第一章 約束のムーンストーン
「刹那ちゃん、もう朝だよーー!
小4にもなって遅刻はみっともないぞ~?」
眠い目を擦ってぼやけている視界の輪郭を掴む。
佳代子さんは休日ボケした私の眠気を徹底的につぶそうとフライパンを容赦なくガンガン耳元で鳴らす。
…昨日は結局よく眠れなかったんだっけ。
簡潔に言うと、家に知らない人が来た。
まあ正確には、私がママのお姉さんである佳智子おばさんの家から妹の佳代子おばさんの家に引き取られただけなんだけどね。
両親が犯罪者になり、身寄りのなくなった私をいやいや引き取った佳智子おばさん一家はさんざん私に意地悪をしてきた。
まあ居候の身で屋根裏の一部屋とお小遣いをもらってるだけハ●ー・ポッターよりかはましな生活だけど。
おばさんの娘で私より1歳上のいとこ、未智は性格がありえないくらいネジ曲がってるし。
…学校で友達いるのかな、あの子。
ってそんなことより。
そんな毎日を送ってきた私の心の拠り所、氷室親子。
荒んでヤンキーやってた私を救い出してくれた青葉と、実の子供みたいに私のことを可愛がってくれる葉子さんには感謝しかない。
そんなこんなでかれこれ1年くらい氷室親子と楽しく過ごして、おばさんにいびられつつみたいな毎日を過ごしたけど。
昨日、私の日常がガラッと変わった。
ずっと海外で仕事をしていたというママの家の3番目の妹である佳代子おばさんが帰国して、私のことを知ったらすぐに「引き取る」といってきた。
まあ佳代子さんも姉妹だし佳智子おばさんが私にしてることが分かってたんだろう。
でも私は青葉たちと離れたくなくて、昨日佳代子さんの前で思いっきり泣いて駄々をこねたんだっけ。
洗面台の鏡の前に立ったら涙の筋がうっすらほっぺたに残ってる。
結局私は昔両親と住んでた家に戻ってきた。
おばさんって言うけど末っ子だし年も離れてるから30代前半くらい。
姉妹なだけあって佳代子さんは顔も性格もお母さんによく似ている。
お母さんに最後にあったのは逮捕前日、私の5歳の誕生日だった。
だからこそ、上機嫌で家のキッチンに立つ佳代子さんを見るとママを鮮明に思い出す。
「何ぼーっとしてるの、刹那ちゃん」
キッチンから佳代子さんが顔を乗り出して笑う。
本当、ママにそっくりだ。
「刹那遅い。学校遅刻するギリギリじゃん。」
教室に着くと青葉が真っ先に駆け寄ってくる。
「遅刻してないからいいじゃーん」
そう言うと青葉は丸メガネをスチャッとあげてツーンとした顔をする。
「全く、いつか後悔するよ?」
教室のみんなはいつものやり取りだというふうに、関心を示さない。
最初の頃はクラス1の優等生とヤンキーが喋ってる、なんて言ってみんなが目を丸くしてたけど、今はすっかり誰もびっくりしなくなった。
なんだかちょっとつまらないとも思ってしまう。
そんな事を考えながら机にランドセルを下ろした。
その昼休みのこと。
私と青葉はクラスメートから妙な噂を聞いた。
「この近くの常闇トンネルってあるじゃん、」
クラスメートは声を小さくして話す。
もう1人のクラスメートは反対に声を張り上げ飛び上がる。
「そこに、すっごいお宝が眠ってるらしいよ!!!」
すっごいお宝って、具体的にどんなものかをもう少しはっきりさせてほしいが、この手の噂話にあまり期待をしてはいけない。
常闇トンネル、先が見えない暗いトンネルで、一番奥は昔から通行止めになっているトンネル。車は通れないし、洞窟のように整備がなされていないので、子どもたちの肝試し位にしか使われない。
意外にも優等生青葉の食いつきは良かった。
「すっごいお宝…青葉、気にならない?」
放課後、いつものアジトであるパイプ公園でアンルを待ちながらおしゃべりする。
私があまりにもキラキラとした目つきで言うので青葉も流石にびっくりしたのか、
「どうせ子供だましだよ。誰も奥まで行ったことないんでしょ?」
と冷たく言われてしまった。
そうしてるうちにアンルがやってきた。
アンルは2歳上の小6にして高校生10人相手に素手で一人勝ちできる、ここでは有名な超つよい不良。私達が不良に絡まれてるのを助けてくれてから3人で仲良くしてる。
チーム名は一縷隊。
メンバーは隊長のアンルと戦闘員の私、参謀の青葉の3人で、いつも放課後はパイプ公園に集まっている。
私はアンルほどじゃないけど喧嘩は強いしスピードならアンルにも負けないから戦闘員で切り込み隊長に任命された。
一番頭が良くて喧嘩、というか運動が苦手な青葉が参謀をやっている。
アンルがやってきたので事の詳細をもう一度彼に伝えた。
「だって、お宝って言ったらさ、やっぱり気になるじゃん!常闇トンネルに今まで入ったことなかったし、行ってみたい!」
…青葉は少し考えていたが、さっき冷たくしてしまった罪悪感からか意外とあっさりOKしてくれた。
一方のアンルは駄目の一点張り。
理由を聞いても全然答えてくれないし。
もしかして、アンル意外と怖がりなのかな。
想像すると面白くて思わず笑ってしまったら、案の定アンルに睨まれた。
…結局土曜日の夕方に2人でトンネル探検に行くことになってしまった。
トンネルの話が終わるともうあたりは日が暮れていて、2人に背を向けて私は反対方向へ帰路を急いだ。
「ただいまー」
いつものように低いテンションで言ったあと、「おかえり!」という声が聞こえてはっとする。
そうだ、今日から佳代子さんが家にいる。
慌てて元気のいいただいまを言い直そうとしたが、佳代子さんはそんなに気にしないで、というように顔の前でOKマークを作った。
「…その仕草、ママがいっつもやってたやつ」
気づけば私は口にしていた。
佳代子さんは一瞬きょとんとした顔をした後、母そっくりの笑顔で私に尋ねる。
「刹那ちゃん、今でもお母さんのこと、好き?」
正直、悩む。
私をおいて行ってしまった母を恨む気持ちは強い。
でも。
パパとママは優しかった。
心の何処かで冤罪なんじゃないか、事情があったんじゃないか、って願ってる自分がいる。
だってあのパパとママがあんな事するはずないもん。
2人が人を殺す?
そんなことできっこないに決まってる。
だって、だって。
そんな言い訳をずっと考えてきた。
今は獄中にいるママ。
いつでも会えたはずのママに、理由をつけて会うことをしなかったのは私だ。
しばらく黙ったままの私を見て、佳代子さんは何かを悟ったような顔をした。
「今度の日曜日にさ、」
…お母さんに、会ってみない?
その次の日も結局よく眠れなかった。
ママの得意料理だったオムライスを食べても、久しぶりに誰かと一緒の布団で寝ても。
ママは死んだと心に言い聞かせてきた自分にはママと会うなんて、到底心の準備ができない。
結局ずっともやもやした気持ちのまま、土曜日を迎えてしまった。
そんな私と反対に青葉は浮き立つ気持ちを隠せない様子。
「よ〜し出発!行くよ刹那!」
右手に懐中電灯、左手に私の手をしっかりと握りしめて青葉は走り出した。
「もう10分くらい歩いてるけど…」
「意外とこのトンネル、奥あったんだね」
青葉が床に腰を下ろして一息つく。
お茶を取り出して飲もうとした時、それは動いた。
「ズ、ズズ、ズズズズズ…」
トンネルの壁の染みがゆらりと蠢く。
そして黒い液体のようなものがまとわりついた高さ3メートルほどの獣が私達の前へ現れた。
「ヴ、ヴヴ、ヴ、ヴァァギャァ!!!!!!!」
青葉が顔を引きつって後退りし、その後に
両頬をぺちんと力強く叩いて立ち上がる。
「せつなッ、僕のリュックにお札が入っている!!
取り出して懐中電灯とナイフに貼ってくれ!!」
お札…そんなもの持ってきてたんだ。
青葉がおとりになってくれている隙に投げられたリュックからガサゴソとお札を探す。
青葉はそんなに動けない。もたもたしているとお札を出す前に青葉がやられてしまう。
「あった!」
急いで札を貼りつけて後ろを振り向くと獣はまさに青葉に牙を向けていた。
「あおばっ!!!」
懐中電灯を獣に向けると、少しひるんだのでそのまま照らし続ける。
獣は苦しそうなうなり声をあげ、のたうち回る。
そのすきに青葉の襟元を掴んで引き下がらせ、懐中電灯を持たせる。
「せつな、照らすのは任せて!!奴の急所は眼球だ!!」
「眼球!?そんなのどこにも見当たらないよ!!」
「本で読んだことがあるが、ずっと懐中電灯の光を当てておけば黄色い眼球が現れるらしい!!
眼球が出た瞬間に一撃で仕留めるしかない!!できるか?」
私はナイフを握る手に力を込めた。
「当たり前でしょ!!」
そういって私は胸に隠し持っていた懐中時計を取り出して叫ぶ。
「時間殺し・3ノ文字盤 踊ル黒ウサギ」
目の前の世界がゆーっくりと動き出した。
獣のうめき声が止み、獣の纏う黒い液体が二つに裂け、なかから狼のような生き物が姿を現す。
そして、裂け目から黄色い光が見えた。
「今だッ!!!」
地面をけり上げ獣の頭上まで飛び上がる。
獣は私の動きに気づき、大きな手を振って私を叩き落とそうとする。
が、動きを見切って空中で一回転。
あの程度で私のスピードに勝てるなんて思うなよっ!
そして獣の手に飛び乗って体勢を立て直し再びナイフをしっかり握る。
そして、光の方をめがけてナイフを突き立てた。
「グァァァアアアア!!!!!」
ナイフは獣の瞳へと突き刺さり、獣は咆哮を挙げながら塵のように消えていった。
「ふぅ…良かった。何とか怪物は倒せたよ、青葉」
そういって青葉の方を見ると、青葉はへなへなとその場にへたり込んだ。
「はぁ、びっくりしたぁ…。
せつな、大丈夫?ケガしてない?」
いつものキリっとした青葉からは想像がつかないくらいのオロオロとした口調で私にすがる。
その不安気で、今でも泣きそうな顔をみれるのは私だけだと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。
「他の誰にも、そんな顔見せないでね」
彼に聞こえないように、そうつぶやいた。
「すごぉーい!!!」
トンネルの奥には本当にお宝があった。
白く輝くひし形の宝石と、桜色に光る指輪。
私にはその価値が具体的には分からなかったが、青葉はきらきらと目を輝かせていた。
「すごいよ、すごい!!この大きさ、買うのにどれだけお金がかかるか…。」
「この宝石、なんて名前?」
「えーっと、こっちの白いほうがムーンストーン、こっちのピンク色の指輪についているのがピンクオパールだね」
「へぇ、綺麗だねぇ…」
私と青葉でしばらくうっとりしていたが、この宝石をどうするか、という話になった。
「それにしても、この色、青葉の眼の色とそっくりだね」
「こっちの指輪の色は刹那の眼だね!」
「じゃあさ、これを、あえて目の色と逆にして…と。
2人で持っていようよ!」
青葉は一瞬、彼の大きな、それこそ宝石のような瞳を丸くさせ、そのあとふふっ、と笑ってうなづいた。
「…約束、だね」
結局昨日は遅くに帰って来て、佳代子さんに心配された。
そして今日、私はママのいる刑務所へと足を運んでいた。
「刹那ちゃん、大丈夫?
もし具合が悪くなったりとか、何かあったりしたら、帰れるからすぐに言ってね。」
正直不安だ。
ママに会うのは5年ぶり。
変わり果てたママの姿を想像すると、胸の奥がきゅう、と痛む気がする。
でも、一度行かないとこのもやもやとした感情は一生私について回る、そんな気がする。
だから私は面会室のドアを開けた。
「姉さん、久しぶり。
…今日は、刹那ちゃんを連れてきたんだ。」
お母さんはひどく驚いたような顔をして私のほうを見つめる。
どうやら佳代子さんは私が来るということをママに伝えていなかったらしい。
ママの顔は5年前からは想像もつかないくらい老け込んでいて、まだ30代半ばだというのに白髪がちらほら目立つ。
ママはしばらく固まっていたかと思うと、面会室の机に突っ伏して泣き出した。
「せつな、ごめんね、ごめんねぇ…」
その声は5年前と変わらない、優しいママの声だった。
ママは、事件の概要については死んだお父さんとの約束らしく話せないと言った。
ママは私を1人にしてつらい思いをさせたこと、事件について言えないことを何度も私に謝った。
「いいんだ、ママ。私いつか大きくなったら、ママの事件の真相を解くんだ」
そういうと、ママは「せつなを危ない目に合わせるわけには…」と言ってはっとしたような顔をして言葉を止めた。
「せつな、あなたその宝石どこで…。」
私が昨日青葉と見つけた宝石。
ラピスラズリは何故だか懐中時計の真ん中に空いていた穴にピタリとはまったのだ。
「昨日友達と見つけたんだ。常闇トンネルを探検したんだよ」
ママはしばらく悩んでいるようだったが、口を開いて、
「それはね、お母さんとお父さんがね、捕まる直前に2人でトンネルの奥に隠したものだったのよ。
途中に怪物がいたでしょう、あれを倒せるのは相当な知力と体力を持つ人だけ。
だからいたずらで取られたりしないと思っていたから、私たちはあの宝石におまじないを込めたの。」
「どんなおまじない?」
ママは目に涙を浮かべ、にっこりと笑った。
「大切な人とずっと一緒にいられるおまじないよ」
ママのパワーは「魔法のランプ」だった。
死ぬまでに3つおまじないをなんでも叶えることができるんだって。
ママは1つを私の幸せのために、1つを宝石に託したという。
最後のおまじないは事件にかかわってくるらしく私には話せないらしいがもう使ったらしい。
「でもね、最後のおまじないは叶わなかったのよ」
そういってママは寂しそうな顔をした。
ママは、「その宝石をお母さんとお父さんだと思って大事にしてね」と言っていた。
そして、青葉達のことを話すと、「私からもぜひお礼を言いたいわ、今度お手紙を書こうかしら。そのお友達を大切にするのよ」と嬉しそうに笑った。
パパとママの事件の真相は、まだ私にはわからない。
「あの宝石を見つけられたんですもの。刹那ならいつかきっとわかるわ。
でも、危ないことに首を突っ込むことは絶対にしないでね。」
そう言ってママはガラス越しに頭を撫でる仕草をした。
それがなんだか、温かかった。
「 」
面会所から出ていくとき、ママは私にこう言った。
その意味は、当時の私にはまだよくわからなかった。
そうして長いようで短い面会の時間はあっという間に終わってしまった。
「せつなちゃん、お母さんと会ってみてどうだった?」
私は晴れやかな笑顔で答えた。
「やっぱりママは、ママだったよ!」
佳代子さんもうれしそうに笑った。
ママは冤罪ではないし、ママがいくら優しい人でも、犯した罪が消えるわけじゃない。
でも、ママは私のたった一人の生みの親だから。
そう思って、生きていくことに決めた。
その次の日。
母が獄中死したと聞いた。
原因は「能力の限界値を超えた使用による代償」。
つまり母は4つ目の願い事をかなえたのだ。
その願い事は、私にはわからないけど。
…母と交わした最後の言葉。
あれがおまじないだったんじゃないか。
私は、あれから10年がたった今でも、そう思わずにはいられないのだ。