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各集落にある郷中は、仲間意識が強く、他の郷中と喧嘩になることもある。
同じ薩摩藩の郷中でも、集落差はある。誇り高い薩摩武士としての姿勢は、貧しさや豊かさとはまるで関係のないものだ。
吉之助は、右腕に大きな古傷を持っている。
十三歳ごろのこと、他の郷中の少年に喧嘩を仕掛けられ、斬られたものだ。
(雨を見ると、時々思い出すなあ)
吉之助を腕を斬った少年は、貧しい下加治屋町の郷中を蔑んでいた。
ある祭りの時、歩いていた吉之助が道を譲らなかったと因縁をつけ、「貧乏人のくせに」と啖呵を切ってきた。
「そっちが自分からぶつかってきたではないか」
自分に過失はない。はっきりと相手の方から肩をぶつけてきたのであり、言われることはまるで筋が通らない。謝れ貧乏人、と迫られたが、吉之助は応じなかった。相手が手をあげてきたので、ついに吉之助も応戦し、片手で投げ飛ばしてしまった。
「覚えてろ」と、金持ちの少年は吐き捨てて立ち去り、後日、報復に出たのである。
それが、雨の日のことだった。
土砂降りだった。
吉之助は傘をさしていた。そのために、動きが遅れた。
物陰に潜んでいた少年は、この前の仕返しだと叫びながら、鞘のままの刀を振って飛び出した。
ばしゃあ。泥水が跳ね上がる。
傘を持った右腕で咄嗟に防いだが、不幸にも打ちかかった刀の鞘が割れたのだった。
透明な雨の中で、深紅の飛沫が散った。
その時の敵の顔を、吉之助は忘れない。
やってしまった、と内心思いながら、どこかで、どう胡麻化すかと考えているような目つき。
あれは弱い者を蔑む目だ。相手の痛みを認められない者の顔だ。
吉之助は傷ついた腕で応戦した。思いがけない流血で、敵は最初から腰が引けている。
首根っこを掴んで泥水の中に顔を押し込んでやり、「認めて詫びろ」と怒鳴った。
だが、いくら相手が認めて詫びたところで、吉之助の腕は治らなかった。この時の傷がもとで、右腕は生涯、伸びなくなった。
武芸を磨き、誰よりも強かった吉之助は、剣の道を諦めざるをえなくなった。
(やってしまった後は、もう、戻らぬもの)
雨に濡れながら、帰宅する。
まあまあ、すっかり濡れて。お帰りなさい。
家族が驚いて迎え入れてくれる。
「大事な体なのですから」
妹たちが案じてくれる。
貧しいが、家族は仲が良かった。
「兄上、雨漏りが酷くて、兄上のご本が濡れてしまうので、ぜんぶ、押し入れに移しました」
迎えてくれた弟が言う。
吉之助は頷くと、「ありがたい」と礼を言った。
剣を諦めて以来、吉之助は勉強家になった。
郷中で右に出る者がないほどの読書家である。
(俺は倒れても立ち上がる)
本当に弱い者とは、誰なのだろう。