54.西の辺境伯家
邸に戻り着替えてから居間に落ち着き、今日も軽食をつまむ。
幕間でもいくらか食べたが、コルセットでぎゅうぎゅうのお腹にはさほど入らないものである。
馬車の中ではエドガルドにより、カイトとの日本語の会話について質問攻めにされる。帰宅したらしたで王都邸のハウスキーパーにより、オーバースカートの崩れについて大層心配をされた。
確かにそれはエドガルドの行為によって崩れたものだが、婚姻前に手を出されたわけではないので安心してほしいと伝える羽目になる。どうやら王都邸のハウスキーパーは、今まで微塵も女っ気がなかったエドガルドによる灯花への急な寵愛に気を揉んでいるらしい。
そして居間にて説明されたカイトの生家についてだが、彼は「西の辺境伯家」と言われる家の出だという。なお西の辺境伯家というのは通称であって、現在のかの家は侯爵家である。その家の名はフィッツモリスタ。
かつて頻繁に国境を荒らしていた西の緩衝地帯の蛮族に対処していたのが、西の辺境伯家こと「フィッツモリスタ辺境伯家」である。当時は辺境伯を名乗っていたフィッツモリスタ家は、国の東側に位置するヴァリデガラート辺境伯家とともに武を誇っていたという。
やがて蛮族が散り散りとなり、その脅威は消え去ることになる。
複数の国が接する空白地帯となった場所に隣接する領地が「辺境伯」を名乗り続けるのは、隣接国からの心象が良いとは言えない。国の判断として西の辺境伯家は、ほぼ同格の侯爵家へと変わることになった。
そういった流れがあるのだが、もともと「辺境伯家」であることに誇りがあったフィッツモリスタ家は王家の判断を静かに恨み続け、現在は議会派の筆頭となってしまっている。
侯爵家となっても武の名門であることに変わりはなく、今も多数の優秀な騎士を排出している。
騎士とは国に忠誠を誓うものではある。しかし力を持つ多くの騎士が、西の辺境伯家と縁があるという状況が現在の王家派と議会派の均衡の一因となっている。
そのついでにヴァリデガラート辺境伯家は、現存する唯一の辺境伯家として何故だか一方的に恨まれているらしいが。
「なんか……理不尽すぎません?」
「俺もそう思う」
げんなりとした顔でエドガルドが灯花の感想に同意する。
そうして謎に仲が悪い間柄の二家だが、エドガルドの両親がまだ存命だった頃に先方から問い合わせがあったという。
「息子に魔物が憑いているのではないか見て欲しい……と頼まれた」
謎の言語を操る息子が魔物の影響下にあるのではないかと訝しんだカイトの父たるフィッツモリスタ侯爵は、対魔物のエキスパートであるヴァリデガラート辺境伯家へ内密の相談に訪れた。
その際のフィッツモリスタ侯爵は潔く頭を下げ、協力を願ったという。カイトは家族に疎まれていると言っていたが、少なくともフィッツモリスタ侯爵にはちゃんと子を案ずる気持ちがあるように思える。
一方的な認定とは言え、ライバルに頭を下げるという行為は生半可な覚悟ではないだろう。高位貴族であるなら尚更だ。
とはいえ人間に魔物が憑くという現象など、今まで確認されたことがない。悪魔が憑くという逸話は各所に存在するが、それこそおとぎ話だ。
「それだけ藁にもすがる思いということだったのだろうが……カイト殿は暫く滞在し、我が領の聖殿司教にも見てもらったが、やはり何もわからなかった」
「まぁ、実際は生まれる前の記憶が元だったというのは想定外ですよね」
「考えようによっては、悪魔とも魔物とも違う存在が憑いていたとも言えてしまうが。漂流人以外にも、異界の存在があったとはな……」
もしかしたらカイト以外にも、彼と同じような転生者がいるのかもしれない。それこそ、過去に悪魔憑きだと判断されてしまった人たちだとか。
そして漂流人も、誰にも知られていないだけでもっと沢山の人間が落ちてきていた可能性はある。そして悪魔の烙印を押されて、人知れず排除されてしまっていたのかもしれない。
ユイもそうやって排除されたひとりだろう。いや、彼女は多くに知られていても、ああやって殺されてしまったのだが。
とはいえ、それで漂流人や転生者を受け入れられなかった現地の人たちが悪なのかというと、必ずしも肯定できない気がする。
まったく違う言葉、まったく違う外見、まったく違う価値観。異世界関係なく、ただ集団と違うという事実が不和を招く原因になりやすいだけなのだ。特に余裕のない狭いコミュニティーにおいて、その不和は文字通りの命取りだ。
「私は本当に運が良かったのだと改めて思います……ありがとうございます」
「そうだな、俺も運が良かった」
もしあの時に領主邸へ落ちなかったら、エドガルドと話す機会があったとは思えない。広大な辺境のどこかに落ちたとしても、人里以外での生存は難しかっただろう。
たとえ人里だったとしても、言葉も解さぬ余所者の居場所などはどこにも無い。
何かが少しでも違っていたら、この温かい時間が訪れることはなかったのだろう。
じんわりとそう思いながら、灯花は王都邸シェフ渾身の可愛らしく盛り付けられたフィンガーフードを行儀悪く口に放り込んだ。
「…………良い機会だからカイト殿の支援者にでもなるか?」
「えっ、いいんですか?」
「辺境伯領に劇場を……というのは現状難しい。しかし文化への投資も貴族の務めだ」
「なるほど、そういうものなんですね」
灯花は深く感心しつつも、辺境伯領と劇場という組み合わせに、かつて耳にしたとある発言を思い出していた。
(デシデリアさんに何もないと言われたこと、けっこう気にしてたんだな……?)
こうして支援を受けたカイトが張り切った結果、盛りに盛られた辺境伯と聖女の恋物語が大々的に上演されるようになるのが出会いから数年後。
呑気に美味しい夜食を堪能する今の灯花には、そんな未来の大事件についてまだ知る由もないのであった。




