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【レポート】趣味『人間観察』とか言う人

作者: 豆々駄

私は学生時代、『人間観察、好きなんだよねー』と言う、今は目も当てられない悲しき生き物だった。

趣味ではなく、癖。

気がつくと他人を見ている。他人の声を聞いている。

息を潜め、探っている。


案外他人は人を見ていないし、見られている自覚もない。

というか。他人は他人に興味がないらしい。


そう思ったきっかけは何気ない会話だった。


『Aさん、今日元気ないね』


唇に血色がなく、口角も下がり気味。

授業中も上の空で時々ノートを取り損ねている。

仲のいいBさんも少し距離を置いている様子あり。

単純に体調不良の可能性もあるけれど、精神的に参っている可能性が高い。

数日前、Bさんとの会話の中で“おばあちゃん““病院““歩けなくなった“というワードを発していたし、昨日は休んでいた。


おそらく、お葬式。


そんな推測を交えながら友人と話をしていると、友人はそっけなく「へー。そうなんだ。知らなかった。」と放った。


その反応を見た瞬間、私の頭の中にモヤが立ち込めた。

元気のない人がいたら気になるものではないのか?

いつもと違う行動をしている人がいたらつい見てしまうものではないのか?

自分とは異なる感覚と対峙した、むず痒さ。


歳を重ねるにつれ、違和感は増えていく。


例えば、何人兄弟の何番目はどういう性格になりがち、とか。

この子はこういう状況の時、こういう行動をしがち、とか。

飲食店で聞こえた会話から人間関係を推測したり、とか。


それは偏見で。モラル的に気にしてはいけないことで。

だって、人の会話に耳をそばだてるのはマナー違反だ。

けれど、全部が気になって目を光らせてしまう。


何故か。答えは単純だ。


根底にあるのは、『私を貶すような会話をしていないか』の確認だ。


自己肯定感が低く、ネガティブな人間は、ある種自意識過剰に、皆が私を意識していると思い込んでいる。

“キモい““ウザイ““クサイ“

そんなワードに敏感になりながら、知りもしない他人の会話にまで耳を立てる。

しかし、自己肯定感が低いにも関わらずプライドが高い為、自分の行動を肯定するよう『人間観察』等と誤魔化すのだ。


私がネガティブになってしまった原因は、幼い頃から祖母に『アンタは本当に面目ないねぇ』と言われ続けたからだと考えている。

要は、家庭環境。


家庭環境は人格を形成する要因となる。


次いで記すのは人間観察がより癖づいてしまった要因。

それは、脅威の存在。


私の祖母は非常に気難しく、気紛れで、攻撃的だった。

人の粗を見つけては何時間もかけて怒り、ふと思い出しては部屋にまで押しかけてお説教をしていた。

私は恐怖していた。祖母の足音に。

足の悪い祖母は少しズッたような足音をしている。

廊下を歩く音、トイレを開ける音、階段を上がる音がすれば飛び起きる。


祖母の生活は1階で事足りる為、2階に来ると言うことはお説教をするということ。

手すりにすがり、重たい足を引きずって、


トン、カタ、トン、カタ、トン、カタ


真夜中にそんな音を響かせながら、近づいてくる。


2階で眠るのは、母と、私。

さて、ターゲットは誰か。

いや、ターゲットなんて誰でも変わらない。

仕事と介護で疲れている母を寝かせる為に、私が自ら犠牲となる。


「どうしたの、おばあちゃま」


2階に上がってきた祖母は般若の顔をしている。

眉と目尻を吊り上げて、歯を食いしばり、口角をこれでもかと下げて。


「アンタねぇ、わたしを馬鹿にするんじゃないよ!」


認知症の祖母は、空想の世界でいじめられている。

私はそんな祖母をよく観察しながら話を聞く。

手の震え、目力、口の震え方、声圧。

ジッと観察し、タイミングを見て声を挟む。


「そうなのね。そういえば、前にもそんなこと言ってたね。ほら、東京に住んでた頃の話でさ、どこに住んでたんだっけ?」


急に話題を変えられた祖母は一瞬呆気にとられ、


「〇〇でしょうに。〇〇年は〇〇に住んでたのよ」

「そうだったね!何回聞いても忘れちゃうや。その〇〇に住んでた頃はバブル全盛期だったんだっけ?」


まるでリズムゲーム。

タイミングよく話題を押し、譜面を進めていく。

祖母は目を逸らし、記憶を辿り、顔を元に戻していく。

私はそれをよく見て、うんうん。と話を聞く。

何時間もかけて機嫌を直していく。


祖母は認知症になる前もこうして怒ることがあった。

そんな時は素直に話を聞くこともあったし、足音で察して逃げることもあった。

本来安らげるはずの家は緊張の場となっており、それが観察眼を鍛えていた。


しかし学生時代はそんな思考と結びつくはずもなく、ただただ自分は周りよりも観察眼が優れていると思っていた。

今思えば偏ったものだった。

読み取れるのは他人のネガティブな感情だけで、嘘を見抜いたり、好みを察したりすることは苦手だった。

それは、祖母が嘘をつくこともないし、好きなものを何度も言うタイプだったから、鍛えることができなかった為だろう。


私は社会人になり、観察眼が求められるような職種に就いた。

それは成り行きであったけれど、案外性に合っていたらしい。


「よく見ているね」「そんなことに気づけるなんてすごいね」


そんな風に褒められる。


はじめは、新人の私に対しての気遣いだと思った。

小さなことでも褒めて自信をつけさせようとしてくれているのかと。

しかしどうやら違うらしく、他の人は本当に見えていないらしい。

もちろん同じ業界のため観察眼は必須で、私とは違った視点で物事を見ていることがわかる。


そして、気をつけなければいけないことに気がついた。


思い込んではいけない、と。


見たものを純度100%で吸収することは至難の業だ。

どうしても推測や思考が混じってしまう。


“おばあちゃん““病院““歩けなくなった“のワードで得られることは、おばあちゃん、病院、歩けなくなった、のみなのだ。

おばあちゃんが病院に入院していて、歩けなくなるほど弱ってしまったのか。

入院しているおばあちゃんの隣のベッドの人が歩けなくなってしまったのか。

はたまた、おばあちゃんは人間ではなく犬かもしれない。


そうなると、過去の私は『人間観察が好き』と言っておきながら、ただ人の会話から妄想を繰り広げ、知ったかぶりをしていただけの人間になってしまう。


それはもはや、ただの痛い奴だ。


趣味「人間観察」と言っていいのは、ありのままの情報を吸収できる能力を持っている人なのだろう。

そう察した私は今日も、「Aさん、今日元気なさげですよね」と確認作業をするのだ。

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