごく深いのね。まるで宇宙が何かを語りかけてるみたい」


「薔薇にもそう見える? 僕もそう感じて撮ったんだ」


 薔薇は遼にハイデガーの『存在と時間』を見せた。


「この本、存在について書かれてるの。あなたの問いと関係があるかもしれない」


 遼はページをめくってみたが、内容は確かに難解だった。


「分からないところが多いけど……でも、この人も僕と同じようなことで悩んでたんだね」


「そうなの。ハイデガーは『存在とは何か』という根本的な問いから出発してる。あなたの頭の中の『声』と同じ問いよ」


 二人が話している間、また例の現象が起こった。周囲の音が消え、深い静寂が訪れる。頭の中の「声」も完全に静まる。


「この静寂……」遼が呟いた。


「私たちにとって、とても大切なものね」薔薇が答えた。


「なんでだろう? なんで君といると『声』が静まるんだろう?」


「きっと答えが見つかりかけてるからよ。私たち、一人では見つけられない何かを、一緒にいることで見つけようとしてる」


 放課後、二人は図書館に向かった。薔薇が普段利用している場所だった。司書の田村さんが薔薇を見て微笑んだ。


「あら薔薇ちゃん、今日はお友達と一緒なのね」


「はい。遼、紹介するわ。田村さんは私をいつも気にかけてくださってる」


「はじめまして、高樹遼です」


「遼くんね。薔薇ちゃんがお友達を連れてきたの、初めて見たわ。良かったのね」


 田村さんの言葉で、薔薇がいかに孤独だったかが分かった。遼は薔薇の手をそっと握った。薔薇は驚いたが、嫌がらなかった。


 図書館で二人は向かい合って座った。薔薇はカミュの『異邦人』を読み、遼は薔薇に勧められたサルトルの『存在と無』を眺めていた。


「この主人公、感情がないように見えるけど、本当は感じすぎて麻痺してるんじゃないかな」薔薇が呟いた。


「僕も同じかも。感じすぎて、逆に感じられなくなってる」


 遼が薔薇に聞いた。


「君のお父さんとお母さんは、愛し合ってないの?」


「分からない。昔は愛し合ってたのかもしれない。でも今は……ただ習慣で一緒にいるだけみたい」


「それって悲しいね」


「悲しいというより、虚しい。愛がこんなに脆いものなら、なんで人は愛を求めるんだろう」


 その時、薔薇の頭に新しい気づきが浮かんだ。


「でも、あなたといると、少し分かる気がする」


「何が?」


「愛っていうのは、理解されることかもしれない。完全に理解されること。判断されずに、受け入れられること」


 遼は薔薇の言葉に深く感動した。


「そうかもしれない。僕も君といると、初めて理解されてる気がする」


 夕方になって二人は図書館を出た。健太が迎えに来ていた。


「おい遼、紹介してくれよ」


「健太、こちら薔薇。薔薇、僕の親友の健太」


「はじめまして」薔薇が軽く頭を下げた。


「薔薇ちゃんか。変わった名前だね。でも美人だなあ」


 健太の気さくな態度に、薔薇も少しリラックスした。


「健太くんは遼のことをよく理解してるのね」


「理解してるかどうか分からないけど、こいつはいい奴だよ。変わってるけどね」健太が笑った。


 三人で健太の家の定食屋に向かった。健太の両親が温かく迎えてくれた。


「遼くん、今日はお友達も一緒なのね。いらっしゃい」


 健太の母親の温子が薔薇に声をかけた。


「薔薇ちゃんというの? 素敵なお名前ね」


 薔薇は健太の家族の温かさに触れて、少し涙ぐんだ。こんな家族の愛情に包まれた経験がほとんどなかった。


 定食を食べながら、健太が遼に話しかけた。


「なあ遼、最近お前変わったよな。前より明るくなったし、なんか目的ができたみたいだ」


「薔薇に出会えたからかもしれない」


「薔薇ちゃんも遼と友達になって良かったね。遼は変わってるけど、優しいし、深いこと考えるから、話してて面白いと思うよ」


 薔薇は頷いた。


「遼は私が今まで出会った人の中で、一番理解してくれる人です」


 夜になって薔薇を家まで送る途中、遼が薔薇に聞いた。


「薔薇、君は何のために生きてると思う?」


「今までは分からなかった。でも最近、少し見えてきた気がする」


「何が見えてきた?」


「私たちが出会ったことには意味がある。私の愛への問いと、あなたの存在への問いが合わさることで、何か大切な答えが見つかりそう」


 遼は薔薇の言葉に深く共感した。


「僕も同じことを感じてる。一人では見つけられない答えを、君と一緒なら見つけられるかもしれない」


 薔薇のマンションに着いた時、薔薇が言った。


「遼、私の家に上がってもらってもいい? 両親に紹介したいの」


 薔薇のマンションは高層階にあった。エレベーターで上がっていく間、薔薇は緊張していた。


「私の両親、少し変わってるから……」


「大丈夫。僕の両親も変わってるよ」


 薔薇の家に入ると、母親の美和がリビングで仕事の資料を整理していた。


「薔薇、お帰りなさい。今日は遅かったのね」


「お母さん、紹介したい人がいるの。遼くん、私の友達です」


 美和は遼を見て驚いた。薔薇が友達を家に連れてきたのは初めてだった。


「はじめまして、高樹遼です」


「こちらこそ。薔薇がお友達を連れてくるなんて、とても珍しいことです」


 父親の健一も仕事から帰ってきた。薔薇の友達として遼を紹介された。


「薔薇に友達ができたのか。それは良いことだ」健一が言った。


 でも薔薇の両親の会話は事務的で、愛情のこもったやり取りは見られなかった。遼は薔薇の問いの根源を理解した気がした。


 薔薇の部屋で二人は話した。


「薔薇の部屋、本がたくさんあるね」


「一人でいる時間が長いから、本が友達だったの。でも最近は……」


「最近は?」


「本よりも、あなたと話している方が楽しい」


 薔薇の机の上には、哲学ノートが開かれていた。愛についての深い考察が綴られている。


「すごいな、薔薇。こんなに深く考えてるんだ」


「あなたも写真を通して深く考えてるでしょう? 表現方法が違うだけ」


 遼は薔薇の本棚にある本を見回した。ハイデガー、サルトル、カミュ、シモーヌ・ヴェーユ……高校生が読むには難解な哲学書ばかりだった。


「この本たち、全部読んだの?」


「理解できてるかは分からないけど、読んでる。難しい内容の方が、頭の中の『声』が静かになるから」


「君にとって哲学書は薬みたいなものなんだね」


「そうかもしれない。でも最近は、あなたといる時の方が効果的」


 夜が深くなって、遼は帰ることにした。


「また明日、会える?」薔薇が聞いた。


「もちろん。毎日会いたい」


「私も。あなたがいないと、また頭の中がうるさくなる」


 遼が帰った後、薔薇は哲学ノートに向かった。


『遼との出会いから一週間:

彼といると、世界が違って見える。これまで抽象的だった「愛」というものが、少しずつ具体的になってきた。愛とは理解すること、受け入れること、相手の幸せを願うこと。そして……存在を肯定すること。

遼の存在への問いと、私の愛への問いは、実は同じ根っこを持っているのかもしれない。存在することの意味と、愛することの意味。両方とも、繋がりに関する問いだから。』


 同じ頃、遼も日記を書いていた。


『薔薇と出会って一週間が経った。僕の人生で最も充実した一週間だった。頭の中の「声」は相変わらず聞こえるけれど、薔薇といる時は完全に静まる。これは偶然じゃない。きっと何か深い意味がある。

薔薇の愛への問いを聞いていて気づいた。僕の存在への問いも、結局は愛への問いなのかもしれない。なぜ生きるのか? 愛するため。なぜ存在するのか? 愛されるため、そして愛するため。

答えが見えてきた気がする。』


 その夜、二人は再び同じ夢を見た。宇宙空間で手を繋ぎ、無数の星々に囲まれている夢。今度は夢の中で会話をすることができた。


「薔薇、聞こえる?」


「聞こえるわ、遼。私たち、夢の中でも繋がってるのね」


「きっと僕たちの魂は、現実以上に深く繋がってる」


「そうね。きっと私たちは……」


 夢の中で薔薇が言いかけた時、宇宙から新しい声が聞こえてきた。今度は問いかけではなく、語りかけるような優しい声だった。


『二人とも、よく頑張っているね。答えに近づいてきている』


 二人は夢の中で顔を見合わせた。


『あなたたちの問いは、宇宙にとってもとても大切な問いなんだ』


 朝、二人は同時に目覚めた。そして確信していた。自分たちは何か特別な使命を担っているのだということを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ