検索は背徳の香り
秀人に別れを告げると、湊太は車には乗らず、そのまま歩道を駅の方向に向かって歩き始めた。
夕湖の運転する車もそれを追うように、すぐ近くのビルの前までハザードを焚きながらゆるゆると移動する。
ちょうど塾が終わったらしく、小学生たちが何人か歩道に出てきていた。最後に出てきた妹の姿を見つけ、湊太は声を掛けようとして一瞬右手を上げかけたが、やめた。
スマホを見ながら歩いている。受験に受かったら買う、と言う約束で手に入れた念願のスマホだが、依存症じゃないかと言うレベルでずっと見ていて、我が妹ながら心配だ。というか怖い。
「おーい、歩きスマホやめろ」
「うあお、ビビったー!!」
取り落としそうになったスマホを大事そうに握りしめると、妹は兄を一睨みし、スマホをコートのポケットにしまい込んで、短い階段を下りた。
「バカ湊太!落としたらどーすんだよ」
「階段あるのにスマホ見てる方が悪い」
だんだん口も悪くなっている気がする。何とかしてこいつからスマホを取り上げてしまいたい。
「ちょっとスーパー寄って帰るね。湊太、冷蔵庫何か切らしてるものあった?」
スーパーの駐車場に車を止めると、シートベルトを外しながら夕湖が聞いてきた。
冷蔵庫の内容を一番把握してるのが俺ってどうなの、とも思う。
「人参。あ、豚肉の冷凍ストックも使い切った。あーっと…俺も一緒に行くわ」
何だか埒が明かない気がして湊太もシートベルトを外す。
「私は残っとくね。あ、ポテチ買っといて」
スマホから目を離さないまま、妹は車に残る宣言だ。
夕湖が人参をカゴに入れながら
「明日のお昼も考えないとだね。何が良い?簡単なやつがいいけど」
「だったらうどん。きしめんがいいな。肉うどん」
提案しつつ、湊太はカゴを夕湖から奪い取って、青ネギをカゴに突っ込んだ。
ここのスーパーは由梨香の母が勤めているので、よく立ち寄る。湊太的には、うどん玉もきしめんを置いているので密かに気に入っている店なのだ。牛肉と豚肉とかまぼこ、そしてきしめんも手早く7玉入れていく。
4人家族だが構わない。全然食べきる自信がある。
「それよりさあ、朝海のスマホ依存やばくない?やっぱ渡すの早すぎたって」
「でも受験合格でって約束だったもんなあ。今更ダメとは言えないよ。大丈夫、時間制限も掛けてるし…まあ、言いたいことは分かるよ。…さて、夕飯はお惣菜でいいかな。お味噌汁は作るから」
横から豆腐を放り込むと、夕湖はそそくさと総菜コーナーに向かった。
「明日、ユリカ来るって」
お互い、顔も見ずに話す。視線は二人とも総菜棚だ。
「…そう。パステルの紫で良かったかな?確かランドセルの色そうだったなって思って」
「え、何?何の話…あ、ラムダの色?そこ?…ランドセルって…ほとんど会ってないのによく覚えてんな?それより…なんであの二人なの?なんであいつら巻き込んだの」
「うちに普通に遊びに来るのってあの二人だから」
「俺たちにあそこで何させるつもり?何か企んでる?」
「人聞き悪いなあ。大学行って就職するだけが人生じゃないって事。進路っていうか…とにかく、選択肢が増えたと思ってよ」
「選択肢…」
そう言われると、何とも返し難い。湊太は黙り込んでしまった。
「さて、気分は揚げ物なんだよねー。唐揚げとトンカツ、どっちがいいかな?」
夕湖が元気に振り返った。むっとした顔のまま、湊太も小さく叫び返した。
「…唐揚げ!」
夕食後、湊太はいつになくそそくさと自分の部屋に戻った。たった半年だがすっかり居心地の良くなっていた「自分の部屋」だったのに、なぜか急に落ち着かない気分になり、意味もなく部屋の真ん中を行ったり来たりした。
いつもなら吸い込まれるように「じいちゃんの机」に向かってPCを起動しているところだが、引き出しが気になって仕方がない。一つ大きく深呼吸すると、心を決めた顔で机に向かった。
2号機の電源ボタンに手を掛けて、そのまましばらく止まる。
―――やっぱり気になる。これは、俺の部屋にあるって事はいつ行ってもいいって事なんだよな?例えば、たった今からでも。
引き出しを開けてみると、いつもの引き出しだ。中には乱雑に突っ込まれた文房具と、卒業記念でもらったシャーペンが箱のまま放置されていて、見慣れたいつも通りの光景だ。
「…ん?」
よくよく考えてみると、六角形のフレームなんてない。今までだって何度も開けてたけど、そんな物なかったじゃないか、と思い当たる。
「え?夢?」
今日一日何か夢でも見ていたのだろうか、まるで狐につままれたような気分だ。若干パニックになりかけて机に無造作に手を突っ込んだ。その時、がつっと手の甲に木枠が当たってハッとした。
木枠…引き出しのストッパー…だよな?
右隣の小さな引き出しも開けてみる。こちらはテープやノリなど、若干厚みのあるものが普通に収まっている。中から天板を触っても、こちらにはストッパーの木枠はない。
「てことは…」
大きな引き出しのストッパーと思っていた木枠を、内側から引き出してみると、するりと滑らかに動いた。
「いた…」
あの六角形のフレームだ。
一つなぞ解きを終えた気分でふふん、と笑ってみて、はたと立ち上がり慌てて部屋の鍵を閉めた。そして、引き出しを8割くらい引き出したところで、両端をぐっとつかみ、体重を掛けてみて、またそっと引き出しを閉じて椅子に座りなおした。
傍から見ると完全に挙動不審である。
「いや、この机がごつい理由分かったわ」
一人呟くと、引き出しを元通り閉じて、2号機の電源を入れた。
いつでも行ける。それが分かった瞬間、今すぐ行くという選択肢が急にしゅるしゅると自分の中でしぼんでいくのが分かった。
次にもう一つ気になっている問題だ。
検索サイトで「しののめ 格闘家」と放り込んでみる。すぐに大牙によく似たツートンの髪色の男性が二人と、黒髪の男性が二人、女性も一人出てきた。
一番最初に出てきた「東雲 氷牙」は知っていた。確かアメリカンプロレスの人だ。その明るいキャラクターがアメリカでも大人気、と情報番組で取り上げられていたのをつい最近見た。
詳細リンクを押してみる。
試合の動画があった。解説の男性二人がジョークの応酬のような軽快なトーク…もちろん英語で、字幕付きだが…をバックに、ロープや大柄な相手選手の体をひょいひょいと飛び移り、くるくると何とも軽快な動きをする、小柄な男性。一瞬の間に魅入られてしまい、しばらく試合動画を眺めていた。
「あー、ダメだダメだ。これは永遠に見れちゃうヤツだ」
動画を止め、氷牙関連の別のリンクを押す。
「父親と兄は柔道のオリンピアン、母親はフランス人ハーフの女子プロレスラー?情報が多すぎる」
氷牙は5人兄弟の3男で、兄二人、姉一人と弟が一人。
長男雷牙、柔道家。次男風牙、人気のバンドのドラマー。
三男がこの氷牙と言うことは、ここに出ていない末の弟が大牙か。この氷牙は大牙の兄のはずなのに、大牙よりやんちゃな感じと言うか、子供っぽく見える。
関連リンクを押して次男の風牙を見ると、くすんだ赤茶色と金髪のツートンカラーは同じだが、サラサラのロングヘアーで、大牙よりも更に飛びぬけて美しい容姿だった。
「次男美人!」
ライブ映像も見てみたが、上半身裸に近いスタイルでドラムを叩く姿は力強く、均整の取れた筋肉が目を引く。
「ゆうぐれジビエ?なんつぅバンド名だ」
知らないバンドだったが、風牙のドラムソロのシーンでは女性客のキャーキャー言う黄色い声が聞こえていた。
関連リンクから母親も見たが、同じツートンの髪色で、やはり美人だ。どれかと言うと、はじけるような元気な笑顔は一番氷牙が似ているか。現在は現役を引退、後進の指導に当たっていると書いてある。
父親と長男は黒髪だった。長男もTVで見たことがあった。一部分金髪メッシュだったのを覚えている。これはブリーチではなく、あの遺伝のなせる業だったのだろうか。
「すげー…有名人一家だ」
名前が出ていないのは長女と、末の弟だけだ。これは間違いなく姉ちゃんも美人パターンだな、と思いつつ大牙と、次男の風牙がふと気になった。
―――この一家の中で、なぜこの二人は別の道に進んだのだろう。
高校の入学前説明会で、進路の話があったことを思い出す。1年の2学期に文系理系の希望を提出するようになるので、それまでに将来の方向性を定めるように、と言っていた。
無限と思われた小学校の6年間に対して、中学の3年間はなんと短く感じられたことか。それだけ楽しかったという事かもしれないが、今思い返すと中学の途中の記憶は朧気だ。このままだと高校の3年間はもっと加速しそうに思えた。
―――2学期なんてすぐじゃん。
もやり、と不安な気持ちが湧き出たまま、何かを求めて次男・風牙のリンクに飛ぶ。
「ゆうぐれジビエ」は高校の同級生で組んだバンドだった。
顔も声も良いのでボーカルにしようとして風牙を誘ったが、歌詞を覚えないので諦めた。メンバーに教わり、ちょっと上手い人の動画を見ただけでギターもそれなりに弾けたが色々問題があり、最終的にはメトロノームのように正確でブレないリズム感と、無限と思われる体力がドラムに向いていた、とメンバーが語っている。
―――次男、天才型…なのかな。
天才っぽいエピソードの中に、変わり者臭がそこはかとなく感じられる。歌詞を覚えないってどういう事?
「うーん…?」
湊太は目を閉じ、思い切り椅子にすがって体を反らした。
美人の次男は、勧誘されてバンドに入った。そしてそのまま仲間とプロの道へ進んだ。そこに自分の意思はあったのかなかったのか。あの筋肉は、ドラマーのそれとはかけ離れていて、やはり格闘技向きのものに見えた。つまりまだ鍛えているのか?
格闘技一家に生まれたからと言って、別に全員が同じ方向に進む必要はないとは思う。思うけど…。
引き出しを開け、中の六角形のフレームを引き出した。木枠の中に、黒い樹脂っぽい正六角形の枠があった。角は補強材でも入っているのだろうか、分厚くなっていてそこだけ金色だった。
立ち上がると本棚の古い教科書たちの間から下敷きを出し、頭にごしごしとこすりつけた。こんな事をしたのは小学生以来じゃないかな、と思いつつ棚の目線の位置にある鏡を見る。髪の毛が逆立っているのを確認しすると、そのまま下敷きをそっとフレームに置いてみた。その途端一瞬白いもやが掛かり、すぐに薄暗い部屋の中にトランポリンが見えるようになった。
「お、これは効率良いんじゃ?」
そのまま引き出しの両端をつかむと、湊太は迷うことなくトランポリンめがけて飛び込んだ。
今回ちょっと短めです。