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[1:危ない客]

 4月の、ある晴れた日だった。東条武は地の床屋だ。3月に比べると、入校や入社が済んだ4月、床屋は例年暇である。ところがなぜか今年は忙しい。今日も昼飯抜きだ。


「ズザッ」車が止まる音がした。

 ドライヤーをかけながらチラッと駐車場を見る。白いレクサス、かなりグレードの高いバージョンだ。運転手が駆け降り、後部ドアを開けた。喪服にサングラス、「……ほお、」武は雰囲気で察しがついた。


「ドンッ」床屋のドアが強めに開いた。

ガタイの大きな運転手と小柄でサングラスの男が入ってくる。

「マスター、急ぎなんだけどなぁ」先に入った運転手が武に低い声で言った。

「いらっしゃいませー」武はドライヤーを一瞬止めた。

「すいませーん、もう少しでこの(かた)終わりますが、次の方が待っておられるんで、ちょっと時間かかりますよ……」武は待合の椅子を見てくれと目を流した。

 サングラスの男が、運転手を押しのけて前に出た。

「マスター、どうにも急ぎなんだ、……先客がいるのは分かった。そこを頼みだ、先にやってくれねえか?」

 状況はわかった。ヤクザ風の男が急いで散髪をやってくれと頼んでいるのだ。先客がいるにもかかわらず、だ。

「お客さん、ご希望はわかりますけど、……」

「二人分払うからよ」大柄な男が武の言葉を遮って言った。

 武は、――無理を言うなよ――が顔に出ている。

「あっ、あの、私、急いでないから先にどうぞぅ」椅子で待っていた客が雰囲気を察し、場を取り繕う感じで言った。

「松井さん、……いいのぅ?」武が―― 悪いな ――と、松井さんに会釈した。

「武さん、オレ、今日は一日暇(ひま)って言ったじゃん――」松井さんは、――気にしないでいいからさ――と手で合図をした。

「松井さんかぁ、助かります、すいませんねぇ」意外にもサングラスの男がしっかりと礼を言った。

 よかった、武はちょっと肩の力が抜けた。ヤクザといっても行儀のいいやつもいる。この連中はいい(ほう)だな。武は、いま散髪が終わった客が異様な雰囲気に、自分にとばっちりが来ないかと冷や汗を流していたのを感じていたからだ。


 ヤクザが席に着いた。

「ハイッ、どうしましょう?」

「同じ形のまま整髪して、セットも頼む」

「わかりました」武は洗髪を始めた。

「お急ぎみたいですね、ご葬儀ですかね」武が話しかけた。

「いやぁ、お世話になった会長が急に亡くなってね、その連絡がオレんとこだけ届くのが遅れたんで焦って飛んで来たんだ。有名な方だ、義理を欠いたらたいへんだ。葬儀場はここの近くだから、もう間に合うって安心したらよ、頭がボサボサだったのを思い出した。そしたらここに床屋があって助かった。それで無理言っちゃったわけよ」

「そうだったんですか、この近くっていうと総合祭場かな?、失礼ですけどお亡くなりになった有名な方ってどちら様ですかね?」

「ああ、あんた地元だからたぶん知ってるよな、蓮池組。その会長が亡くなった」

「蓮池組? 産廃の蓮池さんかな、……えっ、なに、会長が亡くなったって? えーっ、知らなかったなぁ、それだと私も行かないとまずいな……」武はちょっと手を止めた。

「いやぁ、葬儀つったって、もう今は昔みたいに大げさな葬儀はしねえんだよ、だから身内と付き合いの濃い人しか声かけねえ」

そう言ってヤクザは目をつむった。


 散髪は進んだ。「顔、剃りますよね?」

「ああ、剃って」

「私、実は蓮池さんとは同級でね、若いころ悪友だったんですよ」武が顔を剃りながら昔話を始めた。


「会長と同級? ……」

「そうですよ。こう見えても私、昔、突っ張っててね、蓮池さんとけっこう張り合ってたんだ」

「会長と? ……」ヤクザの話が止まった。しばらく何かを考えている。

「マスター、苗字は?」

「東条ですが」

「……お名前は?」

「武です」

「東条武! ――」ヤクザが突然叫んで起き上がろうとした。

「あっ、あーっ」急に動いたため武の剃刀が滑り、すっと口の脇に赤い筋ができた。――切れた――すぐに血が滲んできた。

「すいません、すいません」武は焦った。

「血が出ちゃいました、すぐ止めます」

「おおっ、オレが急に動いたのが悪いんだ、マスターのせいじゃない」

 なんとヤクザはそう言うとあわてて椅子を降り、いきなり土下座をした。

「東条さん、御見それしました。私、剛田達夫といいまして、会長の子分です。東条さんのお名前は存じてました。会長からいろいろお聞きしてます。そういえば床屋さんをやっているということも聞いてました、全然忘れてました、申し訳ありません」

あまりに意外な展開に武は慌てた。

「ちょっとそんな、頭を上げてくださいよ」武が恐縮して言った。しかし驚いた、このヤクザが自分の過去を知っていることを。


 散髪は終わった。ヤクザは何度も何度も頭を下げ出て行った。

 一瞬、店の中にポカンとした微妙な間が開いている。

「ちょっと、武さん……」沈黙を破って松井さんがいつもと全然違う目で武を見て言った。

「知らなかったけどさぁ、あんたいったい何者?」

 武の方が焦った。こんなことになるとは思っていなかった。しかし松井さんは町内きってのおしゃべりオヤジだ。ここは抑えておかないと、あとあと面倒くさいことになりかねない。武はちょっと芝居を打った。


「松井さん、人って見かけによらない部分があるんだよね……あんたちょっと私のヤバイ部分を知っちゃった。悪いけどさ、今日の事、伏せといて欲しいんだがなぁ……いいかな?……」

 武はちょっとドスを効かせて、上目づかいで松井さんを睨んだ。

「わっ、分かってるよ、分かってるよぉ……だれにも言わないよ」

 松井さんは完全にビビッた。――へへっ、OK、これでよし。武は後ろを向いて舌をだした。


 東条武は若いころ、この地域の暴走族を率いていた。蓮池は敵対していた暴走族のヘッドだったのだ。

 武はその日の日記にこう記した。

『あの蓮池が死んだ。そのことを今日、たまたま来た客から聞いた。昔を思い出す』

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