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しらないところで  作者: 南 紅夏
高校入学編

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母の遺したモノ

 里菜子はノートを一枚切り取ると、横長の帯のようなものを書いた。それに縦の3本線を入れ、ほぼ4等分にする。

「横棒グラフですか?」

 ミキが食後のお茶を一口飲むと、その紙を覗き込んだ。

「ううん、これが美雨のいたマンションの最上階と思って。この下の階は」

 横棒グラフのような帯の下に線を伸ばし、今度はそこを八等分した。

「下の階からは全部8軒なんだよ。まあ、その一軒も元々かなり広めなんだけどね。最上階だけ、全部倍の豪華面積で、4軒だけ」


 次に、右側の角の部屋にささっと斜線を引いた。

「ここが、美雨と美雨ママが住んでた部屋。…で」

 今度は反対側の角部屋をぐるっと塗りつぶした。

「ここが、美雨のおばあさんと、旦那さん、美雨の叔母に当たる郷子さんの3人が住んでた部屋」

「角部屋2軒も一家で占有?ブルジョアが過ぎますね!?」

 ターンとマグカップをミキが机に置いた。史華は、ふーんと言いつつ、拳を口元にやった。


「そこもだけど、美雨さんの『おばあさんと旦那さん』って言い方が引っかかるな」

「さっすが史華さん。そう、美雨の実の祖父、つまり美雨ママのお父さんは、美雨ママが生まれてすぐに亡くなってて。美雨ママと郷子さんは異父姉妹、年もだいぶ離れてる。でも、義理のおじい様もかわいがってくれてたみたいで、いい関係だったみたい。で、元々体の弱かった義理のおじい様、美雨が小学2年の頃だったかに亡くなってる…で、その後郷子さんが結婚することになって」


 『おじいさん』をバツで消し、『おばあさん』をぐりんと線で囲むと、矢印を反対の角に向かって伸ばした。


「美雨と美雨ママ二人暮らしの所におばあさんが引っ越してきて、3人暮らしになった。まあ、元々再婚するまではおばあさんと美雨ママが二人で暮らしてたお家だったから、元に戻っただけなんだけど…」




「何というか…最近ちょっとオカンの様子がおかしい」

 ある日の下校時間、美雨がそんなことを言いだした。


 里菜子の記憶では、小学4年の2学期の、少し朝夕が寒くなり始めた頃だったと思う。


 その頃、同じマンションの中で仲良し4人グループになっていて、一緒にいる事が多かった。

 算数が特別苦手で、算数だけ塾に通っている里菜子。

 父が海外にいるから、いつか行くかもと言って英会話に通っているカエルマニアの美雨。

 『最近物騒だから女の子も戦えるように』という親の意向で柔道を習っている二人きょうだいの姉・五月。

 放置されがち3人きょうだいの末っ子で、漫画ばかり読んでいる佳苗の、でこぼこ4人組だ。


 その日は誰も習い事のない日で、4人道草を食いつつのんびり帰り道を歩いていた。


「おかしいって、どんなふうに?」


 五月が尋ねると、美雨は目を細め、口を尖らせた。このころの美雨は髪も長く間違いなく美少女だったが、既に身長が150cmを超えていて、色々な意味で目立っていた。


「なんてゆーの…ぼーっとしてる日も多いし、人の話もあんまり聞いてへんし、物もよー落とすし。このひと月くらいで皿10枚はイったな」

「え、10枚ておおすぎひん?」

 時々美雨の関西弁がうつる佳苗がそう返した。

「ごめんウソ、ちょい盛った。でも5枚は確実にいったな。で、手ぇ切ってまあまあ血ぃ出てんのに、ぼーっと見てて」

「え、痛そっ!やばくない?」

 五月もうわあ、という顔をした。

「うん。もうすぐ郷子ねーちゃんが結婚するから、その時家譲っておばあちゃんがウチんとこ引っ越してくる予定やったんやけど、こわなって、早めに引っ越して来てって頼んだんや。なんか一人にしとくの怖いわ、あの人」


 元々建設会社の重役の祖母とその娘で、勤務先は同じ会社のビルだった。美雨には職場の母の姿は見えないのでそこが大丈夫か不安だったらしいが、やはり様子がおかしいらしく、周りから祖母の耳にも入っていたようだ。


「オカン、仕事しばらく休むって。おばあちゃんも引っ越してきたし、様子見ててくれる言うから安心や」

 1週間後くらいに、美雨はそう言って笑っていた。

「おばあちゃんもお仕事休んでるの?」

「お偉いさんみたいやから、別に毎日行かんでもええんちゃう?知らんけど」

 里菜子の質問に、美雨は笑って返した。

「まあ、病院でもなんでも一回行っときゃええねん…」

 そう言った横顔には、隠しきれない心配と不安が滲み出ていた。


 それから1か月も経たないうちに、美雨の母の入水自殺の一報が入った。




「えええー!?」

 ミキが叫んだ。

「え、え、リアルに?」


「うん。でもこれはおばあさんと知り合いたちが色々先回りしてて、一命は取り留めたんだけど」

「…それはそれで凄いですね。でも助かったのか、良かったぁ」

「でも、意識は戻らなかった。で、それから三日経たないうちに病室から消えた」

「…ま?」

 ミキの動きがぴたっと止まった。里菜子は頷いて返した。最初は若者たちの使う「ま」の意味が分からなかった里菜子だが、学生のミキのお陰で今は理解できている。

「ま。んでそのまま、行方不明。そこから美雨は落ち込んで、別人みたいに大人しくなった。私達4人以外、誰も目に入らないくらい狭い世界に閉じこもっちゃった」

 里菜子は再びペンを取ると、右上の部屋の『美雨ママ』にバツを付けた。




 そして、その時から通常会話で美雨から関西弁が出ることは、ほぼなくなった。

 口数が減り、ふとした時に見せる憂いを帯びた表情は、子供の物とは思えない色気があった。

 その表情を見るたび、里菜子はぞくぞくとしたのだった。




「で、そっから中学の間中、美雨に告りたくて呼びだし続けたあのカエルの少年は無視され続け、高校生になってストーカーに進化した」

 里菜子は胸の辺りを押さえながら、しかし淡々と語った。

「…え?ストーカーって最初のいたずら少年の一人ですか」

「そう、神社の帰り道、最後の3人になった時にいた子。私と一緒に、王子様の正体がお姫様だったって知った人」

「それよりミキちゃんツッコめよ、里菜子が小学生の時点でかなりヤバいぞ」


「高1の終わりに美雨のおばあさまが亡くなって、それからストーカーの行動が常軌を逸してきた」

 里菜子は史華のツッコミを無視して話を先に進め、『おばあさん』にバツを上書きした。それを見て、ミキがぐっと息をのんだ。

「美雨さん、一人暮らしに…なっちゃったんですね」


「私は苦渋の決断で、同じ部活の部員で体力自慢のヤツに美雨のボディガードを頼んだ。私が一緒にいない日だけでもいい、彼氏のフリして美雨の側にいてくれって」

 里菜子は苦い表情を見せたが、史華はほう、と小さく感嘆した。

「ストーカーに対抗する手段としては正解じゃん。高校生の時点でそれ実行したのは偉いよ。問題はそれでもだめだったって事だよね」

「違う、美雨がそいつの事好きになったってのが問題なの!」

「…おう」

 史華とミキが、同時に唸った。その時の史華の里菜子を見る目は、かなり残念な生き物を見ているような目つきだった。


「ストーカー問題の解決方法として、最後に美雨が選んだのは海外逃亡だった。それを決意した後、彼女が私に話してくれた内容がショックで」




 その日、美雨は里菜子の家に泊まりに来ていた。クリスマス目前の週末の事だった。

「お母さんが家出てった日にね、私の顔見て言った言葉があって」

 美雨はその時、今の里菜子と同じように拳で胸の辺りを押さえていた。

「悪魔って、言ったんだ」


 それを聞いた瞬間、里菜子の方が涙が溢れて止まらなくなってしまった。去り行く友人が、7年間ずっと一人で心の奥にとどめていた、誰にも言えなかった闇の正体を今更知ってしまった。そして彼女の心の奥底の澱に、気付かないまま過ごした年月を悔いた。

 そこから想像する。彼女の閉じてしまった世界には、自分を呪う言葉しかなかったのではないか。恐らく美雨は、自分を責めたに違いない。母にとって自分が悪魔で、そのせいで出て行って、自殺を図ったのではないかと。


 クリスマスが過ぎ、年末に美雨はアメリカへ旅立った。

 見送った何人かで、自分が一番泣いていた自覚はある。五月がぐりぐりと頭をなでてくれたことも覚えている。その日、大牙がどんな顔をしていたのかだけ、里菜子の記憶にはなかった。


 友情なのか恋なのか分からない自分の気持ちと、美雨を悪魔と言った母の気持ち。悲しくて寂しくてどうしようもない上に、自分には分からないことが多すぎて頭がぐちゃぐちゃだった。

 翌朝、美雨から「無事に新しい家についたよ」とメッセージが入っていた。それを見た瞬間

「そうだ、心理学行こう」

 と唐突に決意したのだった。




「で、未だに何の謎も解けていない、と」

 史華がじっと里菜子の目を見る。里菜子も大きくため息をついた。

「女性の女友達に対する異常な独占欲って、よく言われるのが親の愛情不足とか、ああいうのが主だった条件に出てくるじゃないですか。私ひとりっ子で、かなり愛されて育った自覚はあります。で、色々照らし合わせて排除していった結果、私は同性愛者という可能性だけが残ってしまう」


「え、やだ。私ノーマルですよ?」

 びくっとミキが後ずさった。

「安心して、未だに私美雨以上に好きな女性もいなければ、男にも好きなのいないから…何にしても若干壊れちゃってるよね」

「出会いの段階で脳天クリティカル食らっちゃってますもんね…それよりさっき話に出て来たタイガって、美雨さんの彼氏ですか?写真ないですか?みたーい」

「大体美雨と一緒に写ってたら、美雨だけ残してトリミングしてるからほぼないわ…あ、これだけ残ってるな」


 大牙と、大牙の幼馴染の男が2名、そして美雨と里菜子が5人並んで写っている。


「制服の里菜子さんかわいー!え、東雲氷河じゃん?なんで?メチャクチャ背伸びてる」

 ミキの発言で、里菜子は噴き出した。

「なかなかマニアックだね、ミキちゃん氷牙さん知ってるんだ。こいつ、氷牙さんの弟の大牙。どっかの海外の部族の長みたいな奴だよ。三日話せばみな家族、みたいなおせっかい野郎。美雨の対極を行く感じ」


「こっちのチャラそうな男、よく土曜にここにお茶飲みに来る金髪の子だよね?」

 史華は、大牙の隣の細めな茶髪男子を指差した。

「そうそう、竜馬ね。こいつ最初は黒髪のものすごいロン毛で後ろで縛ってたの。似合わねーって、私が切らせて髪染めさせたんです。でも今の金髪はやりすぎかなー」


「それよりも…この美雨さん、なんなの?エッッッッッッ」

 ミキは、写真の美雨を指差しながらのけぞった。

「爆乳だな」

 史華も目を丸くする。

「もう制服はち切れそう。いいなあ、羨ましい。海外の血なのかなぁ」

 ミキはしょんぼりと両手を自分の胸の上にやった。


 受付カウンターの上でアラームが鳴り始めた。13時45分。昼からのお仕事の15分前だ。


「さあて、午後もお仕事がんばりましょー!」

 里菜子は伸びを一つすると、卓上の千切ったノートの一枚を掴み、シュレッダーにかけた。


 マグカップを持ち、自分の部屋に移動しかけていた史華が立ち止まった。

「例のストーカーの件。今日の夜話聞いて、里菜子が辛い話だったら私も聞くから」

「あざーっす。部族の長に詳細聞いときます」

 里菜子が礼を言うと、ぶふっとミキが横を向いて噴き出した。

「その話持ってきたの、美雨さんの彼氏さんなんですか」

「そーなのよー…もうおせっかいが過ぎるんだよー…暇なの?あいつ」


「もう一つの謎も解けないままなんですよね?美雨さんのお母さんの…」

 待合室のテーブルをアルコールで拭きながら、ミキが尋ねた。

「うん、そっちは…とりあえずもういいんだ。多分だけどね、私達の分野じゃなかったみたい」

「えーっ、聞きたいです」

「ごめん、これはまだ言える段階じゃないんだな。話せるようになったら話すよ」

 里菜子はへらっと笑うと、自分の部屋に移動した。




 ああ、仕事が始まる直前だというのに、思い出してしまった。

 高校の卒業旅行で、五月と佳苗と3人で遊びに行ったアメリカの美雨の家。

 そこで美雨の父から頼まれた、世間話のようにぼやかされたあの話。あれは恐らく美雨の母と、その父の話だ。


 これは自分の専門分野じゃないことも分かっている。

 でも、どこかに似た事例があるかもしれない。わずかな手がかりでも、数当たってヒントを探してやる。その希望をもって里菜子は仕事に向かう。


 あと10年とちょっと時間はある。いや、実際は数年しかないのかもしれない。

 こんな時に呑気に他人の心配をしている大牙にも腹が立つ。

 早く、早く手がかりを。解決方法を見つけないと。


「美雨が死んじゃう…」


 胸の上を拳で押さえながら、里菜子は絞り出すように小声で吐き出した。


 ポンっと、デスクの上のPCのスピーカーから通知音が鳴った。

 予約枠の14時の欄の『清水様』が点滅している。予約者到着の合図だ。


 上を向き、細く長く息を吐く。そのまま目を閉じ、3秒ほど止まると、里菜子はきっと前を向いた。

 カルテを左腕に抱え、「確認」をクリックすると、PCの画面はどこか知らない海外のビーチの写真に切り替わった。


 ミキが扉を開け、客を案内してくれた。ゆっくりと入ってきたのは、里菜子の母親くらいの年齢の女性だった。


「こんにちは清水様。今日は暖かいですね」


 ―――大丈夫、焦るな。


 里菜子は笑顔を作った。

 一つ一つ話を聞いて、手掛かりを集めて行こう。今の私にできるのは、それくらいなのだから。


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