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成り代わり系過激派同担拒否夢女子、案の定悪役令嬢として断罪される

作者: 片原痛子







 アプリゲーム、“恋する君の空は何色に輝く”、通称“こいいろ”の“ミラン”様が好きだった。推し、なんて言葉では言い表せない。私の20年の人生で、一番大切な人。

 その思いは、紛れもない“愛”。私は次元を超えて、彼を骨の髄まで愛していた。


 気高く真っ直ぐで、一途で誠実。俗世の有象無象の雄猿共とは男としての格も次元も違う。少し自信過剰なところがあるけれど、それは劣等感を隠すための虚勢。彼は私の前でだけその仮面を脱いで少し弱い一面を見せてくれる。

 文武両道、容姿端麗。神の最高傑作に間違いのない、こんな完璧な人でも、悲しみも苦しみもある。そう思えば私のカスみたいな人生でも生きて行こうと思えた。


 私がこの人を幸せにする!養っていく!


 真っ暗な人生にさした希望の光。

 私は5年近く引きこもっていた部屋を飛び出し、通信制の高校に通い、卒業したらとにかく稼ぐために昼の仕事と夜の仕事で同時に働いて、全てをミラン様に捧げた《課金した》。


『いつもバラの花束をくれるミラン様が素の笑顔でたんぽぽ差し出してくれるところ、何回見ても泣く』


『ミランのちょっと拗らしてるけど、真っ直ぐでだからこそ結ばれたときの憑き物が落ちた顔で笑うの愛おしい』


 それなのに……彼は私だけのものにはならない。彼はみんなのもので、誰もが私と同じミラン様との思い出で彼への愛を語る。


 ふざけるな。彼を1番理解しているのは私だ。私だけが彼を本当に幸せにできるんだ。


 だから早く私だけのものになって!


『人気スマホゲーム、舞台化決定!』


『深夜24時30分からアニメ開始!』


 違う違う全部違う!私のミラン様はこんなものじゃない!

 やめてやめてやめてやめて


 全部やめて!!!



ドサッ!


「女の人が飛び降りたぞ!!!」


 ミラン様。もし私が生まれ変われたのなら、次は二人だけになれる世界に行きましょう。誰にも邪魔されない、そんな場所に…………。



ーーーーーー


ーーー



「アニマ様?」


「っ…………は」


 突然、深い眠りから引きずり出されたかのように、全ての感覚が覚醒した。“息を吸う”、ということすら随分と久しぶりの行為に思える。


「私は…………死んだ?」


 あの日あの時あの瞬間、私は間違いなく屋上から飛び降りて死んだはずだった。もしあの死ぬほど痛い感覚が夢なのだとしたら、私の人生そのものが夢であったことを疑わざるを得ないほど、あれは現実だった。


「ならここは死後の世界?転生?転移?憑依?成り代わり?私に一体何が…………」


「アニマ様!」


「……貴女は」


 私は懸命に今の状況を把握をしようと思考を整理していたが、先程から隣に立つ女性がついに大きな声を出してきてうるさい。どうやら私を呼んでいるようなので、考察は一旦置いておいて、今はそちらに意識を移す。


「アニマ様、先ほどからそわそわして……大丈夫ですか?」


 声をかけてきた女性は、現代日本ではありえないレトロで地味なメイド服を着ていて、私のことを「アニマ様」と呼んだ。何かがおかしいと思い周りを見回せば、今私が横になっているのは大きな天蓋付きのベッドで、その外は見たこともないような豪華な家具の置かれた広い西洋風の部屋。

 この状況は、漫画などでよく見たことがある。


「異世界転生……」


 自分のものではない見知らぬ声で、私はそう小さく呟いた。




 その後、流されるままに“アニマ様”としての生活を続けていく上で分かったことだが、どうやら私は最愛のミラン様が住む世界、“恋する君の空は何色に輝く”の中に登場する令嬢に“成り代わって”しまったらしい。

 成り代り……最近では憑依モノや転生モノと呼ぶのだろうか?私は古の夢女子なので、既存のキャラクターに転生している状況は成り代りモノと呼ばせていただく。


 とにもかくにも、私扮するこの令嬢の名前は、“アニマ・ピーフォール”。“恋する君の空は何色に輝く”においてミラン様のメインストーリー内に登場、ヒロインのとミラン様の間に立ちはだかる対抗馬役なのだが……こいいろは大衆向け乙女ゲーム。女の子の夢が詰まったゆるゆるふわふわキラキラ仕様なので、巷で流行りのラノベに出てくるざまぁありの追放系悪役令嬢とは違い、元平民のヒロインのドジや無作法を指摘するちょっと正義感の強いだけの影薄い小姑系令嬢だ。マジでただ正論を言ってくるだけなので、処刑や追放などという物騒な目に遭うことはない。

 そして最後には舞踏会で美しく着飾り、ミラン様と完璧なダンスを披露するヒロインを見て「ふふ、あの田舎娘が立派になったわね」と、ハッピーエンドの賑やかし役に成り果てる。


 ………うん、そんなの嫌だが???

 何で私が甘やかされて育った、小動物顔と精神論でゴリ押しする頭スカスカパンケーキ馬鹿女と魂の恋人であるミラン様のいちゃいちゃを見ないといけないわけ???

 私がミラン様の運命ヒロインだが?

 いや、むしろ結婚もしているが?

 原作沿いとか知らんが???


 ………よし、原作知識を活かして2人の仲を邪魔しよう。


「うがああああああ!私のミラン様に触るな話すな近づくな同じ息を吸うなあああぁぁぁ!!!」


「何だこいつ!?」


 私はとにかく、ミラン様に近づく元ヒロインを牽制し続けた。ミラン様の半径1m以内に入ろうものなら砂を投げ、デートに行こうものなら大金で魔術師を雇って彼女たちの周りにだけ雨を降らした。学校にも家にも、私がどれだけミラン様を愛し、愛されているか、身の程を弁えるようにと記した手紙を毎日送り続けた。


 勿論ミラン様へのアプローチも欠かさない。昼食のお誘いをしたり、お揃いのアクセサリー、手作りお菓子、ラブレター。パーティがあるときには必ず一番に踊りに行った。私がミラン様のことを好きなのは公然の事実として広まり、元ヒロインを含めミラン様に近づく女はいなくなっていった。


 にも関わらずミラン様はこいいろのラストを締めくくる年越しパーティーで元ヒロインでもない、よく分からないぽっと出の令嬢をエスコートするというのだ。

 私は当然怒り狂い、そいつが頼んだというミラン様とお揃いのドレスを、仕立て屋まで直々に引き裂きに行ったのだが……。


「アニマ・ピーフォール侯爵令嬢!貴様の行動は目に余る!即刻、王都から出ていけ!!!」


 それは私を追放するための罠だった。本当はミラン様にはパートナーなどおらず、パートナーの情報も、仕立て屋の情報が私の耳に入ったのも、私の決定的な罪を押さえるための大掛かりな策略。

 私はミラン様及びその他ヒーローたちに今までのことを断罪され、王都からの追放が命じられた。それに合わせて家門からも絶縁。辺境の地の修道院に幽閉されることになった。


 まるで悪役令嬢のように。


 その後、ミラン様と元ヒロインの2人が婚約したという知らせを、風の便りで聞いた。

 一方私は、寂れた修道院で毎日毎日お祈りと奉仕活動。


「神様……どうしてミラン様と結ばれないのに、私を転生させたのですか」


 こんなの残酷すぎる。私はただ本当にミラン様が好きなだけなのに。こんなことなら、いっそ転生したとわかった時に彼と一緒に死ぬんだった。


 そんなことを考えながら、私は自ら死ぬことも許されず、昔のようにただ苦しい死ぬより辛い日々を送っていた。




------------




「ミラン様が事故に……!?」


 それから1年後。私は他の修道女たちが会話していたところから、恐ろしい噂を知ってしまった。

 それは、ミラン様が馬車の事故により顔に大怪我を負い、半身不随にも陥ったというものだった。


「た、大変!早くお見舞いに行かなくては……!」


「行けるわけないでしょ!あんたはこの修道院から出ちゃダメなのよ!」


「そんなことを言ってる場合ですか!ミラン様が苦しみの中にいるのに、放っておけるわけがないじゃない!」


「はぁ……あんたいつもは無気力の癖に、ミラン様のこととなると本当に熱くなるわね。マザーが貴女にミラン様の話をしないようにと言っていた理由がよく分かるわ」


 先輩の修道女が、やれやれといったように首を振る。

「もうバレちゃったから」ということで更に詳しい話を聞くことが出来たが、どうやら事故に遭ったのはつい最近の出来事ではなく、もう半年も前の出来事らしい。

 ミラン様は一生懸命リハビリをしているらしいが、なかなか成果も出ず心が荒れ、そのせいでヒロインの心も離れていってしまったとか……。


「やっぱりあの尻軽クソ×××女!あの女にミラン様が支えられるわけなかったのよ!所詮みんなミラン様の顔と優しさだけが好きなの!私は違う!私なら、ミラン様の怒りも苦しみも全て愛してあげられるのに……」


 ぶちりっと、親指の皮が千切れ血が噴き出る。それでも私は気にせずガリガリと親指を毟った。そんな私を先輩シスターは慣れた手つきで宥めすかす。


「何にせよ、あんたは幽閉の身なんだから、出来ることはないの。大人しく神様に彼の幸せを祈りましょう」


「許せない……許せない………」


「こわっ」


 もう周りのことは目に入らなかった。ミラン様を捨てたヒロインも、そんな目に合わせる神様も、全て許せない。


「ミラン様……」


 そして苦しむ彼のそばに行くこともできない、私自身も、許せない。




リーン……リーン…………


 その夜、みなが寝静まった深夜。修道院に来訪者を知らせるベルが鳴り響いた。


「ん…………こんな夜中に誰かしら」


「また“訳あり”の人か浮浪者じゃない?」


「冬はそういう人多いよね」


 院長様が対応に向かったようなので、私たちは再び床へ戻る。夜の寒さに耐えきれず戸を叩く人や食料目当てで修道院を訪れる人は決して珍しくはない。そのため誰もこの来訪者に関心を寄せることはなかった。それに修道院の朝は早いので、少しでも睡眠時間を削りたくもない。


 私もみんなに習ってベッドへと身体を埋める。どうか夢の中では、ミラン様と幸せな夢が見れますように…………。


トントン……


「ん?」


「え?」


「?」


 しかし、再び静寂が戻った室内に新たに扉を叩く音が響いた。


「ミス・アニマ。お客様がいらしています 」


「……私に?」


 この修道院に幽閉されてから1年。この辺境の修道院に私を訪ねにやってくる者など、ただの一人もいなかった。にもかかわらず、こんな深夜に一体誰が会いに来たというのか。


 寝巻きのままでも構わないからと、急かされるように教会の礼拝室へと連れていかれ、私はそこで衝撃の再会を果たした。


「ミラン様……!」


「………アニマ嬢?」


 そこには力なく椅子に腰掛ける、変わり果てた姿のミラン様がいた。

 端正な顔は話で聞いていたとおり半分がガーゼに覆われ、僅かに見える顔も疲労によってなのか青白く痩せ細り、無精髭が伸びたままになっている。服装も、いつもきちんと身なりに気を使う彼とは思えないほど、シャツの襟がよれよれだ。


「あぁ、あぁ!こんなにやつれてしまって…………!さぞやお辛い思いをされたのでしょう!」


 あのどんな逆境にも挫けず私の人生に希望を与えてくれたミラン様が、見たこともないような淀んだ目でただ私を見ている。それが悲しくて苦しくて、悔しくて。私は床に跪いて慟哭した。


「私が……私が側にいたらミラン様にこんな目をさせなかったのに!」


 やっぱりあの女はミラン様に相応しくなかった。私なら、彼にこんな顔をさせなかったのに。私がもっと上手くやれていたのなら、今頃彼の隣にいたのは私だったのに。


「君は、今も変わらず僕を愛せるのかい?」


 突然、頭上から強張った声でそんな問いが投げかけられた。私は一瞬何を問われているのか分からず、ぽかんと口を開けて呆けてしまったが、すぐにこれがミラン様からの最後のチャンスだと理解した。

 愛を口にしながらも不甲斐なく他の女に出し抜かれた私が、彼に自分の愛を証明する最後のチャンス。このチャンスを逃すわけにはいかない。


「当然です」


 私は胸を張り、真っ直ぐと彼の目を見据えた。


「当然、か…………」


 私の答えは正しかったのか分からないが、ミラン様は杖に寄りかかりながらゆっくりと立ち上がり、床に膝をつく私の前に立ってグイッと私の顎を掴む。


「なら、今からでもそれを証明してみろ」


 そう吐き捨てたミラン様の目は、胡乱で、危うくて

……でも僅かな希望にすがる子どものようだった。




------------




「ミラン様、おはようございます」


「…………」


「今日は晴れていて散歩にちょうどよさそうですね。一緒にどうですか?」


「…………」


 朝食の席で私はいつものように明るい声でミラン様にそう声をかけた。しかし彼はいつものように無言で拒否を示す。

 そんな無言の返事はもう慣れたものだ。それでも私は笑顔を崩さず、テーブルに並べた朝食を手早く整える。焼き立てのパン、温かなスープ、新鮮な果物。どれも湯気を立ていい匂いをさせているが、それらを前にしてもミラン様の顔は険しく、食欲をそそられている様子はない。




 あの夜の突然の来訪以降、私は修道院を出て彼の療養している屋敷に使用人として身を寄せている。主な仕事はミラン様の身の回りのお世話だが、これがなかなか難しい。


食事の用意をしても、



「まずい。食事が冷めてる」


「申し訳ありませんすぐに作り直します」


「もういい」


掃除をしていても、



「おい。部屋の掃除も満足に出来ないのか。お前の手は飾りか?」


「申し訳ありません」



と、注意を受けてしまう。以前の気高さを失っても、その完璧主義な一面だけは変わらないらしい。屋敷で働く他の使用人たちは、以前と打って変わって気難しくなってしまったミラン様に近寄りがたさを感じているようで、屋敷の空気はいつもピリピリしていて、冷たく重苦しく感じる。

 けれど、私にとっては彼の叱責もありがたいものだった。だって彼が不機嫌に命令を飛ばすとき、ほんのわずかでも言葉を交わせるから。それだけで、私は嬉しかった。無視されるよりも、嫌われている方がまだ「意識されている」気がするのだ。


 朝食のあと、ミラン様はリハビリに向かう。とはいえ、それも自発的に行うわけではない。


「今日は足のマッサージから始めましょうね」


「…………」


 私の声掛けに、いつものように無言の拒絶が返ってくる。

 ミラン様はリハビリに関して消極的だった。それは多分、彼の思うようにリハビリの効果が出ていないのが原因だろう。まだ事故から半年しか経っていないのだからできるだけ安静に、ゆっくりリハビリを続けていくべきなのだが、頑張り屋なミラン様は事故後にすぐに過剰なリハビリをして身体を酷使し、逆に治療に必要な時期を延ばしてしまった。思うように進まないリハビリに事故当初は相当荒れていたらしいが、クソヒロインに逃げられてからはすっかり気力を失ってしまっている。


 私はにっこりと微笑み、ミラン様の足元に膝をつく。細くなった脚にそっと触れ、ゆっくりとマッサージを始める。冷たい肌に指先の温もりを伝えるように、優しく、けれど硬直した筋肉をほぐすようにしっかりと圧をかける。

 こんなところで、前世の介護職の経験が生きるとは思わなかった。お陰でミラン様の御御足に触れる機会がもらえて、大変に役得だ。


「痛くはないですか?」


「…………」


 返事はない。それでも、いつもの無言の拒絶とは違う。緊張も嫌悪もなく、ただ静かな沈黙。これは無言の許容だと理解している。ミラン様の表情を読み取りながら、私はマッサージを続ける。

 冷え切った足に触れるたびに、筋肉の萎え、血流の滞り、感覚の鈍さを実感する。私だって正直、この行為にどれだけの効果があるのかは分からない。ここには高度な医療技術も適切なリハビリを教えてくれるトレーナーもいない。一度身体を壊してしまえば、元に戻るかは本人の努力次第だ。

 それでも、わずかな温もりを取り戻すために、私は毎日この時間を欠かさない。


「…………ふぅ。では次は左足をーーー」


「…………毎日毎日、よくも意味のないことを続けられるな」


 唐突に低く吐き出された言葉に、私はハッと顔を上げる。私を見下ろすミラン様の瞳は冷たく、嫌悪と苛立ちが滲んでいた。


「…………意味がないことはありませんよ。こうして毎日続けていれば、少しずつ感覚が戻ることもありますから」


 そう答えながら、私は動揺を押し殺しながら手を動かし続ける。不安を悟らせて、彼の希望を潰したくなかった。けれどミラン様の鋭い視線が、そんな私の不安を暴くかのように突き刺さる。


「体は正直です。筋肉は刺激を受ければ少しずつ反応を取り戻します。感覚も、時間をかければ――」


「薄っぺらな慰めはいらない」


私の言葉を、ミラン様は短く切り捨てる。


「希望を抱かせて、何になる?この足はもう死んでいる。動くはずがない」


 苦々しげに目を伏せるミラン様。その肩は強張り、唇は悔しそうに歪んでいる。


「確かに、今すぐ劇的な効果が出るわけではありません。リハビリは辛いかもしれませんが、焦らず、少しずつ小さな変化を重ねていけばーーー」


「そんなの、医者に何度も何度も言われたよ」


冷たく遮られ、言葉が喉に詰まる。


「だが結局はこの様だ。甘い言葉で慰めて、俺の関心を引きたいようだが、無駄だ。お前は何も分かっていない。俺の絶望も、痛みも、何一つ理解できないくせに」


 彼の声には深い怒りと、自分自身への苛立ちが込められている。それでも私は目を逸らさなかった。


「そうですね、私には分からないかもしれません。でも、一緒に頑張りたいんです。貴方が私にそうしてくれたように。今度は私が力になります」


 足のマッサージを終えたので、今度は手のリハビリを始める。軽く握ったり開いたり、関節をほぐす動きを繰り返す。それを見つめるミラン様の目が、僅かに揺れているのに気づいた。


「指の動き、少し良くなっていますね」


「……気のせいだ」


「いいえ、確かに動いています」


ミラン様は黙り込む。私はその沈黙を肯定と捉え、嬉しさを胸に秘めた。


「では、今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした」


「別に疲れてない」


 少しだけ尖った言葉が返ってくる。でも、いつもの無気力な態度とは違う。

「次も頑張りましょうね」


返事はない。けれど、その横顔にはわずかに力が戻っているように見えた。


――ほんの少しずつでも、前に進んでいる。


 無言の許容が、ほんのわずかな希望に見えてしまうくらいには、私は愚かで、しつこいのだろう。




ーーーだが、夜になると状況は一変する。


「うっ、ぐ…………スノー……助けてくれ…………」


 床につくとミラン様は悪夢を見ているのか酷くうなされ、苦しげな声を上げることが何度もあった。額には脂汗が滲み、身を捩りながらシーツを力強く握りしめる。


「ミラン様、大丈夫です。ここにいますから」


 私はそんなミラン様の額をタオルで拭い、優しく囁き続ける。

けれど、彼の悪夢は深く、私の声は届かない。それでも毎晩のように見守り続けた。


「……ほっといてくれ」


目を覚ました彼は、いつものように私を拒絶する。


「お水をお持ちしますね」


「いらない」


 それでも私は笑顔を崩さない。

 ミラン様が夢の中で呼ぶ名前。それは、いつもあの女の名前だ。捨てられて、人間不信に陥って、絶望の中でも、あの女のことを忘れられないなんて。

……羨ましい。


いや、妬ましい。

でもその感情を表に出して、また彼と引き離されたくない。だからぎゅっと唇を噛み、叫び出したい気持ちを我慢する。


「お前、本当に鬱陶しい女だな」


私に向けられる言葉はそんな嫌悪の言葉だけ。

けれど、それでも良い。ここにいさせてくれるだけで。それだけで私は、涙が出るほど嬉しいから。


「ありがとうございます。これからもお世話させていただきますね」


「勝手にしろ」


 投げやりに言われたその言葉を、私はひそかに喜びとして胸に刻んだ。


 私は他の人達のようにミラン様を諦めない。それだけ拒絶されても、

いつかもう一度彼が笑ってくれるように、私は愛を示し続ける。




 それから幾度も、ミラン様に冷たくあしらわれ、心ない言葉を浴びせられた。痛みはあった。それでも、私は彼の側にあり続けた。

 時は穏やかに流れていき、冬の冷たい風が吹きつけるようになった頃。雪が降り始めたある日、私はいつものようにミラン様の寝室を訪れる。


「ミラン様、おはようございます。外は雪景色ですよ。とても綺麗です」


「……興味ない」


 淡々とした返答。そう、返答!我慢強く声掛けを続けた結果、短いが確実に返答をもらえるようになったのだ。

 私はそのことにはにかみながらカーテンを開け、真っ白な世界を見せる。


「こんな日は温かいお茶が合いますね。お作りしますので、少しお待ちください」


「……好きにしろ」


 いつもの冷たい拒絶。それでも、一瞬視線が外に向けられたのを見逃さない。私は内心で笑みを浮かべ、温かなハーブティーを淹れるために台所へ向かった。


 戻ってきた時、ミラン様は窓辺に視線を向けていた。氷のように冷たい横顔に、ほんの少しだけ柔らかさが滲んでいる。


「お茶をどうぞ」


「……あぁ」


 そっけないが、その手はしっかりと湯気立つカップを受け取る。その視線は窓の外に向いたままだ。


「雪を見るの、お好きなんですか?」


「……昔は好きだった」


 そういいながら、ミラン様は自分の足を見て自嘲気味に笑った。それを見て、そういえば彼が馬車の事故にあったのは雪道で車輪が滑ったからだったことを思い出した。


「申し訳ありません。失言でした」


「別に構わない」


 ミラン様は特に気にした様子もなくハーブティーに口を付ける。嫌なことを聞いたのに、その様子は本当に気に指定なさそうだ。

 ただ彼は自分の言葉に、一言だけ付け足す。


「ただもう雪の中を歩くのは難しいだろうな」


 苦笑ともつかない微かな笑みが浮かんだ気がした。


 それから数日が過ぎ、私は毎朝窓を開け、外の景色を見せることを日課にした。それから雪景色の白さが消え、芽吹きの季節が訪れる頃、ミラン様はいつの間にか自ら窓を開けるようになっていた。


 ある日の朝。


「ミラン様、おはようございます。今日は風が心地よいですよ」


 いつものように声をかけると、ミラン様は窓の外を見つめながら、ぼそりと呟いた。


「……外を歩くから準備しろ」


「え?」


「外だ。雪も溶けて散歩にはちょうどいいだろう」


 私は一瞬、耳を疑った。それでも、ミラン様が決意を込めてこちらを見ているのを確認し、胸が熱くなる。


「はい!もちろんです!」


 すぐさま上着を準備して、彼の体を支えながら庭へ出ると、柔らかな風が頬を撫で、鳥のさえずりが耳に届いた。


「ほら、木にもう蕾がついていますよ」


「……ああ」


 ミラン様の足取りはぎこちない。それでも以前よりも確かに一歩、また一歩と進む。私は彼の横に寄り添い、視線を合わせて笑顔を向けた。


「ゆっくりでいいんです。今日の一歩が、いつか十歩、百歩になりますから」


「……お前の戯言は相変わらずだな」


 冷たい言葉の中に、微かな柔らかさを感じる。それに気づいた瞬間、私の目頭が熱くなる。


「それでも、ミラン様を信じていますから」


 少し照れくさそうに目を伏せる彼の横顔に、私はミラン様の凍りついた心が溶けていくのを感じていた。





−−−−−−−−−−−−




「アニマ、元・ピーフォール侯爵令嬢!今度とという今度はもう許されないぞ!!!王命を無視して修道院を出ただけでは飽き足らず、怪我で療養中のミラン・ホーク公子の別荘に押しかけ、妻のいる彼に付き纏い誘惑するなど!」


 冷たい石床にひざまずかされ、周囲を取り囲む兵士たちの鋭い視線が突き刺さる。煌々と照らされた裁判所の中央、私は囚人同然に扱われていた。

 眼の前には前回の断罪のときと同じように、こいいろのヒーローたちとミラン様、そして彼にすがりつくヒロインの姿がある。

 誰が密告したのかは知らないが、私とミラン様の関係は歪曲して彼らのもとに伝わり、私は2度も運命の愛し合う二人の仲を裂こうとした悪女に仕立て上げられたらしい。実際はヒーローたちもヒロインも、この半年一度もミラン様の見舞いになんて来なかったくせに仲良しヅラして、なんて図々しい奴らなのか。


「王命に背いた罪、その身に刻む覚悟はあるか?」


 攻略対象の1人である王太子が、私にそう問いただした。けれど、私は俯いたまま口を開かなかった。


 ただ、冷たく凍える指先にそっと触れる温もりを思い出していた。私はミラン様の、あの冷たい瞳の奥に時折浮かんだ寂しげな光ーーーあの表情を救いたかっただけだ。


「答えろ、アニマ・ピーフォール!」


 王太子が声を荒げた。

私は彼の後ろにいるミラン様に目をやる。その腕の中には、可憐で守ってあげたくなるような、可愛らしいヒロインの姿がある。


ーーー私の役目は、もう終わったのだ。


 私は最初から間違えていた。私の愛し方では、彼の心を射止めることはできなかった。それでももう一度チャンスがもらえて、今度は私の愛を、ちゃんと正しい方法で伝えられた。あの時間に少しくらいはミラン様の孤独に寄り添えて、彼の記憶に残る私は“悪女”じゃなくなったと信じたい。


 もう、思い残すことはない。


「ーーーーーー私は、ミラン様を愛しています」


 ミラン様の顔の表情に驚愕が浮かぶ。私はそんな彼に、いつものように微笑んだ。

 しかし私の言葉に王太子は呆れたように鼻を鳴らし、周囲に失笑が広がる。


「まだ懲りぬか、愚か者め。お前のせいでホーク公子は療養を妨げられ、妻も悲しみに暮れているのだぞ!貴族の名を汚す不埒者め!」


「うるさい!私はミラン様を愛しています!どんな罰を受けようと、もう二度と彼の傍を離れるつもりはありません!!!」


 何をどう問われようと、私の行動原理の全ては、それだけだ。誰に止められようが、罵られようが、この気持ちを変えることなど出来ない。この思いが罪なのなら、彼と一緒にいられないのなら、彼が私のものにならないなら、死んだほうがマシだ。


 場内がざわめく。王太子は怒りに顔を赤らめ、拳を机に叩きつける。


「この反逆者を地下牢に叩き込め!明日、王都広場にて公開処刑とする!」


 兵士たちが私を取り押さえ、冷たい鎖が手首を締め付ける。身を引きずられ、暗い地下牢へと連行される最中、私はただミラン様のことを想い続けた。


――ミラン様、どうかお元気で。


 重い鉄扉が閉ざされ、私は1人断罪のときを待った。




 その夜、静かな牢屋に足音が静かに響いた。


コツコツ……


 暗闇に包まれた独房の中、冷たい石壁に背を預けていた私は、その音に微かに眉を動かした。規則的な足音が近づき、やがて牢屋の前で止まる。


「―――あなたは……!ぐあっ!」


 金属のぶつかる鈍い音と、短い悲鳴。何が起こったのか理解するより先に、さらにもう一つ、凄絶な叫び声が響き渡った。


「な、何を!!!ぎゃあああ!」


 甲高い絶叫が牢屋の石壁を震わせる。激しく響いた声がやがてかすれ、静寂が戻った。

 外には見張りが立っていたはずだが、一体何があったというのか。血の気の引く思いで扉の向こうを見つめると、ガチャガチャと乱暴に扉が揺れ、やがて大きな音を立てて錠が外された。


ギィィィ


重い扉がゆっくりと開く。


「…………っ!」


薄暗い光が揺れる中、現れたのは――


「…………」


「ミラン様……!」


そこに立っていたのは、血まみれの剣を握り締めたミラン様だった。


頬には返り血がこびりつき、その瞳は暗闇よりも深い影を宿している。普段の優雅さは欠片もなく、感情が欠落したような無表情が、どこか恐ろしかった。


「どうしてここに……いや、それよりも、一体なにが……」


「…………」


 ミラン様は何も言わない。ただ冷たい視線を私に向け、暗闇からじっと見下ろしている。何かを試すように、探るように。


「ミラン様?」


「…………お前は、私を愛していると言ったな」


 不意に投げかけられた言葉に、私は更に困惑する。この状況下でなぜそんなことを問うのだろうか。

 けれど、彼が問うてくるのならば、迷う理由などない。


「はい、愛しています」


 私は裁判のときと同じように強く頷き、はっきりと告げた。

 それを聞いたミラン様は、少しだけ瞳を細める。何かを飲み込むような表情を浮かべ、深く息をついた。


「ーーーなら、俺のために死んでくれるか?」


 静かに問われた言葉に、思わず息を呑む。


 まるで夢でも見ているようだ。

だって彼はそんなことを言わない。でも、目の前の彼は私に確かに「死んでくれるか」と聞いた。

 心臓がドクドクと跳ねる。確かに眼の前に迫る二度目の死への冷たい恐怖と非現実的な甘美な陶酔が入り混じり、頭がくらくらした。


「ーーーはい、、勿論です」


 けれど迷いはない。


 ミラン様のためなら、命など惜しくない。たとえそれが理不尽な結末だとしても、私はこの愛を貫き通すと、ずっと前から決めていたから。


「ならこれを飲め」


 そう言って渡されたのは、小さな瓶だった。月明かりに照らされ、無色の液体が冷たく光っている。


「これは?」


「毒だ」


「ーーーーーー」


毒だと告げられて、私の頭の中には一瞬様々な疑問がよぎった。

明日処刑されるというのに、なぜわざわざ毒を渡しに来たのかとか、王太子たちはこのことを知っているのかとか。


けれどどうせ死ぬ運命ならば、せめて彼の手によって最期を迎えられるほうが、救われる。


「…………わかりました。最期に一つだけいいですか?」


「なんだ?」


「幸せになってください、ミラン様」


「ーーーーーー」


 私の言葉に、ミラン様の眉が一瞬動いた。けれど彼は何も言わない。鋭い視線を向けるばかりだ。


グイッ


 私は微笑み、瓶の中身を煽った。

 瞬間、喉に焼けるような痛みが走る。



「……っ、ぁ……」



 息が詰まり、激痛が体中を駆け巡る。呼吸は乱れ、心臓が狂ったように鼓動を打ち、視界が霞んでいく。冷たい汗が背中を伝い、足元から力が抜けていく。

 よく見知った、死の感覚だった。


ーーーミラン様……。


 朦朧とする意識の中、かすれた声が耳に届く。



「…………俺も、お前を愛してる。愛して、しまった」



 滲む視界で最期に見たのは、私の手にした瓶と同じものを傾けるミラン様の姿だった。


 透明な液体が彼の喉を伝い、月明かりの中で淡く光る。

 それはまるで、泣いているようにも見えた。


「み、あっさ…………」


 思わす伸ばした手は虚しく空を切り、冷たい床へと落ちる。



 そして、全てが闇に包まれた。




--------------


ピッ…………ピッ…………


 目を開けると、見慣れない白い天井が視界に飛び込んできた。蛍光灯の光がやけに眩しくて、ぼんやりと視界が滲む。


「……ここ、は?」


 思わずかすれた声で呟くと、ベッドの脇にいた看護師が私の様子に気付いたのか慌てて駆け寄ってくる。


「意識が戻りましたね!少し待ってくださいね、お医者様を呼んできます」


 看護師はそう言って慌ただしく病室を出ていく。頭の中はまだぼんやりとしていて、どうして自分がここにいるのか思い出せない。


「……私、死んだはずじゃ……」


 痛みと寒さ、焼けつくような感覚が薄れていく中、消えかけた記憶が浮かんでは霧散していく。


ガラガラ


「ーーさん、目が覚めましたか」


 やがて、白衣姿の男性が病室に入ってきた。黒髪をきちんと整え、鋭い目つきに知性と冷徹さが宿る。だが、その顔を見た瞬間、胸がざわめいた。


「どこか痛いところはありますか?ご自分の名前は分かりますか」


 髪の目の色だって、目の色だって違う。そもそも、彼はゲームの中の登場人物だ。


「顔色が悪いですね。少し落ち着いて深呼吸してください」


 でもその声が、眼差しが、どうしたって私の愛した彼そのままだった。


「ミラン……様?」


 思わず名前を呼ぶと、彼は一瞬だけ目を見開いた。だがすぐに無表情を取り戻し、カルテに視線を落とす。そんな些細な動作にも、胸が高鳴る。冷静にこちらを見下ろす彼は、凛々しくて、どこか恐ろしいほどに美しかった。鋭い眼差しは昔と変わらず、けれど以前よりも洗練された冷たさを纏っていて、その視線に捕らえられると熱が頬に上る。


「……そう呼ばれたのは初めてです。何か思い出しましたか?」


「い、いえ……すみません。ただ……先生を見て、少し懐かしい気がして……」


「そうですか。私は担当医の伊能と申します」


 先生の名前を聞いて、がっかりする。一瞬もしかしたら、と思ったのだけれど、名前も全く違う。でも、胸の鼓動は治まらない。どうしてこんなにも惹かれるのか。指先が震える。

 それでも諦めきれなくて、私は先生に質問した。


「先生……前世って、信じますか?」


 恐る恐る問うと、彼は一瞬動きを止め、目を細めてこちらを見つめた。その視線は優しくて、少しだけからかうようだ。


「科学者としては信じませんね」


 軽く肩をすくめて言う彼の困ったような苦笑いに、思わず肩を落とす。やっぱりそれが現実的な答えだ。前世なんて非科学的だし、現実で死んだらゲームのキャラクターに憑依して、そこで死んだら今度は現実で目が覚めてゲームのキャラが現実に転生していた、なんて、中学生の夢見る小説みたいなこと、現実に起こるわけがないんだ。


「ごめんなさい変なことを聞いて」


「構いませんよ。ですが、そうですね…………


もし、過去の記憶があって、そのせいで私の人生を狂わせた女性が目の前にいるとしたら――」


「……!」


 彼の言葉に、心臓が跳ねる。目の前で私を見つめる彼の表情が、いつの間にか鋭さを帯びていることに気づく。まるで私を試すような、その瞳に吸い寄せられるような感覚が私を捉える。


「その方には、ちゃんと責任を取ってもらわないとですね」


 彼の唇が冷ややかに歪む。

 そしてそっと私の耳元へと唇を寄せ、小さく囁く。


「俺の人生を奪った責任、ちゃんととってくれよ?」


 まるで囁きかけるように、甘く低い声で告げられた言葉に、心臓が跳ね上がった。彼の瞳は逃がさないと言わんばかりに鋭く輝き、けれどそれ以上に熱を帯びている。

 視線が絡んだまま離れない。私は息を呑んだまま、彼の言葉の意味を噛み締める。そして、その視線に捉えられたまま、胸の奥で熱い何かが膨れ上がっていくのを感じていた。






ミラン・ホーク

“恋する君の空は何色に輝く”の攻略対象。


アニマ・ピーフォール

ミラン様推し同担拒否過激派転生者。


スノー・ワグテイル

“恋する君の空は何色に輝く”のヒロイン。

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